学位論文要旨



No 128616
著者(漢字) 中山,新一朗
著者(英字)
著者(カナ) ナカヤマ,シンイチロウ
標題(和) 有害突然変異動態と自家受精の進化的安定性 : 出現、絶滅、混合繁殖システムについて
標題(洋) Deleterious mutation dynamics and the evolutionary stability of self-fertilization: occurrence, extinction, and mixed mating systems
報告番号 128616
報告番号 甲28616
学位授与日 2012.09.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5875号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 舘野,正樹
 東京大学 准教授 野崎,久義
 東京大学 教授 嶋田,正和
 東京大学 教授 寺島,一郎
 東京大学 講師 井原,泰雄
内容要旨 要旨を表示する

第1章 General introduction

DNA分子の複製や修復の際には確率的に突然変異がおきる。この突然変異の中には生物体にとって有害なものが含まれており、それらは遺伝的浮動や自然選択によって消失したり集団に固定したりする。このような有害突然変異の挙動は繁殖システムの進化的安定性に影響を与える一方で繁殖システムそのものからも影響されると考えられる。繁殖システムと有害突然変異の相互作用については古くからさまざまな理論的・実証的研究が行われてきたが、現実の現象に対して統一的な理解が得られたとは言い難い。本研究では特に自家受精(自殖、雌雄同体生物が自らの配偶子同士を受精させる現象)の進化的安定性に注目し、有害突然変異の挙動をもとに (1)自殖の進化条件 (2)自殖集団の絶滅リスク (3)他殖と自殖の混合戦略をとる生物の存在 について、理論的に解析した結果を報告する。

本発表で紹介する解析は、全て1つの基本モデルを対象としている。基本モデルは以下の仮定をおいている。

(1)世代間の重複のない、2倍体の両性生物集団を扱う。各個体はL個の互いに独立な遺伝子座をもつ。集団はN個体からなり、世代を通じて一定である。

(2)L個の遺伝子座には一定の確率で突然変異が入る。突然変異は全て有害であり、個体の生存力を低下させる。生存力低下の割合は全ての変異で一定であるとし、ホモ接合1組あたりs、ヘテロ接合1つあたりhsである。つまり、突然変異をヘテロでi個、ホモでj個持つ個体(種子)の生存力は(1-hs)i(1-s)jであらわされる。

(3)1世代は突然変異、繁殖、選択、の3つのステージからなる。

(4)突然変異ステージでは、個体あたり平均2U個の突然変異が導入される。Uは1倍体あたり、個体あたり、世代あたりに生じる有害突然変異の個数期待値であり、本論文では単に有害突然変異率と呼ぶ。

(5)繁殖ステージでは、自殖または他殖によって個体あたりM個の種子が作られる。

(6)選択ステージでは、次代に残るN個の種子が各種子の生存力を反映して確率的に選ばれる。

本モデルで使用する遺伝的特性を表わすパラメタ(U、s、およびh)は実際に測定可能であり、特にUは種間で大きくばらつくことが知られている。

第2章 自殖の進化条件を求める

一部の植物は優先的に自殖することが知られている。自殖は自らのゲノムを他殖に比べて2倍の効率で伝える有利性をもつ一方で近交弱勢(自殖由来の子孫の生存力が低下する現象)を被ることが知られている。近交弱勢は自殖によってホモ接合となった有害突然変異が大きな生存力の低下をもたらすために生じる。自殖と他殖のどちらが安定となるかは、近交弱勢が自殖の伝達効率の有利性を帳消しにするかどうかによって決まると考えられており、それはすなわち近交弱勢の大きさ(δ、自殖種子の、他殖種子と比べた生存力の低下分)が0.5を下回る場合に完全な自殖が、それ以外の場合には完全な他殖が進化的に安定となることを示唆している。このように、自殖の進化をもたらす近交弱勢の条件についてはある程度理解が進んでいるわけだが、0.5を下回る近交弱勢がどのような遺伝的条件(U、s、hの条件)のもとで実現されるのか、つまりどのような遺伝的特性を持つ生物が自殖に進化するのかはいまだ定式化されていない。本節では、集団サイズ、遺伝子数、種子数が十分に大きく、遺伝子座間の連鎖がない場合(N=L=M=∞)について、自殖が進化できる(進化的に安定となる)遺伝的条件(U、s、hの条件)を発表者が解析的に求めた結果を紹介する。

