学位論文要旨



No 128729
著者(漢字) 佐藤,樹里
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ジュリ
標題(和) 歴史的木造建造物に使用されるヒノキ大径材に必要な森林資源の推定
標題(洋) Estimation of the forest resources of large size Japanese cypress used for wooden heritage buildings
報告番号 128729
報告番号 甲28729
学位授与日 2012.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第832号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,博一
 東京大学 教授 斎藤,馨
 東京大学 教授 横張,真
 東京大学 教授 石橋,整司
 工学院大学 教授 後藤,治
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の背景

歴史的木造建造物は,「建てられた時代の建築や環境に対する考え方や技術を今に伝える点,優れた美的・技術的価値を持つ点,容易に再現できない点」で貴重な文化遺産である.文化財保護法では,歴史的建造物の中で特に価値の高いものを国宝・重要文化財に指定しており,2012年2月現在4,468棟存在し,そのうち約90%が木造である.ユネスコ傘下のICOMOS(国際記念物遺跡会議)による「歴史的木造建造物保存のための原則」において,修復は原則「同樹種」「同品質」「同技術」でおこなうことが要件とされている.

要求される資材に関して,樹種別ではヒノキの需要量が最も多い.また要求される資材の規格は多様であるが,たとえば柱や梁などの構造部材は,普段市場には出回らない大径材のような特殊な規格の資材が必要とされる.さらに傷などの欠点がなく,木目の幅が狭く均一であるといった高い化粧性が要求されるため,高品質材が必要である.このような大径材のような特殊な規格の資材は,通常市場に出回らず,森林においても多量に存在しないことから,必要な資材の入手が難しい.そのため修復がおこなわれる際,結果的に樹種や規格を変更せざるを得ない状況である.限られた森林資源から効率的かつ持続的に資材を確保するには,的確な資材の選定をおこない,森林資源の観点から持続的に資材を確保するための供給可能性を検討する必要がある.

しかしながら需要と供給のバランスを考える上での課題として,建築に使用されている構成部材の情報と森林資源に生育している立木規格を結びつける手法が確立していない点,木造建造物の構成部材の樹種,規格,採材方法を考慮した需要の検討がされていない点,歴史的木造建造物の情報を反映させた森林資源の推定がされていない点が挙げられた.

2.研究の目的

そこで本研究では,ヒノキ大径材の供給に必要な森林資源の供給可能性を検討することを目的とする.目的を達成するため,以下の3つを課題とした.

1.ヒノキ構成部材と立木規格を結ぶ手法の開発

2.事例建造物を対象とした森林資源面積の推定

3.既存の歴史的木造建造物に使用されているヒノキ大径材に必要な森林資源の推定

3.研究の概要

第2章 ヒノキ構成部材と立木規格を結ぶ手法の開発

本章では,流通過程における構成部材規格,原木規格,立木規格において,各過程を結ぶ手法が確立していない点に着目し,需要側の情報と供給側の情報をむすびつけることため,構成部材規格から立木規格を推定する手法を開発した.手法の開発は,構成部材が元はどのような立木であるのかを推定する必要がある.具体的には,森林計測学の手法を応用し,構成部材の部材長と幅・径を満たす,立木規格の胸高直径(cm)・樹高(m)を推定した.この結果,構成部材から立木規格を推定する手法を提示し,森林資源における基準で要求している資材を評価することができた.この手法を用いることで,要求される資材を森林内で見極めることが可能になり,森林管理の面においても有効な知見となりうる.

第3章 ヒノキ資材に適用可能な森林資源の質的解明

本章では,資材に要求されている具体的な品質の情報が不明瞭である点に着目し,熊本城本丸御殿の復元工事を事例とし,納入された資材の情報を把握した.この情報に基づき,ヒノキ資材に要求される品質を解明した.また資材に要求される品質について,立木の状態で検討するために,資材の欠点と立木の欠点を整理した.これらの結果より,森林内での品質調査をおこなった.具体的には,第2章で開発された手法と品質調査の結果から,木曽ヒノキ天然林分において高品質大径木が存在する確率を評価した.この結果ヒノキ資材は,他の樹種より内部の化粧性の要求される箇所に使用され,欠点がない形質の良い資材が要求されていた.特に節に関して詳細な規定があり,修復の現場で綿密な選定によって資材が使用されている現状が明らかになった.高品質大径木の評価に関して,大径材基準の要件を満たす立木は全体の52%であった.さらに幹の形質や傷,節などの欠点について品質評価をおこなったところ,修復用資材として適用できる高品位大径木は全体の17%であることが明らかになった.本調査の結果から高品質大径材に適用可能な資源が少ない現状を把握することができた.

