学位論文要旨



No 128797
著者(漢字) 関山,健
著者(英字)
著者(カナ) セキヤマ,タカシ
標題(和) 国際協調における妥協と変化 : 「男女の争い」繰り返しゲームから示唆を得て
標題(洋) Coordination, Compromise, and Change : With the Repeated Games of "the Battle of the Sexes"
報告番号 128797
報告番号 甲28797
学位授与日 2012.12.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(国際協力学)
学位記番号 博創域第845号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 国際協力学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柳田,辰雄
 東京大学 教授 高原,明生
 東京大学 教授 丸川,知雄
 東京大学 准教授 湊,隆幸
 東京大学 准教授 佐藤,仁
内容要旨 要旨を表示する

問題意識の所在

国際政治経済においては、「協調の必要性については一致しているが、具体的協調方法について利害対立のある総論賛成・各論反対の状況」がしばしば生じる。すなわち、ゲーム理論で言う「男女の争い」(BS)の状況である。

いま、国際協調について総論賛成・各論反対の状況にある二国の政府AとBがあるとしよう。AB両国政府にとっては、国際協調を維持することが、双方の政策選好(すなわち利得)からして望ましい。しかし、その国際協調の具体的方法を巡っては利害対立がある以上、AB両国政府が自らの利得だけに従って合理的に行動していたのでは、交渉がまとまらない。国際協調を維持するためには、利得以外の要因の作用によって、AB両国政府のうち少なくとも一方が妥協して比較的小さな利得を受け入れなくてはならないのである。

もちろん、「妥協」した国も不利益を被る訳ではない。協調の必要性という総論では一致している状況というのは、お互い協調をした方が双方にとって利益があるという状況だ。たとえ自国に不利な協調方法を受け入れて「妥協」することになったとしても、協調せずに対立する状態に比べれば、より多くの利益を得られるはずである。

総論賛成・各論反対のBS的状況下では、合意形成が難航すると思われる。ただし、こうした状況において、いったん合意ができれば、各国とも合意から離脱する誘因をもたないと従来考えられてきた。確かに、自国に比較的大きな利得をもたらす有利な協調方法で合意した国は、その現状を変えようとはしないであろう。一方、自国に比較的小さな利得しかもたらさない不利な協調方法で妥協することになった国も、相手国が現状変更に応じないことが明らかである以上、無理に現状変更を図ろうとすれば、協調関係そのものが壊れるという最悪の結果につながる恐れがあるので、行動を変えようとはしないと考えられてきたのである。

確かに、一回限りのBSにおいては、一旦合意が成立すれば各国ともその合意から離脱する誘因を持たないように思われる。しかし現実の国際政治経済に国家が参加するのは一回限りではない。では、各国がBS的な状況での交渉を繰り返す場合でも、不利な協調方法で妥協することとなった国は、その現状を変えようとは試みないのだろうか。また、そもそも交渉においていずれの国が妥協すべきかは、いかなる要因によって決まるのであろうか。

本研究では、こうした問題意識を背景に、総論賛成・各論反対の国際協調問題における合意形成のメカニズムについて解明を試みた。

研究の方法

本研究では、ゲーム理論のモデルによる概念化を通じた「演繹的アプロ―チ」と実証的な事例研究を通じた「帰納的アプローチ」を組み合わせて、総論賛成・各論反対の国際協調問題における合意形成のメカニズムについて検討することとした。

すなわち、まずゲーム理論の手法を用いて、協調の必要性については一致しているが具体的な二つの協調方法を巡っては利害対立がある二国の政府が直面する状況をBSモデルとして概念化した。そのうえで、BSの繰り返しゲームの検討を通じて、総論賛成・各論反対の国際協調問題における妥協と変化のメカニズムについて演繹的に示唆を得た。

続いて、総論賛成・各論反対の国際協調問題に関する具体的事例として、大規模資金協力の是非を巡る日中関係の事例と、商業捕鯨の是非を巡る日米関係の事例を取り上げ、それぞれの背景にある因果関係について実証的に詳細を明らかにした。

