学位論文要旨



No 128761
著者(漢字) 青木,一郎
著者(英字)
著者(カナ) アオキ,イチロウ
標題(和) 転写因子E2Fの活性制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 128761
報告番号 甲28761
学位授与日 2012.10.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7882号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 准教授 上田,宏
 東京大学 教授 秋山,徹
内容要旨 要旨を表示する

緒言

多細胞生物の細胞数は増殖速度と細胞死の頻度を調節することで厳密に制御されている。この制御が崩壊すると組織が過形成したり収縮したりして,がんや神経変性疾患等を引き起こす。がん細胞では増殖が亢進しており,また細胞死が起こりにくくなっている。この原因となるのが増殖や生存などを正に制御する原がん遺伝子の機能亢進や,細胞死や増殖停止を誘導するがん抑制遺伝子の機能喪失である。がんにおいて最も高頻度に不活性化されているがん抑制遺伝子がp53とRB(Retinoblastoma)である。転写因子p53はDNA損傷によって活性化すると,下流の遺伝子の転写活性化を介して細胞周期を停止させたり細胞死を誘導したりする。RBはヒト網膜芽細胞腫の原因遺伝子として同定された。RBは細胞周期を負に制御するが,その際に結合して不活性化する標的が転写因子E2Fである。つまり,RBが結合している間はE2Fは不活性に保たれ,細胞周期がS期に近づいてRBがCyclin-CDK複合体にリン酸化されるとE2Fから解離しE2Fが活性化する。

E2Fファミリーには現在8種類のメンバーが存在し,おおまかにE2F1からE2F3が'転写活性型'であって,DNAの複製や細胞周期の進行などに関わる遺伝子の発現を調節することで細胞周期を正に制御する。一方でE2F4からE2F8が'転写抑制型'で細胞周期を負に制御すると考えられている。E2F1は細胞周期を進めるが,予想に反してE2f1ノックアウトマウスは高頻度にがんを発症すること,およびこのマウス由来の細胞ではアポトーシスが起こりにくいことが報告された。現在E2FファミリーのうちE2F1のみがアポトーシスを誘導すると考えられている。E2F1は標的遺伝子の転写活性化を介してp53を活性化するが,p53非依存的にも細胞死を誘導する。したがって,E2F1のアポトーシス誘導能だけを特異的に活性化することができればp53が不活性化したがんに対する有望な治療戦略となりうると考えられる。

このように多彩な機能を持つE2F1の活性を制御するメカニズムを調べることを本研究では目的としている。

NEDD8化はE2F1の活性を標的遺伝子特異的に制御する

ユビキチン様タンパク質ファミリーにはユビキチン以外にもSUMO-1,ISG15,NEDD8,Apg12などが存在する。ユビキチン化がおもにタンパク質分解にはたらくのに対してこれらのタンパク質による修飾は他の様々な機能を持つ。ユビキチン様タンパク質のうちNEDD8は最もユビキチンと相同性が高い。NEDD8はユビキチン化と類似したメカニズムによって標的タンパク質へ付加される。ユビキチンのE1がモノマーなのに対してNEDD8のE1はAPP-BP1(amyloid precursor protein binding protein)とUba3のダイマーである。NEDD8のE2にはUbc12が知られている。遺伝学的な解析からNEDD8システムが細胞の増殖や生存,さらには個体の発生に重要であることが示されている。例えばUba3ノックアウトマウスは着床前後で胎生致死となる。

NEDD8化の標的となる分子としては,SCF複合体の構成因子であるCullinファミリーなどが報告されている。SCF複合体は細胞周期の進行などに関わるユビキチンリガーゼ複合体である。CullinのNEDD8化はSCF複合体へのE2の結合を促進することでSCF複合体を活性化することが知られている。

また,p53やそのファミリーであるp73といった転写因子はNEDD8化されることで不活性化することが報告されている。E2F1はユビキチンやSUMO-1といったユビキチン様タンパク質によって修飾されることが知られているので,E2F1もNEDD8化によって制御される可能性を検討した。

