学位論文要旨



No 128648
著者(漢字) 柏﨑,梢
著者(英字)
著者(カナ) カシワザキ,コズエ
標題(和) タイにおける都市コミュニティ・ガバナンスの制度化に関する研究 : バンコクのコミュニティ組織協議会の設立過程を事例として
標題(洋)
報告番号 128648
報告番号 甲28648
学位授与日 2012.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7822号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 教授 安藤,尚一
 東京大学 准教授 城所,哲夫
 東京大学 准教授 小泉,秀樹
 東京大学 准教授 大月,敏雄
内容要旨 要旨を表示する

1960年代以降、アジアの開発途上国の都市はグローバリゼーションのもと急速な都市化を遂げたが、同時に様々な都市問題を抱えることとなった。スラム問題もそのひとつである。スラム住民が形成してきたコミュニティは、農村部からの移民による血縁や地縁に限定されたものから、活動を目的としたグループなど、組織としての形態を様々かつ柔軟に変えながら都市を生き抜いている。しかしながら、政治・社会・経済的側面における根本的な脆弱性によって、都市社会における持続的なコミュニティという道筋は未だに不透明であり、しばしの閉塞感に包まれている感が否めない。

本研究の対象国であるタイの首都バンコクは、一極集中型の都市化を遂げた典型的な大都市であり、コミュニティの組織化やネットワーク化に積極的に取り組んできた先駆的な都市のひとつである。しかしながら、2006年に国際問題にまで発展したタクシン元首相を巡る政治混乱によって、構造的かつ根本的な格差への不満が露呈し、社会分裂までをも引き起こしかねない事態に陥った。こうした事態を脱却すべく2007年新憲法のもと成立したのが、本研究が取り上げる「2008年コミュニティ組織協議会法」である。当制度は全国の行政区において、コミュニティの様々な組織を主体とし、行政機関との意見交換や協働による地域開発活動を目的とした初めての試みである。当制度によって住民主体による地域自治への参加、つまりコミュニティ・ガバナンスを形成することが出来るのか、その際に生じる空間的・社会的傾向および特徴とは何かを設立段階において解明することで、都市スラム開発支援のさらなる道筋を見出せるのではないか、というのが本研究の趣旨であり、そのための要件を都市と地域コミュニティの双方のレベルにおいて検証することが本研究の目的である。

論文の構成は、序章で研究全体の枠組みを示し、第1章で理論整理をもとに分析の枠組みを構築したうえで、第一部では政治社会背景と事例の実態調査を、第二部では実証研究を行った。第一部ではまず対象国であるタイにおいて、近年高まりを見せているガバナンス政策とコミュニティ主義の変遷をとりまとめ政治社会背景を整理したうえで(第2章)、首都バンコクにおける都市コミュニティ開発事業の変遷について事業主体とコミュニティの組織化に着目して整理を行った(第3章)。これらの背景をもとに、事例であるコミュニティ組織協議会法の設立背景および展開を探り(第4章)、1,536の全参加グループを対象とした統計データをもとに実態調査を行い事例の実態を明らかにした(第5章)。以上の実態調査をもとに、第二部では第1章で構築した分析枠組を用いて、ケーススタディによる分析(第6章)と、アンケート調査による評価分析(第7章)を行った。以上の実態調査および実証研究をもとに、第8章の結論において、コミュニティ・ガバナンスにおける考察および制度化における考察を、以下のように行った。

(1)コミュニティ・ガバナンスとしての可能性

バンコクの1960年代以降の急速な経済成長および都市化によって悪化したスラム問題は、都市のコミュニティ政策の一環として、自治体であるBMA、国家住宅公社( NHA)やコミュニティ組織開発機構(CODI)などの公共機関、様々なNGOによって支援され、特に1997年のアジア経済危機以降は直接的にコミュニティへの投資が進んだ。また、それぞれの事業の受け皿としての組織化も多様に進み、さらにコミュニティの境界を越えたネットワーク活動が支援され、コミュニティ内部の構造は非常に複雑化した。こうしたドナーとの直接的関係の構築、ネットワークの複雑化は、これまでの強権的かつ官僚的な政治社会構造を改革するものとして、特にCODIによって強く後押しされてきたのである。また、バンコクの郊外化によるコミュニティの分散、郊外部における開発公害の悪化、そして2006年以降の政治混乱による政治的危機意識は、問題に直面するスラム住民のみならず、新たに中間層が居住するコミュニティも、地域コミュニティとして団結し問題を解決していかざるを経ない状況を構築していったといえる。

