学位論文要旨



No 128682
著者(漢字) 湯川,光彬
著者(英字)
著者(カナ) ユカワ,ミツヨシ
標題(和) 3次位相ゲートの実現に向けた光子数状態の重ね合わせ生成の研究
標題(洋)
報告番号 128682
報告番号 甲28682
学位授与日 2012.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7856号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古澤,明
 東京大学 教授 香取,秀俊
 東京大学 教授 小芦,雅斗
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 准教授 井上,慎
 慶應義塾大学 准教授 山本,直樹
内容要旨 要旨を表示する

量子情報処理とは量子力学的性質を利用することで従来の性能を圧倒的に超えることが理論的に示唆されている情報処理のことであり、その有用性の大きさから近年理論的にも実験的にも研究が盛んに行われている。実験が進んでいる例として、原理的に盗聴することができない量子暗号技術や、量子ネットワークや量子計算などが挙げられるが、これらは量子状態の重ね合わせ、量子エンタングルメントなどの非古典的な性質を利用することで初めて可能である。

量子情報処理を実現するためには様々な量子状態を操る技術が必要である。第一歩目の基礎的な研究として基本的な非古典的量子状態の生成実験が行われ、特徴的な非古典性を示すことが実験的にも確認されてきた。

そのような量子状態の例として1光子状態が挙げられる。この状態は光子数を測定すると常に1となるような量子状態である。実験的には非線形光学効果を利用した光パラメトリック変換により光子数相関のある量子もつれペアを生成し、片方を光子検出器で検出することによりもう片方で1光子状態を得ることができる。ここで2光子を検出したという情報があれば2光子状態を得ることができ、さらに任意の光子数状態へ拡張することもできる。より大きな光子数状態を生成することができるということは、それだけ高度な量子情報を扱えるということでもあり、その生成手法の発展の意義は大きい。

また、光子検出器の前で位相平面上での変位操作と呼ばれる状態操作を行うことで、任意の0光子状態からn光子状態までの重ねあわせが得られることも分かっている(nは用いる光子検出器の数)。それぞれの光子検出器の前で独立に変位量を決められるため、任意の重ねあわせを得ることができる。現在のところ、この手法を用いることで0から2光子数状態までの重ね合わせについて実験的生成の報告がある。

この光子数状態の重ね合わせであるが、筆者の所属する研究室で取り組んでいる連続量量子状態変数の量子情報処理の分野においても重要な役割を果たすことが知られている。

情報処理とは入力情報を適当に変換して出力を得る過程であり、ここでその変換とは任意のユニタリー変換を指す。つまり、任意の計算を実現するためには任意のユニタリー変換を実装することが必要であるということである。ここで任意のユニタリー変換は光の直交位相成分について任意の2次の量子状態操作と3次以上の量子状態操作が一つあれば、それらを組み合わせることで実現できることが知られている。前者に関しては既に実現されているが、後者は未だ研究段階である。その3次以上の量子状態操作を実現するためには3次以上の非線形光学効果が必要であるが、その小さい非線形光学定数や光学ロスなどの問題のために現状では実験的に実現することは困難である。

そこである特殊な量子状態を初めに準備し、その状態を補助状態として2次以下の量子状態操作で構成される量子ゲートに用いることで3次以上の量子状態操作を実現できることが理論的に提唱されている。

ここで2次以下の状態操作の技術は既に十分発達している一方、補助状態の状態準備が量子ゲートの実現において課題となる。3次位相ゲートの補助状態は3次位相状態と呼ばれる状態であるのだが、この状態は量子ゲートのゲインが小さいという極限で0から3光子状態までの重ね合わせで表現できる。0から2光子状態までの重ねあわせは既に実証されていると述べたが、そのような状態と2次以下の状態操作を組み合わせても3次以上の量子状態変換はできず、3光子状態まで存在することに大きな意義がある。

このような0から3光子状態までの重ね合わせは3つの光子検出器と変位操作を組み合わせて用いることで生成できる。本研究ではその手法を実際に実装することで様々な0から3光子状態までの重ね合わせの生成と検証を行った。生成した状態は4種類であり、3光子状態、シュレディンガーの猫状態、0光子状態と3光子状態の重ね合わせ、3次位相状態であった。

本研究の光学系を図1に示した。光学系は主に光子対生成、光子検出、状態測定の3つからなる。この研究のレーザー光源には連続波チタンサファイアレーザー(波長860nm、Coherent社、MBR-110)を使用した。