集団が完全な他殖を行った場合と完全な自殖を行った場合の近交弱勢の大きさをUの関数として図1に示す(s=0.01, h=0.2)。横軸(U)は以下3つの領域に分けられる。(1)近交弱勢の大きさが他殖、自殖いずれの場合も0.5を下回る領域。この領域はU < 2hln2/(1-2h) を満たし、無条件に自殖が安定となる。(2)近交弱勢の大きさが自殖でのみ0.5を下回る領域。2hln2/(1-2h)< U < (1+hs)ln2/(1-2h) を満たし、もともとの自殖率が高い場合には完全な自殖に、低い場合には完全な他殖が安定となる。(3)近交弱勢の大きさが他殖でも自殖でも0.5を下回らない領域。(1+hs)ln2/(1-2h) < U を満たし、自殖が進化することはできない。(2)の場合、他殖集団において何らかの理由で自殖率(あるいは近親交配率)が高まれば自殖に向かう進化が駆動されうると考えられる。端的に表現すると、自殖は世代あたりに出現する有害突然変異の個数が少ない種において進化するということである。

2種のモデル生物Arabidopsis thalianaとDrosophila melanogasterで報告されている遺伝的特性の値は自殖と他殖がそれぞれ安定となりうる条件を満たし、現実の生物の繁殖システムの進化が本研究によって説明されうることを示唆している。

第3章 自殖集団の絶滅リスク

前節で扱った個体数無限大の集団では、個体あたりの有害突然変異の保有数は十分な世代数の後には平衡状態に至る。一方、有限の個体からなる集団では遺伝的浮動によって有害突然変異が継続的に蓄積し、特に小さな集団ではその速度が大きい。他殖は他個体とゲノムを組み替えることでホモ接合となった有害突然変異を次世代において再びヘテロ接合に戻すことができるが、自殖はひとたび有害突然変異がホモ接合となってしまうとそれがそのまま次世代に伝わってしまう。そのため、集団サイズが同じなら自殖集団は他殖集団に比べて遥かに大きな有害突然変異蓄積速度を持つことが示唆されており、自殖集団は他殖集団に比べて大きな絶滅リスクを負うと考えられている。しかし、先行研究は自殖種と他殖種が同じUの値を持つことを仮定しており、前節で導かれた自殖種は他殖種より小さなUを持つであろうことを考慮していない。本節では、自殖集団と他殖集団における有害突然変異の蓄積速度について、自殖種と他殖種のUの違いを考慮して再解析した結果を報告する。

有害突然変異の蓄積速度(1世代あたりの平均有害突然変異の個数の増分)を自殖集団と他殖集団で比較するためにL=20000、M=10、s=0.01、h=0.2として計算機を用いた個体ベースシミュレーションを行った。自殖集団のシミュレーションは完全な自殖および97%の自殖を行う集団について行った(実際の自殖性生物は数%程度の他殖を行う場合が多いため)。その際には自殖が無条件に安定となるような条件下(前節(1)の領域、U=0.1および0.3)で行い、比較対象となる他殖集団のシミュレーションは他殖が安定となりうる最も小さなU(=0.5)のもとで行った。基本モデルに従ってさまざまな集団サイズNのもとシミュレーションを行い、有害突然変異の蓄積速度を記録した。

結果を図2に示す。横軸は集団サイズ、縦軸は有害突然変異の蓄積速度である。自殖種と他殖種の有害突然変異率の違いを考慮すると、集団サイズが小さい時には他殖集団の方が大きな有害突然変異蓄積速度を持つことが示された。また、高々3%の他殖によって有害突然変異の蓄積速度が大きく減少し、自殖集団の方が有害突然変異を蓄積しにくいような集団サイズの範囲が広がることが示された。

頻繁に外的要因による個体数の減少を経験するような状況では、むしろ自殖集団の方が絶滅しにくいと考えられる。本解析で用いた有害突然変異率U=0.1は自殖性のArabidopsis thalianaのそれに相当し、個体数が約200以下の状態では最も小さな有害突然変異率を持つ他殖集団(U=0.5)と比較しても有害突然変異を蓄積しにくく、ゆえに絶滅しにくいと考えられる。A.thalianaはヨーロッパにおいて農耕による攪乱とともにその分布を拡大したことが示唆されているが、これには裸地への侵入の容易さなどの生態的特性に加えて、今回示されたような遺伝的特性が貢献しているのかもしれない。

