学位論文要旨



No 128595
著者(漢字) 佐藤,剛
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,タケシ
標題(和) 繁殖期及び非繁殖期のゴールデンハムスターにおける精巣構造と生殖幹細胞維持状態の変化に関する研究
標題(洋)
報告番号 128595
報告番号 甲28595
学位授与日 2012.09.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3859号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 九郎丸,正道
 東京大学 教授 眞鍋,昇
 東京大学 教授 久和,茂
 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 准教授 金井,克晃
内容要旨 要旨を表示する

半永久的に配偶子が形成され続ける哺乳類精巣において,その精子発生の仕組みの解明を目的として,これまで数多くの研究がなされてきた。しかし実験に使用される動物の多くがマウスやラットといった周年繁殖動物であった。そのため,例えば不妊治療といったものへの貢献のために,配偶子形成不全のメカニズム解明及び配偶子形成異常の病態・原因探求のためには,精子発生異常モデル動物を作出する必要があった。従って,人為的に遺伝子を改変したり,薬物処理を施したり,外科的処置を行ったりした動物を「モデル動物」として使用してきたが,これらは自然の生理現象を必ずしも反映したものとは言えないものが多かった。そこで本研究では自然生理現象として起こりうる精子発生の停止・再開を観察する事のできる季節繁殖動物の精子発生に着目し,繁殖期及び非繁殖期における精子発生を比較する事で,精子発生機能の維持メカニズムの評価を試みた。

そのためまず,本試験系に用いるゴールデンハムスターを非繁殖期へ導入した際の精子発生停止・再開の継時的形態変化及びその関連蛋白の発現を探る事で,繁殖期及び非繁殖期の差異を評価した。その結果,ACNハムスターでは短日条件に曝露する事で精巣は萎縮し,約13週後(D0)には精子発生が完全に停止する事を確認し,それに加えて,精子発生停止後に続く光耐性による精子発生の回復は,周辺環境に大きく依存した違いを見せる事を明らかにした(Sato et al., 2005)。すなわち,短日曝露及び低温曝露・冬眠誘導により精子発生の回復が大きく遅延する(D0から約20週を要する)一方で,短日及び室温曝露では精子発生は短期間で回復する事(D0から約10週を要する)を確認した。さらに,作出された非繁殖期導入個体において,低下した生殖細胞数の維持のメカニズムを確認するため生殖細胞数維持に関与する因子を確認したところ,精細管内の生殖細胞において高頻度のアポトーシス数が維持されている事,ライディッヒ細胞におけるLH-R発現及び3β-HSD発現の低下が維持されている事が確認された。in vitroにおいて低温曝露によりライディッヒ細胞におけるテストステロン合成の低下が報告されており(Panesar & Chan, 2004),またFSHやテストステロンは生殖細胞がアポトーシスを起こすのを防ぐ事も確認されている(Erkkila et al., 1997; Tesarik et al., 2001; Sofikitis et al., 2008)。これらの報告も踏まえると今回得られた結果から,短日及び低温曝露による精子発生の回復遅延は,低温曝露によるメラトニン増加・ホルモン関連因子(LH-R,3β-HSD)の低下とそれに続くテストステロンやFSHといった精子発生維持に必要な性ホルモン低下が継続した事で生殖細胞のアポトーシス数が増加し,結果として精巣萎縮・精子発生停止が室温下と比べて長期間維持された可能性が推測された。またSlcハムスターにおいても,短日・制限給餌条件へ導入する事で非繁殖期への誘導を試みたところ,完全には精細管は閉鎖しなかったものの,形態的に評価したところ精子発生はほぼ停止した。しかし,生殖細胞数維持に関与する因子であるLH-R,3β-HSDの発現は若干低下傾向が認められるものの,ACNハムスター程の減弱は認められず,ACNハムスターとSlcハムスターの系統差を示唆する結果となった。

