学位論文要旨



No 128727
著者(漢字) 宮﨑,幸恵
著者(英字)
著者(カナ) ミヤザキ,サチエ
標題(和) 安定同位体分析に基づく西部太平洋に生息するウナギ目幼生の餌料環境とニホンウナギの栄養段階に関する研究
標題(洋)
報告番号 128727
報告番号 甲28727
学位授与日 2012.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第830号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,伸吾
 東京大学 教授 白木原,國雄
 東京大学 教授 大竹,二雄
 東京大学 教授 木暮,一啓
 東京大学 教授 塚本,勝巳
内容要旨 要旨を表示する

【研究の背景と目的】

ウナギ目は河川や河口域で成長した後に海で産卵する降河性の魚類が多く、大半は熱帯・温帯域に生息する。ウナギ目の中でもニホンウナギ(Anguilla japonica)は、その産卵から仔魚期の研究が長年にわたって行われてきており、2008年にはマリアナ諸島近海で親魚、2009年には世界で初めて天然の卵が採集された。ニホンウナギの幼生はレプトセファルスと呼ばれ、約3ヶ月間で北赤道海流域(NEC:the North Equatorial Current)をフィリピン沖まで輸送され、そこで黒潮に乗り換えてシラスウナギとして東アジア諸国の沿岸に来遊し、数年~十数年を河川や沿岸で過ごした後、再び海洋に戻って産卵し、一生を終える。

近年、ニホンウナギの資源を左右する大きな要因として、親魚の減少とレプトセファルスの輸送経路の変化に注目が集まっている。しかし、ニホンウナギの生活史の中で産卵回遊からシラスウナギの来遊までの海洋生活期は知見が少なく、その輸送過程やメカニズムについてもまだ十分に解明されているわけではない。特にレプトセファルスの生残には、生息海域の海流などの物理環境、また他生物の捕食、餌環境などの生物環境の影響が大きいと考えられおり、これまで物理シュミレーションや採集水深だけでなく、安定同位体比を用いて低次生産とレプトセファルスの関係を示した研究もあるがいずれも断片的で補助的なデータであった。また、食性解析だけでなくレプトセファルスの分布や親ウナギの回遊の解明において安定同位体比が使われた研究が行われるようになってきたが、まだ研究も少なく、ニホンウナギの生態解明における本手法の有用性については十分に議論されているとは言い難い。

そこで本研究では、まずPOMの安定同位体比とニホンウナギのレプトセファルスの安定同位体比の比較から、摂餌生態とその周辺環境との関連を解明することを目的とした。さらに、安定同位体比による食性解析に必須であり、基礎となる濃縮係数について、人工種苗生産レプトセファルスを用いて明らかにした。そしてニホンウナギのシラスウナギ期、黄ウナギ期、銀ウナギ期の各成長段階の安定同位体比の変化について、採集場所、採集時期、ステージ、体長など、様々な観点で分析し、彼らの行動について推測する。POMの安定同位体比の鉛直分布からレプトセファルスの摂餌水深を明らかにすることとした。加えて、POMの同位体比は海洋の一次生産の値を表すとみなされていることから、レプトセファルスに反映された安定同位体比は、POM安定同位体比の変化を示すとの仮説に従い、POMの安定同位体比の分布に関わる海洋環境、本研究では栄養塩や水温、塩分、クロロフィル濃度の鉛直分布、さらにPOMの安定同位体比の水平分布とも関連づけて、レプトセファルスの餌料環境を総合的に解明する。これらをあわせて最終的には、ニホンウナギの全ステージにおける安定同位体比の変化から、ニホンウナギの摂餌と生息環境の変化を考察する。

【試料採集と分析】

ニホンウナギとAriosoma spp. のレプトセファルスは、2004年~2009年の学術研究船白鳳丸研究航海において、西部NEC域(130-146°E, 10-20°N)で採集した。海水は、2006年5測点4水深、2007年に7測点4水深、2008年は32測点5水深、2009年は20測点いずれも5水深で採取した。POMは採集した約30Lの海水を、Whatman GF/F filterで濾過し、塩酸処理を行って無機炭酸を除去した後、POMを削り取り、試料とした。レプトセファルスは、60℃のオーブンで24時間乾燥させた後、測定用試料とした。

2尾の天然銀ウナギのメスを人工的に成熟させ、オス6尾とペアリングして、卵と人工養殖幼生を採取した。メスの親魚は産卵後に解剖し、筋肉と卵巣の一部を安定同位体比分析用に採取した。それぞれの親魚から生まれた原腸胚期の卵と、孵化直後の仔魚を50個体ずつ採集した。孵化した幼生は、同じ海水中に70日間飼育し、10日~70日目まで10日ごとに5-60個体の仔魚を採集した。仔魚の餌は孵化後7日目から与えた。また、152個体の天然シラスウナギを日本の4地域で2007年から2009年まで採集した。黄ウナギと銀ウナギは、浜名湖/佐鳴湖(静岡)で41個体、利根川(茨城)、三河湾(愛知)、天草(熊本)で計9個体、岡山で5個体、産卵場付近ではニホンウナギの天然親魚8個体を採集した。体長(TL)、体重(BW)、ステージを測定した後解剖し、すべての個体で筋肉、肝臓、一部の個体については、生殖巣、胸びれ、血液、脾臓についても採集し、試料とした。レプトセファルス以外の生物試料については脱脂処理を行った。