こうした事例研究を行うにあたって本研究は、政府刊行物や関係各機関の公式資料などの一次資料をはじめ、日本語、英語、中国語それぞれの資料や文献に広くあたった。また、特に対中国大規模資金協力の新規供与終了に関しては、いまだ公開の関連資料等が少ないため、当時の状況を知る日本および中国の政府関係者など計15名への個別インタビューとこれを通じて入手した未公開資料に基づき分析を行った。

最後に、ゲーム理論モデルから演繹的に得られた示唆と事例の実証分析から帰納的に明らかになった共通の特徴を比較し、総論賛成・各論反対の国際協調問題における妥協と変化のメカニズムについて、本研究の結論を示した。

本研究が明らかにしたこと

(繰り返しBSからの示唆)

本研究では、まず繰り返しBSの特徴が「利得計算で優劣のつかない均衡点が多数存在する」という一点に集約されることを明らかにした。本研究の関心との関係では、この特徴から、総論賛成・各論反対のBS的状況にある国家間の国際協調問題に対して、以下の二点の示唆を導くことができる。

第一に、繰り返しBSのような総論賛成・各論反対の状況にある国際協調問題においては、「最初の交渉で成立した合意が続くとは限らない」という事である。第二に、そうした総論賛成・各論反対の国際協調問題において「考えられる数多くのシナリオのうち、どのシナリオに落ち着くかは、利得以外の要因によって決まる」という事である。

本研究では、こうした状況でいずれかの政府に妥協を迫る利得以外の要因として先行研究において個別に指摘されてきたものを、「力」、「制度」、「共通意識」の三つに分類した。つまり、「力」、「制度」、「共通意識」いずれかが所与の条件として単独または共同で作用することによって、各国政府が一意の協調方法を受け入れるのだと考える。

(大規模資金協力を巡る日中関係の事例)

2000年代の日中両国政府は、ODAを巡って総論賛成・各論反対の状況に直面することとなった。つまり、日中両国政府は、ODAによる経済協力の必要性という総論においては一致していた。しかし日本政府にとっては、遅くとも2000年までには従来どおりの対中国大規模資金協力の実施が政治的に困難な状況になり始めた一方、中国政府にとっては、引き続き日本からの大規模資金協力を得られた方が望ましい状況だったのである。

結局、対中国大規模資金協力は、2007年までに新規供与終了されたが、これに関する先行研究は、いずれも日本政府の政策決定の背景を分析するばかりで、なぜ中国政府が大規模資金協力の新規供与終了を受け入れたのかを明らかにしてはいない。

この点、本研究が明らかにしたところでは、まず2000年代前半は、一人当たり国民所得のODA供与基準が対中国大規模資金協力の実施を正当化していた。しかし、2004年夏以降、日本側の対中国感情が急速に悪化するなかで、これと時を同じくして就任した町村外相が対中国ODA終了発言を繰り返した結果、もはや対中国大規模資金協力の実施という現状を維持することは困難との意識が日本政府内に生じた。その結果、日本政府は、2005年春に中国政府に対して大規模資金協力新規供与終了を申し出るに至ったのである。これに対して中国政府としては、日本政府が対中国大規模資金協力終了を敢えて申し出てきた以上、経済協力を巡る意見対立によって日本との関係を悪化させることは避けるべく、日本政府の申し出に応じることにしたのである。

このように大規模資金協力を巡る日中関係の事例においては、ODA供与基準という「制度」や日中両政府間の暗黙のコンセンサスといった「共通意識」によって、その時々の妥協が成立してきたことを本研究は明らかにした。

(商業捕鯨を巡る日米関係の事例)

日本政府と米国政府は、共に国際捕鯨委員会(IWC)加盟国として鯨類資源管理の必要性では一致していながら、そのための手段として商業捕鯨禁止の是非を巡っては、1970年代以来、利害が対立する状況にある。

米国政府は、1972年からIWCで商業捕鯨の禁止を訴え続け、ついに1982年、大型鯨類(シロナガスクジラやミンククジラなど13種類)の商業捕鯨の一時停止決議に成功した。このIWCによる商業捕鯨モラトリアムに対して、日本政府は当初異議を申し立てたが、結局は異議を取り下げて1988年に商業捕鯨から撤退し、現在に至っている。

こうした捕鯨問題を巡る戦後日米関係について、現在に至るまでの通史的な経緯を分析対象とした研究はなく、また、この問題を巡って日米両国政府が見せてきた妥協とその背景に焦点を当てて分析したものも見当たらない。

この点、本研究では、日米関係のように影響力の差が非対称である場合においてすら、その時々にいずれの政府が妥協すべきかは「力」関係だけで決まるのではなく、「制度」や「共通意識」といった要因も含め、それぞれの要因が単独あるいは関連して作用することによって決まることを明らかにした。

たしかに、1980年代、日本政府に商業捕鯨モラトリアムの受入れさせたのは、対日経済制裁を示唆する米国政府の「力」であった。しかし、商業捕鯨の是非を巡る日米両政府の事例は、米国政府のような強い「力」を有する側も時に妥協を強いられることを示している。商業捕鯨に関して日米両国政府のいずれか一方にその時々で妥協を強いてきたのは、一義的には国際捕鯨委員会を中心とする国際捕鯨「制度」であると結論される。特に、商業捕鯨にかかる制度改正には国際捕鯨委員会において4分の3以上の投票参加国から支持を得なければならないという「4分の3多数決ルール」が、この事例の鍵であることを本研究では明らかにした。

(結論)

以上のとおり、繰り返しBSからの示唆という演繹的アプローチと、日米関係や日中関係の事例分析からの示唆という帰納的アプローチを組み合わせて検討した結果、総論賛成・各論反対の国際協調問題における合意形成のメカニズムに関する本研究の結論は次のとおりである。

すなわち、国際協調を巡って総論賛成・各論反対の状況にある場合、その時々にいずれの国が妥協すべきかは、「力」、「制度」、「共通意識」といった要因によって決まり、当初ある種の協調方法を正当化していた「力」、「制度」、「共通意識」が時間の経過の中で変化すれば、それに伴い妥協をする側が入れ替わりうるということである。

本研究の含意

従来の国際関係論では、総論賛成・各論反対の状況下で国際協調の交渉が繰り返される状況、すなわち繰り返しBSの状況については十分検討されてこなかった。本研究は、かかる状況下で、いかに妥協が成立し、いかにその妥協が崩れるのかを分析する新たな分析枠組みを提示したものと言える。

本研究で提示した繰り返しBSという分析枠組みは、研究者が過去の事例を分析するのに役立つばかりでなく、現実の国際政治経済の政策立案の場において、将来に向かって現状の変更や維持に挑もうとする政府当局者に対しても、政策的な示唆を与えることができる。

さらに、本研究が明らかにした繰り返しBSの特徴は、国際関係論以外の分野にも応用できるはずである。本研究は、繰り返しBSにおいてパレート最適性を満たす複数均衡の選択には利得以外の要因が働くとの主張を展開した。これは、数学的精緻さに固執する従来型のゲーム理論の立場から見れば邪道以外の何物でもなく、解を示したとは評価されないであろう。しかし、こうした数学的手法への過度の依存を捨てて初めて、ゲーム理論は現実を説明する道具として更なる発展が可能となるのではないかと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

「国際協調の妥協と変化のメカニズム」と題する本論文は、国際システムでの繰り返し的な交渉における妥協の変化を理解するための枠組みを提示している。従来、国際協調を巡って総論では賛成するが、各論において反対するという状況にある場合、いったん利害の調整が行われ合意が成立すれば、各国とも合意からの離脱の誘因を持たないと多くの先行研究は指摘してきた。これに対し、本論文は、ゲーム理論の繰り返し男女の戦い(Battle of the Sexes:BS)分析から得られた示唆と事例分析から得られた知見から、現実の国際政治経済において最初の交渉が行われた後、その交渉結果を見直すことができる場合、利得構造に変化がなくとも最初の交渉で成立した合意は必ずしも安定的ではなく、妥協をする側が入れ替わることがありうることを指摘した。さらに、そうした協調方法について、利害対立がある二国間関係において、その時々にいずれの政府が妥協するかは、「力」、「制度」、及び「共通意識」といった要因によって決まることを、事例分析を通して論じた。

