学位論文要旨



No 128798
著者(漢字) 井上,果子
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,カコ
標題(和) 連帯意識が内発的発展に与える影響の研究 : ベトナム紅河デルタ農村社会を事例に
標題(洋) Analysis of Solidarity towards Endogenous Development : Case Study on Rural Communities of the Red River Delta, Vietnam
報告番号 128798
報告番号 甲28798
学位授与日 2012.12.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(国際協力学)
学位記番号 博創域第846号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 国際協力学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山路,永司
 東京大学 教授 池本,幸生
 東京大学 教授 堀田,昌英
 東京大学 講師 鈴木,綾
 東京農工大学 教授 千賀,裕太郎
内容要旨 要旨を表示する

農村の人々が主体となって持続的な農村社会を自律的に創出することは可能か。本研究は、この命題を掲げ、紅河デルタ農村社会の連帯が異質に変容している要因を追究し、農村社会の連帯が内発的発展に与える影響を明らかにすることで、内発的発展実現化への道筋を示すことを目的とした。

1.問題設定、研究目的、分析視角(第1章)

稠密な人口を持つ紅河デルタ農村について、既往研究では、歴史的に集落で強い連帯(農村社会のまとまり)がみられたこと、また、その特性がデルタ内で均質的に見られることが注目されてきた。しかし、本研究では、市場経済化が進む現在において、集落の連帯に異質性がみられること、さらには、農薬使用や経済格差の程度に集落間に差異が生じていることを発見した。経済成長とともに、人々の農薬多投行動が人間の健康や環境に悪影響を及ぼし、さらには経済的利益の追求行動によって格差を拡大する社会が多くみられてきた中で、本研究のフィールドからのその発見は、経済成長があっても農薬に頼らない農業を展開し、格差の小さい社会を築く農村の存在を確認するものでもあった。本論は、これらの発見を基に、アブダクションをもって現在の紅河デルタ農村社会の連帯に差異が生じた要因と、農村社会が内発的発展を遂げるための道筋を探究した。また、紅河デルタ地域に位置する3つの農村地域を研究対象地として選定し、地域の人々の意識や行動の深層を理解するためのフィールド調査を行った。

2.農村社会における連帯の差異の要因分析(第2章)

対象地域で現在みられる集落内の連帯について、地域Aでは、集落内で強い連帯意識が維持されているが、地域Bおよび地域Cでは、連帯が弱まっていることを確認した。なぜ、現在の農村社会の連帯に差異が生じたのか。紅河デルタの歴史を振り返ると、稠密な人口の食糧を保障するために重要な役割を果たしたのが水田であり、その水田の地域自治の基礎が、集落にあった。しかし、1970代半ばに政府の方針で、共同農業生産体制の要となる合作社の規模が集落から行政の単位へと拡大されたときから、農業上の自治体制の葛藤が始まっている。本論では、一連のドイモイ改革を通じて導入された個別農家を基礎単位とする農業生産体制が築かれた後、零細農家を取りまとめる地域農業自治の基礎が多様になりえたことが、連帯の差異を可能とした、と説明した。研究対象地の実態からは、農業生産・経営上の自治において、集落間差異が生じていることが把握できた。その中で、経済合理性と規範維持の両面を伴う利害共有の機会や、地域の各人が担う社会的役割や規範を伴う社会的分業の程度が、異なっていることが、各地域の有機的連帯の程度に影響したと考察した。

3.連帯の差異にみる内発的発展(第3章、第4章、第5章)

なぜ、3つの集落間に異なる地域農業の自治体制がもたらされたのか。この疑問に対し、第3章において、各地域の農業生産・経営をとりまとめる立場にある農協の農薬削減に資する新技術の導入行動を分析する中で、農協の志向に応じた地域の農業体制が各地域で構築されている関係性が浮かび上がった。地域Aでは、市場経済を機会ととらえる経済志向の農協が、経済効率的で効果的な自治の方法として伝統的な集落単位で形成される生産隊を地域農業自治の基礎と据えた。地域Bでは、共産党権力を備えた権力志向の農協が、個別農民を統制するために、個別農家と直接対峙する地域農業管理体制を築いた。地域Cでは、保守志向の農協のもとで、零細な個別農民が単独に農業生産・経営を展開する状況がもたらされた。農薬削減に資する新技術が地域に導入される局面においては、経済志向の農協と権力志向の農協は、地域への新技術の導入をもたらすが、保守志向の農協は、導入行動へと至らない。

地域Aと地域Bでは、いずれも農薬削減に資する新技術が農協によって地域に導入されているが、農民による農薬使用行動に地域差がみられる。経済志向農協の戦略に沿って、生産隊による自治が展開している集落Aでは、無農薬による農業生産・経営がもたらされ、権力志向農協統制下で個別農家が孤立して農業生産・経営を展開している集落Bでは、農薬を継続使用する農民が多くみられ、保守志向農協が存在しつつも技術向上の機会を得ることなく個別農家が独自に農業生産・経営する集落Cでは、農薬が過剰に使用されていた。これら、3つの集落の農民が、異なる農薬使用行動に至っている要因を追究したのが第4章である。農薬使用は、生産者である農民自身や家族・近隣住民・消費者の健康、農業環境、経済的利益のうち、どれを重視すべきか、というジレンマをもたらす。フィールド調査結果に基づき、生産隊による自治が継続され、強い連帯意識が維持されている集落Aの人々は、ある程度の虫害被害を受け入れつつ、社会的(福祉・経済上の)利益を重視し、無農薬による生産を選好している、と分析した。これは、集落Aの人々が相互に抱く連帯意識が強いために、その人々の他者の健康を配慮する意識と規範の意識を形成し、同時に自治による努力が経済的・技術的向上を促したこともあり、社会的利益が皆で追求されるようになったと推論できる。一方、農民が孤立して農業生産・経営を展開する他の2つの集落では、社会的利益はあまり意識されないまま、個人的利益が追求され、農薬が継続的に使用されている。紅河デルタの農村社会が、減農薬による農業生産を展開するには、単に技術的向上を図るのみでなく、連帯意識によって結ばれた農民の共同的可能性が活かされることが有効との示唆を得た。

第5章では、現在においても農業の場を離れると、集落の自治機能が活かされうる農外就労の場が存在することを踏まえ、集落のリーダーによる就労機会創出(集落にとっての仕事おこし)および地場産業経営の実態を把握した。ベトナムで拡大する経済格差については、経済成長に伴う農業所得シェアの低下と相関関係にあり、経済成長がある限り格差は回避できない、との見方が既往研究にみられる。しかし、本研究の調査結果からは格差の小さい経済的に豊かな集落A、格差の大きい集落B、格差は小さいが経済が低迷する集落Cの存在を確認し、経済的豊かさと格差は必ずしも相関していない実態を示した。経済的に豊かで格差が小さい集落Aについては、経済弱者を含む多くの人々に対する就労機会が保障され、集落内に集積される利益が多いために経済的に豊かになり、さらに、労働功績が、就労者以外のアクター(地場産業の場合はリーダー)から歪められずに、独立して評価され、公正に分配されているから格差が小さくなるものであり、現在の社会の状態は当然の帰結である。格差が小さいまま経済成長を遂げる集落Aは、人々が互いに抱く強い連帯意識をもって、多くの多様な人々に就労の機会を遍く提供し、一方で、個別の労働功績に対する厳しく公正な視線をもってフリーライドを許さない規範を維持させている。以上の分析を踏まえ、自律的経済発展のために人々がとるべき行動として、(1)自分の意志に基づき、自分の資源と可能性を就労の場で貪欲に活用すること、(2)自分の資源と可能性の活用後、自分に余剰する労力と就労機会があれば、他者からのその余剰分の活用を可能とすること、(3)他者が抱く資源・可能性活用の意志を尊重すること、(4)自分と他者の功績に対する評価に厳格であること、という4つの条件を提示した。

4.結論(第6章)

これまでの分析を踏まえ、連帯意識が内発的発展に及ぼす影響を図1のように示すことができる。本論は、農村社会の発展について、他律的ではなく、自律的に導かれるべきとの立場をとり、発展の主体である農村の人々の意識や行動の理解をもって、農村社会の内発的発展への道筋を探究した。社会発展の主体である農村の人々の具体的行為をもたらす原動力は、人々の動機にあり、農村社会の人々が互いに抱く連帯意識がその動機に影響を及ぼしていることを本研究の事例にみた。友好的な連帯の意識をもってつながれた人々が創造する農村社会は、多様な人々に機会を遍く提供し、その人々の可能性を発現させる。また、その機会を得た人々の行動は、厳しく公正な視線で連帯する人々に見守られ、規律が保たれる。社会に生きる多様な人々が経済面のみに偏らず、多面的に連帯する社会が形成されることで、より豊かで歪の少ない持続的な農村社会が、農村の人々の意識と行動によって創造されることが可能となる。

図1 連帯の変容と連帯意識が内発的発展に与える影響

審査要旨 要旨を表示する

1.論文の概要

稠密な人口を持つベトナム紅河デルタでは有史以来稲作が行われており、その農村社会は強い連帯を持つ社会と捉えられてきた。しかし第二次大戦後の社会主義化そして近年のドイモイ改革および市場経済化を経て、農村社会は大きく変容してきている。

そこで、本研究では、農村社会の連帯の異質性の発見をもとに、その差異の要因を分析し農村社会の連帯と歪みの関係を追究すること、また、その研究過程から発見できた論理をもって農村社会の内発的発展の道筋を示すこと、を目的としており、6章で構成されている。

第1章は序論で、研究の背景、問題の所在、研究目的、研究の意義が述べられている。研究方法としては、参与観察、インタビュー調査、対面式アンケート調査を中心とし、アブダクション(仮説形成法)により分析を行うと述べられている。

第2章では、対象地域における連帯の差異の要因分析が行われている。まず調査によって、強い連帯意識が維持されている集落と連帯が弱まっている集落とを確認し、以下のような差異が生じていることを把握した。(1) 伝統的領域・集団単位への愛着が低下してしまった集落もある。(2) 農民のまとまりには集落を越えた展開やまとまりも存在している。(3) 経済的に豊かになった農村において、格差が拡大した集落と拡大しなかった集落とが存在している。(4) 行政から同じ技術移転を受けていても、その適用が異なる。

これらの事実がなぜ生じたのかについて検証を行い、地域農業経営において経済合理性と集落への規範の両面を伴う共同機会が多いと強い連帯が形成されること、集落内で社会的分業が進むと集落内の異質な役割を有する人々の間に強い有機的連帯が形成されることと、結論づけた。

第3章から第5章では、これら異なる連帯が内発的発展にどのような影響を及ぼしているかについて考察を加えた。

農薬使用行動に関して、強い連帯意識を持つ人々は、個人的利益・社会的福祉(他者の健康や利益)追求の両面の動機が満たされる「削減」を選択する。一方、連帯意識が弱い人々は、社会的便益を追求する動機は形成されにくく規範の意識が欠如しているため、農薬が継続的に使用される。

仕事おこし・地場産業経営に関しては、他者との強い連帯意識を持つリーダーをもち強い連帯意識によって形成されている社会では、多様な人々に遍く就労機会がもたらされ、就労成果が正当に評価され、経済格差が小さい経済的に豊かな社会となる。一方、他者との連帯意識が弱いリーダーは個人的利益追求を図る経営戦略を選好し、経済的強者に利益が偏る社会となる。

第6章は結論で、本研究で明らかにしたことを取りまとめた。すなわち、人々の具体的行為をもたらす原動力は人々の動機にあり、農村社会の人々が互いに抱く連帯意識がその動機に影響を及ぼしていることを示した。そして、社会に生きる多様な人々が経済面のみに偏らず、多面的に連帯する社会が形成されることで、より豊かで歪の少ない持続的な農村社会が創造されることが可能となることを示した。最後に、なお残る課題を整理している。

2.論文の審査の結果

本論文は、以下の5点で評価できる。

(1)農村社会における連帯の差異の要因を明らかにした。すなわち、伝統的に強い連帯を見せていた農村集落が、ドイモイ改革以降、有機的連帯の機会の質と程度とが多様になったことが、差異をもたらしたことを示した。

(2)連帯意識が内発的発展に与える影響として、農薬使用行動の差異で説明した。すなわち、連帯意識が弱くなった集落では、社会的便益よりも個人的利益が重視され農薬を多投する一方、強い連帯意識が維持されている農村集落では、社会的福祉を追求する視点が残存され、農薬に頼らない健康的な環境保全型社会が形成されていることを示した。

(3)連帯意識が内発的発展に与える影響として、就労機会創造での差異で説明した。すなわち、強い連帯意識を持つリーダーは、集落構成員の福祉向上を強く意識し、多様な構成員に遍く就労機会を提供し、就労成果を厳しくかつ公平に評価し、利益を分配する結果、豊かで経済格差が小さい社会が実現されることを示した。

(4)以上の事例および現地調査結果を踏まえ、連帯意識が内発的発展に及ぼす影響を、連帯の多面性および連帯の質から、整理した。

(5)これらの結果を導き出すにあたって、永年月にわたる現地調査、大量の行動観察、それぞれのアクターへのヒアリング・アンケート調査を行い、紅河デルタ地域農村の現状を詳細に記述・提示した。

一方、本論文では、紅河デルタの他の地域や農村社会全般における一般性の検証が不足している。本論文では、調査の困難な地域において農村での発見をもとに内発的発展への道筋を示した質的研究として上記の通り大きな成果を挙げているが、量的研究を通じた一般化の必要性も否定できない。とはいえ、上記5点において十分な成果を上げたと判断できる。

なお本論文の一部は、山路永司との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上より、審査員一同は、本論文に対し博士(国際協力学)の学位を授与できると認める。

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