バルク炭素・窒素安定同位体比は、元素分析計付き質量分析計を用いて測定し、値は標準物質との千分差(‰)で示した。アミノ酸窒素安定同位体比はガスクロマトグラフィー、燃焼-還元炉を繋いだ同位体比質量分析計で測定した。溶存無機窒素 (N) (DIN: NO3-,NO2-) とリン (DIP: PO43-)はオートアナライザーAACS-IIIを用いて測定した。

レプトセファルスの成長と安定同位体比の傾向を見るために、ニホンウナギとシロアナゴ両種の体長と、炭素・窒素同位体比に対してスピアマンの順位相関係数を用いた。また、レプトセファルスの安定同位体比の経年的な変化については、分散分析(ANOVA)と多重比較 (Scheffe法)を用いた。二種のレプトセファルスの安定同位体比の差はスチューデントのt検定を用いて調べた。POMの安定同位体比と水深の関係の解析には、回帰分析を用いた。また、水深別のPOMの同位体比がレプトセファルスの同位体比に対してどの程度混合しているかの割合を推測するR package SIARというモデルを用いて、どの水深のPOMが最もレプトセファルスに摂餌されているかを解析した。

【結果と考察】

ニホンウナギのレプトセファルスの炭素・窒素安定同位体比と幼生の体長の間には、全ての採集年を通して見ると有意な相関はなく、本研究で用いた体長のレプトセファルスは餌を変化させていない可能性が高いことが分かった。しかし、レプトセファルスを採集した年毎では、幼生の炭素・窒素安定同位体比に有意差が検出されたことから、成長に伴う餌の変化はないものの、POMを構成する有機物の安定同位体比の経年的な変動の影響を受けている可能性が考えられた。ニホンウナギのレプトセファルスの炭素同位体比の平均値は20.8 ± 0.4‰、窒素同位体比が5.1 ± 0.7‰であったが、同じ海域で採集したシロアナゴのレプトセファルスの炭素同位体比は-19.8 ± 0.7‰、窒素同位体比は1.3 ± 0.7‰であり、ニホンウナギに比べて有意な差が認められた。これはシロアナゴが表層に分布しており、特に窒素同位体比については、表層のPOMの値を反映していると考えられた。しかし、炭素同位体比は、POMの値と比較してもおよそ2‰異なっていたことから、彼らが亜熱帯循環の中でも異なる海域を起源としており、個体のサイズや分布深度も異なっていることに起因している可能性が考えられた。

NEC域のPOMの炭素・窒素安定同位体比は、水深が深くなるにつれて窒素は高く、炭素は低くなる傾向が認められた。ニホンウナギのレプトセファルスの窒素同位体比との差は、水深5m、50m、100mのPOMとはそれぞれ3.8‰、3.6‰、3.8‰、水深150mと200mとはそれぞれ2.2‰ と0.9‰であった。水深5m、50m、100mの窒素同位体比の差分は、一般的な濃縮係数の値と比較してもわずかに高い程度であった。また、実際に人工種苗生産を用いてレプトセファルスの安定同位体比の濃縮係数を算出した結果、人工餌料と仔魚間の窒素同位体比の差は3.2‰± 1.0となり、一般的な濃縮係数3.4 ‰と概ね一致していることが分かった。安定同位体比混合モデルの結果と合わせると、ニホンウナギのレプトセファルスのうち、より大型の個体は水深50m以浅のPOMを摂餌している可能性が高く、より小型の個体は水深100m-200mのPOMを摂餌している可能性を示唆していた。この結果は、レプトセファルスは成長に伴って鉛直移動をより浅い層に変えていくという既知の知見を支持している。また2008年、2009年のNEC域のPOMの安定同位体比の水平分布を調べたところ、いずれも窒素同位体比のフロントが認められたことから、このPOMの同位体比の変化がレプトセファルスの安定同位体比にも反映されている可能性が示唆された。

