学位論文要旨



No 128623
著者(漢字) 金,暁美
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヒョミ
標題(和) 教科書がつくる対外認識と国民意識 : 「併合」期から戦後にいたる韓日の「国語」教育
標題(洋)
報告番号 128623
報告番号 甲28623
学位授与日 2012.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1171号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅原,克也
 東京大学 准教授 寺田,寅彦
 東京大学 講師 田村,隆
 東京大学 教授 月脚,達彦
 千葉大学 教授 佐藤,宗子
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、近代国民国家誕生以降、国民の精神形成において多大な影響を及ぼしたとされる「国語」教科書を研究対象に、その中に表われる対西洋認識を考察することで韓日で求められた国民像を探るものである。この問題への関心は、韓国と日本のナショナル・アイデンティティをどう理解するか、という観点から設定される。

「教科書問題」がしばしば国際的な争点となることに象徴されるように、人種、血統、言語、歴史、文化など、国民意識形成の根拠とされる諸要素のイメージ創出に、教育は核心的な役割を果たす。

本論文が研究対象とする「国語」科は、教育の基礎を成す統一した読み書き能力を養う教科として、「国民化」において核心的な機能を果たすものである。明治維新以降、日本では、欧米諸国に伍してゆける均一な国民を作る目的で、統一された「国語」への模索が始まった。1900年の教育課程改革に基づき、1904年から使用された第1次国定「国語」教科書『尋常小学読本』に至っては、国家の「国語」政策の方針及び目的が「東京の中流社会」に基準を定め、「国語」の統一を図る「標準語教育」にあることが明示される。「国語」は、1910年「韓国併合」を迎えると、植民地朝鮮にも進出し、「同化政策」の根幹をなす思想となった。

植民地統治下の朝鮮の教育は、1911年に発布された第1次朝鮮教育令によって本格的に始まったが、保護国期に編纂された『普通学校学徒用日語読本』(1907~1908年)から朝鮮第5期教科書『ヨミカタ』『よみかた』『初等国語』(1942~1945年)に至るまで、日本の教科書の教材との関連は濃厚である。

従来の研究は、授業料徴収や修業年限の短縮などの政策面における「排除」に対して、「同化」政策の根幹となった「国語」教育の「包摂」の側面(小熊英二『〈日本人〉の境界――沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』(新曜社、1998年)、653頁)に集中的に光を当ててきた。その一方で、植民地教育における「西洋」を題材とする教材は、あまり注目されず、取り上げられる場合にも、排除される側面のみが言及されるに留まっていた。

それに対して、本論文は、植民地朝鮮の「国語」教科書に登場する西洋、ひいては世界像を提示する教材が、注意深く選択・改変され、提示されている点に注目する。植民地朝鮮の「国語」教科書の示す「西洋」を可視化し、テクストの「改変」の過程を追うことで、植民地権力が朝鮮においていかに「内地」とは異なる価値の秩序を創出しようとしたのかを実証的に検証する。

さらに、連合軍による占領、及び民主主義と資本主義に基づいた発展を経験する戦後韓国と日本において、「西洋」は指標とすべき「先進国」として機能し続けた。従って、戦後も韓日で同様の西洋の教材が採択された例は珍しくない。しかし、その具体的な採用部分や解釈には大きな差異がある。本論文は、植民地時代から戦後にかけての教科書を、共時的、及び通時的な視点から実証的に考察し、戦前と戦後の連続性、非連続性を確認することで、様々な歴史の転換を経た韓・日の人々のナショナル・アイデンティティの構造の一端を示したい。

研究対象の射程は、日本の義務教育の年限を基準に、戦前は、初等学校レベル(尋常小学校・普通学校)の文部省、及び朝鮮総督府編纂教科書を、また、戦後は、小学校・新制中学校の教科書に定める。時期的には、主に日本と朝鮮半島の教科書が密接に関わることになる1910年から、思考的転換と共に教育方針の再模索が図られ、現在の「国語」教育や教科書の基礎を成す第2次世界大戦後までとする。韓国については第1次教育課程が適用されていた1962年度まで、日本については、1947年と1951年版学習指導要領国語科編(試案)が適用されていた1960年度(小学校)、1961年度(中学校)までを検討する。