以上の動きを分析の枠組みに当てはめたものが図1である。(1)複雑化したバンコクの「コミュニティの組織化」の背景のもと、(2)それぞれコミュニティで育成された「ヒューマン・キャピタル」も枝分かれするように多様性を見せ、それは伝統的なボランティア活動に基づく保守的なものから、近年の政治活動意識の高まりから行政改革を目指す攻撃的なものも含んでいた。コミュニティ組織協議会法はこうした複雑性や多様性を幅広く受け入れる枠組みであり、それぞれの主体のネットワーク化を試みるものであったが、(3)草案過程および支援団体においてコミュニティ開発事業に携わってきた人物が中心となり、その制度はコミュニティ側だけではなく、行政側にも新たな枠組みをもたらすものであり、また制度に対する認識もそれぞれ異なる結果となった。その結果、(4)コミュニティ組織協議会法は社会的中立を前提としているものの、行政に対する圧力団体として行政側からは懸念される傾向にあり、またコミュニティ組織協議会の設立直後に掲げた目的も行政改革を中心に据えたものであり新たな関係性の創出は非常に漸進的なものであった。一方で、(5)地主との権問題や工場からの公害問題に具体的に取り組んだケースにおいては、NGOや関係機関、企業等との関係が比較的スムーズに築けており、問題の具体性が大きな課題となっていることが明らかとなった。

以上の分析結果から、今後のコミュニティ組織協議会の展開として、本来の目的である行政との協働を可能にするために(1)行政とのパイプを既に持っている住民委員会の存在に着目し、区レベルでの交渉を積極的に行っていく役割を強化すること、(2)コミュニティ組織協議会における共通かつ具体的な目的を明確化すること、(3)それらの目的および実績について、社会に公開していくことが重要になると思われる。2011年12月に開始したウェブサイトの利用および技術指導の推進、役員選出における公正性の確保、コストおよび人件費をカバーするための収入源の確保(自らの事業によって)が、それらを達成する重要な可能性を示している。

以上の考察から、都市における所得格差が大きく、行政能力が未熟である途上国において、地域コミュニティの質的かつ効果的な開発計画や事業等へ参画を促進し、パートナーシップによって効率的な都市開発および運営を目指すためには、ガバナンス論において強調されがちであった組織間同士のネットワーク性に着目するだけではなく、地域コミュニティ内部の充実も同時に促進することが重要な点であることを提案した。

(2)制度としての意義と課題

コミュニティ組織協議会法は、民主化運動とコミュニティの権利の高まりという流れの中で生まれ、スラムにとって「活動体のフォーマル化」と、中間層にとって「政治参加の枠組み」が大きなインセンティブとなり、それぞれの市民層を抱えていたバンコクにおいて活動の早期展開を可能としたといえる。また実証調査から、それぞれ支持政党を持つ住民リーダーや活動家も、コミュニティ組織協議会に参加することでその対立意識を緩和させ、対立するかたちではない新たな道を模索し始めている。図2に示すように、区のレベルにおける開発計画やコミュニティ・レベルの計画において、活動体を主体とした組織が制度化によって法的位置づけを持つことによって、都市に潜在する中間層と貧困層の意識的格差を緩和する役割をも持ち得るということが明らかとなった。また、これまで国レベルから区レベルにおける政治家や職員らによって、異なる支持政党グループである住民に対して直接的に関与していた関係を、コミュニティ組織協議会のような中立的な組織とBMAや区といった自治体が連携することによって、社会的弱者であるコミュニティ住民への不当な圧力行為や住民間の対立を防止することにもつながることが想定される。

今後、コミュニティ・ガバナンスを制度として持続的に定着させるためには、コミュニティ組織協議会が自治体との協働および分権を進め、コミュニティにおいて特に重要視されている洪水対策や麻薬対策、高齢者対策に関する取り組みを実質的に進めて行くことが重要であるといえる。

以上の見解から、最小限の制度化による、多様な参加を可能にする枠組みは、新たな地域計画における住民参加の促進の視点として、他国の都市においても参照できるものであるといえる。例えば、住民の流動化が進み、町内会や自治会の参加率が低下する日本の都市においても、既存の組織に加入しなくても自らの関心にもとづくテーマ性を持った活動グループが主体的に地域の協議会へ参加することで、自ら地域性を養いネットワークを拡大していくということは、新たな住民参加の多様性を養い、さらにヒューマン・キャピタルの構築をもすすめていくことが可能であると思われる。これらの異なる国や都市における制度の比較は今後の研究課題とする。

