学位論文要旨



No 128718
著者(漢字) 稲塚,歩佳
著者(英字)
著者(カナ) イナヅカ,フミカ
標題(和) NUAK1の生理機能解析
標題(洋)
報告番号 128718
報告番号 甲28718
学位授与日 2012.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第821号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 客員教授 落合,淳志
 東京大学 准教授 尾田,正二
 東京大学 准教授 小嶋,徹也
 東京大学 准教授 松本,直樹
 東京大学 教授 後藤,由季子
 国立がん研究センター 理事長付 江角,浩安
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

NUAK family SNF1-like kinase 1(NUAK1)は、AMPK関連キナーゼファミリーに属するセリン・スレオニンキナーゼである。in vitroの解析においてNUAK1はLKBによってリン酸化され活性化されることが示されている。生体においてNUAK1は、マウス胚発生における腹側体壁形成に不可欠であることが示されているが、NUAK1ノックアウトマウスが胎生致死になるためNUAK1の生理機能はほとんど明らかにされていない。

骨格筋のグルコース取り込みを促進する生理的刺激は筋収縮とインスリンである。筋収縮刺激によるグルコース取り込みに、LKB1がAMPKalpha2やNUAK2を介して寄与することが示されている。一方、筋特異的LKB1ノックアウトマウスは、骨格筋におけるインスリン感受性の増加とグルコース恒常性の改善を示したことから、全身性のグルコース代謝に対し、骨格筋のLKB1は抑制的に働くことが示唆されている。この際にLKB1の下流を担うAMPK関連キナーゼは不明である。

本研究の目的は、成体組織におけるNUAK1の生理機能を解明することである。このため、NUAK1の組織分布を明らかにし、筋特異的NUAK1ノックアウト(muscle-specific NUAK1 knockout、MNUAK1KO)マウスを作出した。表現型解析として、骨格筋の形態、全身性のグルコース恒常性、および骨格筋のグルコース代謝を調べた。観察された表現型の分子機序を明らかにするため、骨格筋の定量的リン酸化プロテオーム解析を行った。

【結果と考察】

1. NUAK1は酸化的リン酸化能の高い組織に選択的に発現している。

ヒトと同様にNuak1 mRNAは大脳と心臓で高発現していた。それに加えNUAK1が骨格筋の一種であるヒラメ筋においても高発現していることを見出した。NUAK1の筋種別発現パターンは蛋白質レベルでも確認された。NUAK2は骨格筋ではほとんど検出されなかった。

ヒラメ筋は、ミトコンドリア密度が高く酸化的リン酸化の盛んなI型およびIIA型筋繊維から成る。脳と心臓における高発現を考慮すると、NUAK1は酸化的リン酸化能の高い組織に選択的に発現することが示唆された。筋特異的NUAK1ノックアウトマウスを作出することによって、NUAK2による代償を懸念することなく、骨格筋におけるNUAK1の機能を解析できると考えた。

2. MNUAK1KOマウスは、高脂肪食負荷によって引き起こされる耐糖能異常に耐性を示す。

MNUAK1KOマウスの表現型解析として、初めに体重、筋重量、筋繊維径、および筋繊維組成を調べたが、MNUAK1KOマウスと対照マウスの間に差異は認められなかった。次にグルコース恒常性を調べた。通常食ではMNUAK1KOマウスと対照マウスの間に差異は認められなかったが、高脂肪食誘導性の高血糖が、MNUAK1KOマウスでは、対照マウスに比べて有意に抑制されていた。経口グルコース負荷試験とインスリン負荷試験においてもMNUAK1KOマウスは対照マウスに比べ有意に低い血糖値を示した(図1A、1B)。これらのグルコース恒常性の改善と一致して、MNUAK1KOマウスは対照マウスに比べて、血漿遊離脂肪酸濃度の有意な低下や、高インスリン血症が抑制される傾向を示した。

MNUAK1KOマウスと対照マウスの間で摂食量に差異が認められなかったことから、MNUAK1KOマウスにおける全身性のグルコース恒常性の改善は、NUAK1を欠失した骨格筋に起因していると推測し、単離したヒラメ筋のグルコース取り込み能とグリコーゲン濃度を調べた。通常食群では、MNUAK1KOマウスと対照マウスのヒラメ筋のいずれもインスリン刺激によるグルコース取り込みを示した(図1C左)。高脂肪食群では、対照マウスのヒラメ筋でインスリン感受性が減弱していたのに対し、MNUAK1KOマウスのヒラメ筋では、通常食群と同様にインスリン刺激によるグルコース取り込み能が維持されていた(図1C右)。また、グリコーゲン濃度は、通常食、高脂肪食いずれの条件においてもMNUAK1KOマウスのヒラメ筋では対照マウスのヒラメ筋に比べ有意に高かった。

以上から、骨格筋におけるNUAK1の欠失は、高脂肪食負荷による骨格筋のインスリン耐性を抑制し、グルコースの取り込みとグリコーゲンの貯蔵を促進することによって全身性のグルコース恒常性を改善することが示唆された。