第1章では、まず、戦前の教科書における空間認識の性格を、教育政策と教科書編纂の方針の異同を中心に概観した上で、文部省と総督府教科書に採用され、内容の共通性が認められる「地球」(文部省『尋常小学読本』(1904年)8巻)と「世界」(朝鮮総督府『普通学校国語読本』(1912年)8巻)、さらには「航海の話」(文部省『尋常小学読本』(1904年)(7巻ほか)、朝鮮総督府『稿本 高等国語読本』(1912年)1巻ほか)などを比較分析し、世界認識を検討した。その結果、確認される「地球」や「世界」における教材内容と課の構成の差異、また「航海の話」における「海外」の範囲の違いは、「内地」の児童に「日本人」として世界に羽ばたく進取的な役割意識を求める一方で、植民地朝鮮の児童に対しては、「大日本帝国」の一部に属することを認識させることが最も重要視される、非対称的なものであったことが確認された。

第2章では、総督府編纂教科書に「転載採用」された「一人称視点」の紀行文形式の西洋地理教材「ヨーロッパの旅」の性格を、文部省編纂教科書における西洋地理教材に加えて、「台北だより」、「ブラジルから」など、西洋以外の「海外」地理教材、さらに、「連絡船に乗っ(ママ)た子の手紙」といった「内地」関連の地理教材の視点および語り方と合わせて分析した。「ヨーロッパの旅」(『尋常小学国語読本』(1918~1932年)12巻)は文部省編纂教科書において「国際協調」と「児童本位」の思潮の中で登場した一人称視点の教材であった。「朝鮮」の教科書においても「朝鮮人」児童の心理を考慮するといった編纂方針は掲げられるものの、一人称の視点の語りは、教材によって注意深く、選択的に適用されている。上記の教材の中で、『普通学校国語読本』の学習者であった「朝鮮人心理」と最も合致し、共感を呼ぶ朝鮮人の一人称の視点が用いられたのは、「内鮮融和」教材として分類された「連絡船に乗っ(ママ)た子の手紙」(同7巻)のみであった。一方で文部省編纂教科書から転載採用された、「ヨーロッパの旅」は「朝鮮」が決して現出しないという特徴をもち、「朝鮮人」というアイデンティティをもつことと、国際的に活躍することが共存しない構造を示している。植民地朝鮮における「児童本位」はかえって総督府の意図する方向へと児童の思想を誘導する道具として使われたきらいが強い。

第3章では、「人物像」という観点から西洋題材教材の分析を行った。朝鮮の教科書に登場する西洋人物は、「ヨーロッパの旅」同様、1930年代の文脈の中で選択的に掲載され、その様相は志願兵制度(1938年)と「形影相伴」(宮田節子『朝鮮民衆と「皇民化」政策』(未来社、1985年/1997年(第4刷))、156頁)って実施された第3次朝鮮教育令(1938年)に基づく教科書改訂によって変容し、さらに第4次朝鮮教育令(1941年)の下で編纂された国民学校教科書に至っては姿を消す。

「飛行機」(同11巻)や「野口英世」(同11巻)にみられる西洋人は、日中戦争前までは「標準的な文明」を代弁する存在として、「大和民族」の作り出す「日本文明」の優秀性を担保し、「大和民族への同化」の正当性の根拠として機能する。一方で、それ以降の教科書における二宮忠八の英雄化(前出「飛行機」(1938年改訂版))が示すように、「志願兵制度」(1938年)の実施とともに、変更された教科書においては「天皇のために命を捧げられるほどの国民的感動」の誘導を目標に、「世界一優秀」な「日本人」を強調し、「内地」という空間を標準的な文明にする世界認識の創出が目指されていたと考えられる。

さて、第4章では、「国家語」と愛国心を主題とするドーデの「最後の授業」を考察した。戦前日本の教材の翻訳で露呈したのは、複数の植民地を抱え、母語と異なる「国語」によって同化政策を進める日本「内地」の人々における、「国語」が母語に限定されることに一切疑いを持たない閉塞的な「国語」認識である。同作品は植民地朝鮮では採用されていない。

一方で、新聞紙面でみられる「最後の授業」の翻訳は、植民地朝鮮の人々が西洋の文学作品を、日本帝国主義を相対化し批判する視点として活用していた事例である。しかし、西洋の文学作品は、日本帝国主義の言語支配の暴力的側面を批判し、「朝鮮人」の民族的ナショナリズムを主張する根拠となった一方で、朝鮮人に「同化」を強要する論理であった、言語、民族、文化が結びつく思考の枠組みに疑問を投げかけるものではなかった。戦前の日本及び植民地朝鮮に形成されたこのような思考の枠組みと言語認識は、人々の中に深く内面化され、模倣や反復される形で戦後にも続いていく。