初めに光子対を生成する必要があるが、これは周波数が非縮退のパラメトリック変換によって生成した。周期分極反転リン酸酸化チタンカリウム(periodically-poled KTiOPO4, PPKTP)を非線形光学結晶として用い、十分な非線形効果を得るために光パラメトリック共振器(OPO)中に入れて使用した。ポンプ光は、ニオブ酸カリウムを非線形光学媒質として用いて第二高調波を発生させ、さらにOPOのフリースペクトラルレンジ(FSR)だけ周波数を音響光学変調器(AOM)でシフトさせることで得た。FSRは約600MHzであった(以下Δωと表す)。約20mW程度のこの光をポンプ光として用いた。この過程によって周波数ωの光子(シグナル光)とω+Δωの光子(アイドラー光)の対を発生させた。

次に光子対を空間的に分離する必要がある。そのためにFSRがOPOの倍である分離共振器(split cavity, SC)を用いた。この共振器のロックには別に用意したω+Δωの光を使用することで、ω+Δωのアイドラー光は透過し、ωのシグナル光は反射するようにした。

アイドラー光を光子検出する前に、2つの周波数フィルター共振器(filter cavity, FC)に通す。2つともファブリーペロー共振器である。OPOから出射される光子の周波数帯域は非常に広いが、光子検出器まで到達してよい光の周波数はω+Δωのみであり、周波数のフィルタリングをする必要がある。分離共振器のFSRは2Δωだけなので、さらに周波数のフィルタリングをかける必要がありこの共振器を使う必要がある。ここで周波数フィルター共振器のFSRはなるべく大きくなるように共振器長を数mm程度と短く設計した。さらに十分なフィルタリングを実現するためにこの共振器を2つ直列に並べて使用した。

アイドラー光はその後で変位操作光と干渉させ、光子検出器につながっているファイバーカップラーに入射させた。本実験では、光子検出器としてアバランシェフォトダイオード(APD)を用いた。APDは光子を検出すると電気的パルスを出力するが、3つの光子検出器の出力をAND回路に入力し、同時検出信号が得られるようにした。

一方のシグナル光は、その量子状態の直交位相成分をホモダイン測定で測定した。ホモダイン測定のために10mWの局所発振光をシグナル光と干渉させ、帯域がOPOの帯域と同程度である約10MHzのホモダイン検出器に入射させた。ホモダイン測定器の出力信号はデジタルオシロスコープで測定した。この時測定トリガーとして光子の同時検出信号を用いた。また、同時にホモダイン検出器からプローブ光と局所発振光の干渉信号も得られるので、それを局所発振光の位相の推定のために同じくオシロスコープで測定した。位相と直交位相成分の測定値のペアのリストから最尤推定法による数値計算によって生成状態を再構築した。

本研究では、光子検出器と変位操作を用いることで様々な0から3光子状態までの重ね合わせを生成することに成功した(図2)。シュレディンガーの猫状態が3つの負の値を持つ、0光子状態と3光子状態の重ね合わせが120度の回転対称性を持つなど、それぞれの量子状態について固有の特徴を見出すことができた。変位操作光の振幅と位相を変えることでそれに応じた状態を生成することが確認できたが、これは任意の0光子状態から3光子状態までの重ね合わせを同様の手法で生成することができることを意味している。

また、生成した状態には3次位相状態も含まれるが、これは3次位相ゲートの補助状態として用いられる。この量子ゲートはユニバーサルな量子演算に必要であるが、実験的困難さ故に実現されていない重要なものであると述べた。本研究では3次位相状態の生成に初めて成功し、これは3次位相ゲートの実現へ向け大きな成果である。

ここで、得られた状態はロスの補正を一切していないことも重要な点である。ロスの補正が必要であるということは光学系のロスが大きすぎることを意味しており、さらに実験系を拡張して量子ゲートを実装しても非古典的な量子状態操作は行えないことになる。つまり、ロスの補正をせずに済む程度にまでロスが抑えられていることが必要である。本研究の結果は、今後3次位相ゲートへの拡張が期待できるということを意味している。

今後はこの3次位相状態を用いた3次位相ゲートの実現が期待される。そのために実験系を拡張しなくてはならないが、他に必要となる量子状態操作はすべて実験的に技術が確立している2次以下の状態操作である。一方で、測定時間が長く、更に光学系が大きくなるので共振器や干渉計のロックの全自動化や、光子検出の量子効率の向上など現在の実験系にも改善できる余地は残されており、あわせて取り組むことにより期待する量子状態操作を実現することができると考えている。

図1:光学系全体の概略図。SHG:第二高調波共振器、MCC:モードクリーニング共振器、OPO:光パラメトリック共振器、AOM:音響光学変調器、PBS:偏光ビームスプリッター、HWP:半波長板、QWP:1/4波長板

