学位論文要旨



No 128612
著者(漢字) 中條,岳志
著者(英字)
著者(カナ) チュウジョウ,タケシ
標題(和) ヒトミトコンドリアにおけるmRNA代謝の分子メカニズム
標題(洋)
報告番号 128612
報告番号 甲28612
学位授与日 2012.09.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7806号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 准教授 上田,宏
 東京大学 准教授 秋光,信佳
 産業技術総合研究所 研究チーム長 廣瀬,哲郎
内容要旨 要旨を表示する

I. 研究の背景と目的

ミトコンドリアは真核細胞に存在する細胞内小器官であり、細胞のATP産生において中心的な役割を担う。真核生物の進化の過程において、ミトコンドリアは好気性細菌が細胞内共生したことに由来するため、ミトコンドリアは核ゲノムとは独立したDNAと遺伝子発現系を有する。ヒトのミトコンドリアDNA (mtDNA)は16.6 kbpの環状2本鎖DNAであり、H鎖とL鎖に合計37個の遺伝子をコードしている。内訳としては、13遺伝子が酸化的リン酸化に関与する必須タンパク質をコードし、これらのタンパク質をミトコンドリア内で翻訳するために用いられるtRNAの遺伝子が22種類、rRNAの遺伝子が2種類である。mtDNA上にはHSP1、HSP2、LSPの3種類のプロモーターが存在する。ミトコンドリアRNAポリメラーゼの作用により、HSP2およびLSPから、H鎖およびL鎖のほぼ全長が転写される。この長い前駆体RNAがtRNAの前後で切断されると、tRNA、rRNA、11種類のmRNA(ND4L/4、ATP8/6はバイシストロニック)が生じる。従って、HSP2プロモーターから転写されるH鎖由来の前駆体RNAにコードされた10種類のミトコンドリアmRNAは、同じコピー数だけ生成されると考えられる。しかしながら、過去の報告からこれらのmRNAのコピー数は異なることが強く示唆されている。さらに当研究室の先行研究より、11種類のミトコンドリアmRNAの半減期が68分から231分と広範囲に及ぶことが示されている。従って、ミトコンドリアmRNAの定常状態量は、転写後の代謝過程で調節されていると考えられるが、その分子メカニズムは明らかにされていない。本研究ではヒトミトコンドリアmRNAの代謝の全体像を解明することと、安定性を制御する分子メカニズムを理解することを目的とした。

II. ミトコンドリアmRNAのコピー数の同定

ミトコンドリアmRNA代謝の全体像を理解するためには、mRNAの正確なコピー数の情報が必要である。ヒト子宮頸ガン由来のHeLa細胞におけるミトコンドリアmRNAの分子数を絶対定量した。HeLa細胞由来total RNA中の各ミトコンドリアmRNAを定量的逆転写PCR(qRT-PCR)により解析し、試験管内転写物を用いて作成した検量線から細胞一個あたりのコピー数を求めた。ミトコンドリアmRNAの分子数は一細胞あたりに6,000コピー(ND5 mRNA)から51,000コピー(COX2 mRNA)の間に分布し、mRNA間では最大8.5倍の定常状態量の違いが存在した。各ミトコンドリアmRNAのコピー数を、当研究室で過去に測定した各ミトコンドリアmRNAの半減期に対してプロットした結果、半減期とコピー数の間に明確な相関(R2=0.601)が見られた。すなわち、半減期の短いmRNAはコピー数が少なく、半減期の長いmRNAほどコピー数が多いという傾向がある。これらの結果から、転写後レベルでミトコンドリアmRNAの安定性・分解を制御する機構が存在することが強く示唆された。

III. ミトコンドリアmRNAの安定化装置の解析

次に、ミトコンドリアmRNAが転写後レベルでどのような機構で制御されているかを調べた。先行研究により、LRPPRC/SLIRP複合体が何らかの方法でミトコンドリアmRNAの成熟または安定化に関与することが示唆されていた。LRPPRC/SLIRP複合体がミトコンドリアmRNAの転写後の安定性を制御するかを直接的に検証するために、ミトコンドリアの転写を阻害し、qRT-PCRを用いてミトコンドリアmRNAが分解していく様子を観測した。その結果、SLIRPをノックダウンした細胞ではコントロールの細胞に対してミトコンドリアmRNAの分解が加速することが判明した。さらに、LRPPRCまたはSLIRPをノックダウンした後に各mRNAの定常状態量を測定した結果、半減期の長いミトコンドリアmRNAほど定常状態量が顕著に減少した。従って、LRPPRC/SLIRP複合体が寿命の長いミトコンドリアmRNAの転写後の安定化を担うことが示された。