第5章においては、「新しい時代」の国際認識に見合うものとして両国で共通して繰り返し使用された「キュリー夫人伝」の分析を通して戦後の国際的視野を検討した。

日本の教材における、ポーランドの植民地支配の状況に対する関心の薄さなどから、戦後で大きく叫ばれた「国際的視野」や「平和」には、旧植民地支配に対する責任の問題は入ってこない、という隠れた前提が見えてきた。また、多くの教材が、帝国主義批判と緊密に結びついたキュリー夫人の愛国心を、その文脈から切り離して、日本の児童に「国語愛」や「愛国心」を強調する教材として編集されているという一種のねじれが確認された。

日本とは対照的に、韓国の教科書に戦後長い間採用されることになる教材「憂鬱な時節」は、36年間韓国で実際に実施されていた、日本語による「同化政策」を連想させるものである。この教材は、韓国の戦後の「国語」教育観と共に、対日認識教育の一端を示している。しかし、この教材はあくまで自国の独立や自由を主張するために使用されており、あらゆる暴力や戦争の否定、という本質を見据える視点が欠落していた限界を持つ。

以上の検討の結果、明らかにされたのは、両国において西洋に対する認識がナショナル・アイデンティティと深く結びつき、相互に対する認識を決定していく構造である。両国において「西洋」は、戦前には植民地支配を正当化、または批判する論拠となり、戦後においても、「国際的視野」の拠り所として機能する、対外認識と国民意識の形成に重要な要素となったのである。

本論文は、従来の植民地教科書の研究においてはあまり注目されなかったテクスト分析の手法を導入したことで、文部省編纂と朝鮮総督府編纂教科書が同様の教材や人物を採用した場合でも、その重点の置き方や文脈の違いによって、異なる価値を創出しようとした様相を実証的に検証した。その一方で、本論文は、戦後の両国の西洋文学教材を比較考察することで、一義的に解釈・提示されたそれらの作品が、閉鎖的な対外認識の形成に影響を及ぼす可能性を提示した。しかし、共感力や想像力を育て、人格形成に深い影響を与える文学教材にこそ、他者に対する理解や平和的に「共生」するための意識を育てる、大いなる可能性が秘められていると考えられる。このような可能性に注目し、文学教材の再検討がなされることを大いに期待したい。

学校教育に使われる教科書は、今もなお正当化された知識として、こどもたちの精神形成に深く根を下ろす強力な装置として機能し続けている。本論文で論じた、戦前・戦後の教科書でいかなる教材が提示され、それがこどもたちの対外認識と自己認識にどのような影響を与えたかについての検討は、韓日のナショナル・アイデンティティの構造を理解する上で、重要なテーマの1つになると思われる。そしてそれは、平和や国際理解を考える上での「国語」教材の役割、というより広い文脈からの考察を、今後さらに可能にしていくはずである。

審査要旨 要旨を表示する

金暁美氏の「教科書がつくる対外認識と国民意識―「併合」期から戦後にいたる韓日の「国語」教育」は、近代の国民国家形成において重要な役割を果たした「国語」教科書に着目し、これを植民地期の日本と朝鮮、および戦後・解放後の日韓の歴史的文脈のなかに位置づけ、それぞれの教科書の特質を明らかにした研究である。対象となるのは、韓国併合が行われた1910年から第二次大戦が終結した1945年までの期間を中心に、その前後に発行された教科書である。具体的には、相互の直接的な関連が指摘できる日本の国定教科書と、朝鮮総督府発行の初等学校教科書、および終戦・解放後の日韓両国の教科書であり、一部中等教育課程の教科書と終戦・解放後の教育課程を反映する1960年代はじめまでの教科書を視野に入れる。

金氏の論文は、国語教科書のなかで、西洋および西洋人物を扱った教材に焦点を絞って分析を行った点に特色がある。一般に「西洋」として認識されたヨーロッパおよび北アメリカの白人社会が、教科書においていかなる扱いを受けているかを論じることは、日本がいかなる対外認識を国民のあいだに共有させようとしたのか、また植民地期の朝鮮にいかなる対外認識を扶植しようとしたのかを明らかにする。ここに問題とされる対外認識が、教育を通じて醸成される国民意識と表裏の関係にあることは言うまでもない。

本論文が持つ研究史的意義については、審査委員から次のような指摘があった。植民地期朝鮮における日本の施策を「収奪論」の枠組みで捉える「植民地近代性論」の立場に立つ時、日本の「国語」教育は「民族文化抹殺」教育であるとされ、まさにそれゆえに、本論文が一次資料として用いる朝鮮総督府編纂の教科書や編纂趣意書等は、積極的な分析対象とはなりにくかった。金氏の論文は「植民地近代性論」の立場に立ちつつも、植民地教育政策の中核をなす「国語」教育で用いられた教科書等を具体的・実証的に検討することで、民族意識、対外世界認識、国民意識等、近代国家の下に生きる人々のアイデンティティに関わる諸問題を、新たな角度から論じることに成功している。その分析は概ね説得力を持つ。