第4章 需要情報を反映させた森林資源推定―愛媛県大洲城天守の事例―

本章では,需要に対応した森林資源の検討がされていない点に着目し,実際の建造物を事例とし,必要な森林資源を推定した.具体的に愛媛県に所在する大洲城天守を事例とし,構成部材の情報に基づき,2章の規格推定の手法を適用し,必要な森林資源(立木規格)を明らかにした.そして推定された森林資源(立木規格)について,先行研究における累積分布の手法を用いて森林面積を推定した.さらに3章の結果に基づき,質的側面を考慮した森林面積の推定をおこなった.この結果,大洲城天守の大径材を木曽ヒノキ天然林から供給すると仮定した場合,約14.4haが必要だと推定された.さらに第3章より得られた高品質大径木が得られる確率と森林施業における標準的な伐採率20%であることを考慮した結果,約423.5haの森林面積が必要だと推定された.加えて,伐採して初めて明らかになる欠点や運搬中の破損等の予測の難しいリスクが存在するため,さらに多くの資源が必要であることが示唆された.

第5章 歴史的木造建造物に要求されるヒノキ資材の森林資源推定

本章では,既存の歴史的木造建造物に使用されている大径材に必要な森林資源を単木単位で把握することを目的とした.一般的な規格の資材であれば,必要な時に森林から調達することは難しくないが,大径材は通常市場に出回らず,また森林内においても,多量に存在しない.そのためあらかじめ情報を収集しておくことが今後の資材確保のための検討をおこなう上で有効な知見となると考えられる.そこで既存の建築部材の情報と台湾ヒノキが使用されている建造物の事例に基づき,ヒノキ大径材の規格を把握した.さらに第2章の手法を適用することで森林資源(立木規格)を推定した.この結果,既存の歴史的木造建造物を構成するヒノキ大径材は社寺建築に圧倒的に多いことが明らかになり,胸高直径100cmを超える立木が多数推定された.また最大径級では,東大寺の南大門の柱に胸高直径162cmの立木が必要であると推定された.また木曽ヒノキの代替として使用された歴史のある台湾ヒノキの事例を挙げ,立木規格を推定した結果,最も大きなもので靖国神社の神門に胸高直径171cmの立木が使用されていたと推定された.日本での台湾檜の利用は,大径材を用いた主要構造部位に多く見られる.しかし台湾檜は輸入ができない現状があるためこの要件を適用することができない.したがって今後これに代わる樹種を提案する必要があると考えられる.

第6章 結論

第2章から第5章より得られた結果のまとめと今後の課題を整理した.

第7章 資材供給可能性の検討

持続的に資材を確保するには,樹木の成長を考慮した長期的な森林管理体制を構築することが課題であり,そのために森林資源の成長量の把握や将来大径木となりうる後継樹の更新状況を評価するなど,将来の森林の状態を予測することが必要である.本章では,森林資源の観点からヒノキ資材の供給可能性を検討することを目的とし,木曽谷の中でも大径木を多く保有している赤沢天然ヒノキ林を対象として,上層木の成長量評価と下層木の更新状況評価をおこなった.

この結果,上層木は1984年時と2011年の胸高直径の差から成長量を明らかにすることができ,天然林における成長はより上位の立木に集中している状況を評価することができた.大径材の確保を考える上で,今後継続的な成長量の経過を把握することが必要であるが,本事例の結果は森林管理における有益な知見である.

また更新状況評価は,1985年にヒノキ稚樹の更新促進試験地(択伐区)が設定され,上層木の択伐とヒノキ以外の下層木の除去が行われた林分を対象林分とした,対象林分における更新状況を評価するため,対照区を設けて比較した.この結果,対照区のヒノキ更新木は樹高分布範囲が1.5mから5.5mで規則性はみられなかったのに対し,択伐区は樹高分布範囲が1.5mから11m以上と広く,L型分布を示した.これより永続的に天然ヒノキ林を成立させるためには必要な管理であると評価できた.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は歴史的木造建造物の維持に必要とされる植物性資材の安定的確保を目指し、建造物の維持に必要な情報から導かれる森林資源の推定、森林資源の成長量および更新状況から導かれる供給可能性の考察を行ったものである。論文は8章からなり、第1章は研究の背景と目的、第2章は建造物の構成部材と森林資源を関連づける手法の開発、第3章は構成部材の品質を反映させた森林資源の解明、第4章は森林資源の成長量および更新状況の評価、第5章は建造物の維持に必要とされる森林資源量の解明、第6章は歴史的木造建造物に要求される資材の特徴、第7章は大径材の供給可能性、第8章は結論を述べている。

