学位論文要旨



No 128758
著者(漢字) 上野,藍
著者(英字)
著者(カナ) ウエノ,アイ
標題(和) 近接場効果を用いた宇宙用静電駆動型MEMSラジエータに関する研究
標題(洋)
報告番号 128758
報告番号 甲28758
学位授与日 2012.10.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7879号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,雄二
 東京大学 教授 鹿園,直毅
 東京大学 准教授 塩見,淳一郎
 東京大学 教授 中須賀,真一
 東京大学 教授 年吉,洋
内容要旨 要旨を表示する

近年,宇宙開発の多様化に伴い,宇宙空間での急激な温度変化にフレキシブルに対応可能な放射率可変型のラジエータが熱設計において極めて重要な役割を果たす.それによりヒータ電力の省力化を図ることで,システムの軽量化と設計の信頼性の向上が可能となる.従来,放射率可変のラジエータとしては,シャッター構造等により放射面を覆い,放射面積を変化させるものがほとんどであったが,重量が重い,構造が複雑,実効的な放射率が50%を超えない,などの欠点があるため,実用に適した研究例はない.

このような背景のもと,本研究では放射率可変かつ近年開発が注目されている小型衛星にも搭載可能な近接場効果を利用したMEMSラジエータの開発を目的とする.具体的には,従来のラジエータの概念とは全く異なる近接場光を利用し,大きな放射率の変化を実現する.近接場光とは表面近傍ナノメートルオーダーの領域に発生する非伝搬光であり,伝搬光では原理的に不可能な黒体放射を超える大きなエネルギー輸送を可能とする.そこで,物体間のナノギャップをMEMS(microelectromechanical system)技術により制御し,熱フラックスの変化,つまり,大きな実効放射率変化を実現する.

最近では,近接場光を利用したアプリケーションが注目されているが,それらのほとんどが近接場の波長限界を超える性質を利用した,近接場光顕微鏡などの光学分野への応用であり,熱輸送として近接場を利用した熱分野としての報告は極めて少ない.将来的には,従来の熱ふく射の限界を突破し,放射率可変の次世代型ラジエータが期待されることから,本研究はナノフォトニクス分野の発展,さらには新たなマイクロ・ナノ熱エネルギー輸送デバイスとして極めて有益である.

また,この概念は,昨今の携帯機器の小型化および半導体業界の集積化により,従来の冷却技術では空間的,時定数的に対応が困難となる,ナノ・マイクロ領域における局所的な熱問題に対し,新たな熱スイッチ,熱ダイオードとしての利用も期待される.

本論文は,序章と結論を合わせた全6章から構成される.

以下,各章の概略を述べる.

第1章

本章では,本研究の背景として,宇宙機をとりまく熱環境,宇宙機の熱設計と熱制御方式を説明し,先行研究を踏まえて,本研究の目的を述べる.

第2章

本章では,本研究で取り組む,従来とは異なる近接場光を用いた全く新しい放射制御方法を提案する.デバイスの概念としては,基板に対して垂直方向に可動できるダイアフラム上の放射面を想定し,対向面を低放射率の材料で覆い,基板と放射面のギャップ距離が放射波長よりも大きい場合には通常の遠方場でのふく射により熱が輸送されるため,放射伝熱量は小さくなる.一方,ギャップ距離を1 μm程度以下に近づけると近接場効果が現れ,ギャップ間の実効放射率は1を超える可能性がある.このように,放射面のギャップ間隔を宇宙機の熱環境変化に応じて自在にON/OFF制御で切り替えることで,限られた電力リソースで高効率な温度制御を行うという前例のない熱制御デバイスを新たに着想した.

ここでは,近接場による熱ふく射に関する研究例を紹介しながら,本研究の理論を展開していく.最後に近接場効果を含めた理論計算を行うことで,本研究の実現可能性を示す.

計算では,実際のプロトタイプデバイスと同様のCu-Auの平行平板を用いた場合の,300 Kにおける近接場効果を導入した熱輸送エネルギーを計算し,実効放射率変化を求めた.近接場の影響が顕著となるギャップが0.4 μm以下のとき,その実効放射率は0.8から0.1と急激に変化するという結果が得られ,MEMSラジエータの実現可能性が示された.