まず,E2F1が細胞内でNEDD8化されるかどうかを調べた。HEK293T細胞にHisタグの付いたNEDD8を発現してHisタグを吸着するTalonビーズでプルダウンした後にE2F1抗体を用いてウェスタンブロットした。すると,His-NEDD8を発現したときにE2F1のNEDD8化を示すラダー状のバンドが検出された(図2)。したがって,E2F1は細胞内でNEDD8化されることがわかった。

次に,E2F1のNEDD8化の意義を検討した。特異的にNEDD8を基質から切断するシステインプロテアーゼSENP8を用いた。SENP8を発現するとE2F1のNEDD8化が消失した(図3)。E2F1のNEDD8化がE2F1の活性に及ぼす影響を検討するために,レポーターアッセイを行った。E2F1の標的遺伝子であるp73あるいはE2F2のプロモーター領域をルシフェラーゼ遺伝子の上流に組み込んだレポーターを用いた。p73レポータープラスミドと共にE2F1を発現するとレポーターが活性化したが, SENP8を共に発現するとE2F1による活性化がさらに増幅された(図4)。一方でE2F2レポーターの活性にはSENP8の影響は見られなかった。したがって,E2F1のNEDD8化はE2F1の転写活性を標的遺伝子特異的に負に制御することが示唆された。

まとめとその後の展開

本研究から細胞内でE2F1がNEDD8によって翻訳後修飾されること,およびE2F1のNEDD8化はアポトーシスの促進にはたらくp73を含む一部の標的遺伝子に対するE2F1の活性を特異的に抑制する可能性が示唆された。したがって,E2F1のNEDD8は細胞が死ぬことなく増殖している際にE2F1によるアポトーシスの誘導を抑制している可能性が考えられる。実際にその後の研究によりE2F1のNEDD8はE2F1によって誘導されるアポトーシスを抑制することを示唆する実験結果を得ている。また,E2F1はDNA損傷によるアポトーシスにおいて重要であることが知られている。その後の研究によってE2F1のNEDD8化がDNA損傷によって減少すること,およびDNA損傷によるp73の発現誘導及びアポトーシスにSENP8が必要であることを示した。これらの結果はDNA損傷応答にE2F1の脱NEDD8化が重要な役割をはたす可能性を示唆している。さらに,E2F1のNEDD8化がE2F1によるp73の発現誘導を抑制するメカニズムとして,E2F1のNEDD8化はE2F1とp73の発現誘導に必要な転写共役因子であるMicrocepharin1 (MCPH1)との相互作用を抑制することを示唆する実験結果を得た。また,DNA損傷によってE2F1とMCPH1の相互作用は増加することが報告されているが,この相互作用の増加にSENP8が必要であることを示した。以上の結果から"DNA損傷がないときにはE2F1はNEDD8化されておりMCPH1と解離しているが,DNAが損傷されるとE2F1はSENP8依存的に脱NEDD8化された結果MCPH1と相互作用してp73を転写活性化してアポトーシスを誘導する"というモデルを考えている(図5)。

図 1 E2FはG1後期に活性化して標的遺伝子を転写活性化する

図 2 E2F1 はNEDD8 による翻訳後修飾を受ける

図 3 SENP8 はE2F1を脱NEDD8 化する

図4 SENP8 はp73 プロモーターに対するE2F1 の活性を特異的に抑制する

図5 NEDD8 化によるE2F1 の活性制御モデル

審査要旨 要旨を表示する

多細胞生物の細胞数は増殖速度と細胞死の頻度を調節することで厳密に制御されている。この制御が崩壊すると組織が過形成して腫瘍を形成したり,逆に組織が萎縮して神経変性疾患等を引き起こしたりする。

本研究で注目した転写因子E2Fは増殖と細胞死を制御する鍵となる因子である。E2Fファミリーには現在E2F1からE2F8までの因子が存在することが知られているが,E2F1-3が活性型,E2F4-8が抑制型と分類されている。E2Fの機能としてはまず細胞の増殖を促進することが挙げられる。細胞周期のG1後期においてE2FはDNA合成や細胞周期の進行に関わる遺伝子を転写活性化することで細胞周期をS期へ進行させる。ところが,活性型E2FのうちE2F1は増殖を促進する一方でアポトーシスを誘導する。E2F1が増殖を促進するにもかかわらず,E2F1ノックアウトマウスは予想に反して様々な組織でがんを発症すること,E2F1を欠損した細胞はアポトーシスを起こしにくいこと,さらにE2F1はアポトーシスを促進する様々な遺伝子を転写活性化することが報告されている。

