学位論文要旨



No 128621
著者(漢字) 大澤,聡
著者(英字)
著者(カナ) オオサワ,サトシ
標題(和) 批評ジャーナリズムの存立機制 : 戦前期日本の雑誌メディアの成熟と再編
標題(洋)
報告番号 128621
報告番号 甲28621
学位授与日 2012.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1169号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小森,陽一
 東京大学 教授 石田,英敬
 東京大学 教授 山田,広昭
 早稲田大学 教授 十重田,裕一
 東京経済大学 教授 有山,輝雄
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、戦前期日本における批評ジャーナリズムの存立機制を分析するものである。より正確にいえば、そうした対象を取り扱うための新たな分析モデルを提起せんと試みるものである。とりわけ、1920年代後半から30年代中盤を主な対象時期としている。ここでいう「批評ジャーナリズム」とは、論壇・文壇を中心とした商業ベースの討議空間と出版産業とを総合的に指す。当該時期には、論壇および文壇の基盤を構成する各種活字メディアが急速な成熟を達成し、さらに劇的な再編を遂げるにいたる。そこでは、多領域の混淆した批評言語が交換される場が立ちあがりつつあった。本論文の課題は、そうした空間の力学やメカニズム、プロセスを解析することに設定された。基礎作業として、期間内に発表された主要各誌の網羅的な調査(=通覧・複写・整理)が遂行され、その成果をふまえた理論的な考察が記述された。記述は全体として2部構成になっている。以下、順に要約していく。

第I部では、上記期間に流行した各種記事ジャンルを取りあげ、それぞれの基本フォーマットやスタンス、誕生の経緯などを整理した。あわせてそれらがもつ機能を考察した。その際、読者の視点を導入することで、テクストの受容状況を当時の出版環境と適宜照合することに留意した。各章の役割は以下のとおり。

第1章では、あるひとつの仮説のもと、論壇時評の誕生に遡りその履歴を整理した上で理論的分析が行なわれた。仮説とは、論壇時評は論壇の実在を前提として時評を展開する場ではなく、時評を遂行するまさにその営為によって論壇を言説的に存立させていくメディアである、というものだ。実際、肥大化と複雑化を続ける言論状況をコンパクトに整理する時評は、取りあげる論者の選別と描き方において、論壇の輪郭や配置を規定する役割をも果していた。時評をひとつの契機として論壇のイメージが広範に共有されていく。論壇時評は「論壇」とは何かということを執筆者/読者双方に認識させる場としても機能した。同時に、情報圧縮の点で読者が論壇的議論を処理する速度を高めていた。最終的に、第I部全体でなされる作業の射程もここで予告・確認された。なお、論壇時評の書誌一覧を巻末に付録aとしてまとめた。

第2章では、『新潮』合評会から『文藝春秋』座談会へといたる経緯を叙述の基軸とし、座談会の機能を分析した。文学作品の月評を目的とする合評会は、しだいに一般的な社会問題を共同討議する場へと変形していき、「「何を」論じるのか」から「「誰が」論じるのか」へとアングルを転換させる。このタイミングで座談会というフォーマットが定着し、「「誰と誰が」論じるのか」が前景化するようになる。読者は個別の文脈に紐づけされた固有名同士が連接される事態の意味を解読したと思われる。実際、座談会は論争時にもっとも効果的に活用された。第1に、渦中の論客同士が対面するという事実そのものが商品価値をもち、第2に、論争のプロセスを圧縮し一挙に終結を到来させるという効果をもっているためである。議論展開の加速化と交換可能な論争の商品化が座談会の象徴的な機能だった。それらの点が「行動主義文学論争」の軌跡や『文学界』の拡大などの具体的事例をとおして確認された。

第3章では、人物評論の書式を整理・分類することでその効果の位相が精査された。当該期には、普通選挙法の実施により政治に関心を抱かざるをえない層が増大、あわせて内閣交代が頻発した。それゆえ、そのつど各種人事に大衆の興味が集中する。そこに、人物についての平易な解説や紹介の需要が発生し、政治関連の人物評論は流行した。また、この時期の人物評論の特徴として、あらゆるジャンルの人物がジャーナリズム内部において同一フォーマットのもと総合的に取り扱われたことがあげられる。ひとつの表象空間を形成するが、それを支える原理は有名性だった。「人」に関する批評とそれを集中的に消費する行為とが、対象人物の固有名の強度を更新していく。本章では、誌面レイアウトや併載される図像表現も含め、有名性に駆動された受容形態を「固有名消費」という用語で析出した。なお、関連書誌が付録bにまとめられた。

