学位論文要旨



No 128769
著者(漢字) 竹元,賢治
著者(英字)
著者(カナ) タケモト,ケンジ
標題(和) ミトコンドリアDNA解析によるイカ類の種判別法の開発に関する研究
標題(洋)
報告番号 128769
報告番号 甲28769
学位授与日 2012.11.02
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3868号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山下,倫明
 東京大学 特任教授 渡部,終五
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 教授 浅川,修一
 東京大学 教授 潮,秀樹
内容要旨 要旨を表示する

イカ類は,大別してコウイカ目とツツイカ目に分類され,コウイカ目には5科,ツツイカ目には28科の計33科が含まれ,約450種が知られている。これらは,形態学的な特徴とともに,ミトコンドリアDNAの塩基配列の相同性による分子遺伝学的な特徴に基づいて分類される。わが国では,スルメイカ,アカイカ類,ヤリイカ類およびコウイカ類が重要な水産資源として位置づけられる。日本国内でのスルメイカの漁獲量は,216,600トン(2009年),アカイカ類の漁獲量は35,993トン(2009年),ヤリイカ科のケンサキイカの漁獲量は9,200トン(2009年),ヤリイカの漁獲量は8,186~9,794トン(2011年),コウイカ類の漁獲量は7,065トンであり(2006年),約8万トンのイカ類がタイおよびその他のアジア諸国から輸入されている。

形態的な特徴に基づいて種を同定することが困難な場合,とくに,冷凍品,塩干品,燻製品等の加工品や外部形態が成体と異なる卵稚仔では,種を同定するための分析手法としてDNA塩基配列情報を利用することが有用である。

ミトコンドリアDNA全塩基配列が魚介類の系統解析に広く用いられるようになり,水産生物の種判別の手法として,ミトコンドリアDNAを用いる遺伝子解析法が系統分類,集団解析,食品鑑定などに応用されているが,イカ類では,ミトコンドリアDNA全塩基配列が解析されているものは12種に限定されている。そのため,ミトコンドリアDNAによる遺伝子解析の高度化のためには,水産業の対象となる生物種の塩基配列情報を得て生物種間の相違を明らかにし,イカ類の分子系統関係を解析する必要がある。

水産加工品には,国内外で漁獲されるさまざまな生物種が利用されており,生産地が異なれば,原料となる生物種やその品質が異なる例も多い。食品表示に対する消費者の信頼を確保する観点から「農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律(JAS法)」によって,生鮮品の場合は,名称と原産地(輸入品の場合は原産国),加工品の場合は,原料原産地の品質表示が義務づけられている。水産物の品質表示の内容を科学的に検証するため,生物種名や漁獲された海域,輸入品の場合は原産国を推定する技術開発に対する行政ニーズがある。また,税関の輸入品検査では,コウイカ目の5種(ヨーロッパコウイカ,トラフコウイカ,カミナリイカ,コブシメおよびオーストラリアコウイカ)は輸入割当の該非および関税率が異なることから,コウイカ目5種とコウイカ類以外の生物種との判別を可能にする簡便な種判別技術の開発が期待されている。

本研究は,このような背景の下,イカ類の水産重要種を対象として,ミトコンドリアDNAの塩基配列を解析することによって,イカ類の分子系統関係を明らかにし,ツツイカ類とコウイカ類とを判別するための簡便なPCR分析法を開発した。成果の概要は以下の通りである。

イカ類のミトコンドリアDNA全塩基配列の決定と解析

本研究では,水産重要種のうち,ミトコンドリアDNA全塩基配列が報告されていないケンサキイカ(Loligo edulis f.kensaki),日本海西部において秋季から冬季に漁獲されるケンサキイカの季節型のブドウイカ(L. edulis f. budo)およびコウイカ目のシリヤケイカ(Sepiella japonica)について,ミトコンドリアDNAの全塩基配列を決定した(順に登録番号AB675080,AB675081,AB675082)。

ケンサキイカおよびブドウイカのミトコンドリアDNAには,他のイカ類と同様に,13個のタンパク質をコードする遺伝子,16SrRNA遺伝子,12SrRNA遺伝子および22個のtRNA遺伝子が含まれており,同じLoligo属のヤリイカおよびカリフォルニアヤリイカと共通の遺伝子配置を示し,ツツイカ類開眼亜目の他のイカ類で見られる6遺伝子の重複(CO1, CO2, CO3, ATP6, ATP8およびtRNA(Asp))はヤリイカ類には見られなかった。ケンサキイカ,ブドウイカ,ヤリイカ(L. bleekeri)およびカリフォルニアヤリイカ(L. opalescens)のミトコンドリアDNA塩基配列の比較によって,ヤリイカのATP6においてアミノ酸1残基の欠失が認められ,ATP8においてアミノ酸2塩基の挿入が見られた。決定されたケンサキイカおよびブドウイカのミトコンドリアDNA全塩基配列は,ケンサキイカが17,360 bp,ブドウイカが17,351 bpであった。

