学位論文要旨



No 128609
著者(漢字) 中山,利恵
著者(英字)
著者(カナ) ナカヤマ,リエ
標題(和) 日本の木造建築における「洗い」の歴史的研究 : 木肌処理技術からみた建築の経年に対する美意識の変遷
標題(洋)
報告番号 128609
報告番号 甲28609
学位授与日 2012.09.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7803号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村松,伸
 東京大学 教授 藤井,恵介
 東京大学 教授 腰原,幹雄
 京都女子大学 教授 齋藤,英俊
 早稲田大学 教授 中谷,礼仁
内容要旨 要旨を表示する

本論は、日本の木造建築における「洗い」の歴史を明らかにすると共に、「洗い」と「木肌削り出し」を中心とした木肌処理技術が用いられた工事内容の分析を通して、日本における建築の経年に対する美意識の変遷を考察する事を目的としている。

本論における木肌処理技術とは、木造建築の新築時、移築時、修繕時もしくは古材転用時等において、見えがかりの木肌の調整を目的とした、木材表層に施す処理技術全般を指す。この中で、本論では、「洗い」を主題として扱いながら、その原初的行為として「木肌削り出し」についても検討する。「洗い」とは、灰汁や苛性ソーダなどを用いて化学的に木肌の汚れや変色を落とす技術であり、慶長年間の記録が残る。また「木肌削り出し」は、鉋や鑿などを用いて物理的に風食による凹凸や変色を削る技術で、古くは古代における古材転用時等に用いられたとされている。どちらも既存の建築に用いることで視覚的印象を新築に近づけることが可能な技術である。

しかし、現代の文化財指定のある建築保存の現場において、洗いや木肌削り出しは基本的には行われていない。文化財建造物の修理時には建築の表層に表れる古びを保持し、新規材には古色塗りを施すことが通例となっている。これは、明治以後の古色を保存する修理方針が現在まで引き継がれた事が一つの理由とされている。また、「洗い」や「木肌削り出し」は、施工によって建立時の仕上げ技法や過去の修理痕・塗装痕を取り除いてしまう危惧がある。このため、世界遺産に登録するための条件として必要とされた「意匠・材料・技術・環境」という四つの「オーセンティシティ(真正性・真実性)」を保持する科学的修理理念と相反する技術と位置付けられたと考えられる。

「オーセンティシティ」を重視した「科学的な保存方法」を重視する中で、日本人が本来持っていた古建築に対する美意識や、それを支えてきた修理技術が、現代において「未熟なもの」として軽視され、消え去りつつあるのではないだろうか。

さらに、「洗い」を始めとする木肌処理技術の専門的研究はほぼ皆無であり、その歴史は明らかになっていない。重要な伝統的建築修理技法の一つとして、「洗い」の歴史を解明し、その再評価を試みる。そして新築への調和を図る「洗い」と「木肌削り出し」は、その根底に神社建築の式年造替に見られるような新築・清浄志向に通ずる美意識があると考えられる。しかし現代に見られる「洗い」には、それに止まらない様々な技法が存在している。時代を経て、建築の経年に対する美意識にどのような変化があり、現在に至るのか、その変遷を検討していく。

論文は第一章から第四章までの本論と、序章・終章から成り、巻末に道具から見た洗い技術の分析を行う付論を配した。本論では、「洗い」にはその起源として「削りの系譜」・「清めの系譜」・「汚れ落としの系譜」という性質の異なる三つの系譜があると仮定し、章立てを行った。以下に各章の概要を述べる。

第一章は「削りの系譜」として修理工事報告書と近世史料にみる「木肌削り出し」を検討する。第二節では、修理工事報告書に見られた木肌削り出しの事例を美観の有無を基準に分類し、各々の工事の特性を報告書に記録された痕跡と各々の建造物の修理履歴から検証した。第三節では、近世文書に記録された木肌削り出しを調査し、木肌削り出しを表現する言葉として、「削ならし」「上され削」「上削」「志らげ(け)」「白削」という言葉が使用されていたことを示した。また塗装のための下地調整、古材転用のための仕上げ直し、外観を新しく見せる為の削り出しという、各々性質の異なる削り出しを行うとした理由を、文面によって確認する事ができた。そして第四節では、工事が行われた年代又は記録された年代と、工事対象となった建築の建立年代、そして第一節で示した木肌削り出しの種別との関係を検証し、木肌削り出しの時代的傾向を考察した。