研究の背景として、社会情勢の変化や経済状況の著しい変化にともない、歴史的木造建造物の維持に必要な資材のなかで、大径長大材や高品位材の天然生資源が極端に減少し、今後の修理用資材の安定的確保が緊急課題となっている。本論文では、特に需要の多いヒノキに着目して、歴史的木造建造物に必要な大径材の供給可能性を明らかにすることを研究の目的として、ヒノキ天然林の成長量や天然更新の状況を調査し、歴史的木造建造物の構成部材の情報から、具体的な建造物や部材に必要な森林資源の品質や数量を推定する作業を行っている。

まず、流通加工過程における構成部材、丸太、立木の各工程を結ぶ手法が確立していない点に着目し、構成部材から立木規格を推定する手法を提示し、構成部材がどのような立木から供給されるのかを推定するため、構成部材の部材長と幅・径から、要件を満たす立木の胸高直径と樹高を導いている。さらにヒノキ資材に要求される品質について、立木の状態で評価するために、資材の欠点と立木の欠点の関係性を明らかにした。前述の手法と品質評価の結果から、代表的な供給源である木曽ヒノキ天然林において要件を満たす樹木の存在確率が17%程度の低い数値であることを明らかにした。次に、森林資源の持続的管理の観点からヒノキ資材の供給可能性を検討するために、前述の木曽ヒノキ林において、上層木の成長量と後継樹の更新状況を評価した結果、胸高断面積の年成長率0.8%という数値を得た。また、持続的に天然ヒノキ林を成立させるためには上層木の択伐とヒノキ以外の下層の除去が後継樹に必要な照度管理であることを明らかにした。

歴史的木造建造物の維持に必要な森林資源の供給可能量について検討するため、城郭建築の代表的な事例であり、かつ全構成部材の情報を把握することのできる大洲城天守について、構成部材の規格、採材方法、大径材の数量から、建造物の造営に必要な森林面積を推定した。この結果、大洲城天守を構成する大径材をヒノキ天然林から供給するには約423.5 haの森林が必要であり、立木材積では約1635m3が必要であることを明らかにした。

既存の歴史的木造建造物に使用されているヒノキ大径材に焦点を当て、資材としての要件を満たす立木を推定した結果、ヒノキ大径材は社寺建築に多く、胸高直径100cmを超える立木が多数使用されていることを明らかにした。最大径級では、東大寺の南大門の柱に胸高直径162cm以上の立木が使用されているとことを明らかにし、森林資源として目指すべき生育目標を明示することができた。

以上において得られた知見に基づき、ヒノキ資材の供給可能性を考察している。まず、現存する木曽ヒノキ森林資源量約108万m3をもとに、持続可能な範囲で資源を利用するための許容伐採量や品質条件を考慮した資材供給量の検討をおこなっている。成長率0.8%から年間許容伐採量を8,640m3と導き、さらに、これが高品質大径木である確率を17%として、持続的に供給が見込めるヒノキ資源を年間1,468m3と推定している。 次に、大洲城天守の事例から、総資材量447m3に対し、これに必要な森林資源は少なくとも約1635m3が必要であることを明らかにし、代表的な天守造営に必要な森林資源は,木曽ヒノキ許容伐採量の約1年分に相当する膨大な資材が必要であることを明らかにした。

このように本論文では歴史的木造建造物のヒノキ大径材に必要とされる森林資源の持続的な供給可能性を検討した結果、決して余裕のある数値ではないとしたうえで、森林管理の現場では、慎重な資源管理が必要であり、択伐による下層木の照度管理の成果がから,森林内に良質な母樹が存在するうちに、更新条件の改善に取組まなければならないこと、森林の供給可能性に対して、建築側では要求する資材の規格や品質、修理の必要な時期を考慮して、現実的に実行可能か否かを検討すると同時に、調達困難な森林資源の現状を認識し、代替材の使用や構成部材の規格の見直しなどの対応を議論しておかなければならないことを提言しており、本論文は上記の問題を解決する上での重要な知見を提供するものであると評価する。したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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