このように,E2Fは増殖を促進する一方で細胞死を誘導する能力も持っており,多細胞生物の恒常性を維持するのに重要な因子であると考えられている。本研究では多様な機能を持つE2Fの活性を制御するメカニズムを調べることを目的とした。

序章では、転写因子E2Fについて研究の背景、既往の研究および本研究の意義について述べた。

第1章では,NEDD8化によるE2Fの活性制御について解析した。NEDD8とはユビキチン様タンパク質ファミリーの一つで,ユビキチン化と同様にE1,E2,E3の酵素群によって基質のリシン残基に付加される。NEDD8化の基質としては細胞周期の進行に重要なユビキチン化酵素複合体であるSCF複合体の構成因子Cullinが最もよく研究されている。CullinのNEDD8化はCullinに劇的な構造変化をもたらし,またCullinと共役因子との相互作用に影響する。そしてCullinのNEDD8化はSCF複合体のユビキチン化活性に決定的に必要である。他にも,主要ながん抑制遺伝子であるp53やそのファミリーであるp73といった転写因子がNEDD8化の基質として報告されている。NEDD8化はp53やp73の活性を負に制御する。本研究ではE2FファミリーのメンバーがNEDD8化されることを示した。E2F1のNEDD8化はアポトーシスを誘導するp73などの標的遺伝子に対するE2F1の活性を特異的に抑制することを示唆する結果を得た。これらの結果からE2F1のNEDD8化はE2F1の増殖促進因子としての働きとアポトーシス誘導因子としての働きを切り替える分子的なスイッチとしてはたらく可能性が示唆された。

第2章では,主要ながん抑制遺伝子であるp14ARFによるE2F1の活性制御について解析した。ARFによる主要ながん抑制メカニズムはp53経路の活性化だと考えられていた。ARFはp53のユビキチンリガーゼであるMdm2と直接結合してMdm2のp53に対する抑制作用を阻害することで,p53を安定化および活性化することが示されている。しかしながら,がんにおいてp53とARF両方の機能喪失が起こっている場合があることなどからARFのがん抑制作用の少なくとも一部はp53非依存的であると考えられている。ARFが細胞周期を停止する際の,p53以外のターゲットの一つとして転写因子E2Fが報告されているが,そのメカニズムはよくわかっていなかった。本研究では,ARFとMdm2が協調してE2F1のユビキチン化を促進することを示唆した。この結果から,代表的ながん遺伝子であるMdm2も状況によってはがん抑制にはたらく可能性があることが示唆された。したがって,現在Mdm2の阻害剤ががん治療に使用されつつあるが,状況を見極めた慎重な運用が必要であると考えられる。

以上のように申請者は、細胞の生と死の分岐点に位置する非常に重要な分子であるE2Fの活性制御に関して研究を行い,前半ではE2Fに関する新たな翻訳後修飾であるNEDD8化を見出し,この修飾がE2Fに対して標的に対する指向性を与える可能性を示した。また,後半ではがん抑制因子であるARFがE2Fの活性を抑制するメカニズムとして,ARFはMdm2の活性を利用してE2Fのユビキチン化を促進することを示した。ほとんどのがんにおいてはp53経路が不活性化しているが,E2F1はp53非依存的に細胞死を誘導できることからがん治療の有用な標的となりうる。このため、本研究の成果はがんに対する新たな薬剤標的を提案し、実際に薬剤を創成する上で医学・薬学・工学分野に貢献するものである。また、細胞の生死の選択はがん以外の系でもあらゆる細胞にとって決定的に重要である。そのため、このメカニズムに迫った本研究は,細胞増殖のコントロールが重要な再生医療・組織工学分野にも貢献できると考えられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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