学位論文要旨



No 128665
著者(漢字) 岡,正徳
著者(英字)
著者(カナ) オカ,マサノリ
標題(和) 鋳鉄の損傷力学モデリングとクリープ疲労寿命解析への応用
標題(洋)
報告番号 128665
報告番号 甲28665
学位授与日 2012.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7839号
研究科 工学系研究科
専攻 システム創成学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 都井,裕
 東京大学 教授 粟飯原,周二
 東京大学 教授 吉川,暢宏
 東京大学 教授 鈴木,克幸
 東京大学 准教授 岡部,洋二
内容要旨 要旨を表示する

ディーゼル機関は実用的な内燃機関の中で最も熱効率がよく、大型化が容易である。また地球温暖化の要因の一つであるCO2ガスの排出量が少ないなどの優れた特徴があり、各産業界で幅広く活用されている。このディーゼル機関では、環境へのより高い適応の観点から軽量・高出力化が進められており、部品設計に必要な技術は高度化を続けている。特にシリンダヘッドは、高温度の燃焼ガスによって高い熱負荷が作用するが、一方で構造が複雑であるため、部品としての信頼性を確保することが難しくなっている。

ディーゼル機関のシリンダヘッドは、一般的にねずみ鋳鉄で製造される。ねずみ鋳鉄は材料内部に晶出している片状黒鉛の影響で、引張側と圧縮側で力学特性が異なる。また、応力とひずみが明瞭な直線関係を示さないなど機械的性質の扱いが難しい。そのため一般的な材料であるにもかかわらず、現在でも疲労強度あるいは疲労き裂の発生・成長に関する研究が続けられている。

弾塑性変形や疲労破壊、破断などを含む金属材料の力学特性を、材料内部の微視的損傷や巨視的き裂への成長と関連付けて扱う理論体系に連続体損傷力学(以下、損傷力学と略称)がある。損傷力学は連続体力学に基づく理論であるため、有限要素法などと比較的容易に連成できる。しかし構成方程式や実験的な検証が複雑であるため、現状では広く活用されているとは言い難い。

ねずみ鋳鉄へ損傷力学が適用された研究例はいくつかあるが、疲労現象に対しては著者らが行った研究があるのみであり、これも詳細なモデル化には発展の余地があった。またシリンダヘッドの寿命評価ではクリープを考慮する必要があるが、ねずみ鋳鉄を対象とした研究は行われていない。

このような状況から本論文では、ねずみ鋳鉄へ損傷力学を適用し、クリープ挙動を含む構成方程式モデルの構築と検証を実施する。このモデルをディーゼル機関用シリンダヘッドの疲労寿命評価へ適用し、本手法の有効性について検討する。また多くのケースで損傷力学が研究者にしか活用されていないため、広く開発設計の現場で活用されるようになるための提案を行う。本論文は上述の序論(1章)から結論(7章)に至る全7章より成る。

2章では、鋳鉄の特徴と損傷力学に基づく評価モデルについて述べている。

ねずみ鋳鉄は材料内部に晶出している片状黒鉛の影響で、引張側と圧縮側で力学特性が異なる。また他の鉄鋼材料と異なり、降伏点以下の応力でも損傷が大きく発展する。本研究ではこれらの特徴を考慮しつつ、簡潔性を旨とした以下の定式化を図った。

弾性構成方程式では、ひずみ等価性仮説を適用し、引張応力下と圧縮応力下で損傷が有効応力に及ぼす影響が異なることをクラック閉鎖パラメータで考慮した。

粘塑性構成方程式では、移動硬化と比較すると影響が極めて小さい等方硬化を無視した。降伏関数にはDrucker-Pragerの降伏条件を用いて引張応力下と圧縮応力下の力学的非対称性を考慮した。これらをChaboche-Rousselierによる粘塑性構成方程式に適用するとともに損傷の影響を考慮して拡張した。

