学位論文要旨



No 128711
著者(漢字) 松村,慎一
著者(英字)
著者(カナ) マツムラ,シンイチ
標題(和) コホモロジー群の漸近的な不変量と複素幾何学における正値性の研究
標題(洋) Studies on the asymptotic invariants of cohomology groups and the positivity in complex geometry
報告番号 128711
報告番号 甲28711
学位授与日 2012.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第399号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高山,茂晴
 東京大学 教授 野口,潤次郎
 東京大学 教授 宮岡,洋一
 東京大学 教授 平地,健吾
 東京大学 准教授 河澄,響矢
 早稲田大学 教授 上野,喜三雄
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的は, 複素多様体上の(正則) 直線束の冪に関するコホモロジー群の漸近的な挙動, この漸近挙動と直線束の曲率の正値性との関係, この漸近挙動の観点からの正値性や豊富性の幾何学的な現れを明らかにすることである.

この要旨を通して, X を射影的な複素多様体, L をX 上の直線束とする. L の重要な性質は, L の冪Lm のコホモロジーHi(X,OX(Lm)) のm→∞での漸近挙動で記述されることが多い. そのため, 様々な立場からこの漸近挙動が研究されてきた. 本論文では, 複素幾何や多変数函数論の視点からこの漸近挙動が研究される. この挙動は後述する意味で, L の微分構造(チャーン類) のみで決定する. チャーン類は, 曲率全体の空間と見なせる.従って, 素朴な問として, 以下の問題が自然に発生する.

問題0.1. Hi(X,OX(Lm)) のm→∞での漸近挙動とL の曲率との具体的な関係を与えよ.

この問を背景とする重要な問題のひとつに, 古典的な多変数函数論の結果であるAndreotti-Grauert の消滅定理の"逆問題"がある. 本論文の第2章では, この問題が研究されている. Andreotti-Grauert の消滅定理は, 非コンパクト複素多様体がq-完備の時, その多様体上の連接層係数のi(> q) 次のコホモロジーが消滅することを主張していた. この定理は, 直線束のq-正値性, q-豊富性を考えることで, コンパクト多様体上のコホモロジーの消滅定理に拡張される.

定義0.2. (1) L のある滑らかな計量h に付随する曲率√-1Θh(L) が, X の各点で(n - q) 個の正の固有値を持つ時, 直線束L はq-正値であるという. ここで, n はX の次元を意味する.

(2) X 上の任意の連接層F に対して, ある整数m0 が存在してHi(X,F (×) OX(Lm)) = 0 (i > q, m & m0)が成立する時, 直線束L はq-豊富であるという.

定理0.3. (拡張されたAndreotti-Grauert の消滅定理). 直線束L がq-正値ならば, L はq-豊富である.

このq-豊富性はチャーン類のみに依存する. 従って, 『q-豊富性を曲率で特徴付けよ』という問題??が自然に発生する. これに対して, Demailly-Peternell-Schneider が以下の問題を提起している([?]). これを問題[DPS]と呼ぶことにする.

問題0.4. (= 問題[DPS]). 直線束L がq-豊富の時, L はq-正値であろうか.

この問題は, Andreotti-Grauert の消滅定理の"逆"が成立するかどうかを問としている. この問題は肯定的に解決されれば, q-豊富性というコホモロジーの漸近挙動に対する問題??の解答となる. また, q = 0 の場合を考えると, 問題[DPS] は, Serre・小平の定理をモデルとしたその一般化とも解釈出来る. 実際, 0-正値性は複素幾何における通常の正値性と一致し, Serre の消滅定理によれば, 0-豊富性は代数幾何における通常の豊富性と一致する. 小平の『埋め込み定理』によれば, 通常の豊富性と正値性は一致する. 問題[DPS] は, この意味でも非常に重要な問である.

第2章では主に, 問題[DPS] に対する以下の結果が与えられる.

定理0.5. 以下の状況では, 問題[DPS] は肯定的である.

(i) 直線束L が半豊富(semi-ample) の場合.

(ii) X が(複素) 曲面の場合.

この結果により上の状況では, q-豊富という漸近挙動に曲率という幾何学的な意味が与えられたことになる.(i) の証明には, q-豊富性の半豊富ファイブレーションのファイバー次元を用いた特徴付け([?]) が用いられる.(ii) の証明のため, 直線束の(n - 1)-豊富性の交点数を用いた数値的な特徴付けが与えられる. この数値的な特徴付けと大域的な方程式(Monge-Amp`ere 方程式) を用いるというアイデアによって, 曲面の場合の問題[DPS]が解決される. 上の定理の(ii) と正則Morse 不等式についてのDemailly の結果([?]) を合わせると, 曲面の場合にはコホモロジーの漸近挙動が曲率で解釈されることがわかる. この意味で(ii) は曲面の場合の決定的な結果である. また, 直線束に何の仮定もせずに, 問題[DPS] を解決した結果はなく, その意味でも価値がある.

小平の『埋め込み定理』により, 直線束に対しては豊富性と正値性の概念は一致する. 以下のGriffiths 予想は,この結果のベクトル束への一般化である.

予想0.6. (Griffiths 予想). X 上のベクトル束E が豊富ならば, E はGriffiths-正値であろう. 即ち, E のある滑らかな計量h に付随する曲率は, Griffiths-正値性を満たすであろう.