ケンサキイカのミトコンドリアDNA全塩基配列をヤリイカおよびカリフォルニアヤリイカと比較すると,それぞれ506塩基および480塩基の非コード領域での欠失があり,全塩基配列に対して3310塩基(18.9%)および3407塩基(19.5%)の置換が見られた。

コウイカ類では,シリヤケイカのミトコンドリアDNA全塩基配列を解析した結果,他のイカ類と同様に,13個のタンパク質をコードする遺伝子,16SrRNA遺伝子,12SrRNA遺伝子および22個のtRNA遺伝子が含まれており,ヨーロッパコウイカ(Sepia officinalis)およびコウイカ(S. esculenta)と共通の遺伝子配置を示した。開眼亜目のイカ類においてみられる6遺伝子の重複はコウイカ類では見られなかった。遺伝子間のコード領域がオーバーラップした塩基配列が,ND4とND4L間の4塩基,Cytb とND6間の8塩基およびND1とCO1間の29塩基で見られた。シリヤケイカのミトコンドリアDNA全塩基配列は,16,172 bpであり,ヨーロッパコウイカおよびコウイカと比較すると,非コード領域での221塩基および345塩基の欠失が観察され,全塩基配列のうち2472塩基(15.2%)および3304塩基(20.2%)で置換が見られた。

ミトコンドリアDNA全塩基配列が決定されたケンサキイカ,ブドウイカおよびシリヤケイカを含むイカ類13種と外群としてのタコ類2種について,ミトコンドリアDNAに存在する13個のタンパク質コード遺伝子,2個のrRNA遺伝子および22個のtRNA遺伝子を用いて,Kimura 2-parameterモデルによる最尤系統樹を作成したところ,ケンサキイカの塩基配列はヤリイカおよびカリフォルニアヤリイカと相同性が高く,アオリイカとともに閉眼亜目イカ類のクラスターを形成した。また,シリヤケイカのミトコンドリアDNA全塩基配列はヨーロッパコウイカと最も相同性が高く,コウイカを含む3種でコウイカ目イカ類のクラスターを形成した。また,開眼亜目のクラスターには,アメリカオオアカイカ(Dosidicus gigas),スルメイカ(Todarodes pacificus),トビイカ(Sthenoteuthis oualaniensis),ダイオウイカ(Architeuthis dux)およびホタルイカ(Watasenia scintillans)が含まれていた。

ケンサキイカ季節型ケンサキイカ型およびブドウイカ型の遺伝的差異の解析

決定したケンサキイカおよびブドウイカのミトコンドリアDNAの全塩基配列を比較すると,11塩基の置換が見られ,それらのうち,8塩基がコード領域にあり,3塩基が非コード領域に見られた。塩基の欠失は,ブドウイカにおいて18塩基,ケンサキイカにおいて9塩基存在したが,これらは全て非コード領域におけるものであった。コード領域の塩基配列はケンサキイカおよびブドウイカの間で高度に保存されており, 全塩基配列の99.9%が一致した。両者間で見られた8塩基の置換のうち,アミノ酸置換を含む3カ所が ND1遺伝子に見られたことから,ND1遺伝子の塩基配列の変異を指標として,ケンサキイカとブドウイカの遺伝的差違を集団遺伝学的に解析した。ケンサキイカ51個体およびブドウイカ60個体におけるND1遺伝子の変異を比較した結果,12個の塩基置換が検出され,13種類のハプロタイプに分類された。ケンサキイカおよびブドウイカについて遺伝的差異を統計学的に解析した結果,F(ST)値が0.00361,p値が0.622となり,ケンサキイカとブドウイカとの間に遺伝的差異は認められなかった。これらのことから,夏刈(1995)がアイソザイム解析によって指摘したように,ケンサキイカとブドウイカとは,地域的および季節的要因によって生じていることがミトコンドリアDNAの解析から推定された。

PCR-RFLP法によるイカ類の種判別法の開発

コウイカ目およびツツイカ目のイカ類を対象として,PCR-RFLP法による種判別法を開発した。PCR-RFLP法に適用可能なDNA塩基配列として,生物種間で鎖長が異なる12SrRNA遺伝子領域を選定し,コウイカ目とツツイカ目とを判別するための種判別技術を開発した。イカ類22種について,12SrRNA遺伝子領域の一部配列をPCR法で増幅した結果,コウイカ目とツツイカ目との生物種間で,サイズの異なるPCR産物が得られた。最も短いものが465 bp(アオリイカ),最も長いものが497 bp(ケンサキイカ)であった。これらPCR産物をHindIIIによって処理した結果,コウイカ目のPCR産物は,分析に用いた全ての試料でHindIIIによって切断されたが,ツツイカ目のPCR産物は,HindIIIによって切断されなかった。種判別法の開発に用いた対象生物種のうち,コウイカ,ヨーロッパコウイカ,ヤリイカ,アオリイカ,ケンサキイカ,アカイカ,アメリカオオアカイカ,スルメイカ,アルゼンチンイレックスおよびソデイカについて,各50個体を材料として,PCR-RFLPのDNAバンドを測定した結果,HindIII切断点の個体変異は見られなかった。