クリープ構成方程式は、PerrinとHayhurstらがフェライト鋼に適用した式を引張応力下と圧縮応力下での力学的非対称性を考慮して拡張し、相当応力としてDrucker-Pragerの相当応力を仮定した。

弾粘塑性損傷に関しては、ねずみ鋳鉄の損傷が降伏点以下の応力でも大きく発展するため、ねずみ鋳鉄を弾性損傷体と仮定し影響の小さな粘塑性損傷を無視した。クリープ損傷は、PerrinとHayhurstがフェライト鋼に適用した式を仮定した。

本研究の対象であるシリンダヘッドの熱疲労現象では、クリープ損傷は発生するもののその影響は小さい。そのためクリープ損傷は考慮するものの、弾性損傷との相互作用は無視した。損傷変数は弾性損傷とクリープ損傷の重ね合わせで表現した。

3章では、ねずみ鋳鉄の力学特性評価試験について述べている。

ねずみ鋳鉄の力学特性を評価するため、静的引張・圧縮試験、ひずみ制御の疲労試験、ノッチ付丸棒の疲労試験、クリープ試験、応力緩和試験、およびクリープ疲労試験を実施した。試験温度はシリンダヘッドの最高温度を考慮し、室温から400℃までの範囲とした。これらの結果の一部を用いて、負荷と損傷の関係を表す損傷進展曲線や、破断に至る限界の損傷値であるクラック発生限界損傷値を同定した。また、破断に至る過程や温度が異なっても、ねずみ鋳鉄のき裂発生は同一のクラック発生限界損傷値で評価可能であることを明らかにした。

4章では、ねずみ鋳鉄の疲労寿命の評価について述べている。

本研究では、材料内部の片状黒鉛先端近傍での局所的な損傷発展を簡易的に考慮するSimplified Two-Scale Modelと、メゾスケールのみの力学挙動から損傷発展を導出するMesoscale Modelの2つの損傷力学モデルを同定した。同定には、3章の静的引張・圧縮試験結果と、ひずみ制御による両振り疲労試験結果を用いた。同定の結果、応力-ひずみ曲線や疲労試験における破断繰り返し数だけでなく、材料に蓄積された損傷の大きさも含め良好に対応した。次に同定した2つのモデルを、三次元的な応力-ひずみ場を形成するノッチ付試験片の疲労寿命予測へ適用した。計算手法は、損傷力学に基づく構造物の寿命評価法として最も簡易的な非連成解析法と、最も精度が高い完全連成解析法を用いた。寿命予測の結果は、Mesoscale Modelを完全連成解析法へ適用した結果が最も優れていたが、弾性疲労現象であれば計算効率が高い非連成解析法でも十分な精度が得られることがわかった。Simplified Two-Scale Modelは、単軸に近い現象には適用可能であるが、応力の近似が粗いため多軸効果が劣っており、モデルの改良が必要であることがわかった。この結果から、本研究ではMesoscale Modelを用いて弾粘塑性クリープ損傷現象のモデル化、および寿命予測に取り組むことにした。

5章では、ねずみ鋳鉄のクリープ疲労寿命の評価について述べている。

4章で同定した弾粘塑性損傷力学モデルを、クリープ損傷変形を考慮した弾粘塑性クリープ損傷力学モデルへ拡張した。次にこのモデルを、3章で実施した400℃における静的引張・圧縮試験、クリープ試験、応力緩和試験、およびひずみ制御による圧縮片振り疲労試験結果に基づいて同定した。同定の結果は、いずれの試験結果とも良好に対応した。次に同定したモデルを実際のシリンダヘッドに作用する熱負荷サイクルを模擬したクリープ疲労現象へ適用した。この結果、破断までの繰り返し数だけでなく、クリープを含む弾粘塑性挙動の履歴も良好に予測できることを確認した。

6章では、実機シリンダヘッドのクリープ疲労寿命の評価について述べている。

実機のシリンダヘッドは、機関運転中に温度分布が存在する。一方、5章で同定した弾粘塑性クリープ損傷力学モデルは400℃一定温度下を対象としており、温度依存性を考慮して拡張する必要があった。拡張にあたっては、モデルが複雑になり過ぎない観点から、特に温度依存性が大きいクリープ構成方程式の材料定数の1つだけを温度の関数として与えた。このモデル化によって、クリープ挙動の温度依存性を良好に再現した。