図2:実験結果。上段が密度行列で中央と下段がWigner関数。(a)3光子状態、(b)シュレディンガーの猫状態、(c)0光子状態と3光子状態の重ね合わせ、(d)3次位相状態

審査要旨 要旨を表示する

量子光学とは量子力学的性質を有した光の量子状態の生成やその検証について研究する分野である。また、純粋科学的見地からだけでなく、量子情報処理という量子力学の性質を用いた情報処理への応用にもつながるため近年広く注目を集めている。

興味深い量子状態の一つに光子数状態と呼ばれる状態がある。光子数状態とは光子数が確定した状態であり、特徴的な非古典的性質を持つことが知られている。このような状態は光子数相関のある量子もつれ状態と光子検出を組み合わせることで生成でき、これまでにも先行研究がある。また、光子検出に変位操作と呼ばれる量子状態操作を組み合わせることで異なる光子数状態の重ね合わせを生成できることも知られている。現状では0から2光子状態までの生成実験の報告がある。

最大光子数を3まで大きくできるとさらに多様な量子状態が得られる。この状態の中には3次位相状態と呼ばれる状態も含まれる。この状態はユニバーサルな連続量量子情報処理に必須である3次位相ゲートの実装のために必要であり、量子情報処理の発展に非常に重要な量子状態と言える。このように最大光子数を大きくすることは、より高等な量子情報処理の実現に寄与すると言える。本研究ではこのような背景から0から3光子状態までの重ね合わせの生成を行った。生成した量子状態は4種類にのぼり、これにより任意の重ね合わせが生成可能であることを示した。

本論文は以下の5章からなる。以下に各章の内容を要約する。

第1章では、研究の背景として量子光学、量子情報処理のこれまでの発展の経緯を述べている。その経緯を踏まえ、本研究の目的、および研究題目の新規性とその将来性に関して記述している。

第2章では、本研究を遂行するために必須となる量子光学に関する基礎知識を述べている。具体的には光の量子状態の記述方法や具体的な量子状態の紹介、実験的に得られた量子状態の測定、検証手法についてなどである。後半は0から3光子状態までの重ね合わせの一つとして3次位相状態と呼ばれる状態があり、これが連続量量子情報処理に有用である旨を解説している。さらに光子数状態の重ね合わせの生成手法について述べている。

第3章では、本研究の実験系について述べている。まずは実験系全体について概略を説明している。その後、各要素について詳細に解説している。先行研究と同じ技術を用いている部分も多いが、先行研究よりも実験難易度の高い本研究を成功させるにあたり課題となる点がある。これは最大光子数を大きくする上で避けられないのだが、それらの困難を克服する実験上の工夫もあわせて述べられている。具体的には、変位操作を行う光学系、ロックが外れた時の対処、測定時間短縮のための光子検出効率の最適化などである。

第4章では、本研究の結果についてまとめている。本研究では0から3光子状態までの重ね合わせを生成することが目的であるが、予備実験として生成した1光子状態、2光子状態、0と1光子状態の重ね合わせの結果を初めに述べている。次に本題である0から3光子状態までの重ね合わせの結果をまとめている。生成した状態は3光子状態、シュレディンガーの猫状態、0光子状態と3光子状態の重ね合わせ、3次位相状態の4種類である。それぞれの状態について固有の特徴を見出すことに成功している。これは本実験の手法において、変位操作を適切に設定することで任意の0から3光子状態までの重ね合わせを生成できることを意味しており、本研究の目的を達成したと結論づけている。また、生成した状態の非古典性を光学ロスの補正なしに確認できたため、これらの状態の量子情報処理への応用が可能であることが同時に示されている。最後に実験系に残された改善の余地について議論している。

第5章では本研究の結果を総括し、今後の展望について述べている。

以上のように本研究では0から3光子状態までの重ね合わせを生成することに成功した。複数種類の状態を生成したことにより、変位操作を適切に選ぶことで任意の重ね合わせが生成できることを示せた。3光子状態までの重ね合わせを生成したという先行研究はないが、本研究では実験的困難を克服することで初めて得られたものである。特に最大光子数を3まで大きくすることで3次位相状態を生成できたことは意義がある。この状態はユニバーサルな連続量量子情報処理に必須である3次位相ゲートに用いられる重要な状態として知られているからである。また、ロスの補正なしに状態の非古典性を得られたことで、生成状態の量子情報処理への応用も期待できる。本研究の成果は、0から3光子状態までの重ね合わせという新しい量子状態の生成手法を開発したことであり、その結果は今後のさらなる高等な量子情報処理の実現にもつながる重要な意義があるものと認められる。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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