学位論文要旨



No 128649
著者(漢字) 金,旼宣
著者(英字)
著者(カナ) キム,ミンソン
標題(和) 都市圏フリンジ地域における空間構造と地域社会の変容に関する研究 : インド・ムンバイ都市圏の都市-農村関係の形成過程に着目して
標題(洋)
報告番号 128649
報告番号 甲28649
学位授与日 2012.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7823号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 教授 横張,真
 東京大学 教授 安藤,尚一
 東京大学 准教授 城所,哲夫
 東京大学 准教授 瀬田,史彦
内容要旨 要旨を表示する

インドでは、東アジアや東南アジア諸国に対して遅れをとりながらも、経済自由化を進めた90年代前半以降は急速な経済成長を続けている。さらに、近年外資系企業の国内経済に占める比率が増大するにつれて、インフラの整った特定大都市圏への資本投資と施設立地が集中し、中でも最大の企業集積地であるムンバイ都市圏はとりわけ急速な変貌をとげてきた。

とくにムンバイ都心部の過密問題が深刻化したため、マハラシュトラ州政府は都市圏広域計画(Regional Plan)や産業立地政策の施行により、都市フリンジへの環境有害、危険施設を含む産業と人口の計画的分散を図ってきた。しかし、上記の計画により新規開発地と設定された地域には多数の農村が残されており、農地収用と都市的土地利用への転換を巡り、農民と政府との間ではコンフリクトが多発している。したがって、これらの地域における適切な土地利用管理および、農村的性格をもつ社会と都市的性格をもつ社会の共存によって緊密な連携とバランスが保たれていた空間を創出、または再生することが課題となっている。

このような背景のもと、本研究では、農村的土地利用と都市的土地利用の混在が進行しているムンバイ都市圏のフリンジ地域を対象地として、都市-農村地域が共存・連携するフリンジを構築することで持続可能な循環型都市圏への発展の可能性を模索する。具体的には、1.都市フリンジの農村地域における近年の都市化に伴う土地利用変化の実態から、空間の混在化を解明し、2.都市・農村混在地域内の集落を対象に、都市化に伴う地域社会・経済システムの変容実態を、経済手段の多様化という視点から考察する。3.これら経済手段の強化および多様化の実態を、都市-農村間のリンケージに置き換え、機能的連携の機会及び制約要素を抽出することで、フリンジ内の好循環モデルの構築に向けた政策・制度への示唆を得る。

空間分析にあたり、国勢調査のi)人口増加率、ii)人口密度、iii)第2・3次従業者数、iv)農業従事者数の経年データを都市化指標として用いて、ムンバイ都市圏サブ・ブロック単位での都市部、フリンジ部、農村部への分類を行った。つぎに、都市部、フリンジ、農村部都市圏全域の中長期的な土地利用の量的変化を把握するため、衛星画像を用いた土地被覆分類と現地調査を基にし、3時期(1992年、2002年、2010年)の土地利用図をGISデータとして作製した。都市化傾向の広域的分析の結果、ムンバイ都心から北、東、東南方向に向かって伸びる交通ネットワーク軸に沿って市街地と農村集落が広がっていることが分かった。つぎに、サブ・ブロック別の農地的土地利用から都市的土地利用への変化率を算出した結果、都市・農村的土地利用の混在化が最も顕著な地域としてパンベル郡(Panvel block)が抽出できた。

パンベル郡の農村集落における土地利用の変遷を詳細に分析したところ、パンベル中心地区から5km圏内において都市的土地利用への転換率が高く、15km圏を堺として農村的土地利用の継続傾向へ転じることが分かった。また主要道路からの距離と農地転用面積の関係性についても分析を行い、1990年代は道路から500m地点を頂点として転用が起きていたのに対し、2000年代には1km圏まで拡大していることが確認できた。都市化の面的な広がりと大規模施設の立地が増加していることが理由として考えられる。

一方で、土地利用の変化パターンとしては、市街地と裸地の変化傾向の一致が見られたことから、農地から裸地(開発保留地)を介し都市的土地利用への変化が多いと考えられる。

後半においては、パンベル郡の3農村集落を対象に、都市化による土地・住宅所有関係の変化、就業構造と農業活動などの地域社会・経済の変容について実証研究を行った。対象集落は、パンベル中心市街地からは5km~15km圏内に分布しており、丘陵地帯であり乾季には慢性的に水不足に陥るため、野菜類はあまり栽培されず、主に米、キビの一毛作が行われてきた。調査手法としては、世帯全数アンケート調査と住民グループインタビュー、キーパーソンインタビューに加え、集落の農地と建物分布を中心に土地利用図を作製した。