また,近接場効果を考慮したデバイスの放射率計算において重要となるのが,誘電関数であり,これは材料固有の光学定数(屈折率n, 減衰定数:k)により定義される.本研究では,宇宙用途としてのラジエータのため,波長範囲0.25 μm - 100 μmという非常に広範囲における光学定数nおよびkのデータが必要となる. しかし,このような広範囲の波長範囲では誘電関数における重要なパラメータである材料の光学定数が一定である物質は存在せず,波長範囲に依存してその値は大きく異なる.信頼性の高いラジエータ設計を行うためには,平行平板の薄膜材料の光学定数を正確に知ることが必要不可欠となる.そこで,本研究では,Cuおよびパリレンの光学特性を分光エリプソメータにより測定を行い,その値を用いて計算を行った.これにより実際のデバイスモデルに則したシミュレーションを可能にし,デバイスの放射率特性の計算結果の信頼性を向上させる.

第3章

本章では,提案したデバイスの設計および各種熱伝導の検討を行う.

設計する際,本デバイスが満たすべき条件として,宇宙機の打ち上げ時の共振周波数条件(2kHz以上),および,駆動電圧(28V以下)を考慮し,静電駆動型MEMSラジエータの詳細設計を行い,形状を決定した. ダイアフラムの周囲が4本のばねで支持され,基板との初期間隔は8 μmとした.基板とダイアフラム上の電極に電圧を印加し,ばねを静電アクチュエータとしてダイアフラム間のナノギャップ制御を行う.ばね力と平行平板間の静電引力を考慮し,駆動電圧は9Vの低電圧で設計した.

さらに,提案したデバイスによる構造での開口率(放射面積/デバイスの全面積)向上の指針を示した.

また,デバイスの各種熱伝導の検討では,放射面を支持するばね,ギャップ間の空気の熱伝導,基板と放射面の間の接触熱抵抗を考慮する必要があり,それらの効果を伝熱解析により詳細に検討した.その結果,接触熱抵抗に比べて,近接場の熱ふく射による熱抵抗が小さく,近接場光を利用した可変機構の優位性が定量的に示された.宇宙空間においては,総括熱抵抗は,OFF時が3×106 K/Wであるに対し,ON時は2×105 K/Wに減少し,ダイアフラムの上下動作により,熱流束を約17倍程度変化することを明らかにした.また,実験室系においても同様に,OFF時が3×106 K/Wであるに対し,ON時は4×105 K/Wに減少し,熱流束を約7倍程度変化することが確認された.

第4章

本章では,デバイスの試作,特に本デバイスのMEMSプロセスについて述べる.前章での設計をもとに,Parylene樹脂(4 μm)を構造体として用いた22×22個のラジエータ群のプロトタイプを大面積デバイスにも応用可能な表面マイクロマシンイング技術による試作を行った.ばね構造に用いたParylene樹脂の持つ,i)ヤング率が小さく,ii)熱伝導率が低い,iii)絶縁性に優れる等の特性により,消費電力が限られる宇宙空間においても低電圧駆動のアクチュエータが実現可能となる.上下電極部にはそれぞれAuおよびCuを用いた.

デバイスの試作結果を,SEMおよびFIB-SEM観察により示す.

続いて,ギャップ間の形成を確認するため,レーザー形状測定顕微鏡を用いて測定を行い,ダイアフラムと基板のギャップ間隔は8.7 μmであり,ほぼ設計値通りにデバイスが設計されていることが確認された.

第5章

本章では,MEMSラジエータの性能評価として,アクチュエータとしての評価として変位測定,および表面温度測定用の高分解能サーモカメラを搭載した加熱実験系を構築し,変位特性およびサーモグラフィを用いた熱的特性の評価を行った.

デバイスのナノギャップ制御手法として,ばね構造が低電圧駆動の静電アクチュエータとしての役割を果たしている.これらのアクチュエータの挙動を正確に把握することが,ナノギャップ制御,さらには可変放射率制御の精度向上につながる.本研究では,高精度(分解能 1 nm)の変位測定を行い,その結果,印加電圧の変化に伴いギャップ間隔が変化することが確認できた.また,60V付近でON/OFF制御するために重要となるPull-In現象も確認された.

加熱実験におけるON/OFF時の熱流束の差から,接触熱抵抗を算出し,初期の見積りより小さい3.31×106 [K/W]であり,近接場による熱ふく射より7倍大きい熱抵抗値であることが明らかにした.デバイスの総括熱抵抗値は,接触熱抵抗のみの場合はON/OFF時で約1.9倍変化するのに対し,近接場の影響も考慮した場合,ON/OFF時で約8倍変化することを明らかにした.

第6章

本研究では,近年,開発が進んでいる小型衛星にも搭載可能な,放射率可変型の低電圧駆動型宇宙用MEMSラジエータの開発を目的として,近接場効果を用いたデバイスの提案,実現可能性の検証,設計,MEMSプロセスを用いた試作,および評価を行った.本研究で得られた成果について各章ごとに結論を述べる.