図1:バンコクにおけるコミュニティ・ガバナンスの実態

図8-2:バンコクの社会構造におけるコミュニティ組織協議会の位置づけ

審査要旨 要旨を表示する

本研究が対象とするタイでは、1990年代の民主化運動およびコミュニティ主義の高まり、そして2000年代の政治混乱を経て成立した2007年憲法に基づき「2008年コミュニティ組織協議会法」を成立させ、自治体、県および国レベルでの行政との意見交換、政策提言、協働を可能とする新たな行政とコミュニティとの関係性を構築する枠組みを制度化した。本研究は、この先進的な取り組みを評価することを通して、住民主体による自治、つまりコミュニティ・ガバナンスをどのように形成することが出来るのかを解明することを目的としている。論文の構成は、序章で研究全体の枠組みを示し、第1章で理論整理をもとに分析の枠組みを構築したうえで、第一部では政治社会背景と事例の実態調査を、第二部では実証研究を行った。第一部ではまず対象国であるタイにおいて、近年高まりを見せているガバナンス政策とコミュニティ主義の変遷をとりまとめ政治社会背景を整理したうえで(第2章)、首都バンコクにおける都市コミュニティ開発事業の変遷について事業主体とコミュニティの組織化に着目して整理を行った(第3章)。これらの背景をもとに、事例であるコミュニティ組織協議会法の設立背景および展開を探り(第4章)、統計データをもとに実態調査を行い事例の実態を明らかにした(第5章)。ここでの分析対象は、2011年2月時点でコミュニティ組織協議会に登録している1,536のグループを対象に、組織形態、立地、目的に関する電話インタビューによって得られた情報をもとにしており、それらを地理情報システム(GIS)に入力し、分布状況を地図上に表し、参加傾向を明らかにした。

以上の実態調査をもとに、第二部では第1章で構築した分析枠組を用いて、ケーススタディによる分析(第6章)と、アンケート調査による評価分析(第7章)を行った。以上の実態調査および実証研究をもとに、第8章で結論を示している。

本研究が新たに示した知見は以下のように整理される。

(1)コミュニティ・ガバナンスとしての可能性

複雑化したバンコクの「コミュニティの組織化」の背景のもと、それぞれコミュニティで育成された「ヒューマン・キャピタル」も枝分かれするように多様性を見せ、それは伝統的なボランティア活動に基づく保守的なものから、近年の政治活動意識の高まりから行政改革を目指す攻撃的なものも含んでいた。コミュニティ組織協議会法はこうした複雑性や多様性を幅広く受け入れる枠組みであり、それぞれの主体のネットワーク化を試みるものであった。

(2)コミュニティ組織協議会の展開

本来の目的である行政との協働を可能にするために、行政とのパイプを既に持っている住民委員会の存在に着目し、区レベルでの交渉を積極的に行っていく役割を強化すること、コミュニティ組織協議会における共通かつ具体的な目的を明確化すること、それらの目的および実績について、社会に公開していくことが重要となる。

(3)地域コミュニティのエンパワメント

都市における所得格差が大きく、行政能力が未熟である途上国において、地域コミュニティの質的かつ効果的な開発計画や事業等へ参画を促進し、パートナーシップによって効率的な都市開発および運営を目指すためには、ガバナンス論において強調されがちであった組織間同士のネットワーク性に着目するだけではなく、地域コミュニティのエンパワメントを同時に促進することが重要となる。

(4)制度としての意義と課題

コミュニティ組織協議会法は、民主化運動とコミュニティの権利の高まりという流れの中で生まれ、スラムにとって「活動体のフォーマル化」と、中間層にとって「政治参加の枠組み」が大きなインセンティブとなり、それぞれの市民層を抱えていたバンコクにおいて活動の早期展開を可能とした。今後、コミュニティ・ガバナンスを制度として持続的に定着させるためには、コミュニティ組織協議会が自治体との協働および分権を進め、コミュニティにおいて特に重要視されている洪水対策や麻薬対策、高齢者対策に関する取り組みを実質的に進めて行くことが重要である。

上述したように、本研究は、著しい経済成長の反面、社会的格差が顕在化し、大きな社会問題となっているタイにおいて、コミュニティ組織協議会という先進的な取り組みの評価を通じて、コミュニティ・レベルでのガバナンスとエンパワメントの関係性とその強化のための制度的支援の枠組みについて実証的に解明した先駆的な論文であり、高い学術的な価値を有すると同時に、今後のコミュニティ行政のあり方に対するきわめて有益な提言となっている。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク