学位論文要旨



No 128709
著者(漢字) 今野(清水),真己
著者(英字)
著者(カナ) コンノ(シミズ),マキ
標題(和) Cathepsin Eの印環細胞癌を中心とした胃癌における発現変化の意義について
標題(洋)
報告番号 128709
報告番号 甲28709
学位授与日 2012.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第4001号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬戸,泰之
 東京大学 准教授 柴原,純二
 東京大学 准教授 池田,均
 東京大学 准教授 四柳,広
 東京大学 講師 市川,幹
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

胃癌は最も高頻度な固形癌の1つであり、世界・本邦いずれでも癌死亡の第2位を占める主要な悪性腫瘍である。胃癌の組織型は多様性に富み、分化型癌と未分化型癌に分けるLauren分類が世界的に広く用いられているが、本邦では胃癌取り扱い規約に基づく分類が一般に使われている。Lauren分類と本邦の分類における組織型の対比を示すと、およそLaurenの分化型癌が、高分化管状腺癌(tub1)・中分化管状腺癌(tub2)・乳頭腺癌(pap)に該当し、Laurenの未分化型癌が、低分化腺癌(por)・印環細胞癌(sig)・粘液癌(muc)に該当する。また、前癌病変として、より組織分化度の高い胃腺腫(adenoma)が存在する。この中で、外科手術検体の3割程度に認められる印環細胞癌は、Helicobacter pylori陰性の若年者や女性の正常胃粘膜にしばしば発生し、その発生機序は不明な点が多く悪性度の評価は未だに定まっていない。

本研究では、印環細胞癌において発現変化を認め、それが印環細胞癌の発症メカニズムの解明に繋がる可能性のある遺伝子につき検索を行なうため、網羅的解析を施行した既報を基に、分化型癌と未分化癌で発現の差異を認める遺伝子を選択し、胃癌由来細胞株からtotalRNAを抽出し、RT-PCRにて遺伝子のスクリーニングを行なった。この結果、胃印環細胞癌由来の細胞株で高い発現を認め、高分化管状腺癌で欠失を認めるCathepsin Eに注目して研究を行なうこととした。

【方法】

A:胃印環細胞癌のキー遺伝子検索のためのスクリーニングおよびCathepsin Eの免疫染色

RT-PCRによるスクリーニングで得られたキー遺伝子候補Cathepsin Eに対して、細胞株での免疫染色を確立し、胃癌・胃腺腫の外科切除検体・内視鏡切除検体での発現解析を行なった。

B:Cathepsin Eの性質の検討

早期胃癌・胃腺腫の内視鏡切除検体において、胃型マーカーMUC5AC・腸型マーカーMUC2の染色を同時に行ない、Cathepsin Eの発現と比較検証した。また、胃以外の消化管でのCathepsin E免疫染色を施行した。

C:腫瘍部・周辺非腫瘍粘膜部におけるCathepsin E免疫染色、mucin染色の検討

内視鏡切除検体を用いて、腫瘍部と周辺非腫瘍粘膜部におけるCathepsin E・MUC5AC・MUC2の発現を検討した。

D:Cathepsin Eの制御機構、抗癌活性の検討

脱メチル化剤5-azadeoxycytidine・ヒストン脱アセチル化酵素阻害薬Trichostatin Aの効果を検証するとともに、転写制御の解析のため、5'-RACE法、Primer Walking法、Luciferase assay法を施行した。また、レトロウイルスベクターによるCathepsin E過剰発現胃癌由来細胞株を作成して、軟寒天培地コロニー形成・アポトーシス誘導を評価した。

【結果】

A:胃印環細胞癌のキー遺伝子検索のためのスクリーニングおよびCathepsin Eの免疫染色

分化型胃癌、未分化型胃癌で発現の差異が報告されている9遺伝子について、ヒト胃癌由来20細胞株・大腸癌由来10細胞株・乳癌由来1細胞株・子宮頚癌由来1細胞株より全RNAを抽出してRT-PCRを施行した。この中で、Laurenの未分化型由来株で発現(sig:2/2、por:5/7)し、Laurenの分化型癌由来株で欠失傾向(tub1:1/4、tub2:0/1、muc:0/2、特殊型:0/3)を示す遺伝子として、Cathepsin Eに着目した。Western Blottingによる発現パターンはmRNAの発現パターンとほぼ同じであり、同遺伝子の発現が転写レベルで制御されることが示唆された。

次に、細胞株における免疫染色の系を確立し、印環細胞癌を中心とした臨床検体での免疫染色を施行した。外科切除胃癌検体118例(印環細胞癌51例、高分化管状腺癌10例、中分化管状腺癌18例、乳頭腺癌10例、低分化腺癌26例、粘液癌3例)を解析したところ、印環細胞癌の全症例で腫瘍細胞の50%以上にCathepsin E発現が認められた。腫瘍細胞の50%以上にCathepsin E発現を認める割合は、低分化腺癌58%、高分化管状腺癌30%、中分化管状腺癌39%、乳頭腺癌40%であった。次に、単一組織型であること、より発癌初期の状態の解析を行なうことを目的として、早期胃癌・胃腺腫の内視鏡治療検体84症例(印環細胞癌7例、腺腫6例、高分化管状腺癌52例、中分化管状腺癌12例、乳頭腺癌7例)で免疫染色を施行したところ、印環細胞癌7例のうち6例で腫瘍細胞の90%以上がCathepsin Eを発現していた。一方、高分化管状腺癌や腺腫ではCathepsin E発現が欠失する傾向を認められた(Cathepsin E発現細胞50%未満の症例が、高分化管状腺癌で52例中45例、腺腫で6例中6例)。

B: Cathepsin Eの性質の検討

印環細胞癌と腺腫・高分化管状腺癌におけるCathepsin E発現の対称性に注目し、内視鏡切除検体84症例におけるMUC5AC・MUC2染色との対比による比較を行なった。正常胃底腺・噴門腺領域では、Cathepsin EとMUC5ACは細胞質均一に染色され、MUC2は染色されなかった。幽門腺はやや染色性が弱いものの、同様の傾向であった。一方、腸上皮化生を伴う胃粘膜では、MUC5AC陽性・MUC2陽性である胃腸混合型(不完全型)化生でCathepsin Eが発現し、MUC5AC陰性・MUC2陽性である腸型(完全型)化生ではCathepsin Eが発現を欠失する傾向が明らかに認められた。回帰分析において、Cathepsin Eの発現はMCU5ACの発現と正の相関(P<0.0001)があり、MUC2の発現とは負の相関(P≒0.0019)を認めた。また、正常の食道・十二指腸・回腸・大腸ではCathepsin Eの発現は殆ど認められなかった。これらの結果より、Cathepsin Eは胃の分化マーカーであると考えられた。

C:腫瘍部、周辺非腫瘍粘膜部におけるCathepsin E免疫染色、mucin染色の検討

Cathepsin Eと胃型マーカーであるMUC5AC、腸型マーカーであるMUC2につき、内視鏡切除検体84例で、腫瘍部と周辺非腫瘍粘膜部の染色性を4段階で評価した。印環細胞癌においては、胃型形質を表すCathepsin EとMUC5ACは、腫瘍部・周辺非腫瘍粘膜部のいずれにおいても発現が高く、腸型形質を表すMUC2では、腫瘍部・周辺非腫瘍粘膜部いずれもにおいて発現が低い傾向が示唆された。

一方、腺腫・高分化管状腺癌では、胃型形質・腸型形質の発現傾向が、腫瘍部と周辺非腫瘍粘膜部で逆転する傾向を認めた。中分化管状腺癌、乳頭腺癌は明瞭な傾向を認めなかった。

D: Cathepsin Eの発現制御の検討、抗癌活性の検討

Cathepsin Eの上流領域に制御機構が複数個所あることが示唆された。また、脱メチル化剤5-azadeoxycytidine、ヒストン脱アセチル化酵素阻害薬Trichostatin Aによって発現変化が認められなかった。今回の検討では、発現制御機構は未解明のままであった。また、Cathepsin Eを安定過剰発現する細胞株を作成し、増殖速度・軟寒天培地のコロニー形成・アポトーシス誘導を行なったが、コントロールと比較し明らかな差異を認めず、癌化能との関連で明らかなものは見出せなかった。

【考察】

胃印環細胞癌では外科検体、内視鏡切除検体いずれもが、その腫瘍径や深達度にかかわらずCathepsin Eに高い染色性を示し、印環細胞癌の検索において有用であると考えられた。また、内視鏡切除検体での腫瘍部・周辺部の胃型形質を表すCathepsin E・MUC5AC、腸型形質を表すMUC2の発現は類似し、印環細胞癌が背景粘膜の性質を反映した癌であると推察された。

胃腺腫・胃分化型管状腺癌の、内視鏡切除検体における腫瘍部・周辺非腫瘍粘膜部の評価では、胃型形質、腸型形質の発現傾向が、腫瘍部と周辺非腫瘍粘膜部で逆転する傾向を認めた。この逆転の原因を探ることが、胃癌発症の解明に寄与するものと考えられる。今回の腫瘍部・周辺非腫瘍粘膜部の比較は、内視鏡治療検体を用いて行なっており、早期癌かつ単一組織のものであるため発生初期段階にある腫瘍の性質をよく反映していると考えられるが、組織型や検体数に偏りが多いことが課題となった。今後さらに症例数を増やし、同様の傾向が認められるかどうかを検証する必要があると考えられる。

Cathepsin Eの制御機構、機能の解明は今後の課題となった。

【結語】

Cathepsin Eは、胃印環細胞癌臨床検体の性質に関わらず、腫瘍細胞に一致して細胞質均一に染色された。また、Cathepsin E免疫染色のみならず、胃型マーカーであるMUC5AC、腸型マーカーであるMUC2を用いた組織型毎の染色性の検討、腫瘍部と周辺非腫瘍粘膜部での検討を行い、Cathepsin Eが胃癌の組織型決定、発生進展を考える上で重要なキー遺伝子であることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、アスパラギン酸プロテアーゼの一種であるCathepsin Eの印環細胞癌を中心とした胃癌における発現変化の意義につき検討した。

胃印環細胞癌はその発生機序に不明な点が多く、悪性度の評価も定まっていない。今回の研究では、胃癌由来細胞株を用いて遺伝子のスクリーニングを行いCathepsin Eに着目した。外科手術検体、内視鏡切除検体を用いた臨床検体での解析を中心に行い、胃癌の発生機序や組織型の解明を試み、下記の結果を得ている。

1.印環細胞癌において発現変化を認め、それが印環細胞癌の発症メカニズムの解明に繋がる可能性のある遺伝子につき検索を行なった。網羅的解析を施行した既報を基に、分化型癌、未分化型癌での発現の差異が報告されている遺伝子9種類に着目した。胃癌由来細胞株20種類、大腸癌由来細胞株10種類、消化管外由来細胞株2種類からtotal RNAを抽出しRT-PCRを施行したところ、胃印環細胞癌由来細胞株で発現が明瞭であり、胃高分化管状腺癌にて発現の欠失を認めるCathepsin Eに着目した。RT-PCRでCathepsin Eの発現が明瞭であった細胞株と欠失した細胞株にてWestern Blottingを施行したところ、RT-PCRでCathepsin E陽性の細胞株でのmRNAレベルでの発現と、蛋白レベルでの発現はほぼ連動した。この結果より、Cathepsin Eの発現は転写レベルでの制御であることが示唆された。

2.胃癌手術検体118例につきCathepsin E免疫染色を試みた。印環細胞癌51例では、51例50例の検体で細胞質均一にCathepsin Eが染色された。次に高分化管状腺癌、中分化管状腺癌、乳頭腺癌、低分化腺癌、粘液癌につきCathepsin Eの発現を解析した。印環細胞癌と同じ未分化型癌に分類される低分化腺癌は、Cathepsin Eの染色性が腫瘍部の50%以上を占めるものが58%あり、高分化管状腺癌、中分化管状腺癌、乳頭癌、粘液癌に比較してCathepsin Eの染色性が高かかったが、印環細胞癌よりは明らかに低かった。他の組織型では、腫瘍内での染色性が50%以上認められるものが、高分化管状腺癌では30%、中分化管状腺癌では39%、乳頭腺癌では40%であり、ある割合で染色性が得られていた。