次に、LRPPRC/SLIRP複合体がどのようなメカニズムでミトコンドリアmRNAを安定化するのかを探ることにした。ND5およびND6以外の9種類のミトコンドリアmRNAには、50塩基ほどのポリA鎖、または数塩基長のオリゴA鎖がミトコンドリアポリA付加酵素(MTPAP)によって付加される。ポリA 付加は数種類のミトコンドリアmRNAの安定化に関与することが知られていた。そこでLRPPRC/SLIRP複合体がミトコンドリアmRNAのポリA鎖の代謝に関与することでミトコンドリアmRNAを安定化する可能性を検証した。HeLa細胞においてLRPPRCまたはSLIRPをノックダウンした際にミトコンドリアmRNAの3'末端近傍を観察した結果、ポリA鎖が短縮する様子が観察された。従って、LRPPRC/SLIRP複合体がミトコンドリアmRNAの維持に関与することが明らかになった。

LRPPRCとSLIRPはそれぞれPPR、RRMというRNA結合ドメインを有するため、LRPPRC/SLIRP複合体はRNAと結合すると考えられた。LRPPRC/SLIRP複合体が結合するRNAの詳細な情報を得るために、HeLa細胞の内在LRPPRCを免疫沈降し、共沈するRNAの回収率を調べた。その結果、全11種類のミトコンドリアmRNAが効率的にLRPPRC/SLIRP複合体と共沈した。コントロールとして、細胞質mRNAやミトコンドリア tRNA、ミトコンドリア16S rRNAは共沈しなかったことから、LRPPRC/SLIRP複合体はミトコンドリアmRNAに特異的に結合することが示された。また、ミトコンドリアRNAが転写後、どの段階でLRPPRC/SLIRP複合体が結合するかを調べるために、前駆体RNAについても解析を行った結果、LRPPRC/SLIRP複合体はrRNA前駆体にはほとんど結合しない一方でミトコンドリアmRNA前駆体には結合していた。この結果より、LRPPRC/SLIRP複合体は転写直後のミトコンドリアmRNAに選択的に結合することが示唆された。

続いて、LRPPRC/SLIRP複合体がmRNAのどの領域に結合しているかを調べるために、LRPPRC/SLIRP複合体を免疫沈降後、共沈したRNA断片をクローニングした。得られた114クローンのうち112クローンがミトコンドリアDNA上にマッピングされ、そのうち97クローンがミトコンドリアDNAのタンパク質遺伝子に帰属された。加えて、結合配列にはポリA鎖およびオリゴA鎖が含まれず、多様な配列が混在していた。従って、LRPPRC/SLIRP複合体はミトコンドリアmRNAの翻訳領域に結合しポリA鎖には結合しないことが強く示唆された。LRPPRC/SLIRP複合体がtRNAやrRNAと結合しない理由としては、tRNAとrRNAは転写共役的にフォールディングして高次構造を形成し、様々なタンパク質と特異的に結合するため、一本鎖RNAを好むLRPPRC/SLIRP複合体と結合しないことが考えられる。

IV. ミトコンドリアmRNAの分解装置の同定

LRPPRC/SLIRP複合体によるミトコンドリアmRNAの安定化メカニズムをさらに理解するためにはmRNA分解酵素の実体を特定する必要があるが未解明であった。ミトコンドリアmRNA分解酵素の候補として8種類のタンパク質を選択し、siRNAを用いてノックダウンした結果、PNPaseをノックダウンした場合のみにおいて、ミトコンドリアmRNAのプロファイルに顕著な変化が見られた。PNPaseが細胞内でミトコンドリアmRNAの分解に関与するかを検証するために、HeLa細胞においてPNPaseをノックダウンした後、ミトコンドリアの転写を阻害し、mRNAを定量してmRNAが分解する様子を観測した。その結果、PNPaseをノックダウンした細胞では、全11種類のミトコンドリアmRNAの分解がほぼ停止していることが判明した。この結果はPNPaseがミトコンドリアmRNAの分解に必要であることを示している。先行研究でPNPaseが試験管内で3'エキソヌクレアーゼ活性を有することが示されていることと合わせ、PNPaseこそがヒトのトコンドリア内で働く主要なmRNA分解酵素であると結論する。ポリA鎖を持たないND5 mRNAの分解においてもPNPaseが必要であることから、PNPaseは脱アデニル化酵素として機能するのみならずmRNA本体を分解すると言える。

続いて、ミトコンドリアmRNAの分解に関与することが報告されているSUV3 ヘリケースについても同様の実験を行った。その結果、SUV3をノックダウンした細胞においてもPNPaseをノックダウンした細胞と同様に、ミトコンドリアmRNAの分解がほとんど起こらない様子が観測された。この結果は、ATP依存的なヘリケースであるSUV3とPNPaseの両者がセットになってミトコンドリアmRNAを分解していることを意味する。

V. LRPPRC/SLIRP複合体によるミトコンドリアmRNAのポリA付加の促進

上記のIIIにおいてLRPPRC/SLIRP複合体がミトコンドリアmRNAのポリA鎖の維持に必要であったことから、LRPPRC/SLIRP複合体がポリA付加を促進する可能性が示唆された。これを検証するために、HeLa細胞においてPNPaseをノックダウンすることで脱アデニル化が起こらないようにした上で、SLIRPをノックダウンした。ミトコンドリアmRNAの3'末端を観察した結果、ポリA付加されていないmRNAが蓄積する様子が観察された。この結果は、細胞内でLRPPRC/SLIRP複合体がポリA付加を促進するために必要であることを示唆する。LRPPRC/SLIRP複合体の存在がポリA付加を促進するための十分条件であるかを調べるために、組換えMTPAPおよび試験管内転写したCOX3 mRNAを用いて、試験管内でポリA付加反応を行った。その結果、組換えLRPPRCとSLIRPを加えるに従ってポリA付加が促進される様子が観察された。この結果からLRPPRC/SLIRP複合体はMTPAPによるポリA付加を促進することが証明された。加えて、試験管内でポリA付加の促進はSLIRPではなく主にLRPPRCが担うことを見出した。細胞内のポリA鎖を維持するためにSLIRPが必要である理由としては、SLIRPがLRPPRCをタンパク質レベルで安定化することが挙げられる。

LRPPRCがポリA付加を促進する機構をより理解するために、前提としてMTPAPの基質認識を試験管内で調べた。その結果、MTPAPは3'末端が一本鎖のRNAを好んでA付加することを見出した。続いて、一本鎖RNAとMTPAPを用いた試験管内A付加反応を行う際にLRPPRCを加えた結果、ポリA付加が顕著に増加した。この結果よりRNAが効率的にポリA付加されるためにはRNAが一本鎖であることのみならず、LRPPRCの存在が必要であることが判明した。一方で、ミトコンドリアmRNAが単独では複雑な二次構造を形成することから、LRPPRCがmRNAの二次構造をほぐしてA付加を促進する可能性も考えられた。この可能性を検証するために、MTPAPによるA付加を受けにくいヘアピン状のRNAを作製し、ここにLRPPRCを加えた結果、ポリA付加が顕著に増加する様子を観察した。この結果より、LRPPRCがミトコンドリアmRNAの二次構造をほぐしてMTPAPによるポリA付加を促進することが強く示唆された。

VI. 結論

本研究では、初めにヒト細胞中のミトコンドリアmRNAのコピー数を同定した結果、ミトコンドリアmRNA量が転写後レベルで制御されていることを明確に示した。続いて、ミトコンドリアmRNAの転写後制御機構を調べた結果、LRPPRC/SLIRP複合体がミトコンドリアmRNAを安定化する主要な因子であること、および3'エキソヌクレアーゼPNPaseがミトコンドリアmRNAを分解する主要な酵素であることを見出した。LRPPRC/SLIRP複合体が転写直後のmRNAの翻訳領域に結合し、PNPaseとSUV3ヘリケースによる3末端'からの分解を抑制し、MTPAPによるポリA付加を促進することを見出した。以上を総じて、本研究はヒトミトコンドリアmRNA代謝の全体像と分子メカニズムの理解を深めることに大きく貢献し、ミトコンドリア研究を前進させたものであると結論する。

