学位論文要旨



No 128641
著者(漢字) 新井,竜治
著者(英字)
著者(カナ) アライ,リュウジ
標題(和) 戦後日本における主要木製家具メーカーの歴史的研究
標題(洋)
報告番号 128641
報告番号 甲28641
学位授与日 2012.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7815号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,恵介
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 教授 西出,和彦
 東京大学 准教授 加藤,耕一
 東京大学 名誉教授 内藤,廣
内容要旨 要旨を表示する

本研究の第1部「概論」では、戦後日本における主要木製家具メーカーの誕生・発展・衰退の過程を明らかにした。第2部「意匠論」では、各社の家具のシリーズ・スタイル・デザイナーの特質・変遷・背景を明らかにした。第3部「技術論・機能論」では、各社の家具の材料・工場・生産工程・機能の特質・変遷・背景を明らかにした。第4部「流通論」では、各社の家具の物流・商流・情報流の特質・変遷・背景を明らかにした。以下にその概要を記す。

第1部 概論

戦後日本の主要木製家具メーカーの多くは、大正期・昭和戦前期(1912~45年)に創業している。しかし当時は百貨店家具部・専属工場が家具のテイストを先導していた。戦後前期(1945~72年)には、進駐軍家族用住宅家具の特需、大規模公共建築・官公庁及び一般企業オフィスビル等のコントラクトユース家具需要、アメリカのホームユース家具市場向け輸出家具によって、発展の基礎が築かれた。戦後中期(1973~91年)には、円の変動相場制への移行・第一次石油危機・国内住宅市場の活況等により、対米輸出家具からの撤退、国内のホームユース家具市場への参入、バブル経済によるコントラクトユース家具需要の増大を経て、大きく発展した。しかし戦後後期(1992~2011年)には、ホームユース・コントラクトユースともに家具需要が減退し、廉価家具輸入の急増・環境意識(3R)の浸透により縮小・衰退していった。

第2部 意匠論

第1章

東京地区百貨店の新作家具展示会では、昭和戦前期にはアール・デコ調、近代合理主義モダン、國風家具、様式家具、ペザント家具(農民家具)等の多様なスタイルの家具が見られたが、終戦直後期から高度経済成長期には、小住宅向けの簡素なユティリティー家具、近代合理主義モダン家具が全盛になった。百貨店専属工場製の新作家具展示会の地位は、1950年代末頃から相対的に低下し始め、代わりに欧米輸入家具展・官展・家具組合展・家具メーカー個展等が百貨店各店で盛大に開催され始めた。

第2章

Gマーク制度制定直後から同賞を受賞し、尚且つ受賞数が多い木製家具メーカーの秋田木工、天童木工、コスガ、飛騨産業等では、1960年代に社外及び社内デザイナーが協働して開発したミッドセンチュリー・モダンスタイル及びジャパニーズ・モダンスタイルの脚物家具がGマークを多数受賞している。また80年代にGマークを多数受賞したベッドメーカーの西川産業、フランスベッド、アイシン精機等には、強力な社内デザイン部門が存在しており、主に普通ベッドのデザイン開発に注力した。

第3章・第4章

建築家・インテリアデザイナーと協働して、主にコントラクトユース家具を開発・製造した天童木工の家具スタイルは、戦後日本の建築界で広く実践されたモダニズムの思想に基づく、装飾を削ぎ落としたシンプルなスタイルの家具であった。1950~70年代に開発されたアメリカ・北欧・ブラジルのモダニズムの影響を受けたミッドセンチュリー・モダンスタイルの家具やジャパニーズ・モダンスタイルの家具の中には、Gマーク受賞、マイナーチェンジ、バリエーション化、復刻生産等を経て、その後半世紀近く継続的に生産されたものがあった。天童木工では、建築家との協働の過程でポスト・モダンスタイルの家具も開発されたが、建築におけるポスト・モダンが比較的短命であったように、天童木工のポスト・モダンスタイルの家具も比較的短命であった。

第5章

進駐軍家族用住宅家具、アメリカ市場向けホームユース家具輸出を経て、1960~70年代に国内のホームユース家具市場に参入したコスガは、リビングルーム・ダイニングルーム・ベッドルームのインテリアをトータルにコーディネートする家具シリーズを多数開発した。その家具スタイルは実に多様であり全方位的であった。その背景には住宅建築躯体と室内空間が分離した工業化住宅の登場、消費者の個性の多様化への対応、インテリアのトータルコーディネートの必要性、ピリオッド・スタイルの考え方等があった。