3.早期胃癌の内視鏡的粘膜下剥離術切除検体を用いたCathepsin Eの免疫染色の検討を行った。印環細胞癌は7検体のうち6検体で90%以上の染色性を得られ、進行胃癌の染色性の傾向と同様であった。他の組織型では50%以上染色されている検体の割合は、高分化管状腺癌が14%、中分化管状腺癌が41%、乳頭腺癌が29%、腺腫が0%であり、分化度が高いと考えられる高分化腺癌、腺腫でCathepsin Eの発現が欠失する傾向を認めた。

4.Cathepsin Eの性質の検討を施行した結果、Cathepsin Eは胃の胃底腺領域や幽門腺領域の正常上皮細胞の細胞質に均一に染色され、表層粘液細胞から腺底部まで一様に染色されることが特徴と考えられた。また、腸上皮化生性変化においては腸型の腸上皮化生性変化で発現が低下し、胃腸混合型の腸上皮化生性変化では発現を認めた。Cathepsin Eは胃のマーカーであるMUC5ACには正の相関があり、腸のマーカーであるMUC2には負の相関があることがわかった。さらに食道、十二指腸、回腸、大腸といった消化管他臓器では染色されなかった。以上よりCathepsin Eは胃型形質を表すと考えられた。

5.早期胃癌の内視鏡切除検体において、腫瘍部、周辺非腫瘍粘膜部の評価をするために、各々の組織型でCathepsin Eと胃型マーカーであるMUC5AC、腸型マーカーであるMUC2の免疫染色を施行した。印環細胞癌において、胃型形質を表すCathepsin EとMUC5ACは、腫瘍部、周辺非腫瘍粘膜部において染色性が高い一方、腸型形質を表すMUC2では、染色性が低く、発現が低い傾向が示唆された。一方、腺腫、高分化管状腺癌では、胃型形質、腸型形質の発現傾向が、腫瘍部と周辺非腫瘍粘膜部で乖離する傾向を認めた。中分化管状腺癌、乳頭腺癌は明瞭な傾向を認めなかった。

6.Cathepsin Eの制御機構の検討を行うため、5'-RACE法、Primer Walking法を施行し転写開始点の検索を行った後、転写開始点上流2001bpからの欠失変異を作成しLuciferase assay法を施行した。その結果、転写開始点上流-2001bp~-847bp、-200bp~-150bpの領域で活性があると考えられ、複数の制御機構の存在が示唆された。エピジェネティクス薬によるCathepsin Eの発現変化を調べるために、脱メチル化薬、脱アセチル化酵素阻害薬処理を5つの胃癌細胞株に施行した。3種類のCathepsin E 発現細胞と2種類のCathepsin E発現欠失細胞の処理を行ったが、薬剤処理にていずれの発現の変化も認めなかった。

7.Cathepsin Eの抗癌活性につき検討するため、Cathepsin E導入細胞の軟寒天培地のコロニー形成およびアポトーシス誘導および検出を行った。いずれの実験においても、Cathepsin E導入細胞とコントロール細胞では明らかな差異を認めることができなかった。

以上、本論文では、胃印環細胞癌臨床検体の性質にかかわらず、Cathepsin Eが腫瘍細胞に一致して細胞質均一に染色されることを見出した。また、Cathepsin E免疫染色のみならず、胃型マーカーであるMUC5AC、腸型マーカーであるMUC2を用いた、組織型毎の染色性の検討、腫瘍部と周辺非腫瘍粘膜部での検討を行い、Cathepsin Eが胃癌の組織型決定、発生進展を考える上で重要なキー遺伝子であることが示唆された。

本研究結果は、胃癌の発症や組織型決定の機構において、キー遺伝子の組織型毎の発現や腫瘍部と周辺非腫瘍粘膜部における発現のパターンを解析することにより、胃癌メカニズムの解明に寄与する可能性を示唆するものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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