この予想は豊富性から適切な正値性を持つ曲率を構成できるかを問題としている. この素朴な意味で, 問題[DPS] と類似性を持つ. 第3章では, この類似性のより具体的な考察とこの視点からのベクトル束のGriffiths予想へのアプローチが考察される. ベクトル束E の豊富性と, 普遍束OP(E*)(-1) と呼ばれる特別な直線束のq-豊富性の間には以下の関係がある. ここで, r はE の階数を表す.

これは, ベクトル束のGriffiths 予想と問題[DPS] の関係を与える. 特に, Griffiths 予想から普遍束に対する問題[DPS] が導かれることがわかる. 最近の研究で, 問題[DPS] が高次元の多様体上で否定的に解決された. その反例の構成は, Lefschetz 型の定理を考察し, トポロジーを調べるという興味深いものである([?]). この章ではこの視点から, X 上のベクトル束E の切断の零点S ⊂ X のトポロジーが研究される. 具体的には, 以下のLefschetz 型の定理が研究される.

問題0.7. E を階数r の豊富なベクトル束とする. この時, ホモトピー間の自然な射πi(S) → πi(X) (0 ≦ i <n - r) は同型になるか. また, πn-r(S) → πn-r(X) は全射となるか.

この問題は, 純代数的な仮定である豊富性から位相的な基本群, ホモトピー群の情報を引き出す点に難しさがある. 第3章では主に, この問題に対する以下の結果が与えられる.

定理0.8. (i) 普遍束OP(E*)(-1) の(r - 1)-正値性を仮定する. この時, 問題?? は肯定的である.

(ii) S が期待される余次元r (ただし, r < n) を持つとする. この時, 基本群間の自然な射π1(S) → π1(X) は全射となる.

上の定理の(i) 内の仮定は, E が大域切断で生成される時は満たされる. 従って, [?], [?] の一般化と解釈できる. (i) の証明にはMorse 理論が用いられる. (ii) の証明では, 補集合X S のコホモロジー次元(コホモロジー的な完備性) が重要となる. 証明のため, [?] のアイデアを使い, 適切な切断を構成し, 被覆次数を切断の量で評価することが鍵となる. その際には, L2-評価付きで∂ 方程式を解く技術が有効に働く. その切断の量の形式スキームのコホモロジーの次元を用いた評価と, 形式スキーム上の双対定理によって証明が与えられる.

問題[DPS] の研究過程で, 直線束の(n - 1)-豊富性の数値的な特徴付けが得られる. 第4章ではこの応用として, 曲線上のベクトル束の豊富性の特徴付けが与えられる. この特徴付けの応用として, 以下のHartshorne 予想も研究される.

予想0.9. (Hartshorne 予想). X 内の曲線C の法線束NC/X が豊富の時, C の正定数倍はサイクルのモジュライ空間Chow(X) (Chow 多様体, Barlet 空間) 内で変形するだろう.

結果として, 『X が法線束の全空間のコンパクト化』なる状況でHarthorne 予想が肯定的に解決される. この結果は[?] の直接の一般化と, [?] の別証明を与えている.

第5章では, 直線束L のX の部分多様体に沿った制限型体積と呼ばれるコホモロジーの漸近挙動が研究される. この制限型体積は, L のチャーン類のみで定まる. 従って, 問題??が自然に発生する. この章では, 特異計量とその曲率カレントを用いたこの制限型体積の表示が与えられる. この公式はBoucksom 氏の通常の体積に関する公式([?]) の一般化と解釈できる.

第6章では, 特異計量の拡張条件を用いた直線束の豊富性の判定法が研究される. [?] によれば, 直線束L が豊富の時, どんな部分多様体からもL の付随する曲率カレントが正な特異計量はX 上に拡張できる. この章では,逆にこの拡張条件が豊富性を特徴付けることが示される.

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審査要旨 要旨を表示する

松村君の博士論文の内容は、複素幾何学・代数幾何学における直線束のエルミート計量の曲率がみたす性質と、直線束の冪に値をもつ高次を含むコホモロジー群の漸近挙動との関係についての研究、およびその応用についてです。0次コホモロジーの漸近挙動が重要なのはよく知られていますが、高次のコホモロジーの漸近挙動も近年注目され始め、特に複素幾何学の分野のリーダー的存在であるJ.P. Demailly氏が、高次のコホモロジー群の漸近挙動についても曲率を用いた積分による良い表示が成立するのではないか、というような予想を提出したのをきっかけにより研究されるようになりました。

松村君の研究の内容は、そのような流れの中で、複素幾何学・代数幾何学において古くから知られている問題に、高次コホモロジーの漸近挙動を研究するという考えを用いて、重要な進展を与えたと言うものです。より具体的には、直線束の曲率がq-正値(n-q個の正固有値をもつ)ならば漸近的にqより大きい次数のコホモロジー群が消滅するというAndreotti-Grauert型の定理が知られていますが、その逆を、つまり、高次のコホモロジー群が漸近的に消滅するならば、直線束のエルミート計量でその曲率が適当な個数の正固有値を持つものが存在する、ということを多様体が曲面の場合、および直線束が半豊富の場合に解決しました。これはDemailly氏らにより予想されていたものの部分的解決を与えるものです。一方でその後に、より高次元ではこのAndreotti-Grauert型の定理の逆は成立しないことが示され、それにより松村君の結果の有用性が注目されることにもなりました。さらにこのような考えを押し進め、豊富ベクトル束の切断の零点として表わされる部分多様体ともとの多様体のホモトピー群を比較するLefschetz型の定理のある一般化を得ました。

以上のように松村君の研究成果は、古くからある良く知られた問題に重要な進展を与える優れたものであり、よって、論文提出者 松村慎一 君は、博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい十分な資格があると認める。

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