次に,このACNハムスター及びSlcハムスターにおける非繁殖期導入系を用いて,生殖細胞数の維持及び精子発生の停止・再開に大きく関わっていると思われる幹細胞維持(SSC(Spermatogonial Stem Cell)の自己複製)の仕組みの評価を試みた。そのため,まず幹細胞ニッチ外的因子の主要因子の1つと考えられているGDNF(Glial cell line-derived neurotrophic factor)の精巣内発現を調べる事で,繁殖期及び非繁殖期の差異を調べた。その結果,ACNハムスター及びSlcハムスター成体において,セルトリ細胞特異的,かつ精子発生ステージ特異的にGDNFが発現している事を見出した。さらに,ACNハムスターにおいて非繁殖期では精子発生停止期にはGDNF発現はほぼ消失する一方で,精子発生回復過程において精子発生回復に先行してGDNF発現が回復・増加する事を確認した。ただ,Slcハムスターにおいては非繁殖期誘導を試みた個体でも,GDNFの顕著な発現低下は認められなかった。成体ハムスターで認められたGDNFのステージ特異性は,FSHから誘導されたcAMPの発現のステージ特異性(Toppari et al., 1991; Simoni et al., 1997)とほぼ一致している事や,非繁殖期でFSHが低下する一方で,回復期には精子発生の回復に先行してFSHレベルが上昇・回復する事(Berndtson & Desjardins, 1974; Tsutsui et al., 1988; Kirby et al., 1993),またこれまでもin vitroにおいて,セルトリ細胞におけるGdnfの発現はFSH作用により亢進する事が報告されている(Tadokoro et al., 2002; Simon et al., 2007; Ding et al., 2011)点などを踏まえると,今回の結果は,GDNFが精細管においてステージ特異的・領域特異的に発現する事でニッチ環境を構築してSSCの自己複製に関与している可能性を示唆するだけではなく,繁殖期及び非繁殖期におけるGDNFの発現変動(=ニッチ環境の変動)にはFSHによる制御が深く関わっている可能性を自然の生理的状態のin vivo個体で初めて示唆するものと考える事ができるだろう。これらの事実は,繁殖期及び非繁殖期におけるSSCの維持のメカニズムには差異がある可能性を示唆するものと考えられた。

そのため,次に膜透過処置を施さない全載精細管を用いる事で,細胞質外へ分泌されたGDNF顆粒及びその受容体であるGFRα1(GDNF family receptor alpha 1)陽性細胞の共発現を調べた。その結果,ステージ特異的かつパッチ状の限局したパターンで精細管基底区画セルトリ細胞表層にGDNF顆粒が局在する事が明らかになり,また精細管基底区画でGDNF顆粒とGFRα1陽性細胞は共局在を示し,かつ橋で連結されたA(pr)(A (paired))型及びA(al)(A (aligned))型精祖細胞といったGFRα1陽性細胞は連結された細胞のうち一部の細胞のみ非対称的にGDNFと共局在する場合がある事を確認した。これは,Nakagawaら(2010)によるSSCが非対称的に選択され自己複製が行われる可能性を示した報告と合致したものである。さらに,SSCを含むと考えられるGFRα1陽性細胞の局在及び形態を定量的に評価したところ,GDNF発現が比較的高い領域にあるGFRα1陽性細胞の方が,GDNF発現が比較的低い領域にあるものよりも細胞の伸展の程度が有意に大きく,またGDNF発現が比較的高い領域で統計学的有意差は無いもののGFRα1陽性細胞数が多い傾向がある事を明らかにした。また,非繁殖期Slcハムスター全載精細管においては,切片での評価と同様にGDNF発現の減少は認められず,またGFRα1陽性細胞は精細管内に均一に広く分布していた。以上をまとめると,GDNF及びGFRα1発現の共局在結果は,まずハムスターにおいてSSC維持のために基底区画に存在すると考えられるニッチ環境は,これまで考えられてきたような無脊椎動物や下等脊椎動物で認められている特定領域においてのみ永久的に存在する静的なニッチ(Davies & Fuller, 2008; Palasz & Kaminski, 2009; Nakamura et al., 2010)とは異なるものであり,精上皮周期の変動に伴い絶えず変化する動的なものであり,そこに偶然入り込んだ未分化精祖細胞がSSCとして自己複製する可能性を示した。そして何より興味深いのが,哺乳動物で恐らく初めて繁殖期と非繁殖期における生殖幹細胞ニッチシステムの違いを示唆する結果を得た事であった。すなわち,繁殖期から非繁殖期への移行にかけてGDNFの発現が大幅に低下し,SSCの維持が,来たる精子発生回復に必要な最低限のレベルまで絞られたと考えられる事象を確認した事である。さらにSlcハムスターでは,非繁殖期でもGDNFの発現の大幅な低下が認められないという系統差を示し,またマウスではハムスターと同様にGDNFはセルトリ細胞特異的に発現するものの明らかなステージ特異性は認められず,またGFRα1陽性細胞の密度が高く,細胞をあまり伸展させた形態を取らないなどの種差が認められ(Sato et al., 2011),以上より,ニッチシステムには繁殖期と非繁殖期の違いだけではなく,系統差・種差も存在する可能性が考えられた。