審査要旨 要旨を表示する

申請者が行った研究は、ヒトミトコンドリアにおけるメッセンジャーRNA(mRNA)代謝の全体像と分子機構の理解を大きく前進させた研究である。

ミトコンドリアは真核細胞に存在する細胞内小器官であり、細胞のATP産生において中心的な役割を担う。真核生物の進化の過程において、ミトコンドリアは好気性細菌が細胞内共生したことに由来するため、ミトコンドリアは核ゲノムとは独立したゲノムと遺伝子発現系を有する。ヒトの11種類のミトコンドリアmRNAのうち10種類は、ミトコンドリア内で転写された共通の前駆体RNAが切り分けられることによって生じる。従って、これら10種類のミトコンドリアmRNAは同じコピー数だけ生成されると考えられる。しかしながら先行研究によってこれら10種類のmRNAのコピー数は異なることが示唆されている。加えて、ミトコンドリアmRNAはmRNA種ごとに固有の半減期を持ち、半減期は68分から231分と広範に及ぶことが当研究室の先行研究により示されている。従って、ミトコンドリアmRNAの定常状態量は転写後の代謝過程で調節されていると考えられる。以上の背景をふまえ、申請者による研究ではヒトのミトコンドリアにおけるmRNA代謝の全体像を解明し、その分子メカニズムを理解することを目的とした。

ミトコンドリアmRNA代謝の全体像を正確に理解するためには具体的なミトコンドリアmRNAのコピー数の情報が必要である。本論第一章において、申請者はヒトの培養細胞であるHeLa細胞中に存在する全11種類のミトコンドリアmRNAの分子数を絶対定量した。解析の結果、一細胞中に存在するミトコンドリアmRNAのコピー数が6,000個(ND5 mRNA)から51,000個(COX2 mRNA)と広範に及ぶこと、およびmRNAのコピー数がmRNAの寿命と相関することを明らかにした。これらの結果は、ミトコンドリアmRNAは安定性・分解レベルで制御されていることを強く示唆するものである。加えて、ミトコンドリアmRNAのコピー数を同定した事例は報告されておらず、ミトコンドリア研究における重要な基礎データが得られた。

本論二章では、申請者はミトコンドリアmRNAの代謝に関与すると予想されたタンパク質複合体の機能と生化学的な特性の解析を行った。その結果、LRPPRCとSLIRPというタンパク質から構成されるLRPPRC/SLIRP複合体が半減期の長いミトコンドリアmRNAを安定化すること、LRPPRC/SLIRP複合体がミトコンドリアの全11種類のmRNAに結合し、この結合がmRNAに限定されたものであること、LRPPRC/SLIRP複合体がmRNAのポリA鎖には結合せず翻訳領域に転写直後に結合すること、LRPPRC/SLIRP複合体の分子機能がmRNAのポリA鎖の維持である点を明らかにした。

本論第三章において申請者はRNA干渉法と転写阻害実験を用いてmRNAを分解する酵素の分子実体を探索した。その結果、PNPaseという3'エキソヌクレアーゼがミトコンドリアmRNAを分解する主要な酵素であることを明らかにした。加えて、RNA分解酵素であるPNPaseのみならず、RNAヘリケースであるSUV3もミトコンドリアmRNAを分解するために必要であることを確認した。分解酵素の実体を同定したことはミトコンドリアmRNAの代謝を理解する上で極めて重要であり、本分野の発展に資するものである。

申請者は二章と三章で得られた結果をふまえて、本論第四章においてLRPPRC/SLIRP複合体がmRNAのポリA鎖の生合成を促進するという仮説を立て、検証した。その結果、LRPPRC/SLIRP複合体が細胞内でポリA付加を促進するために必要であること、および試験管内でLRPPRCの存在がミトコンドリアポリA付加酵素の反応を促進する十分条件であることから、上記の仮説が正しいことを証明した。加えて、ポリA付加酵素とLRPPRCを用いた試験管内の実験より、ポリA付加酵素が認識する基質RNAの特徴、及びLRPPRCによるポリA付加の促進に関する詳細な知見を得た。

申請者による上記の研究の結果、ヒトのミトコンドリアにおけるmRNA代謝の全体像が明らかになり、その詳細な分子メカニズムに対する理解が大きく深められた。研究成果は申請者と鈴木教授によりNucleic Acids Research誌に投稿され、受理および公開された(doi: 10.1093/nar/gks506)。

上記の研究に加えて、申請者はヒトのミトコンドリアtRNA 58位に存在する1メチルアデノシンという塩基修飾を触媒する酵素がTrmt61Bであることを同定した。この研究成果も申請者と鈴木教授により論文が投稿された。

本審査は平成24年2月14日に東京大学大学院の鈴木勉教授、後藤由季子教授、上田宏准教授、秋光信佳准教授、および産業技術総合研究所の廣瀬哲郎チーム長によって行われた。

本研究は申請者が主体となって立案および実行されたものであり、本研究を展開する過程で申請者は新たな研究分野を開拓し研究を遂行するための学識と手法を取得した。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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