以上の結果から,本研究の成果は,イカ類の水産重要種を対象として,ミトコンドリアDNAの塩基配列上の特徴を明らかにするとともに,ツツイカ目とコウイカ目とを簡便に判別するためのPCR-RFLP法を開発したものであり,比較生化学および水産化学に資するところが少なくない。

審査要旨 要旨を表示する

イカ類は、わが国の重要な水産資源であり、スルメイカやアカイカ類、ヤリイカ類、コウイカ類などが国内で生産される一方、輸入品も多い。冷凍水産物や加工品は、外見から種を同定することが困難であるため、生物種を確認するための分析手法としてDNA塩基配列情報を利用することが有用である。水産物ではミトコンドリアDNAの分析手法が系統分類、集団解析、食品鑑定などに応用されている。そこで、水産物におけるミトコンドリアDNAによる遺伝子解析の高度化のため、水産重要種の塩基配列情報を得て生物種間の遺伝的相違を明らかにし、イカ類の分子系統関係を解析する必要がある。

食品表示に対する消費者の信頼を確保する観点から、生鮮品の場合は、名称と原産地、輸入品の場合は原産国、加工品の場合は、原料原産地の品質表示が義務づけられている。水産物の品質表示の内容を科学的に検証するため、生物種名や漁獲された海域、輸入品の場合は原産国を推定する技術開発に対する行政ニーズがある。また、税関の輸入品検査では、コウイカ目の5種(ヨーロッパコウイカ、トラフコウイカ、カミナリイカ、コブシメおよびオーストラリアコウイカ)は輸入割当の該非および関税率が異なることから、コウイカ目5種とコウイカ類以外の生物種との判別を可能にする簡便な種判別技術の開発が期待されている。

本研究は、このような背景の下、イカ類の水産重要種を対象として、ミトコンドリアDNAの塩基配列を解析することよって、イカ類の分子系統関係を明らかにし、ツツイカ類とコウイカ類とを判別するためのPCR分析法を開発した。成果の概要は以下の通りである。

本研究では、水産重要種のうち、ケンサキイカ(Loligo edulis f. kensaki)、ブドウイカ(L. edulis f. budo)およびシリヤケイカ(Sepiella japonica)のミトコンドリアDNAの全塩基配列を決定した。ケンサキイカおよびブドウイカのミトコンドリアDNAには、他のイカ類と同様に、13個のタンパク質をコードする遺伝子、16 S rRNA遺伝子、12 S rRNA遺伝子および22個のtRNA遺伝子が含まれており、ヤリイカ類と共通の遺伝子配置を示した。コウイカ類のシリヤケイカのミトコンドリアDNA全塩基配列を解析した結果、他のコウイカ類と共通の遺伝子配置が明らかにされた。ミトコンドリアDNA全塩基配列を決定したケンサキイカ、ブドウイカおよびシリヤケイカを含むイカ類13種に対する分子系統関係が明らかとなった。

外部形態が異なるが、同一種であると考えられるケンサキイカおよびブドウイカのミトコンドリアDNAの全塩基配列を比較した。全塩基配列の99.9 %が一致したが、両者間には、アミノ酸置換を含む3カ所の塩基置換が ND1遺伝子に見られたことから、ND1遺伝子の塩基配列の変異を指標として、ケンサキイカとブドウイカの遺伝的差違を集団遺伝学的に解析した結果、両者には12個の塩基置換が検出され、13種類のハプロタイプに分類されたが、遺伝的差異の解析から、ケンサキイカとブドウイカとの間に遺伝的差異は認められなかった。これらのことから、以前に他の研究者によるアイソザイム解析によって指摘されたように、ケンサキイカとブドウイカとは、同一の生物種であり、外部形態の差異は、地域的および季節的要因によって生じていることが明らかとなった。

コウイカ類とツツイカ類とを判別するための種判別法を開発した。生物種間でのミトコンドリアDNAの塩基配列を比較し、生物種間での鎖長が異なる12SrRNA遺伝子領域を選定した。この遺伝子領域をPCR法で増幅した結果、コウイカ類とツツイカ類との生物種間で、サイズの異なるPCR産物が得られた。PCR産物をHindIIIで処理した結果、ツツイカ類のPCR産物は、HindIIIによって切断されず、一方、コウイカ類のPCR産物はHindIIIによって切断された。この分析法は、イカ類のPCR-RFLP法による種判別法として、生鮮品や加工品のDNA分析に利用できる。

以上、本研究によって、イカ類の水産重要種を対象として、ミトコンドリアDNAの塩基配列上の特徴が明らかにされるとともに、ツツイカ類とコウイカ類とを簡便に判別するためのPCR-RFLP法が開発された。本研究は比較生化学および水産学の発展に貢献するものであり、水産物の原料判別法に関する新規技術開発へと発展が期待されることから、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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