学位論文要旨



No 128777
著者(漢字) 名取,寛顕
著者(英字)
著者(カナ) ナトリ,ヒロアキ
標題(和) 新しい軽い中性粒子を媒介としたレプトンフレーバーを保存しないミュー粒子崩壊のMEG検出器による探索
標題(洋) Search for a Lepton Flavor Violating Muon Decay Mediated by a New Light Neutral Particle with the MEG Detector
報告番号 128777
報告番号 甲28777
学位授与日 2012.11.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5886号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 駒宮,幸男
 東京大学 教授 小林,富雄
 東京大学 教授 蓑輪,眞
 東京大学 准教授 横山,将志
 東京大学 准教授 濱口,幸一
内容要旨 要旨を表示する

素粒子物理においてこれまで構築されてきた標準理論は大きな成功であり、素粒子の振る舞いを非常に良く記述している。しかし、多くの恣意的に決定されたパラメータを含むなど問題を含んでおり、標準理論を超えた新たな物理の存在が期待されている。そこで新たな物理の鍵となるのが、標準理論の枠内では観測不可能である荷電粒子におけるレプトンフレーバーを保存しない反応事象の観測や、新粒子の発見等である。本論文では、 MEG実験において2009年、2010年にμ→eγ崩壊探索のために取得した実験データを用いて、終状態に2つのガンマ線を伴うレプトンフレーバー非保存過程μ→eφ、φ→γγ事象の世界初の探索を行い、レプトンフレーバーを保存しない崩壊過程の媒介をする未知の非常に軽い中性粒子φの探索を行った。

MEG実験はμ→eγ崩壊の探索を目的とした実験であり、ミュー粒子を静止させるターゲット、陽電子スペクトロメータ、ガンマ線検出器から構成されており、スイスのポールシェラー研究所 (PSI) の大強度DCミュー粒子ビームを用いて実験を行なっている。陽電子スペクトロメータは45MeV以上の陽電子を測定するよう設計されており、陽電子の検出感度のある放出方向に対しての正反対の位置にガンマ線検出器は置かれ、液体キセノンをシンチレータとしたカロリーメータとなっている。それぞれの検出器のアクセプタンスは、μ→eγ崩壊に対して全立体角のおよそ10%を覆う。MEG実験はμ→eγ探索に特化した設計となっており、ガンマ線検出器の立体角の大きさや、陽電子スペクトロメータの検出効率のエネルギー依存性からμ→eγ崩壊以外の事象に対する測定精度は高くない。しかし、新粒子φが存在する場合、その質量、寿命によっては、MEG実験はμ→eφ、φ→γγ崩壊を良い精度で測定することが可能となる。φの質量が小さい時、放出される陽電子の運動量はμ→eγ崩壊のそれと近い値となる。またこの場合、φは光速に近い速度で運動するため、ローレンツブーストによりガンマ線間の角度は小さくなり、二つのガンマ線が共にガンマ線検出器によって観測できるようになり、またガンマ線と陽電子の放出角が正反対に近い方向となり、μ→eγ記録用のトリガーで測定することが出来るようになる。さらに、φの寿命が長いことでガンマ線が検出器のそばで生成される事象が増え、これも検出器のアクセプタンス、トリガーの検出効率の両面から検出効率に寄与することになる。

本実験では二つのガンマ線を一つのセグメント化されていない検出器によって測定している。ガンマ線検出器は液体キセノンをシンチレータとしてその有感領域を全方位から覆う846本の光電子増倍管で構成されており、ガンマ線の再構成は光電子増倍管から得られた光量分布から行う。 また、φの崩壊点の再構成は、時間情報を用いず、陽電子とガンマ線の再構成した位置、エネルギーを用い、μ→eφ、φ→γγと運動学的に合致するよう再構成を行った。 これは背景事象数の見積りにタイムサイドバンドを使用するため、時間構造に偏りをつくらないためである。