都市化に伴う土地・住宅所有の変化については、農業小作法による土地改革の影響が残っており、小規模農家が主流であった。なお、条件付きの所有権付与であったため、農地の転売は簡単ではなく、ほとんどの集落が相続により土地を所有していた。調査結果によると、世帯所有農地の平均面積は1.3エーカーで、全国平均である3.7エーカーの1/3程度に過ぎなく、さらに農地所有世帯の66%は1.0エーカー以下の土地を耕していた。一方、土地所有上限法によって土地なし世代に分配された農地は、主に外部へ転売、多用途へ転用される対象となっていた。これらの農地は、近年の都市部からの開発圧力の波及と石油化学関連の製造業中心の工業団地造成に伴い、観光・レジャー及び物流関連用途への利用転換が目立っている。農地転用規制の緩和と運用の不透明性による農地の投機的な取引や土地価格の高騰は、まだ都市部の上昇幅には追いついていないことや、農村部の住環境は比較的良好であることは、世帯の集落残留の重要な要因として作用していた。しかし今後、地価がさらに高騰すると、これまで以上の勢いで移住者が発生する可能性を内包していた。

土地価格の上昇は、土地に対する伝統的な農村的価値観の変化を招き、離農世帯にとっては現金収入の手段になってきた。現在は、全農家の15%だけが余剰農産物の販売で収益を得ており、専業農家の担い手の平均年齢は60歳を超えているなど、集落の農村としての特性は急速に薄れつつある。農家に対するアンケート調査から、農業継続と都市型農業の拡大に対する制約要因としては、灌漑施設の未整備と農地不足が指摘された。それによって作物の多様化と販売目的の農業の拡大の機会が制限されていた。他方、非農業経済への影響については、工場労働市場と建設労働市場拡大及び、観光・レジャー産業中心のサービス業へのアクセス機会の増加により、非農業雇用の増加が確認され、都市化による農村経済多様化の効果が認められた。しかし、依然としてサービス業部門においては知識労働に基盤する分野の雇用者は限定的であり、単純労働型の低賃金分野での雇用が占めていた。非正規・臨時雇用も多く、農村集落における非農業部門雇用の不安定さが指摘できる。

以上の結果を総合し、伝統的農村社会が都市化や工業化の影響の下で、上位経済構造へ組み込まれることで混在化した集落空間構造へ変化し、都市型地域経済の末端レベルへの統合によって、集落内の固定化していた上位・周辺空間へのリンケージがいかに多様に、双方向的に変容したかを解明するため、3集落別に都市部との機能連携のリンケージ図を作成し、集落内外の条件との関連でその相違点を分析した。

以上の分析から、都市圏スケールでの地域開発や政策決定を通じて、多くの集落領域が上位の空間構造に直・間接的に統合されたことが、農村社会から都市社会への移行が進んだ原因であると考えられる。農村集落の混在化空間上でのリンケージの変容分析から明らかになった点を以下にまとめる。

(1)集落空間の混在化解明

i)都市化による農民の価値観の変化によって、農地に対する認識が生産手段から消費財へと換わってきた。

ii)都市部からの機能分散による農村空間の混在化は、農村社会的文脈上のものではない異質な機能、空間を集落内外に出現させた。

(2)農村経済手段の多様化への機会と制約

i)都市化による雑業労働、建設業を中心とした非農業雇用機会の増加が認められ、家族構成員の職業が分化し始めた。

ii)郊外都市・移転産業の雇用においては、熟練した技術と高学歴の専門性が要求されるため、周辺農村部の労働力との間で雇用のミスマッチが生じていた。

iii)農業継続による生計手段の安定的確保が、経済多様化への必要不可欠要素と考える。

(3)都市-農村の相互補完的機能連携の可能性

i)地域社会内部の経済連携は地域社会と外部との間の経済連携に匹敵するほどの重要性を持っていることが確認された。

ii)農業・農村基盤の産業ほどリンケージが形成されやすく、農村としての特徴が薄くなった集落ほど、都市部の末端構造へ吸収されやすくなる。

iii)パンベル中心地区への接近容易性が確保され、多部門・機能において農村集落間の強い結びつきがみられた。

最後に、地域開発政策と土地利用規制への提言と示唆を行った。

まず、都市化、飛び地型工業団地の開発による周辺農村部の社会経済的統合、格差是正の達成は限定的であることが再確認された。反対に、農村集落における非農業経済が成熟する前の性急な農業離れは、生活基盤の弱化につながり、インフォーマル経済が発達していない農村経済におけるマージナル労働者の大量発生は、更なる経済の不安定化、脆弱化を引き起こしやすい。農村地域の都市圏制度への組み込みによって都市圏計画行政の権限が強化され、同時に伝統的パンチャヤット行政の役割が弱化されたことは、農村社会の資源に対する価値とライフスタイル面での特性の軽視を招き、近郊農村の都市域化の進行により農業の崩壊が進んだ。実際、都市圏行政によって圏内の農村社会は一律的に扱われ、地域の社会経済的条件と特性を考慮した経済手段が開発は実施されてこなかった。一方、中間都市の形成・発展が進行しており、今後は中間都市を核としてその周辺農村地域を管理する中範囲の視点からの地域成長戦略が重要となってくると予想される。その実現のためには、今までより強力かつ至急な分権型地域計画・管理体制の整備と権限委譲による地域ガバナンスの構築・強化が要求される。なお、農地の利用と取引に対する将来を見据えた計画の作成と詳細な規制、手続きの整備にあたっては、農村行政である県が担当し、力量と権限を高めて農地・農業に対する維持・保護を行っていくべきと考える。