第4章では、文芸批評や文芸時評の基本構造が捉えなおされた。1933年の「批評無用論争」を直接の検討対象とすることによって、特定の批評テーマが文壇内を流通するプロセスの追跡を試みた。そのことで批評の自己認識の析出が可能となった。文壇人口の増大と一般読者の増大とによって、一方では適度に閉鎖的で成熟したサークル内部の同業者を強烈に意識しつつ、他方では広範におよぶ無数の一般読者へも伝達可能な配慮をなす、そうした分裂的な叙述が書き手に要求されていた。文芸批評のもつこの多重底構造は受容者の理解の速度を分岐させ、論争の多くを空転させてしまう。また、固有名としてすでに確立されていた小林秀雄と、そうではない後続批評家たちとのあいだで批評認識をめぐる齟齬があることも確認された。

第5章では、雑誌『経済往来』に関する総合的な整理・分析が行なわれた。当該誌の特徴のひとつとして、編集方針のたえざるゆらぎがあげられる。そのゆらぎの背景は、流動的な読者のニーズやジャーナリズムの動向に適応させた企画立案を積極的に行なったという点で説明することが可能である。また、編集実務を担ったスタッフの目まぐるしい交代という事態においても説明できる。誌面構成の変容過程を時系列にそって整理することで前者を考察しつつ、あわせてその時どきの編集部員の存在と役割を編集後記から可能なかぎり洗い出すことで後者の追跡にもつとめた。後発誌として自覚的に『中央公論』『改造』の形態を模倣し、総合雑誌のあり方を典型的に指し示した事例として興味深い媒体である。同誌の存在じたいが総合雑誌というジャンルの成熟指標にもなっている。なお、同誌形状に関する経年変化のデータを付録cとして一覧化した。

第II部では、第I部で整理された当時のメディア環境をふまえ、実際にテクストがどのように提出され、流通し、効力をもったのかを検証した。その際、二者間の直接・間接のテクスト連関を炙り出していくことをつうじて、多元的なネットワークを分析するための方法的枠組を示すことにつとめた。各章の役割は以下のとおり。

第6章では、大宅壮一と小林秀雄が1930年前後に産出したテクスト群を相互につきあわせながら解読を進めた。大宅は時々刻々と変化する文学状況を逐一整理するような現象批評を積極的に展開した。重視されたのは情報の圧縮化である。他方、小林の批評はそうした要素を意識的に排除した空間に成立している。批評する「私」が前景化され、いわゆる私批評へと帰結する。前者では言論の加速化、後者では言論の遅延化が進む。明確な対立が確認される。こうしたふたつの批評様式の差異と、直接的な相互言及とを実証的に浮き彫りにした。1930年前後の日本の言論空間には複数の批評の系譜が可能性として胚胎しており、近代批評のヴィジョンをめぐってたえずせめぎあいが展開されていた。第II部全体でなされる作業の射程もここで確認された。

第7章では、神保光太郎の詩史的整理を導入として、『日本浪曼派』創刊前後における伊東静雄の詩作品と保田與重郎の批評文をつきあわせ、「イロニー」という視軸のもとにテクストの分析を行なった。両者が如実な差異を露呈する戦時期の言説ではなく、より近い認識に位置したと見える日中開戦前の時期に焦点をしぼった。"保田の批評理論を具現する伊東の詩作品"という関係性が剔出された。この関係においては、伊東がアイロニカルな表象構造に意識的であったかそうでないかはもはや問題ではなく、メディアにおいて隣接・併存していること、そのこと自体が重要な意味をもつ。読者の手によってそのネットワークは完成させられ、総体として同誌のイロニー観を演出することになった。

第8章では、船山信一の日中戦争期のテクストを時系列にそって解読する作業を行なった。その際、同時代に大きな思想的影響圏を形成していた三木清の言説との連関に焦点をあてた。船山は社会認識の趨勢を的確に整理し、「東亜思想」「東亜協同体」といった術語を早い段階で中央論壇に導入している。旧来は三木らビックネームによる議論だと見なされてきたが、実際のところ、それらの術語は船山の論考を媒介として他の論者へと転送され増殖していた。三木はその固有名のもと転送の速度を高めるという位置にいた。また、三木の議論を受けた船山によって定型化された概念が、三木にフィードバックされて修正され、さらにそれを船山が再び受容するというように、両者のあいだには幾重もの循環関係を摘出することができる。

終章では、以下の3点が確認された。第1に、消費大衆社会時代の知的ジャーナリズムにおいて、テーマや固有名のたえざる置換こそが重要な意味をもち、そこに商品価値が宿った。第2に、本論文で適宜参照枠としてきた編集批評的なテクストは同時代の言論空間全体を「編集」という観点から捉えなおそうとする自己言及的な新しい批評スタイルであり、とりもなおさずジャーナリズムの成熟を証示するものであった。第3に、当時のアカデミズム/ジャーナリズム、文壇/論壇のあいだをそれぞれ越境する論客の出現は雑誌メディアの誌面が体現した「綜合」化の視点から説明することが可能である。それらの諸点をふまえ、最終的に複数の思想や言説が絶えず交通しあう網目の結節点のなかから生成する自律的構造を析出・分析するためのモデルが示され、本論文は締め括られた。

審査要旨 要旨を表示する

大澤聡氏の論文は二部九章からなり、一九二〇年代後半から三〇年代中盤までの批評ジャーナリズムの分析を行っている。批評ジャーナリズムとは、活字メディアにおける、商業化された論壇と文壇での言説活動を指している。

第一部では、批評ジャーナリズムにおけるジャンルの特徴が分析される。第一章では「論壇時評」という月刊雑誌と新聞における、言論状況を整理する言説の誕生と推移についてまとめられ、第二章では「合評会」から「座談会」への推移を中心に討議的空間の成立が論じられた。第三章では普通選挙法の実施に伴う内閣交代をめぐる「人物評論」が論じられ、第四章では、「文芸時評」における文壇内部の読者と一般読者との関係が問題化された。第五章では『経済往来』という雑誌における編集意図と読者との誌面構成の相互関係が分析されている。かくして第一部において、一九二〇年代から三〇年代の活字メディア環境の全体像が明らかにされた。

第二部は、個別の著者のテクストがどのように流通したのかに焦点があてられる。第六章では小林秀雄と大宅壮一、第七章では伊藤静雄の諸作品と保田與重郎の批評、第八章では船山信一と三木清とを対比的に論じ、論壇における中心と周縁の相互関係の在り方を浮かびあがらせている。

そして終章では、大衆消費社会が成立しつつあった一九二〇年代から三〇年代におけるジャーナリズムとアカデミズムの相互関係を明らかにすることで、雑誌メディアが同時代において実現しようとしていた、知の総合の在り方を明らかにし、多領域の批評言語が交錯される論の様態を詳述してまとめとした。

大澤氏の論文は、論壇と文壇という近代日本で形成された文学場において働いていたいくつかの重要な力関係を浮き彫りにすることに成功している。第一は、時評、合評会、座談会という雑誌媒体での批評様式が生み出した独自の討議的空間と、そこで行われた論争の加速化である。第二に文壇や論壇内部における人間関係や勢力構図と一般読者との関心とをつなぐ、固有名消費という様態であった。第三に、一時代において有名性の頂点にあった文壇や論壇の中心人物と、同時代の周縁的な伴走者との相互言及と相互変革の動態である。こうした三つの特徴を数多くの雑誌メディアを詳細に分析することで、大澤氏は当時の知的ジャーナリズムの生成過程を、アカデミズムとジャーナリズムの相互作用を含めてこれまでにない形で正確に描き出した。これは、この論文が複数の思想と言説が力動的に交錯する場を意識的に捉えようとした着眼の成果である。

一九二〇年代から三〇年代の日本の雑誌メディアにおける言説の配置を分析した本論文について、第一部と第二部の論じ方のちがいによる一貫性の問題、活字メディアをめぐる状況論なのか個別の批評家をめぐる議論なのかといった論文の統一性について提出資格審査の段階で審査員からの批判が提出されていたが、短期間において理論的な整合性がつけられたという評価がなされた。しかし、第一部と第二部を結合する、より統合的な論理が示されてもいいはずだという指摘もなされた。

しかし、一九二〇年代から三〇年代にかけての日本の雑誌ジャーナリズムについての、包括的な研究として、きわめて重要な成果をあげており、文学研究にとどまらず、社会学的視点もふまえられた総合的なとらえ方を示したとして、本論文が博士(学術)の学位を受けるにふさわしいものと、審査委員会全員が判断するにいたった。

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