本研究では,繁殖期及び非繁殖期におけるハムスターの精子発生の構造的変化や関連因子発現変化の確認とマウスとの比較を通して,精子発生における種差・系統差を明らかにした。本実験でハムスターを用いたが,精子発生の仕組みをハムスターで評価したメリットはハムスターが生理的に精子発生を停止・再開できる点だけではない。ヒトは周年繁殖動物と思われているが,ヒトの生殖機能もハムスターを始め多くの季節繁殖動物の生殖機能を制御している日照時間と,それに関連したメラトニンの影響を大きく受けている。複数の地域における疫学調査によると,赤道近辺の住民に比べ北方の地域の住民は視床下部―性腺機能により明らかな周期性が認められ,夏ごろに機能のピークを迎えるため夏ごろの出産率が高くなる傾向が確認されている(Rojansky et al., 1992)。またメラトニンの分泌異常が少年の性成熟の時期異常や女性の視床下部性無月経症を引き起こす事も知られている(Silman et al., 1979; Arendt 1995)。さらに,メラトニンはフリーラディカルのスカベンジャーとして,あるいは受容体を介した抗酸化物質生成促進を通して抗酸化作用を有する(Hardeland, 2005)が,この抗酸化作用はヒトの生殖能力の維持にも重要な役割を担っている。すなわち,炎症性反応等により生じた酸化ストレスは精子に障害を引き起こすが,精液中に存在するメラトニン(Bornman et al., 1989)により,この障害を軽減させる事ができる(du Plessis et al., 2010)。さらに,精子にはメラトニン受容体が存在し,メラトニンの作用が鞭毛運動の制御に関わっている可能性が示唆されている(van Vuuren et al., 1992; du Plessis et al., 2010)。このように季節繁殖動物で精子発生を制御する主要因子である日照時間・メラトニンがヒトの生殖機能においても重要な役割を担っており,ヒト精子発生への外挿性の面で,ハムスターは周年繁殖動物とは異なる新たな切り口となりうる動物と考えられる。また,SSC維持に関しても,ハムスターを含むげっ歯類のヒトを含む霊長類への外挿性の是非について近年議論されているが,それら報告によると,A型精祖細胞のステージ分類の仕方こそげっ歯類と霊長類で異なるものの,GFRα1など,その発現するマーカー遺伝子や自己複製・分化の制御については高い外挿性を示す事が示唆されている(Dym et al., 2009; Hermann et al., 2010)。

以上より,本研究で採用・構築したACNハムスター及びSlcハムスターの非繁殖期導入系は,精子発生の仕組みを理解・評価し,ヒトで不妊治療の対象となるような配偶子形成不全の原因を探る際に,あるいは薬剤性副作用として見られる精巣障害のメカニズム解明の際に有用な動物モデルとなりうると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

半永久的に配偶子が形成され続ける哺乳類精巣において,それを可能にする精巣幹細胞(SSC(Spermatogonial Stem Cell))を維持する仕組みの解明を目的として,これまで数多くの研究がなされてきた。しかし研究に使用される動物の多くがマウスやラットといった常に精子発生を行っている周年繁殖動物であった。そこで本研究では,精子発生の停止・再開を実験室で行うことができる季節繁殖動物ゴールデンハムスターの精子発生に着目し,繁殖期及び非繁殖期における精子発生及び精巣幹細胞維持関連因子を評価し既知のマウスのそれと比較する事で,精巣幹細胞維持メカニズムの解明及びその種差の評価を試みた。