本論文は、全五章の本文および「序章」と「終章」からなる。以下、論文の構成にしたがって、内容の概略を記す。

序章では、国民国家における国民意識の形成に国語教育が果たす役割をふまえ、教科書研究の意義が再確認されることになる。また金氏は、国民国家の重要な構成要件である「空間」に関わる地理的空間認識が、対西洋観・西洋人観をふくめ、日本と韓国の教科書においていかに取り扱われていたかを検討することの意義を説く。

第1章は序章の議論を受けて、戦前の日本と植民地期の朝鮮の国語教科書にいかなる編纂意図が確認できるかを、資料にもとづいて論じる。一例として、日本の国定教科書と朝鮮総督府編纂の教科書に共通して登場する「航海の話」が取りあげられ、そこにあらわれる「海外」の文脈の相違が指摘される。

第2章では、西洋を扱う地理教材における語りの視点に着目した分析が行われる。日本の国定教科書にあらわれる「欧羅巴の三大都」「ヨーロッパの旅」「アメリカだより」等々と、総督府編纂の『普通学校国語読本』にあらわれる「ヨーロッパの旅」「台北だより」等々では、客観的三人称記述が一人称視点の体験の語りに移行してゆくことが観察されるが、後者の一人称視点は必ずしも「朝鮮人」の視点を明確にしないことが鋭く指摘される。

第3章は、教科書にあらわれる偉人伝を論じる。西洋の人物としてとりあげられるガリレオ、エジソン、ライト兄弟等と、日本の関孝和、野口英世、二宮忠八等の描き方から、当時の日本の教科書が意図したのは、西洋の科学技術に十分対抗しうる日本の科学技術の達成を印象づけることであったことが確認される。西洋と日本の偉人伝を教材とする総督府編纂の『普通学校国語読本』では、日本人と日本文明の優秀さが強調されるのである。

第4章は、アルフォンス・ドーデの「最後の授業」を取りあげる。日本では戦前から戦後を通じ、「最後の授業」は主に中等教育の国語教科書に用いられ続けた。ただし、テクストとしての「最後の授業」は、しばしばアルザスの言語事情を正確に反映しておらず、作中のアルザスの少年がなぜ「自分の言葉を話すことも書くこともできない」のかについての説明を欠く。その点が問題とされ、一九八十年代以降「最後の授業」が教科書から姿を消すのは周知の事実である。金氏は、日本の教科書で頻繁に教材となった「最後の授業」が、植民地期の朝鮮の教科書にまったく取りあげられなかったのは、これが総督府の編纂趣意書にある「共栄的関係を阻害するが如き文章」であったからであろうとの推測を提示する。解放後の韓国の教科書で、「最後の授業」が言語政策をめぐる問題を明示的に示唆するかたちで取りあげられていること、植民地期の朝鮮に「最後の授業」の翻訳が存在したことなどを考え合わせると、金氏の議論は説得力を持つ。これは本論文中もっとも読み応えのある章であるとの評価が審査委員からあった。

第5章は、戦後・解放後の日韓の教科書にあらわれる「キュリー夫人伝」を論じる。マリー・キュリーの次女エーヴ・キュリーが著した『キュリー夫人伝』をもとにした国語教材は数多いが、日韓における扱いは決定的に異なる。日本の教材が、キュリー夫人の女性としての生き方、努力、夫婦愛等に焦点をあてる傾向があるのに対し、韓国の教材は、マリーのポーランド人としての出自とポーランドの歴史に焦点をあてる。同じ西洋の教材を用いつつ、日韓での扱いはその歴史を反映したものとなる。そのことを金氏は、具体的にテクストに即して論じている。

終章では、あらためて論文全体を貫く趣旨が確認され、今後の展望が示される。

このように要約できる論文に対し、審査委員からは、金氏が、国語教科書に描かれる西洋という独自の問題を設定し、関連する資料を丹念に調査し、読み込んでいる点が評価された。文学と歴史および教育思想にまたがる領域は、比較文学比較文化研究として優れた学際性を備えている。一方で、操作概念としての用語に揺れがみられること、国語をめぐる施策について日本および韓国の経緯をやや特別視する態度がみられること、教科書の挿絵が扱われていないこと等々の問題点が指摘された。また、実際に教科書が用いられる教育現場の歴史的再現が望まれるとの指摘もなされた。ただし、これらは本論文が挙げた学術的成果を本質的に損なうものではないことも確認された。

よって本審査委員会は、金暁美氏の学位請求論文が、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものであると認定することに、全員一致で合意した。

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