学位論文要旨



No 128771
著者(漢字) 鄭,一止
著者(英字)
著者(カナ) チョン,イルジ
標題(和) エコミュージアム運動としての「場所の記憶」の構造化に関する研究 : 一連の学習活動を通じた「場所の記憶」の複合とローカル・キュレーターの展開プロセス
標題(洋)
報告番号 128771
報告番号 甲28771
学位授与日 2012.11.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7884号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 准教授 窪田,亜矢
 東京大学 准教授 小泉,秀樹
 東京大学 教授 出口,敦
 東京大学 准教授 清水,亮
内容要旨 要旨を表示する

単体としての文化史的・学術的価値はなくても、複数の組み合わせによって新しい価値をもたらすという地域遺産に対する考え方が、注目されはじめている。街並みや、工場や倉庫などの近代産業遺産群をはじめ、狭い路地、地域習慣、ちょっとした場所の記憶や、物語などの些細で目に見えない地域遺産までを、地域ならではの地域遺産として捉え直し活用しようとする動きが現れはじめている。しかし、地域の物語を示す構成要素を拾い上げ、磨いていくことは、地域の全体像としての一体性を示してきた都市計画や地域づくりとは異なるベクトルを持つ。そのため、地域全体を視野に入れながら、拾い上げられた要素をまとめていく具体的な方法論は未だに議論されていない。

そこで、本研究では地域全域を対象とし、地域遺産にまつわる「場所の記憶」を掘り出していくエコミュージアムに着目した。しかし、今までの日本におけるエコミュージアムの取り組みでは、地域における一つの主な特徴のみに絞ったり、行政区域ごと、学芸員の分野ごとに進めていくことで、新たな展開はほとんど見られていなかった。また、ピックアップされた地域遺産は、単に観光ルートなどによってつなげる程度で留まっていた。このような状況の中で、2005年代よりエコミュージアムを取り入れた地域の中で地域学習・学習観光の両面を目的とし、創造的な視点による組み合わせを行う方法論が少しずつ見えつつある。

そこで、本研究では、地域を深く理解しようとする学習活動に伴い起きる、創造的な組み合わせによる「場所の記憶」の構造化における実相について明らかにする。具体的に論文の展開プロセスに沿って示すと次の通りになる。まず、(1)学習活動を基点とするエコミュージアム、すなわち、「場所の記憶」の構造化の初期の仕掛けにおけるありようをまとめる。そして、(2)創造的な組み合わせによる「場所の記憶」の構造化における展開プロセスを明らかにしつつ、そこに働いたメカニズムを探る。最後に、(3)「場所の記憶」の構造化に地域全体に広がっていく動態的なエコミュージアム運動としてのあり方を探る。

第1章では、欧米における1970年代からの「場所の記憶」及び「エコミュージアム」における展開を把握した。まず、大きく建築学や地理学などの美学と、博物館学などの社会学に分けて、それぞれの展開を見た。そして、90年代からの両方の視点を取り合わせた展開についてまとめた。最後に、その一環としてエコミュージアムを位置づけ、その展開及び最近の動向についてまとめた。

第2章では、日本における戦後からの「場所の記憶」及び「エコミュージアム」における展開を把握した。まず、大きく博物館における展開と、まちづくりにおける展開に分けて、それぞれの展開を見た。また、「場所の記憶」を手掛かりとするまちづくりの展開についてもまとめた。そして、その一環としてエコミュージアムを位置づけ、その展開や、概況についてまとめた。最後に、欧州とのエコミュージアムを比較しながら、まちづくりの中でのエコミュージアムの位置づけについて考察した。

第3章では、エコミュージアム概念を通じた学習活動についてまとめた。エコミュージアムを取り組んでいく際に最も基本となる学習活動に着目し、それを「調べる」、「伝える」、「共有する」に分け、それぞれの特徴、主体、学習プロセス、その際の地域住民における専門性や、専門家との関わり方などについてまとめた。さらに、「場所の記憶」を類型化し、エコミュージアム取り組みの中からその例を取り上げることで、「場所の記憶」における展開について明らかにした。

第2部の序章では、200ヶ所のエコミュージアム事例から、運営方式、「場所の記憶」の構造化の方式によって、類型化した。その中で、先進事例で、各々の類型にも当てはまる「萩まちじゅう博物館」(山口県萩市)、「朝日町エコミュージアム」(山形県朝日町)、「館山地域まるごと博物館」(千葉県館山市)の3つの事例を抽出した。