解析では二つのガンマ線、陽電子、φの崩壊点の再構成した結果を用い、カット解析によってシグナル数、背景事象数を測定した。背景事象としては複数のミュー粒子の崩壊に起因する陽電子、ガンマ線が偶発的に重なってμ→eφ、φ→γγの様に見える事象が主であり、シグナル領域から時間的にずらした三種類のタイムサイドバンドからこの数を見積もった。MEG実験におけるμ→eφ、φ→γγ崩壊に対する検出効率については、ミュー粒子の通常の崩壊過程である Michel 崩壊 (μ→eνν) とμ→eφ、φ→γγの検出効率の比をモンテカルロシミュレーションを用いて計算し、μ→eγ測定データと並行して記録している Michel 崩壊観測用トリガーからのMichel 崩壊事象数を計測し、これらの積から実験の検出精度を見積もった。最終結果として背景事象数の統計的誤差、検出精度の系統誤差、統計的誤差を加味してのμ→eφ、φ→γγ崩壊の分岐比を導出した。

ターゲットに静止したμ粒子の個数にして1.8×10(14)に相当するデータを解析した結果として、μ→eφ、φ→γγ事象は観測されず、分岐比としてφの質量が10 MeV ≦ Mφ ≦ 26 MeV、寿命が1ns以下の場合で O(10(-11)) の崩壊分岐比の上限値を与えた。φの質量が小さい領域での本実験のこの結果は通常のμ→eγγ崩壊事象の探索上限値からの制約より高感度の結果であり、μ→eφ、φ→γγの崩壊分岐費に対して最も強い制限を与えている。

本実験において検出精度は統計量によって制限されており、観測を続け、データを蓄積することで測定精度の改善が期待される。MEG実験は2013年までの測定が計画されており、今後の測定によって3倍の測定精度の向上が見込まれる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章よりなる。イントロダクション(第1章)では、軽いスカラー粒子の理論的な存在可能性や、これまでのμ粒子の希崩壊探索の歴史、特にμ+→φe+、φ→γγの過去の実験での探索と本論文の構成が述べられている。MEG実験(第2章)ではこの実験に用いたスイスのPaul Scherre Institut (PSI) の加速器とMEG測定器の詳細が記述され、また、この実験で重要な役割を果たす光子エネルギーや陽電子運動量の校正方法について述べられている。第3章は、データ解析に用いたソフトウエアに関して記述されており、バックグラウンドとシグナル事象の物理過程と測定器のシミュレーション、データ情報を物理情報に変換するプロセッシングに関して記述されており、事象の構成方法が詳しく記されている。第4章では実際の測定器の各部分の性能と、その詳細なコンピュータシミュレーションの結果の比較が記されており、測定器のシミュレーションが実際の性能を記述していることを示している。第5章は、いよいよ実際のデータ解析が記述されている。即ち、μ→φe、φ→γγ事象の選別を行い、その効率を正確に計算し、残ったバックグラウンドをデータとシミュレーションの両方を使って見積もり、統計誤差と系統誤差を評価することによって、B(μ+→φe+)×B(φ→γγ)の上限値を求めた。第6章は、φの質量と寿命の広い領域ににおいて、今まで世界で行われていた同種の探索では到達できなかった崩壊率の上限値O(10(−11))に達したことが結論として纏められている。

この研究は、μ+粒子のレプトンフレーバーを破り電子と未知のスピンゼロの粒子への崩壊モードの探索を行ったものである。論文提出者のMEG測定器のハードウエアとその性能に対する深い理解と、オリジナルなデータ解析方法を基盤としている。MEG実験は本来はμ+→e+γ探索を行う実験であるが、様々な工夫をすることによって、軽いスピンゼロの粒子φが存在する場合、μ粒子の未発見の崩壊モードであるμ+→φe+、φ→γγの探索にも有効であることを示した。この研究では、特にデータ解析に関しては論文提出者が編み出した方法によって貫徹されている。特に、φが長寿命を持った場合にも、陽電子の方向、2個のγ線のエネルギーを用いて崩壊点の再構成を行っている。また、シグナル事象の選択確率とバックグラウンドの見積もりに関しては様々なチェックがなされている。本論文は、軽いスピンゼロの粒子φに関して、φの質量10MeV〜45MeVかつφの寿命が10 nsより短い領域で、μ+→φe+、φ→γγという希崩壊の探索を行なって、崩壊分岐率をO(10−11)という世界で最も厳しい上限値を得たことで学術的に重要である。

MEG実験は国際共同実験であるが、データ解析及び物理解釈は名取氏が独自に行ったものであり、本論文は彼の独自の研究に他ならない。

審査員全員十分納得する研究結果であり、論文提出者の物理学の知識も博士(理学)をうけるに十分である。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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