第6章

主要木製家具メーカーの天童木工、コスガ、マルニ木工、飛騨産業のホームユースのトータルインテリアコーディネート家具シリーズに共通して見られた家具スタイルは、戦前一部の富裕層しか享受できなかった伝統的ヨーロッパスタイルの量産版、世界中で根強い人気を博している田舎風家具のカントリースタイルの国産版、建築・インテリアから日用品に至るまで、20世紀の世界中の国々を席巻して各国独自の展開を見せたモダンスタイルの国産版、日本独自の美意識に基づく和風スタイルの4つであった。

第3部 技術論・機能論

第7章

主要木製家具メーカー各社では、多様なスタイルのトータルインテリアコーディネート家具シリーズの表面木材・塗装色・椅子張地をオリジナル品に近づけようという正真性追求の姿勢が見られた。一方、耐久性向上と快適性追及のために成形合板下地・発泡樹脂成形下地・多重クッション構造が開発されたり、耐水性・耐摩耗性・扱い易さにおいて群を抜くポリウレタン樹脂塗料に収斂したり、表面木材よりも安価な構造用木材が使用されたりした。また量産性とコストパフォーマンス性を重視したためにフェイクの塗装技法が開発された。

第8章

国内新規住宅着工件数の大きな伸びに牽引されて、国内のホームユース家具市場が活況を呈した1960年代末~70年代初めに、一つ屋根の下に脚物家具・台物家具・箱物家具・ベッド・和家具等の全ての工程を流れるように配置して、総合的に木製家具を量産する一貫生産システムが、主要木製家具メーカー各社において構築された。各工場の生産工程では、当時の最新鋭の木工機械が導入されたが、同時に手仕事(ハンドクラフト)的要素も残された。また各社ともJIS(日本工業規格)を超える厳しい社内品質検査基準を設定していた。

第9章

1950年代中盤に定着した既製家具の中から、多様な消費者の好みに対応するためにセミオーダー家具が開発された。収納ユニット家具(60年代初頭登場)とプレフォルム家具(60年代中盤出現)とイージーオーダーテーブル(80年代前半台頭)は、80年代中盤以降セミオーダー家具と総称された。またトータルインテリアコーディネート用のセミオーダー家具シリーズ(70年代中盤登場)は80年代中盤に完成度が高まった。しかし木製家具メーカー各社のセミオーダー家具は概して比較的短命であった。

第10章

主要木製家具メーカーのソファの構造は1970年代後半以降セパレート型から一体型へ移行した。またソファの配置方法は、対向型配置からL字型配置・直列型配置へと移行した。ダイニングテーブルの甲板サイズは70年代中盤以降大型化した。更に80年代前半のセミオーダーテーブルの登場で甲板最大サイズは巾240×奥行120cmにまで拡大したが、90年代中盤以降は縮小傾向にある。また70年代中盤の集合住宅型住居・都市LDK型住居におけるnLDKの定型化が、主要木製家具メーカーのリビングセット・ダイニングセットの開発を促進させた。

第4部 流通論

第11章

主要木製家具メーカー各社の流通戦略は大都市圏攻略型であった。コントラクトユース家具中心の天童木工では公共建築・一般企業建築の興隆に伴い1960年代に営業所網の全国展開を終了したが、ホームユース家具中心のコスガ、カリモクではトラック輸送の発展、国内住宅産業の活況等に伴い70年代中盤以降に全国的営業所網が整備された。営業部門と配送部門の機能分化の進展、現金・小切手支払いから銀行振込への決済形態の変化により、営業部員が物流・商流・情報流の担い手から、情報流だけの担い手となった。

第12章

全国優良家具展(1955~81年)から東京国際家具見本市(1979年~現在)への転換は、箱物家具メーカーから総合家具メーカーへという国内家具産業の主体の変化、国内住宅産業の興隆に伴う国内のホームユース家具市場の活況、トータルインテリアコーディネートの需要、国内取引から国際取引への潮流、ホームユース・コントラクトユース双方の家具市場を対象とした展示会の必要性等を示している。近年は、インテリア関連産業との協調、家具輸出への回帰、クラフト的木製家具との合流、コントラクトユース家具メーカーとの別離が見られる。

第13章

ホームユース家具市場中心のコスガとコントラクトユース家具市場中心の天童木工における販売促進活動では、実物利用型(ショールーム)・画像イメージ利用型(カタログ、生地見本等)は類似していたが、人的コミュニケーション利用型では両社独自の活動が見られた。コスガが、女性インテリアデコレーター養成機関の運営、全国有力家具小売専門店の組織化によって、自社製品に対する忠実度の向上を図ったのに対して、天童木工は、建築家やインテリアデザイナーとの人的繋がりを最大限活用して自社製品の銘柄指定戦略を推進した。