3. MNUAK1KOマウスのヒラメ筋では、TBC1D4のリン酸化レベルが上昇している。

骨格筋のグルコース取り込みは、GLUT4の発現量やその細胞膜への移行に大きく依存する。GLUT4の細胞膜移行は、リン酸化TBC1D4によって促進される。MNUAK1KOマウスの骨格筋におけるグルコース代謝促進の分子機構を明らかにするため、ヒラメ筋におけるGLUT4の蛋白質レベルと、グルコース投与後のTBC1D4のリン酸化レベルを調べた。グルコース投与後、MNUAK1KOマウスのヒラメ筋は対照マウスのヒラメ筋に比べ、TBC1D4 Thr-649のリン酸化レベルが有意に高かった。GLUT4の蛋白質レベルに関して、MNUAK1KOマウスと対照マウスの間に差は認められなかった。

以上から、NUAK1を欠失したヒラメ筋では、食後高血糖に応答したGLUT4の細胞膜移行シグナルが増強されることが示唆された。

4. MNUAK1KOマウスのヒラメ筋ではインスリンシグナルのネガティブフィードバックが抑制されている。

NUAK1の欠失による蛋白質リン酸化レベルの変化を網羅的に検出するため、高脂肪食負荷したMNUAK1KOマウスと対照マウスのヒラメ筋を摘出し、定量的リン酸化プロテオーム解析を行った。実験は各4回行い、MNUAK1KOマウスと対照マウスの差が全ての実験で1.5倍以上かつ平均で2倍以上のリン酸化ペプチドをNUAK1の欠失によって変動したリン酸化ペプチドとして選別した。

定量的に検出された1229個のリン酸化ペプチドのうちリン酸化レベルが最も大きく変化したのは、IRS1のSer-1097で、KO/ control 比は 0.10 ± 0.03(mean ± SEM)であった(図2A)。これに加え、グルコース代謝に関与する蛋白質では、IRS1 Ser-1097を標的とするPKCthetaのSer-676 および、GYS1のSer-653/657においてリン酸化レベルの低下が認められた。

IRS1 Ser-1097のリン酸化はIRS1のチロシンリン酸化を阻害するため、PKCtheta→IRS1 Ser-1097経路は、インスリンシグナルのネガティブフィードバック経路として知られている。またGYS1は、インスリンシグナルによってSer-653を含む複数のSer残基のリン酸化が抑制されることによって活性化される。したがって、MNUAK1KOマウスのヒラメ筋におけるこれらの部位のリン酸化レベルの減少は、インスリンシグナルを増強し、グルコース取り込みとグリコーゲン合成を促進したと考えられる (図2B)。

5. MNUAK1KOマウスのヒラメ筋ではインスリンシグナルが増強されている。

リン酸化プロテオームによって示唆されたNUAK1欠失によるインスリンシグナルの増強を検証するため、高脂肪食負荷したマウスを絶食後、グルコースまたはインスリンを投与し、ヒラメ筋におけるIRS1 Tyr-608とその下流のAKT Thr-308 のリン酸化レベルをイムノブロットによって調べた。グルコース投与後、MNUAK1KOマウスのヒラメ筋では対照マウスのヒラメ筋に比べ、IRS1 Tyr-608とAKT Thr-308 のリン酸化レベルが有意に高かった。またインスリン投与後、MNUAK1KOマウスのヒラメ筋では対照マウスのヒラメ筋に比べAKT Thr-308 のリン酸化レベルが有意に高かった。さらに、絶食条件において、MNUAK1KOマウスのヒラメ筋では対照マウスのヒラメ筋に比べ、AKTのリン酸化レベルが有意に低かった。

絶食条件の骨格筋におけるAKTリン酸化レベルの増加は、高脂肪食負荷によるインスリン耐性の特徴とされている。以上から、MNUAK1KOマウスでは、インスリン耐性が抑制され、インスリンシグナルが増強されていることが示された。

【結論】

NUAK1は、脳、心臓、ヒラメ筋などの酸化的リン酸化能の高い組織に選択的に発現していた。筋特異的NUAK1欠失は、高脂肪食負荷による骨格筋のインスリン耐性を抑制し、グルコース取り込みを促進することによって、全身性のグルコース恒常性を改善した。これらの表現型は、筋肉特異的LKB1ノックアウトマウスの表現型と多くの点で一致することから、骨格筋におけるNUAK1の上流キナーゼはLKB1であることが示唆される。定量的リン酸化プロテオーム解析の結果、NUAK1の欠失によってIRS1 Ser-1097のリン酸化レベルが際立って減少していたことから、NUAK1がIRS1 Ser-1097を基質としてインスリンシグナルのネガティブフィードバック調節に寄与している可能性が示唆された。IRS1 Ser-1097の上流分子であるPKCthetaのリン酸化レベルの減少は、MNUAK1KOマウスにおける血漿遊離脂肪酸の減少を反映していると解釈できる。NUAK1の生理的機能は、ヒラメ筋など酸化的リン酸化能の高い筋肉において、インスリンシグナルを負に制御することによってグルコースの取り込みを抑制することであると考えられる。