本研究の特徴と意義としては、ムンバイ都市圏のフリンジにおいて都市域と農村的集落が土地利用を巡ってどう対峙しており、社会経済的面でどうつながりを形成しているかを様々な角度から分析し、地域内の有形・無形資源の好循環のボトルネックを見つけ、それを解消するための方法を提示したことである。今後は、ローカルレベルのガバナンスにも焦点を当て、別の観点から地域発展の好循環構築の可能性検討を試みたい。

審査要旨 要旨を表示する

インドでは、経済自由化を進めた90年代前半以降は急速な経済成長を続けている。さらに、近年外資系企業の国内経済に占める比率が増大するにつれて、大都市周辺部において農地収用と都市的土地利用への転換を巡り、農民と政府との間ではコンフリクトが多発している。したがって、これらの地域における適切な土地利用管理および、農村的性格をもつ社会と都市的性格をもつ社会の共存によって緊密な連携とバランスが保たれていた空間を創出、または再生することが課題となっている。

このような背景のもと、本研究では、農村的土地利用と都市的土地利用の混在が進行しているムンバイ都市圏のフリンジ地域を対象地として、都市-農村地域が共存・連携するフリンジを構築することで持続可能な循環型都市圏への発展の可能性を検討している。具体的には、(1)都市フリンジの農村地域における近年の都市化に伴う土地利用変化の実態の解明、(2)都市・農村混在地域内の集落を対象に、都市化に伴う地域社会・経済システムの変容実態の考察、(3)都市-農村間のリンケージの観点から、機能的連携の機会及び制約要素を抽出することで、大都市フリンジ内の好循環モデルの構築に向けた政策・制度への示唆を得ること、を目的としている。

研究の方法は、衛星画像を用いた土地被覆分類と現地調査を基にし、3時期(1992年、2002年、2010年)の土地利用図を独自のGISデータとして作製し、都市化傾向分析を行った。さらに、都市・農村的土地利用の混在化が最も顕著な地域としてパンベル郡を抽出し、農村集落における土地利用の変遷を詳細に分析した。さらに、パンベル地区の3農村集落を対象に、都市化による土地・住宅所有関係の変化、就業構造と農業活動などの地域社会・経済の変容について詳細な全戸アンケート調査を実施し、実証研究を行っている。

この結果、伝統的農村社会が都市化や工業化の影響の下で、上位経済構造へ組み込まれることで混在化した集落空間構造へ変化し、都市型地域経済の末端レベルへの統合によって、集落内の固定化していた上位・周辺空間へのリンケージが多様かつ双方向的に変容したことを、実証的に解明することに成功している。

以上の分析に基づき、研究の成果として、都市圏スケールでの地域開発や政策決定を通じて、多くの集落領域が上位の空間構造に直・間接的に統合されたこと、農村社会から都市社会への移行が進んでいること、混在化した農村集落空間上でのリンケージの変容がすすんでいることを示しているが、具体的には以下の3点を指摘している。

1)都市化は農民の理念思想の変化をもたらし、その結果農地に対する価値観が生産手段から消費財へ変わったことが、伝統的リンケージが脆弱化した最大の要因である。

2)都市部の住民と農村部の住民が多様で密接なつながりを持つことによって、農業に関わる生産活動と非農業に関わる生産活動が高度に混合する現象を引き起こした。農村側からのアプローチだけでなく、都市側からの積極的アプローチかつ多様なセクター間のリンケージが拡大することで、水平的空間構造が形成される必要がある。

3)農業継続による生計手段の安定的確保が、非農業経済への移行、拡大促進の必要不可欠要素と考える。反対に、非農業活動からの様々な収入源によって世帯の生活基盤が支えられ、家族構成員の職業が分化し始めた。つまり、地域社会内部の経済連携は地域社会と外部との間の経済連携に匹敵するほどの重要性を持っていることが確認された。

4)農村集落における非農業経済が成熟する前の性急な農業離れは、生活基盤の弱化につながり、インフォーマル経済が発達していない農村経済におけるマージナル労働者の大量発生は、更なる経済の不安定化、脆弱化を引き起こしやすい。

以上の知見に基づき、全体とまとめとして、分権型地域計画・管理体制の整備と権限委譲による地域ガバナンスの構築・強化、とくに、農地の利用と取引に対する将来を見据えた計画の作成と詳細な規制、手続きの整備の必要性を提言している。

本研究は、都市と農村の混在する、アジアの巨大都市特有の現象ともいえるフリンジ地区において、都市的機能と農村的機能の融合した新たな地域形成の可能性と課題を提示した他に類例のない先駆的研究であり、学術的に優れた価値を有していると同時に、きわめて有益な提言となっている。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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