学位論文要旨



No 128764
著者(漢字) 菅原,慎矢
著者(英字)
著者(カナ) スガワラ,シンヤ
標題(和) 離散選択変数のミクロ計量経済モデルのためのベイズ分析
標題(洋) Bayesian Analysis for Microeconometric Models of Discrete Choice Variables
報告番号 128764
報告番号 甲28764
学位授与日 2012.10.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第313号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 経済理論専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大森,裕浩
 東京大学 教授 國友,直人
 東京大学 教授 矢島,美寛
 東京大学 教授 久保川,達也
 東京大学 教授 市村,英彦
内容要旨 要旨を表示する

As symbolized by the Nobel prize in 2000 awarded for Daniel McFadden, econometrics has accumulated enormous studies to deal with discrete variables. In spite of the rich literature, there always emerges a requirement for new econometric techniques along with development of new economic theories. Among a various directions in this expanding study field, this thesis concentrates on models for multiple discrete variables.

We analyze models which are characterized by mutual dependencies of multiple dependent variables. When there are such dependencies, as studied in spatial statistics, we have two ways of the modeling. One is the simultaneous specification, while another is the conditional specification. Since both specifications have advantages and disadvantages, an appropriate choice among them depends on a situation.

The simultaneous specification assumes that the models for all the dependent variables are satisfied simultaneously. The difficulty of the simultaneous specification is that we need to justify the simultaneity, which requires special assumptions exogenous to the statistical model. In econometrics, the concept of an equilibrium often plays the role of this assumption. Thus, the simultaneous specification has been more popular than the conditional specification in econometrics and there is a rich literature in the name of simultaneous equation models.

The conditional specification assumes that each model separately describes the conditional model of one variable given the other dependent variables. The disadvantage of this specification is that since conditional distributions do not always guarantee the existence of the joint distribution, we need to check the recoverability of the joint model. This recoverability has been studied in statistics in the name of compatibility. In discrete variables, the compatibility condition often yields a serious restriction on feasible models.

As a technique for econometric analysis for our models, we adopt a Bayesian approach. In complicated models for discrete variables, it is often difficult to obtain a closed form of the likelihood function and hence to incorporate maximum likelihood estimation. The Bayesian methodology is an attractive alternative for such a case. Historically, practical usages of Bayesian statistics in this field are rather new, since it has been enabled by a development of computer-intensive Bayesian methodologies such as the Markov chain Monte Carlo(MCMC). Discrete variable models have provided attractive application topics for the MCMC since its early stage.

This thesis contains three chapters which deal with Bayesian analysis for distinct econometric models of multiple discrete variables. The organization is as follows: Next to this overview, Chapter 2 provides a study for empirical entry game models. In entry games, players make a binary decision whether to enter a market or not, taking account to strategies of the other players. It causes that the observed set of binary decisions must be dependent each other. Especially, when we assume that players take pure Nash equilibria, the corresponding statistical model is a simultaneous specification. Based on these discussions, we provide a Bayesian estimation procedure and apply it to Japanese airline market.

Chapter 3 considers statistical analysis for asymmetric information in insurance markets. We focus on two binary variables, an occurrence of an accident and a purchase of an insurance for each consumer. A conventional methodology adopts the bivariate probit model and detects the existence of information asymmetry by a positive correlation for the error terms of two probit equations. We extend this approach to identify two fundamental elements of asymmetric information, moral hazard and selection problems, separately. To do so, we face a question which specification we should use, conditional or simultaneous. It is shown that the conditional specification can not achieve the separated identification, while the simultaneous specification requires additional assumptions on consumer's behavior. Then we incorporate the simultaneous specification with appropriate behavioral assumptions. We present a Bayesian inferential technique and apply it to American dental insurance market.

Chapter 4 analyzes effects of a governmental intervention to a market which is stuck in an inefficient Nash equilibrium. Specifically, we study Japanese private nursing home market, in which asymmetric information yields a complicated price mechanism which might harm many consumers. We provide a prediction study for a counter factual intervention which abandons the undesirable custom. To do so, we construct a model for simultaneous demand and supply. The advantage of our approach is that although the demand side model consists of discrete choices of individual consumers, utility parameters can be estimated using only aggregate data. However, the conventional estimation procedure via the generalized method of moments can not identify our predictor of interest. Then we construct a likelihood function, paying a special attention to the simultaneity of supply and demand. To reduce the influence of distributional assumptions, we adopt a nonparametric Bayesian approach.