次に拡張したモデルをディーゼル機関用シリンダヘッドの熱負荷による疲労現象へ適用した。一般的に高精度な寿命評価を行う場合、構造解析が単独で使用されることは少なく、多くの場合は他の解析ツールとの連成が必要となる。このような背景を考慮し、上記の損傷力学モデルをDassault Systemes社のAbaqusにインプリメントした。Abaqusは非線形構造解析の分野では最もユーザーが多いソフトのひとつであり、User Subroutineを用いることで材料特性をユーザーが任意に定義できる機能を有している。シリンダヘッドの寿命評価は全体を解くと計算時間が膨大となるため、効率化の観点からズーミング法を用いて燃焼面近傍の形状に対して実施した。

寿命評価の対象としたのは、実機ディーゼル機関に定格以上の負荷を作用させることでシリンダヘッドにき裂を発生させた試験である。この試験では、3,000回の発停サイクルの間に吸気弁間に2種類のき裂が発生した。

損傷力学に基づく寿命評価の結果、実機で発生した2種類のき裂と同一箇所にき裂発生を予測できた。また、これらのき裂は実機と同一方向に進展し、本手法の有効性が確認された。一方で、き裂の進展速度は実機よりも遅く、また実機では発生していないバルブシートの嵌合部にもき裂進展を予測した。これらは、(1)き裂進展速度のメッシュサイズ依存性、(2)バルブシート嵌合力の過剰評価、(3)等方損傷理論の仮定、に問題があると考えられる。今後、本手法の適用例を増やしながら改善を図っていきたい。

7章は結論である。本研究では、ねずみ鋳鉄を対象として損傷力学に基づく構成方程式モデルの同定と実験的な検証を実施した。また同定したモデルをディーゼル機関用シリンダヘッドの寿命評価へ適用した結果、き裂進展評価の一部に課題を残すものの実機と同様の場所にき裂の発生・進展を予測でき、損用力学に基づく寿命評価手法の有用性を確認することができた。この過程で、現在多くのケースで研究者にしか活用されていない損傷力学が広く開発設計の現場で活用されるための具体的な手法を提案した。今後、一層需要が高まるであろう信頼性評価に関し、今回提案した手法が有効に利用されることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

ディーゼル機関は、実用的な内燃機関の中で最も熱効率がよく、大型化が容易であるなどの優れた特徴があるため、産業界で幅広く活用されている。近年では、環境へのより高い適応の観点からさらなる軽量化・高出力化が進められており、75kW/Litterを超える超高出力機関も登場している。そのため部品設計に求められる技術は高度化を続けており、特に高温度の燃焼ガスによって高い熱負荷が作用するシリンダヘッドでは、信頼性を確保することが困難になっている。ディーゼル機関のシリンダヘッドは、一般にはねずみ鋳鉄で製造される。しかし、ねずみ鋳鉄の力学挙動は複雑であるため、一般的な材料であるにもかかわらず、現在でも疲労強度や疲労き裂の発生・成長に関する研究が続けられている。

このような材料に発生する損傷や破壊を扱う力学体系として、連続体損傷力学(以下では損傷力学と呼称)が知られている。損傷力学は、弾性変形、塑性変形、疲労破壊および破断を含む力学挙動を連続体力学の枠組の中で統一的にモデル化できるほとんど唯一の力学体系であり、期待度は高い。しかし、損傷力学がねずみ鋳鉄に適用された研究例は少なく、特に疲労現象やクリープ現象への適用に関しては限定的である。