第4章 自殖他殖の混合戦略をとる生物の存在について

第2節で紹介したような決定論的モデルからは、完全な自殖か完全な他殖かのどちらかの繁殖システムのみが進化的に安定となり、それらの混合戦略は安定となりえないことが示唆される。しかし、現実の植物の中には混合戦略をとる種が無視できない割合で存在することが知られており、進化生物学上の大きな未解決問題となっている。

本節では、発表者が遺伝子座間の連鎖構造を考慮した個体ベースシミュレーションによって自殖の進化を再解析した結果を報告する。

シミュレーションは基本モデルに以下の仮定を加えて行った。

(1)各個体は1組の染色体をもち、その染色体にはL個の遺伝子座と、それとは別に自殖率を決定する1遺伝子座がある。

(2)自殖率を決定する遺伝子座にはA、aのいずれかの対立遺伝子が存在する。自殖率は遺伝子型AAの個体でP、aaの個体でp、Aaの個体で(1-H)P+Hpとする。

全ての個体が遺伝型AA(野生型)である、500個体からなる集団を十分な世代数経過させ実験個体群とした。その中からランダムに選ばれた1個体に突然変異aを導入し、それが消失、あるいは固定するまで世代を経過させる試行を10000回行い、aが固定した回数を記録した。

さまざまなP、p、およびUのもとでシミュレーションした結果を図3に示す(L=20000、M=10、s=0.01、h=0.2、R=2.5×10-5、H=0)。横軸は野生型AAの自殖率P、縦軸は変異型aaの自殖率p、セル内の数値は10000回の試行中aが集団に固定した回数である。中立変異(P=pの場合、図3対角線上。理論期待値は10回)に比べて有意に固定回数が多い場合(オレンジ)aは正の選択を、有意に少ない場合(灰色)には負の選択を受けるとする。Uが小さい場合(U=0.4)、自殖率を高める変異は常に正の選択を受け、完全な自殖が安定となる。逆にUが大きい場合(U=0.8)は完全な他殖が安定となる。一方、Uが中間的な場合(U=0.6)、AAの自殖率が小さい場合(P=0)には自殖率を上げる変異が、大きい場合(P≧0.4)には自殖率を下げる変異がそれぞれ正の選択を受け、自殖率0と0.4の間に安定な混合戦略が存在することが示唆される。世代あたりに出現する有害突然変異の個数Uが中程度なときに自殖と他殖の混合戦略が安定となる場合があることが見出された。

図1 有害突然変異率と近交弱勢の大きさ

図2 自殖集団と他殖集団における有害突然変異の蓄積速度

図3 aが集団に固定した回数

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなる。

第1章はイントロダクションであり、近年の有害突然変異に関する知見と、論文全体を通じて解析対象となる基本モデルが紹介されている。

第2章では、自家受精が進化するための遺伝的な条件が解析的に探索されており、世代あたりに生じる有害突然変異が少ない種において自家受精が進化しうるという結果が導かれている。

第3章では、自家受精集団と他家受精集団における有害突然変異の蓄積速度を個体ベースシミュレーションによって比較した。これまで自家受精集団は他家受精集団に比べて非常に速い有害突然変異蓄積速度を示すと考えられていたが、第2章から示唆されるように自家受精する生物は低い有害突然変異率をもつことを仮定すると自家受精集団の方がむしろ有害突然変異を蓄積しにくい場合があることが示された。

第4章では、自家受精の進化過程に注目した個体ベースシミュレーションを行った。有害突然変異率が中程度であるときに、繁殖システムの進化が非常に遅くなる場合があることが示された。この結果は、現存する混合繁殖システム(自家受精と他家受精の両方を行う戦略)が自家受精進化の途上であることを示唆するものである。

第5章は総合考察である。有害突然変異の連鎖及び各種パラメタについての考察が述べられている。

なお、本論文第2章と第3章は史蕭逸、舘野正樹、嶋田正和、高橋亮との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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