第4章では、山口県萩市における組織化を通した「萩まちじゅう博物館」を対象事例とし研究を行った。人口5万人に対し学芸員6人という、市からの全面的な支援に支えられている博物館の委託事業を主とし、活発に進められているNPO「萩まちじゅう博物館」に着目した。もちろん、博物館の運営管理だけではなく、歴史班、古写真班、あい班など、様々な部門に分け、地域について学ぶ学習活動にも力を入れている。具体的には、班ごとの取り組みが中心であり、場合によって班同士や地域との交流が行われている状況である。

一方、まず「場所の記憶」の構造化における初期の仕掛けは、古写真班、民具班、あい班などの分野ごとにつなぎ合わせていく分野型を取っている。特に、一般地域住民がすぐにもアクティベーターとして担うようになるため、地域住民の主体的な学習活動における意義は大きい。しかし、彼らへの負担は大きく、また会員の高齢化などにより活動の持続性という問題が見られている。

そして、初期段階としての「場所の記憶」の複合が見られた。具体的には、ダム水没によってばらばらになった4つの地域をつないだ地域交流会というつなぎ合わせが挙げられるが、他の例は見当たらない。分野ごとの取り組みでそれぞれの班ごとの線引きが強いが、萩博物館という同じ拠点で活動しているため、お互いの分野における複合の可能性は高いと考えられる。

第5章では、山形県朝日町における住民一人ひとりが学芸員である「朝日町エコミュージアム」を対象事例とし研究を行った。20年程前に日本ではじめて取り入れ、その様々な蓄積されている活動の中で、特に学習活動に着目した。具体的には、空間的場所にまつわる学習活動の展開を、点、テリトリー、テリトリーのない場合の3つに分けて、明らかにした。

「場所の記憶」の構造化における初期の仕掛けとしては、ほぼ毎年地区を変えながら、地区ごとに「場所の記憶」をつなぎ合わせていく地区型を取っている。また、行政による人的・金銭的な支援が厚く、拠点施設、まとまった内容の定期的な冊子化、シンポジウムなど、様々な取り組みがバックアップされている。そして、主に地区の地縁型組織の共催で取り組みが進められていく中で、さらにテーマ型組織とのコラボレーションも多く行われている。

一方、「場所の記憶」の複合としては、地区の間を超えたものとして起きている。大きく空間的つながりと時間的つながりの2つに分けられ、それぞれが空間的場所の間とつながったものである。その要因として、持続的な学習活動やローカル専門家との連携、そして好奇心を持つ人たちの存在が挙げられる。ローカル・キュレーターとしては、第1世代のみが見られているが、「案内人の会」の会長などは幅広い視野を持って活動しており、ローカル・キュレーターとしての可能性を見せている。

第6章では、千葉県館山市における戦争遺跡を活かした「館山・地域まるごと博物館」を対象事例とし研究を行った。地域にある戦争遺跡を中心とした「地域まるごと博物館」事例に着目する。もちろん、それだけではなく、戦国時代の歴史、海を越えた漁師たちの交流、地域を訪ねた画家や文学者など、様々な視点に着目し、地域についての学習活動を行っている。具体的には、戦跡にまつわる空間、産業における構造化を図っている。

そして、「場所の記憶」の複合における初期の仕掛けでは、出来事ごとに進められる出来事型が見られる。まず、戦国時代や戦争時代からはじまった取り組みは、ローカル専門家や組織との連携・交流の中で、日中韓交流、日米交流、近代の水産業・水産教育、地域を舞台とした画家などへと広がっている。これは、ある意味「場所の記憶」の複合のありようにも関わっていると言える。また、朝日町政のように会員たちの様々な取り組みに全面的なサポートを行っているところとは異なり、行政からの支援がほとんどない中で、NPOだけの取り組みでは極めて大きな負担になっている。

一方、「場所の記憶」の複合としては、出来事の間をつなぐ例が見られ、大きく捉えると空間的つながり、時間的つながり、創発的つながりの3つに分けられる。このような複合が起きた要因としては、持続的な学習活動やローカル専門家との連携、そして開放性などが挙げられる。なお、2人の第2世代ローカル・キュレーターは、本人の性格や取り上げている研究テーマによるものであるが、同時にエコミュージアム主催側からの人的ネットワークやノウハウなどのサポートも欠かせないと考えられる。