図1. MNUAK1KOマウスにおけるグルコース代謝の変化

A. 経口グルコース負荷試験。高脂肪食負荷したマウスを15時間絶食させた後、グルコースを経口投与し、血糖値の推移を調べた。Mean + SEM、n = 12。B. インスリン負荷試験。高脂肪食負荷したマウスを2時間絶食させた後、インスリンを腹腔内投与し、血糖値の推移を調べた。Mean + SEM、n = 8。C. 単離ヒラメ筋におけるインスリン誘導性のグルコース取り込み量。単離したヒラメ筋を、インスリン非存在下(Basal)または存在下(Insulin)で培養し、20分間の2-deoxy-2-[18F]fluoro-D-glucose取り込み量を測定した。Mean + SEM、n = 7(通常食)またはn = 8(高脂肪食)。*: P < 0.05、**: P < 0.01(Student's t-test)。

図2. MNUAK1KOマウスヒラメ筋における網羅的蛋白質リン酸化レベルの変化

A. マウスヒラメ筋のリン酸化プロテオーム解析結果。定量的に検出された1229個のリン酸化ペプチドのKO/ control比を黒いドットで示した(mean、n=4)。点線より外側のリン酸化ペプチドをNUAK1の欠失によって変動したリン酸化ペプチドとして選別した。B. MNUAK1KOマウスのヒラメ筋で予想されるインスリンシグナル制御。実線:直接的作用、点線:間接的作用、白矢印:未確認の相互作用。

審査要旨 要旨を表示する

本論文はAMPK関連キナーゼファミリー分子であるNUAK family SNF1-like kinase 1(NUAK1)の生理機能を明らかにすることを目的に、成体マウスにおけるNUAK1 の組織分布を検討し、NUAK1 高発現組織である骨格筋に特異的なNuak1 ノックアウトマウスを作出した。表現型解析として、筋特異的NUAK1 ノックアウトについては筋繊維形成、全身性のグルコース恒常性、および骨格筋のグルコース代謝を調べた。さらに、表現型の分子機構を明らかにするために、筋特異的NUAK1 ノックアウトマウスと野生型マウスの骨格筋について、定量的リン酸化プロテオーム解析を行った。ニューロン特異的NUAK1 ノックアウトについてはニューロンの分化への影響の解析を行い以下の結果を得た。

1)成体マウスにおけるNUAK1およびNUAK2発現の組織分布を検討し、NUAK1発現は脳、心臓、ヒラメ筋など酸化的リン酸化脳の高い組織に選択的に発現していることを初めて示した。一方、同じファミリー分子であるNUAK2は腎臓において高発現するが、骨格筋ではほとんど検出できなかった。2)筋特異的NAUK1ノックアウトマウスの作出を行い、骨格筋における形態学的な検索を行ったが、は筋肉の大きさ、筋繊維径、および筋繊維タイプの決定に必須ではないことが明らかになった。3)NUAK1 の上流因子と考えられるLKB1 が骨格筋のグルコース代謝を介して全身性のグルコース恒常性を制御することから、全身性のグルコースの恒常性を検討し、高脂肪食負荷時における筋特異的NUARK1の機能によるグルコース恒常性を初めて示した。特に、通常食群ではMNUAK1KO マウスとWT マウスの間で差異は認められなかったが、高脂肪食群ではグルコース負荷試験とインスリン負荷試験のいずれにおいてもMNUAK1KO マウスはWT マウスに比べ有意に低い血糖値を示した。MNUAK1KO マウスにおける全身性のグルコース恒常性の改善は、NUAK1 を欠失した骨格筋におけるグルコース取り込みとグリコーゲン合成の促進に起因することが示された。 4)マウスヒラメ筋を用いた、定量的リン酸化プロテオーム解析によりNUAK1がインシュリン受容体のセカンドメッセンジャーであるIRS1を基質としたリン酸化に関わり、インシュリンシグナルのネガティブフィードバック調節に寄与している可能性を示した。これらの結果より、NUAK1の生理機能としてヒラメ筋など酸化的リン酸化脳の高い筋肉においてインシュリンシグナルを負に制御することによりグルコース取り込みを抑制していることが示された。5)NUAK1 のニューロン分化における機能を解析にするため、NUAK1 の細胞内局在を詳細に調べるため、胎生14 日、生後4 日、および生後28日の大脳新皮質から得た神経細胞を、細胞質、膜、核に分画し、NUAK1 の蛋白質レベルをイムノブロット法によって調べた。胎生14 日では、NUAK1 は、細胞全体で発現しており、生後4 日では、細胞質と核にほぼ等量の局在を示した。その後NUAK1 の核への局在は顕著になり、生後28 日では、NUAK1 は大部分が核に、また少量が細胞質に局在することが明らかになった。この結果から、NUAK1 は、細胞内の各局在場所における特異的な分子と相互作用することによって、発生過程と成体では異なる役割を担っている可能性が示唆された。

なお、本論文は、慶應義塾大学および理化学研究所との共同研究であるが、本論文に記載されている内容は論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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