審査要旨 要旨を表示する

論文の内容

本論文では,被説明変数が離散的な確率変数として表される選択行動のミクロ計量経済モデルにおいて,特に複数の選択行動間に依存関係が存在する問題について研究がまとめられている.相互に依存する関係を統計的なモデルとして表現するためには主として2つの方法があり,第1の方法では,他の被説明変数および説明変数を所与とするときの被説明変数の条件付分布をまず定義する.しかし,それぞれの被説明変数の条件付分布のみを定義しても同時分布が存在するとは限らないため,更にその存在を保証するための条件 (compatibility condition) を導入する.第2の方法では,まず経済理論に基づく仮説によって導かれる選択行動の確率を定義し,更に多重均衡に該当する選択に関して追加的な仮定を置くことによって(確率の和が1にならないという)統計的incoherencyの問題を回避する.これらの統計モデルにおいては確率的効用を表す潜在変数や多重均衡の選択に関する潜在変数を観測値ごとに設定するため,観測値から得られる情報が必ずしも多くはなく最尤法による推定がしばしば困難となり,パラメータに関する統計的推論や予測が難しくなる.この問題を克服するために本論文ではベイズ統計学のアプローチをとり,シミュレーションに基づくマルコフ連鎖モンテカルロ法という計算統計の手法を用いて,統計的推測と予測を行っている.さらに個々の選択行動が観測されずに集計された選択肢の割合であるマーケット・シェアだけが観測される場合についても,ノンパラメトリック・ベイズ法を用いて統計的推定と政策効果のシミュレーションを行っている.

第1章では,まず本論文で扱う選択行動の計量経済モデルについて先行研究を概観し,それらの推定方法とその問題点について短くまとめている.第2章では, 我が国の航空産業における国内航空路線への参入行動の計量経済分析を行っている.国内航空路線では日本航空と全日空が90%以上の大きなシェアを持つため,複占下における市場参入ゲームを想定し,一方の企業がある市場(航空路線)に参入するかどうかの意思決定が,他方の企業がその市場に参入するかどうかを考慮して行われるとする(ただし各市場における意思決定は独立であると仮定する).この場合に各企業がある市場に参入するかどうかという選択行動(被説明変数)は互いに依存する関係にあるが,本論文では各企業は純粋ナッシュ均衡を選択すると仮定し,複数の均衡が存在して一意に必ずしも定まらない可能性がある場合には確率的にある均衡を選択するとする.つまり,各企業は基本的には利得関数を最大化するように意思決定を行ってその確率を定義するが,これらの選択行動が統計的incoherencyを生じないように選択行動に確率的な仮定を追加している.その際に,多重均衡のどの均衡を選択するかということを表す潜在変数を導入し,ベイズ統計学のアプローチを用いてマルコフ連鎖モンテカルロ法によるモデル・パラメータの推定を行っている.この方法はさらに混合戦略ナッシュ均衡の計量経済モデルにも拡張されている.

実証分析では2007年2月時点の日本航空および全日空の航空路線データを用いている.その際,一方の企業が市場に参入することで他方の企業への与える影響を表す係数の符号に依存して多重均衡の生じかたが変わるため,それらの係数の符号の組み合わせごとに場合分けをしてモデルを設定・推定しており,どのモデルが現実のデータをよく説明しているのかについて,周辺尤度というモデルのあてはまりを表す尺度を用いて比較している.結果として「全日空の市場参入は日本航空の市場参入の利得関数に対して正の効果を与え,逆に日本航空の市場参入は全日空の利得関数に負の効果を与える」というモデルがあてはまりの最も良いモデルとして選択されており,国内航空路線への市場参入で先行する全日空に日本航空が追随するという,我が国航空産業の歴史的な経緯を考慮すると比較的自然な解釈を与えている.最後に,最もよいとされたモデルを用いて富士山静岡空港のいくつかの航空路線について全日空・日本航空のいずれも参入しない場合の確率を予測して,新千歳空港以外の路線については非常に高い確率で参入しないことを示している.

第3章では,アメリカ合衆国における歯科保険を応用例として,保険の購入と歯科治療の受診という2つの離散確率変数で表される選択行動の計量経済分析を行っている.保険の購入者と保険会社には情報の非対称性があると考えられ,例えば歯科受診のリスクの高い個人は保険に対する需要が高い(adverse selection)と考えられるが保険会社はその個人のもつリスクを知ることはできず,また個人が保険に加入すると歯科受診を回避する努力を怠る可能性(moral hazard)もあるが,そのような個人の態度変化を保険会社は予測することもできないことが一般的である.先行研究では2変量プロビット・モデルを用いて確率的効用によって選択行動が決定されるとし,確率的効用を表す2つの潜在変数に相関のある2変量正規分布を仮定して,その相関係数が正であるときに保険会社と保険加入者の間に情報の非対称性が存在すると考えていた.しかし,先行研究の実証分析の多くでは正の相関がみとめられず,また正の相関があってもそれがadverse selectionによるのかmoral hazardによるのかを区別することは,この2変量プロビット・モデルの枠組みではできなかった.

そこで本論文では正の相関が見られない原因が,歯科受診のリスクの低い個人ほどリスク回避を選好して保険に対する需要が高い(advantageous selection,)ことにより相関関係が相殺されているのではないかと考えて,更にこれら3つの要因(moral hazard およびadverse selection ・advantageous selectionのいずれか)を区別して捉えるため,第2章と同様に保険購入の確率的効用は,歯科受診に影響を受けると同時に歯科受診の確率的効用は保険購入の影響を受けるというモデルを採用している.このとき2つの被説明変数の条件付分布から同時分布を定義するためには,compatibility conditionを導入する必要があり,選択行動の条件付モデルがロジット・モデルに帰着せざるを得ないこと,またそのモデルでは一方から他方への影響を表す係数が共通でなければならないことを示し,3つの要因を区別して捉えるためには第2章と同様に多重均衡のもとでは確率的な選択を行うというモデルを採用する必要があることを指摘している.提案されたモデルをアメリカ合衆国の歯科保険のデータ(2004年, Medical expenditure panel survey)に適用し,「歯科受診は保険購入の効用に負の効果を与え(advantageous selection),保険購入が歯科受診の効用に正の効果を与える(moral hazard)」モデルが,最もよいモデルとして選択されることを示している.この結果はまた所得の高低(上位・下位10%)に関わらず観測されるとしている.更に保険購入が歯科受診の有無ではなく歯科受診の効用水準に依存するというモデルについても拡張を行い,推定方法を提案するとともにアメリカ合衆国における歯科保険のデータへの適用を行い,同様な結果が得られるとしている.

第4章では,我が国における特別養護老人ホームと有料老人ホーム(ただし要介護者を対象とするホームのみ)の需要と供給の双方を考慮したモデルを構築し,有料老人ホームにおける入居金を廃止するという仮想的な政策が入居者の支払総額に与える効果についてシミュレーションを行っている.需要・供給のモデルはBerry, Levinsohn and Pakes (1995)に基づいており,都道府県ごとに観測されるホームのマーケット・シェアのデータを用いている.需要に関しては,個人の選択行動の集計としてマーケット・シェアが観測されるとしており,ホームに入居することによる確率的効用が,観測されるホームの特性・観測されないホーム及び個人の変量効果・入居金・月額利用料の線形関数であると仮定し,ホームの変量効果を尤度関数から積分することでホームのマーケット・シェアをロジット・モデルとして導出している.一方供給に関しては,入居一時金を償却期間で除した月額償却金額は外生的に与えられると仮定して,各ホームが月額利用料金を増減させて利潤最大化を行うとし,限界費用の対数が観測される説明変数の線形関数と誤差の和であるとしている.先行研究では需要・供給における観測できない2つの確率変数の期待値が0であると仮定して,操作変数を用いたGMM(一般化モーメント法)による推定を行っているが,この方法では政策効果のシミュレーションを行うことが難しい.この問題を解決するために本論文では,ベイズ統計学のアプローチをとり,潜在変数の確率分布に関して強い仮定をおかずにノンパラメトリック・ベイズの方法であるポリヤ木混合モデルを用いてパラメータの推定をまず行い,その後に静岡県のホームを例にとって,入居金を廃止するという仮想的な政策が入居者の支払総額を減少させる効果を持つことをシミュレーションによって示している.

論文の評価

第2章では,我が国の航空産業における市場参入ゲームの計量経済分析を行っているが,多重均衡が存在する場合にはどの均衡を選択するかは確率的に行うとし,その確率が各市場で異なるとすることにより生じる統計的推論の困難を,ベイズ統計学のアプローチをとることで解決している点に本論文の特長がある.均衡のいずれかを選択する確率に関して追加的な情報がないときには,最尤法などの観測値の個数が多いことを前提とする推定法を用いることは困難である.先行研究では,この問題を解決する一つの方法として,パラメータがある一定の不等式制約を満たすもとで(点推定ではなく)パラメータが含まれる集合の推定を行い,その集合に関する信頼領域を求めるという方法をとっているが,パラメータに関する統計的推論がやや間接的となり,直接的な推論を行うことは難しい.本論文では,ベイズ統計学のアプローチをとることにより,(事前情報もデータからの情報もあまりない)均衡の選択確率に関するパラメータについては事後的にも情報がないことを許容しながら,その一方でその他のパラメータ(市場参入を説明する変数の回帰係数や相手企業の参入の影響を表す係数など)については,データからの事後的な情報を抽出することに成功している.実証分析において選択されたモデルは,1970年・1972年に航空会社の事業割り当てを行った45/47体制において,日本航空は国際線と国内幹線の運航を,全日空は国内幹線とローカル線の運航を行うとされたことと符合している.また航空路線参入の予測を行った富士山静岡空港では現在,新千歳空港(日本航空・全日空)・福岡空港(日本航空)・那覇空港(全日空)のみに就航が行われており,比較的妥当な予測結果であるといえる.ただし,モデルに用いられている説明変数の1つが,他の航空路線への参入に関係する変数があり,全日空の利得関数においては有効な変数となっているため,厳密には今後においてこの変数の依存関係についても考慮する必要があるであろう.

第3章では第2章と同じモデルを用いているが,第2章とは全く異なる応用として歯科保険を取り上げ,先行研究では識別できなかったadverse selection・advantageous selectionおよびmoral hazardといった要因についてその効果を別々に測る試みがなされている点が意義深いといえる.同じ条件付モデルであっても,尤度関数を定義するためにはcompatibility条件を満たすことで同時確率密度関数を定義することもできるが,そのアプローチでは結局求めるべき要因が適切に区別できないことを明らかにしたうえで,第2章と同様なモデル構築が必要であることを示している点が説得的である.アメリカ合衆国における歯科保険のデータへの適用においても,先行研究では分離できなかった要因を区別することのできるモデルがあてはまりのよいことが示されており,また先行研究でよく用いられている単純な2変量プロビット・モデルでは(高所得者の)部分標本では相関係数に関して全体標本とは異なる結果が得られるのに対して,提案モデルでは(所得階級に基づく)部分標本に依らず全体標本と同じ結果が得られていることも示されており,推定方法としてベイズ統計学のアプローチを用いることで新しい知見を得ることに成功しているといえる.

第4章は,急増している老人ホームの計量分析という近年特に重要な問題を取り上げており,ベイズ計量経済分析においては新しい推定方法であるポリヤ木混合モデルというノンパラメトリック・ベイズ法を用いている点,またそれによってGMM法では困難であった政策シミュレーションを行ったという点で大変独創的であり意義深い.需要・供給のモデルも先行研究であるBerryらの論文に基づいてはいるが,これを拡張してホームの直面する入居者の長生きリスクに関する不確実性もモデルに導入している.ただ推定方法が特定の確率分布を仮定しないノンパラメトリックな方法であっても,その基礎的な測度を与える確率分布の設定,あるいは定義域をどの程度細かく分割して尤度関数を構成するかを分析者が与える必要があり,その感度分析については今後において一層の検討が必要であろう.また確率分布の仮定に関する頑健性はパラメータの推定精度の低下を招く可能性もあることを考えるとき,パラメトリックな確率分布を仮定する計量経済モデルとデータへのあてはまりの比較をすることも今後の課題である.

論文審査の結論

以上の評価では,菅原氏の提出論文に対して一致して高い評価を与えると共に,今後の課題や拡張の可能性について指摘がなされた.また提出論文の第2 章は国際的学術雑誌 (Japanese Economic Review) にすでに採択されており、第3 章・第4 章も同様に国際的に高く評価されている学術誌に投稿する予定となっている.このように本研究の完成度は高く各章は独創的かつ意欲的でありまた今後の展開が期待される内容であり、したがって本研究科が要求する学位論文としては十分である.以上により、審査委員会は全員一致で本論文を博士(経済学)の学位授与に値するものであると判断した.

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