結論では、エコミュージアム運動としての「場所の記憶」の構造化における実態と、そのメカニズムについて論じた。まず、学習活動を基点とした「分野別」、「地区別」、「出来事別」のグルーピングが、「場所の記憶」の構造化の初期段階として行われている。そして、それぞれのグループを超えたつながり、「場所の記憶」の複合が起きている。このような段階の中で、仕掛け人はもちろん、参加者たちも徐々に積極的さや「場所の記憶」の集合的記憶としてのまとめ方などがうまくなっていき、最終的には「場所の記憶」の複合を企画するローカル・キュレーターにまで至る。このような「場所の記憶」の複合とローカル・キュレーターへの展開プロセスがうまく相互作業することによって、「場所の記憶」の構造化が進めていく。このような「場所の記憶」の構造化は、住民主体型まちづくりとして、創造的な表現・つなぎあわせによる豊かな地域づくりとして、新たなテリトリーとしての地域ブランドづくりとして、さらに点・線・面における都市計画としての意義をもつ。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、日本におけるエコミュージアム運動について、小規模な地域遺産を組み合わせることによって意義のある地域理解を深める手法のひとつとみなし、その際に学習活動を起点に場所の記憶を構造化していくプロセスに着目し、そのプロセスを詳細に明らかにすることによってエコミュージアム運動の特質を抽出することを目的としている。

論文は序章と第1部、第2部、そして結章から成っている。

序章は、本論文で対象とするエコミュージアム運動の枠組みおよびこれを分析する際の方法論を論じている。加えて、用語の定義、既往研究のレビューを行い、本論文の構成を明らかにしている。

論文の本体部分は、エコミュージアム運動の展開の実相を論じる第1部(第1章から第3章)と、事例研究を論じる第2部(第4章から第6章)、および結章とから成っている。

第1部第1章は、欧米におけるエコミュージアム運動の展開過程を振り返り、博物館学における社会学的アプローチのほか、建築学などにおける美学的アプローチや経済地理学などにおける政治学的アプローチに分類することが可能であり、これらが融合しつつ1970年代に新しい博物館学のひとつとしてエコミュージアムが提唱された過程を明らかにしている。

第1部第2章は、日本における戦後のエコミュージアムの展開過程を明らかにすることを目的としている。198カ所のエコミュージアム導入地域を概観し、博物館学を中心とした展開とまちづくりを軸とした展開があることを示し、とりわけ2000年代から本格化している場所の記憶を手がかりとしたまちづくりの展開とそこにおいてエコミュージアムが果たす役割について論じている。加えて、欧米でのエコミュージアム運動との比較検討を行っている。

第1部第3章は、エコミュージアム運動の基本的な要素である学習活動とそれに伴う場所の記憶に関して、調べる・伝える・共有するという各相における学習の特質と事例を取り上げ、それをもとに場所の記憶を空間的・時間的・複層的な記憶に分類しつつ、全体を概観している。

第2部序では、エコミュージアム運動を協議会型・博物館型・支援型・独立型・連携型の5タイプに分類し、その中核である博物館型。支援型・独立型の3タイプを主として分析することの正当性を論じ、各タイプの代表例としてそれぞれ、萩・朝日町・館山の事例を取り上げることの根拠を示している。

第2部第4章では、多様な住民の組織化によって学習活動を分野ごとに多層的に展開している「萩まちじゅう博物館」について詳細に分析し、記憶の構造化の段階を明らかにしている。

第2部第5章では、住民ひとりひとりが学芸員であるという形でエコミュージアム運動を展開している山形県朝日町の事例を対象にして、本論文でローカル・キュレーターと呼ぶ構造化された個人の記憶の保持者の存在の意義を論じている。

第2部第6章では、戦争遺跡を活かした「館山・地域まるごと博物館」に関して論じている。ここでは、第二世代ローカル・キュレーターと呼ばれる活動の展開が次世代にまで及んでいることを明らかにし、エコミュージアム運動の発展型のありかたを示唆している。

結章においては、各章で得られた知見を明らかにすると共に、総合的考察として、学習活動を基点とした分野ごと・地区ごと・出来事ごとのグルーピングが場所の記憶の構造化の初期段階におこなわれること、その後、それぞれのグループを超えたつながり、いわゆる場所の記憶の複合化が起き、その段階で、場所の記憶の複合を企画するローカル・キュレーターが生まれてくること、そのローカル・キュレーターが世代を超えて引き継がれることにエコミュージアム運動の次なる発展の可能性を論じている

以上、本論文は日本におけるエコミュージアム運動の全貌を明らかにし、運動を通して場所の記憶が構造化されていくプロセスを跡づけることに成功している。このことによってエコミュージアム運動の意義が明白となり、豊かな地域づくりへとつながる運動の位置づけが論理的に示されたといえる。このことは日本のエコミュージアム運動および地域づくり運動の双方にとって有用な成果といえる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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