第二章は「清めの系譜」として伊勢神宮遷宮記録にみる「洗清」と「清鉋」の祭儀について検討する。第二節では内宮と外宮の正遷宮における「洗清」の呼称・所作・道具・主となる執行者の身分に着目し、「洗清」が作所(造営所・造営作所奉行)とも関係の深い建築技術的な行為であった可能性を示唆した。またその具体的所作は、現代の新築の洗いにも通じる木肌の浄化が行われている事が見て取れた。第三節では、式年とは別に建築の修理を目的として行われる「仮殿遷宮」で、主に仮殿にて行われる「洗清」と、修理が行われた殿舎で行われる「掃除」についてその違いを確認した。第四節では「清鉋」と呼ばれる近世以降の式年遷宮竣工儀式についてその内容を確認した。そして第五節では元禄二年(1689)度の内宮と外宮の正遷宮記録により、立柱・上棟から御遷宮までの約一年間が社殿の点検期間として機能していた事、その間の殿舎の「古び」が、「洗清」と「清鉋」を行う事で対処されてきた事を明らかにした。さらに第六節では伊勢神宮と熱田神宮の近世遷宮記に見られる「洗清」の道具の検証を通して、現代に見られる伝統的洗い道具や洗い仕事との共通性を見出した。以上の事から、伊勢神宮式年遷宮における「洗清」は竣工した正殿を「洗い清める」という呪術的・儀式的側面と、「水で洗い拭き上げる」事で木肌を浄化し、遷宮までの古びや汚れを取り除く建築技術的側面を持ち合わせた、現代の洗い仕事に通じる行為である事を示した。

第三章は「汚れ落としの系譜」として、近世作事文書にみる「洗い」を検討する。これにより、洗いに使用される灰汁の原料として、蕎麦の藁等が使用されていたことを確認した。また洗いに「ささら」と「切藁」が木肌を擦るための用途物として使用されていたことを確認した。また南禅寺文書が書かれた近世初期においては、洗いは「左冠」と呼ばれる職人が壁塗りと共に洗い仕事を請け負っていた。そして元禄期の法隆寺文書には「洗屋方」「南都洗屋」の記載があり、洗いの専門職が既に成立していた事を明らかにした。このため、現代にも存在する建築の洗いを専門とする職人である「洗い屋」は、南禅寺文書が書かれた承応から元禄の間に奈良または京都において発祥した可能性を見出すことができた。また第四節では、近世文書に見られた洗い行為から、建築の古びへの対応について考察した。

第四章では第一章から第三章までの系譜が融合し発展を遂げた「洗い」が、近現代の技術革新と社会的変化の中で変容していく姿を追う。第二節では洗い職人への聞き取りと文献調査により、洗いの起源説として百姓の農閑期における洗いと数奇屋の製材技術という二つの説について検討した。そして、近代において化学薬品が洗いに導入される経緯を示し、大正から昭和初期にかけて大阪で洗いが民間の商業施設や住宅に普及し、さらに戦災復興で需要があった第二次世界大戦後から高度経済成長期を経て現代に至る経緯を示した。第三節では文献に見られる木肌処理技術の実例を示し、文化財建造物修理では洗いが行われなくなっていく一方、文化財指定の無い桂離宮や熱田神宮などでは建築の清めや再生を目的とした洗いが行われていた事を明らかにした。

そして終章において、上記した系譜を改めて経時的に再構築し「洗い」の歴史の全体像を示す。さらにここまで見てきた「洗い」の事例の分析から建築の経年に対する美意識の変遷を考察する。「洗い」は、第一章の「削りの系譜」と、第二章の「清めの系譜」二つの系譜が持っている建築の再生と清めの意図を、第三章の「汚れ落としの系譜」により見出された灰汁洗い技術で実現する行為として成立していった。そして第四章でみた近代の洗いの発展を経て、建築の塗装や装飾等の意匠、汚損・風化状態に合わせて技術を駆使し、経年した建築の最適な美しさを実現させる行為として浸透した事を示した。さらに、現代に伝わる洗いの種別を建築の経年に対する美意識の相関図で示し、建築の意匠と経年に応じた最適な美を実現させるための多様な技法がある事を確認した。そして「削りの系譜」・「清めの系譜」・「汚れ落としの系譜」各々で見られた美意識を同様の相関図に当てはめ、その変遷を示した。

木肌削り出しも洗いも、造替の代替技術として必要に迫られて行われていた段階では、自覚的な美意識が高くはない中で「古び」の払拭や受容が行われた。しかし木肌削り出しは、造替の代わりに建築を「新しく」するという原初的な要求を具現化した。また洗清等の洒掃(水をそそぎ塵をはらう)行為は、高貴なものを迎える建築を「清浄に」するという要求を満たした。そして近世には建築の経年に対する美意識が、より自覚的になったと考えられる。建築を「新しく」「清浄に」する「再生」、その中での「古び」と「清浄」の「調和」、そして「調和」した状態の「保持」という、求められる建築の経年に応じた木肌処理技術が施工されていった。そこには、意匠と経年によって異なる、建築の最適な「美しさ」を求める美意識が芽生え、養われてきた事を読み取ることができる。