第14章

家具小売専門店と百貨店家具売場の常設展示方法は、平場展開全盛期(1950・60年代)、ルーム展開本格出現期(70年代)、ルーム展開と平場展開の並列期(80年代)、平場展開回帰期(90年代以降)と変遷した。特定スタイルの家具・窓装飾品・照明器具等を渾然一体と展示するライフスタイル提案型ショップ方式は、70年代の海外家具メーカーのギャラリー展開が先駆けとなり、80年代~90年代中盤に百貨店単館規模で展開されたが、90年代中盤以降は小規模店が増加した。自社製品の店頭展示に対するコスガの販売促進手法は、家具だけのルーム展開プラン(70・80年代)から、家具と生活雑貨を展示するプラン(90年代以降)へと変化した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「戦後日本における主要木製家具メーカーの歴史的研究」と題されたもので、第二次世界大戦後の日本国内で誕生し、発展し、現在は衰退してしまった幾つかの有力な木製家具メーカーを対象とする。主たる目的は、木製家具メーカーの活動全体の動向を追跡し、その誕生・発展・衰退の全貌を明らかにすることである。また、各メーカーの活動において、家具の意匠、技術・機能、流通について分析を実施した。特に注目されるのは、家具メーカーが独自に刊行したカタログを網羅的に収集し、その体系的な分析を加えたことである。

本論文は、全4部で構成される。

序論では、論文の目的、研究の背景・意義、方法、対象、先行研究について述べる。

第I部は、概論「戦後日本の木製家具史序説」であり、戦後日本における主要木製家具メーカーの誕生・発展・衰退の全過程を明らかにした。その概要は以下の通り。

戦後日本で活発に活動する木製家具メーカーの多くは、大正期・昭和戦前期(1912~45年)に創業している。いずれも小企業であって、同時代には百貨店家具部・専属工場が家具のテイストを主導していた。戦後前期(1945~72年)では、初期に進駐軍家族用の住宅家具の特需があり、次第に大規模公共建築・官公庁及び一般企業オフィスビル等のコントラクトユース家具の需要が増加し、さらにアメリカのホームユース家具市場向けの輸出家具生産によって、木造家具メーカーの基礎が築かれた。戦後中期(1973~91年)には、円の変動相場制への移行・第一次石油危機・国内住宅市場の活況等により、対米輸出家具からの撤退、国内のホームユース家具市場への参入、バブル経済によるコントラクトユース家具の需要の増大を経て、大きく生産量を拡大した。しかし戦後後期(1992~2011年)になると、バブル崩壊を直接的な原因として、ホームユース・コントラクトユースともに家具の需要が減退してゆき、さらに外国からの廉価家具輸入が急増し、また環境意識(3R)の浸透により木製家具メーカーは生産活動を縮小し衰退していった。

第2部「意匠論」(第1~6章)では、各社の家具のシリーズ・スタイル・デザイナーの特質・変遷・背景を述べる。第3部「技術論・機能論」(第7~10章)では、各社の家具の材料・工場・生産工程・機能の特質・変遷・背景を述べる。第4部「流通論」(第11~14章)では、各社の家具の物流・商流・情報流の特質・変遷・背景を述べる。その概要は以下の通り。

戦後日本における木製家具は、建築家や家具デザイナー(社内・外部)によって設計され、家内工業的から脱した比較的大規模な総合木製家具工場で一貫生産されるものになった。そのようにして生産された木製家具は、生産地周辺だけでの商圏で販売・消費されるものから、全国規模で流通するものになった。日本全国という規模で大量に消費される木製家具を設計・製造・流通させるようになった家具産業の成立が、戦後日本における重要な歴史的特質であった。

本論文の特徴は、戦後わが国に木製家具を広く提供した家具メーカーの活動の全貌を描いたことである。戦後の家具の歴史は、個々の突出したデザイナーの個人史や、デザイン論として描かれることが多いのであるが、本論文はその全体的な活動を把握しようとした初めての試みであり、先駆的な研究として位置づけられる。企業活動の全貌を、意匠・技術・機能・流通という点から克明に明らかにしようとする膨大な作業を基礎作業としており、その実証性に高い評価を与えることができよう。さらに、建築全体の建設史との関連が深まれば、戦後の住生活史の豊かな像が描かれることになるだろう。

よって、本論文は博士(工学)の博士学位請求論文として合格と認められる。

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