このような状況から本論文では、ねずみ鋳鉄に損傷力学を適用し、クリープ挙動を含む構成方程式モデルの構築と検証を実施している。このモデルをディーゼル機関用シリンダヘッドのクリープ疲労寿命評価に適用し、本手法の有効性について検討する。また多くのケースで損傷力学が研究者レベルでしか利用されていないため、広く開発設計の現場で活用されるための提案を行う。本論文は上述の序論(1章)から結論(7章)に至る全7章より成る。

2章では、鋳鉄の特徴と損傷力学に基づく評価モデルについて述べている。ねずみ鋳鉄は、材料内部に晶出している片状黒鉛の影響で、引張側と圧縮側とで力学特性が異なる。また他の鉄鋼材料と異なり、降伏点以下の応力でも損傷が大きく発展する。本論文ではこれらの特徴を考慮しつつ、簡潔性を旨とした弾粘塑性クリープ損傷挙動の構成方程式モデルの定式化を行っている。

3章では、ねずみ鋳鉄の力学特性評価試験について述べている。ねずみ鋳鉄の力学特性を評価するため、静的引張・圧縮試験、ひずみ制御の疲労試験、ノッチ付丸棒の疲労試験、クリープ試験、応力緩和試験およびクリープ疲労試験を実施している。

4章では、ねずみ鋳鉄の疲労寿命の評価について述べている。本論文では、材料内部の片状黒鉛先端近傍での局所的な損傷発展を簡易的に考慮するSimplified Two-Scale Modelと、メゾスケールのみの力学挙動から損傷発展を導出するMesoscale Modelの2組の損傷力学モデルを同定した。同定には、3章の静的引張・圧縮試験結果と、ひずみ制御による両振り疲労試験結果を用いた。Simplified Two-Scale Modelは単軸に近い現象には適用可能であるが、応力の近似が粗いため多軸効果が劣っており、モデルの改良が必要であることがわかった。この結果から、本論文ではMesoscale Modelを用いて弾粘塑性クリープ損傷挙動のモデル化および寿命予測に取り組むことにした。

5章では、ねずみ鋳鉄のクリープ疲労寿命の評価について述べている。4章で同定した弾粘塑性損傷力学モデルを、クリープ損傷変形を考慮した弾粘塑性クリープ損傷力学モデルに拡張した。次にこのモデルを、3章で実施した400℃における静的引張・圧縮試験、クリープ試験、応力緩和試験およびひずみ制御による圧縮片振り疲労試験結果に基づいて同定した。同定の結果は、いずれの試験結果とも良好に対応した。次に同定したモデルを、実際のシリンダヘッドに作用する熱負荷サイクルを模擬したクリープ疲労挙動に適用した。この結果から、破断までの繰返し数だけでなく、クリープを含む弾粘塑性挙動の履歴も良好に予測できることを確認した。

6章では、実機シリンダヘッドのクリープ疲労寿命の評価について述べている。本研究では損傷力学が広く開発設計の現場で活用されることを期待して、上記の損傷力学モデルを汎用商用有限要素コードABAQUSに導入した。実機ディーゼル機関に定格以上の負荷を作用させることによりシリンダヘッドにき裂を発生させた試験を、寿命評価の対象とした。この試験では、3,000回の発進停止サイクルの間に吸気弁間に2種類のき裂が発生した。損傷力学に基づく寿命評価の結果、実機で発生した2種類のき裂と同一箇所にき裂発生を予測できた。また、これらのき裂は実機と同一方向に進展し、本手法の有効性が確認された。

7章は結論である。本論文ではねずみ鋳鉄を対象として、損傷力学に基づく構成方程式モデルの同定と実験的な検証を実施した。また同定したモデルをディーゼル機関用シリンダヘッドの寿命評価に適用した結果、き裂進展速度の評価に課題を残すものの、実機と同様の位置にき裂の発生・進展を予測でき、損用力学に基づく寿命評価手法の有用性を確認することができた。この過程で、多くの場合に研究者にしか利用されていない損傷力学が広く開発設計の現場で活用されるための具体的な方法を提示した。今後、一層需要が高まるであろう鋳鉄部品の信頼性評価に関し、提案した手法は高い工学的価値を有している。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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