「洗い」は、視覚によって感じられる建築の歴史的な印象を、高度な技術と美意識で操る重要な職能の一つである。そして削り・清め・汚れ落としの系譜で示した各時代において日本建築の美の一端を担ってきた。したがって「洗い」は、経年により変化する建築の美を、長年の経験と技術、養われた美意識で実現していく歴史ある高度な専門技術であると言えるのである。

審査要旨 要旨を表示する

日本の伝統的木造建築は、経年による腐食や破損、変色、汚損に対して様々な技法が培われてきている。その中に、経年した木肌の変色や汚れを洗う行為、風食や経年劣化した木肌の凹凸を削る行為、また、旧材と新材の調和を図り古色をつける行為などの処理技術が存在する。本論は、この木肌の処理技術の「洗い」とその原初的行為である「木肌削り出し」に着目し、国宝・重要文化財建造物の修理工事報告書等の文献史料を丁寧に読み込み、さらに、存命する数少ない洗い職人にインタビューをすることによって、その歴史的経緯の解明を試み、それらの分析を通して建築の経年に対する美意識の変遷に検討を加えた、意欲的な論文である。

本論文は、序章と本論4章、そして、終章の6章からなり、末尾に付論がつけられている。序章では、研究の背景と目的を述べ、第1章では「洗い」の原点である「木肌削り出し」について述べ、第2章では伊勢神宮の遷宮記録に見られる「洗清」の祭儀を分析する。第3章では、近世作事文書にみる「洗い」について検討し、第4章で聞き取りによる近現代の「洗い」に眼を向けた上、最後の終章で全体のまとめと結論を述べる。付論は、道具から見た「洗い」技術の分析である。

序章では、背景、目的、「洗い」の定義と概要、既往の研究と文献によるレヴューが記される。とりわけ、本研究の動機となった、世界遺産条約「奈良ドキュメント」(1994)が提唱する「素材のオーセンティシティ」が、日本の伝統的な木肌処理技術-「洗い」や「木肌削り出し」やそこから生まれてきた美意識を衰退させるのではないかとの危惧は、注目に値する。

第1章では、国宝・重要文化財修理工事報告書と近世史料に記録された木肌削り出しについて事例を発掘し、その目的や技術を検証した。見え隠れ部分では、ほとんど削り出しが行われていない。これらの事例から、建築の修理・改造・古材を用いた新築・移築にともなって、この行為がなされ、建物を新しく見せたいと言う要求からこの技法が採用されたことを明らかにした。

第2章では、伊勢神宮の遷宮に見られる、主に中世から近世にかけての「洗清」の変遷を、『神宮遷宮記』を分析することによって、「洗い」の早期の例とその意味を解明した。その結果、伊勢神宮の式年遷宮における「洗清」は、竣工した正殿を「洗い清める」という呪術的・儀式的側面と、「水で洗い拭き上げる」ことで遷宮までの古びや汚れを取り除く実利的側面の二つの意味があり、現在の「洗い」はその双方を原型とみなしてよいことを検証した。

第3章では、近世の作事文書に見られる「洗い」の記録を考察することによって、伊勢神宮の式年遷宮に見られる中世の原型的な「洗清」と現在の「洗い」との間をつなぐ事例の発掘と分析をおこなっている。元禄期の法隆寺文書によって、当時の奈良に「洗い屋」がいたことを確認した。近世初期の奈良・京都での大規模修理を経た近世中期では、小規模な普請が主体となり、それが灰汁などの新たな材料と「洗い屋」という新たな職種によってまかなわれていたことも明らかにした。

第4章では、現代の洗い職人への聞き取りと近現代に行われた洗いの実例を通して、洗いの起源が灰汁洗いの年代、すなわち、慶長6(1601)年にまで遡ることができる可能性を提示した。また、苛性ソーダが洗いに導入された1880年代に、洗いは効率的になされるようになって戦後を迎え、さらにその利用に拍車をかけた。しかし、一方で文化財修理では、表面の荒れを作り出すことや「素材のオーセンシティティ」が尊重されたことによって、苛性ソーダによる洗いは次第になされなくなっていることを示した。

終章では、結論として、「削りの系譜」「清めの系譜」の二つの系譜が有していた建築再生の意図を、「汚れ落としの系譜」により見出された灰汁洗い技術で実現する行為として、洗いが成立してきたことを述べる。そして、経年した建築の最適の美の実現させる技術のひとつである「洗い」の誕生、変遷と、それに対する美意識の存在との相関関係を明らかにした。

その研究方法、分析内容、結果は、博士論文の水準に達している。さらなる精進とこのテーマの今後の発展を期待し、本論文を博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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