総括として,本研究では,人工衛星などへの応用を目指し,放射率を変化させることのできるMEMSラジエータの開発を行った.近接場光を用いた新しい熱ふく射制御方法を提案し,パリレン樹脂の表面マイクロマシニングを用いた静電駆動のダイアフラム構造により,比較的大きな開口率と大きな熱流束変化が実現可能であることを示した.また,各種熱抵抗の見積りにより,近接場によるふく射伝熱が支配的であることを示した.さらに,実際に試作を行い,プロトタイプデバイスによって接触熱抵抗を評価し,近接場を用いた熱制御が有効であることを明らかにした.

審査要旨 要旨を表示する

多様化が進む宇宙開発に用いられる人工衛星の熱設計において,温度変化に対応して熱放射率を制御可能なラジエータは重要な役割を果たすと考えられる.しかし,従来のサーマルルーバーなどの可変ラジエータでは,開口率が小さく,かつ重量が重いため,特に小型衛星への適用に問題があった.本論文では,表面マイクロマシニングにより形成したダイアフラムを静電力により基板垂直方向に上下動させることにより熱スイッチ群を形成し,高い開口率を有する新しいMEMS放射率可変ラジエータの提案を行ったものである.

本論文は6章からなり,第1章では,まず,人工衛星向けの従来のラジエータ技術を概観した後,ラジエータに必要な性能について議論し,MEMS技術を用いた放射率可変ラジエータに関する過去の研究例をレビューしている.そして,従来の放射率可変ラジエータでは,実効放射率の変化量が小さいこと,開口率が小さいこと,重量が重いことなどの課題を指摘し,これらの課題を解決するために,新しいMEMS放射率可変ラジエータの提案をするという,本論文の目的を述べている.

第2章では,近接場効果を用いた,新たな実効放射率制御手法の可能性について示している.ダイアフラムを基板に対して垂直に動作させることにより,標準位置では基板=ダイアフラム間が遠方場の放射伝熱となるため熱輸送量は小さいのに対し,2つの面のギャップを波長程度以下に近づけることによって,近接場効果による極めて高い熱輸送量を得ることが可能である.そして,プロトタイプデバイスで使用する,金および銅の光学定数を計測し,それらを用いた近接場の数値計算により,面間の間隔を1um以下にすることにより実効放射率を大きく変化できることを明らかにしている.

第3章では,静電駆動の新しいMEMSラジエータ構造を提案し,各種伝熱モードによる熱抵抗の評価を行っている.まず,デバイスの構造材料として,低い熱伝導率,高い絶縁破壊強度,低いヤング率を満たす,パリレン樹脂を選定している.パリレン樹脂は,過去に人工衛星などで用いられた例もあり,宇宙用材料としても適していることを指摘している.そして,人工衛星での使用に要求される共振周波数,駆動電圧を満たす設計解として,一辺500umのダイアフラムの四隅をばねで支えたラジエータ構造を提案している.さらに,熱解析をもとに,近接場効果,遠方場放射,ギャップ間熱伝導,接触熱抵抗について熱抵抗率を概算し,接触熱抵抗よりも近接場の放射による熱抵抗が小さいこと,提案する構造によって,1桁程度の総括熱抵抗の変化が可能であることを明らかにしている.

第4章では,パリレンを構造体とし,内部に駆動用の電極を有するMEMSラジエータ群を製作する,表面マイクロマシンニングによる試作プロセスについて説明し,試作の結果と,レーザー測長計,SEMによる構造の確認を行っている.また,試作結果から推奨されるプロセスの改良方法について論じている.

第5章では,電圧とダイアフラム変位の関係を求め,設計値よりも駆動に必要な電圧が高いものの,ダイアフラムを垂直方向に8um程度駆動ができることを確認している.また,放射温度計,熱流束センサなどからなる熱制御実験系を構築し,試作デバイスの熱的特性の評価に適用している.試作デバイスで絶縁膜として用いたパリレン膜が厚いため,近接場の影響を直接計測することはできなかったが,接触熱抵抗を評価し,接触熱抵抗の変化のみでは約2倍程度の熱流束変化に留まるのに対し,近接場による熱放射の計算値を加味することによって,約7倍の熱流束変化が可能であることを明らかにした.

第6章は結論であり,本論文の結論をまとめている.

以上要するに,本論文は,近接場光の影響評価,表面マイクロマシンによるポリマー構造の試作,伝熱計測などにより,熱放射制御のための新たなMEMSデバイスの提案を行ったもので,熱制御工学,マイクロ・ナノ工学,宇宙工学などの進展に寄与するところが大きい.

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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