ニホンウナギの安定同位体比の変化をほぼすべてのステージで調べた結果、炭素同位体比で-8‰~-24‰、窒素同位体比で4‰~16‰とかなりダイナミックに変化することが分かった。一般に生活史におけるδ15Nの変化は、成長に伴う栄養段階の変化を反映していると考えられている。しかしアミノ酸窒素安定同位体比による栄養段階の推定では、ニホンウナギの場合その成長段階による栄養段階の変化はほとんどないことが分かったが、一次生産者の値は成長段階によって大きく異なっていた。したがって、ニホンウナギの生活史を通じた安定同位体比の変化は栄養段階の変化に因るものではなく一次生産者の変化を反映していることが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は漁業資源として重要な北太平洋に生息するニホンウナギAnguilla japonicaを中心に、同じ幼生期を持つ近縁種となる魚類を対象として、レプトセファルス幼生期の摂餌生態の解明を目的に行われたものである。論文は、6章から構成されており、中核を成す2章から5章では、海水の懸濁態有機物(POM)の安定同位体比の鉛直分布から幼生の摂餌水深を、海洋構造との比較からは幼生の分布海域の特性を明らかにし、成長段階別の安定同位体分析から、生活史を通したニホンウナギの摂餌生態と生息環境の変化を示した。また、人工養殖幼生を用いてレプトセファルス幼生の濃縮係数を算出し、さらには安定同位体分析における脂質抽出の影響についても評価するなど、今後の研究に重要なパラメータを示した。6年間にわたる白鳳丸での観測データを駆使し、自らも連続して乗船してデータを取得しておりオリジナルなデータに基づいて研究を進めた。得られた研究成果は国際的に評価の高い学術誌に掲載されるなど研究のレベルは高いといえる。研究成果の概要は以下の通りである。

体長10-20mmにおけるニホンウナギのレプトセファルス幼生期の体長と炭素・窒素安定同位体比の間には有意な相関はなく、この成長段階では、餌を変化させていない可能性が高いことが分かった。その炭素安定同位体比の平均値は-20.8‰、窒素安定同位体比が5.1‰であり、同じ海域のアナゴの一種Ariosoma majorと比較したところ、炭素が-19.8‰、窒素が1.3‰となり、ニホンウナギに比べて有意な差が認められた。これはA. majorが主に表層に分布していることから、ニホンウナギのレプトセファルス幼生よりもさらに表層のPOMの値を反映したためと考えられる。

ニホンウナギの産卵場がある北赤道海流域におけるPOMの炭素・窒素安定同位体比は、水深が深くなるにつれて窒素は高く、炭素は低くなる傾向が認められた。ニホンウナギとPOMの窒素安定同位体比の差は、水深5m、50m、100mでそれぞれ3.8‰、3.6‰、3.8‰であり、一般的な濃縮係数と比較してもわずかに高い程度であった。人工養殖幼生を用いた窒素安定同位体比の濃縮係数は、脱脂処理をしていない餌との間で3.2‰であり、一般的な窒素安定同位体比の濃縮係数3.4‰と概ね一致する。これらの結果に安定同位体比混合モデルの結果を併せると、ニホンウナギのレプトセファルス幼生は100m以浅のPOMを摂餌している可能性が高いことが分かった。

ニホンウナギのレプトセファルス幼生は、採集年によって異なる炭素・窒素安定同位体比が得られることがあり、これは海洋の生物環境の変化によってPOMが経年的、季節的な変動をしていることを示すものである。物理環境が一次生産者の安定同位体に影響を及ぼし、それが餌環境を変化させることは、これまでの研究からも推測されるところである。本研究でも塩分や水温、クロロフィルの水平分布によって引き起こされたとみられる窒素安定同位体比のフロントが認められ、それに対応した幼生の分布があり、成長が海洋構造と対応していることが分かった。

本研究では、ウナギの安定同位体比の変化を概ねすべての成長段階で分析している。その変化は、炭素で-8‰~-24‰、窒素で4‰~16‰とかなり大きいものの、レプトセファルス幼生期やシラスウナギ期は、炭素、窒素とも狭い範囲の値を持つことから、北赤道海流域ではほぼ同じ環境で同じ餌を摂取しており、その後河川で成長する過程で、個体ごとにそれぞれ食性が変化し、生息場所も異なることから、安定同位体比の分散が大きくなるものと考えられる。生活史における窒素安定同位体比の変化は、成長に伴う栄養段階の変化を反映しており、ニホンウナギの場合、海洋でとくに低い窒素安定同位体比を持つことが特徴的といえるが、どの成長段階においてもその環境において2成長段階上の餌を摂取していることが分かった。

本研究では、生活史を通じたニホンウナギの安定同位体比の変化を明らかにした。連続した輸送経路については、シミュレ-ションやブイによる研究に拠るところが多いが、POMや他の生物の窒素安定同位体比を測定しその分布を調べることで、単に摂餌生態だけではなく、レプトセファルス幼生の詳細な輸送経路が推測できる可能性を示したことにも本研究の意義があり、北赤道海流域の食物連鎖網の解明に向けた一助になるものと考える。

上述した研究成果は、ニホンウナギのレプトセファルス幼生期における摂餌生態を明らかにしたものであり、炭素・窒素安定同位体分析を用いた研究を実施する上で必要な基礎的なパラメ-タの推定を行うなど、ニホンウナギだけでなくヨ-ロッパウナギに代表される他種のウナギ属魚類の研究にも貢献する極めて意義深い研究成果であると判断できる。

なお、本論文における主要な成果は、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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