まず第一章では,ハムスターを短日条件/低温条件/制限給餌等に曝露する事で非繁殖期へ誘導し,精子発生停止・再開時の継時的形態変化及びその関連蛋白の発現を探る事で,非繁殖期の精子発生を確認・評価した。その結果,精子発生が停止した状況で高頻度に精母細胞のアポトーシスが観察され,またライディッヒ細胞におけるLH-R発現及び3β-HSD発現の低下が認められた。この結果から,短日条件/低温条件/制限給餌等による精子発生の低下・回復遅延は,ホルモン関連因子(LH-R,3β-HSD)の低下とそれに続く精母細胞のアポトーシスの増加が原因と推測され,非繁殖期の精子発生プロファイルが明らかとなった。

次に第二章では,第一章で構築したハムスターの非繁殖期誘導系を用いて,生殖細胞数の維持及び精子発生の停止・再開に大きく関わっていると考えられているSSCの維持の仕組みについて評価を行った。すなわち幹細胞の自己複製に必要と考えられる微細空間(ニッチ)の主要な外的因子の1つと考えられているGDNF(Glial cell line-derived neurotrophic factor)の精巣切片内の発現・分布を調べた。その結果,繁殖期ハムスターにおいて,セルトリ細胞特異的,かつ精子発生ステージ特異的にGDNFが発現している事を見出した。さらに,非繁殖期ハムスターでは精子発生停止期にはGDNF発現はほぼ消失する一方で,精子発生回復過程において精子発生回復に先行してGDNF発現が回復・増加する事を確認した。これらの結果から,マウスやショウジョウバエで恒常的に存在すると考えられてきたニッチが,ハムスターでは決して恒常的ではなく流動的で,GDNFの発現とともに出現・消失を繰り返すものである可能性が示唆された。

GDNFはセルトリ細胞から分泌されSSCへ作用する事で自己複製が可能となると考えられる事から,ニッチの評価には細胞外へ分泌されたGDNFの局在を評価する必要がある。しかし,第二章では切片での免疫染色で評価していたため細胞質内のGDNFシグナルも検出してしまっていると考えられる。従って第三章では,細胞外に分泌されたGDNFのみを主として検出するため,膜透過処置を施さない全載精細管を本実験に使用した。そして,細胞質外へ分泌されたGDNF顆粒及びその受容体であるGFRα1(GDNF family receptor alpha 1)陽性細胞(SSCを含む未分化型精祖細胞)の共局在,あるいはGDNF顆粒とc-kit陽性細胞(分化型精祖細胞)との共局在を調べる事で具体的にニッチの領域の特定を試みた。その結果,繁殖期ではステージ特異的かつパッチ状の限局したパターンで精細管基底区画セルトリ細胞表層にGDNF顆粒が局在する事が明らかとなった。さらに,精細管基底区画でGDNF顆粒とGFRα1陽性細胞(未分化型精祖細胞)は共局在を示したが,一方で多くのGDNFはc-kit陽性細胞(分化型精祖細胞)と共局在を示す事も明らかとなった。また,ハムスターのGFRα1陽性細胞はその細胞密度はマウスより少なく,その形態はマウスより細胞質を伸展させており,これはGFRα1陽性細胞がGDNF発現領域に入りこもうとしている事を示唆する結果と推測された。さらに,非繁殖期において低レベルのGDNF発現が認められたがそれに周期性は認められなかった。

以上より,本研究では繁殖期及び非繁殖期ハムスターにおけるGDNFの局在及びGDNFとSSCとの共局在を調べる事で,ニッチは精細管基底区画に存在する事を明らかにした。さらに本研究は,ハムスターのニッチはこれまでショウジョウバエで考えられてきたような特定領域に定着して永久的に配偶子を精算する静的なニッチとも,GDNF発現が精細管内でほぼ恒常的に認められるマウスのニッチとも異なり,精上皮周期の変動あるいは非繁殖期への移行に伴い絶えず変化する動的なものであり,そこに偶然入り込んだ未分化精祖細胞がSSCとして自己複製する可能性を初めて示したものである。これらの研究成果は,獣医学学術上貢献するところが少なくない。よって,審査委員一同は,本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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