本論文は、第1章序論、第2章繰り返しBSから得られる示唆、第3章大規模資金協力を巡る日中関係の事例-「制度」と「共通意識」による妥協 第4章 商業捕鯨を巡る日米関係の事例-「力」と「制度」による妥協 第5章結論から構成されている。

第2章では、国際政治学分野で利用されてきたゲーム理論を展望した後、国際システムが機能している現代国際社会における交渉は、従来ほとんど省みられることがなかった「繰り返し男女の戦い」ゲームを利用することによってよりよく理解されることを指摘する。

第3章と第4章の事例研究では、「対中国大規模資金協力の是非をめぐる日中関係」と「商業捕鯨の是非を巡る日米関係」を扱っている。

第3章の事例においては、特に「制度」や「共通意識」によって、その時々において日本政府と中国政府が各々妥協してきたことが明らかにし、「繰り返し男女の戦い」ゲームから得られた示唆に基づいて、日本からの中国への政府開発援助において2008年北京五輪後にプロジェクト援助を中心とする円借款は終了したものの、無償資金協力は継続されている背景を探っている。さらに、第4章の事例においては、特に「力」や「制度」といった要因によって、その時々において日本とアメリカの政府が各々妥協してきたことを明らかにしている。特に、1982年に4分の3以上の賛成をもって商業捕鯨モラトリアムが可決されて以来、捕鯨を推進しようとする政府が国際捕鯨委員会で4分の3以上の支持を集められるような状況には至っておらず、商業捕鯨の再開への扉を閉ざしていることを、日本とアメリカの両政府の交渉を軸として明らかにしている。

関山氏の論文における国際交渉におけるゲーム理論の応用例では、モデル分析から得られる視座は、事例分析のための示唆を得る手掛かりとして利用されているに過ぎない。「繰り返し男女の戦い」のモデルから導かれる当事者の行動を、あくまで国際協調の妥協と変化に関する示唆を得るための手掛かりにとどめるよう意識している。また、事例分析においては、モデルの単なる応用にならないように、歴史的な個別性を見失うことなく、各々の政府の行動の背景を明らかにするように努めている。これにより、「繰り返し男女の戦い」モデルにより得られる当事者の行動と事例分析における当事者の機能的行動を組み合わせて、全体として国際協調と妥協の変化のメカニズムを理解しようとしている点は評価できる。

しかしながら、本論文にはいくつかの残された課題がある。「制度」ができるとき、当時の国際関係における「力」が影響しているのであり、個別に外生的に所与として扱ってよいかは意見の分かれるところである。さらに、安定的な「制度」の下で、2国の政策決定者のもつ非対称の知識の下で共通な情報がどのように「共通意識」を醸成するのかが問題となる。さらに、2つの事例とも、国際システムの中の繰り返しゲームとして捉えることに異論を唱える人は少ないと考えられるが、「中国への政府開発援助」の事例は2国間の円借款の問題であり、そこで扱われた「制度」はかなり不確かなものである。他方、「商業捕鯨」の問題は、国際組織を持つ「制度」であり、しかも多国間の協調問題も関連しているので、二者間関係を記述する「繰り返し男女の戦い」モデルで分析することの妥当性をより論証する必要がある。さらに、「繰り返し男女の戦い」モデル自体が、国際政治経済における交渉を理解するための方法論的個人主義という前提の限界を示しているようでもある。

いずれにしても、国際システムの中で繰り広げられる国際交渉を、「繰り返し男女の戦い」のモデルの視座から、ほとんどの国々が複合的な相互依存関係にある国際システムの中において、容易にはそのシステムから逸脱することはできない繰り返しゲームとみなし、その行動の選択範囲は、男女の戦いゲームの分析から得られるように、国際交渉は妥協と協調の変化の中にあると指摘したことは、他の著作にその類例はないと判断した。さらに、日本語、英語と中国語を駆使して第1次資料を調査した関山氏の資質も高く評価されるものである。

したがって、国際協力学のみならず、国際政治経済学や国際関係論の研究の今後の発展に資する論文であると評価し、審査委員全員一致で合格とした。

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