学位論文要旨



No 128804
著者(漢字) 竹内,絵理
著者(英字)
著者(カナ) タケウチ,エリ
標題(和) 平行線維-プルキンエ細胞間シナプスの発達異常が歩行動作に及ぼす影響
標題(洋) Effects of developmental abnormalities in parallel fiber-Purkinje cell synapse formation on locomotor movements
報告番号 128804
報告番号 甲28804
学位授与日 2012.12.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1181号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 柳原,大
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 八田,秀雄
 東京大学 准教授 福井,尚志
 東京大学 准教授 工藤,和俊
内容要旨 要旨を表示する

【研究の背景】

小脳は姿勢や歩行の適応制御に重要な役割を果たす脳部位であり、円滑な歩行動作の生成に貢献している。小脳皮質の虫部・中間部は脊髄との入出力関係が強く、脊髄と小脳は脊髄小脳ループを形成しオンラインで歩行制御に関わっている(Arshavsky, 1983; Orlovsky, 1999)。小胞皮質唯一の出力細胞であるプルキンエ細胞は、延髄下オリーブ核を起始とする登上線維および顆粒細胞の軸索である平行線維から興奮性入力を受ける。現在までのところ、これらの興奮性入力の歩行制御に対する役割の全容は明らかとなっていない。平行線維‐プルキンエ細胞間シナプスの後膜には数種類の受容体が存在し、そのなかでもδ2型グルタミン酸受容体(GluD2)は小脳のプルキンエ細胞のみに特異的に発現しており、他の脳部位には発現していない。GluD2変異マウス(GluD2ノックアウトマウス、hotfootなど)は、平行線維‐プルキンエ細胞間シナプス数の減少、登上線維の多重支配といった構造的異常に加え、電気生理学的解析から長期抑圧の障害といった機能的異常を呈することが報告されている(Kashiwabuchi et al., 1995; Kurihara et al., 1997; Motohashi et al., 2007)。これまでGluD2はオーファン受容体とされていたが、そのリガンドがセレベリン1 (Cbln1)であることが報告された(Matsuda et al., 2010)。Cbln1は主に小脳の顆粒細胞から分泌されるサイトカインで、平行線維‐プルキンエ細胞間シナプスの形成と維持に重要な働きをしている(Ito-Ishida et al., 2008; Yuzaki, 2008, 2009)。Cbln1ノックアウトマウスは平行線維‐プルキンエ細胞間シナプス数の著しい減少、登上線維の多重支配、長期抑圧の障害といったGluD2変異マウスと類似した表現型を示すことが報告されている(Hirai et al., 2005)。これまでに小脳性歩行失調は主としてヒトにおいて臨床神経学的に調べられてきたが、小脳失調マウスにおける歩行失調についての研究は足跡の軌跡や回転棒課題といった簡単な評価によるものがほとんどであり、歩行動作がどのように障害されているのか動作学的に解析した研究はほとんどない。また、現在までのところ平行線維‐プルキンエ細胞間シナプスの形成および機能不全が歩行制御にどのような影響を与えるのかは不明である。そこで本博士論文では、平行線維‐プルキンエ細胞間シナプスの発達異常を有するGluD2変異マウスとCbln1ノックアウトマウスの歩行失調を動作学的に調べ、平行線維‐プルキンエ細胞間シナプスの発達異常が歩行動作に与える影響について調べることを目的とした。

【第2章 δ2型グルタミン酸受容体変異マウス,ho15Jマウスにおける歩行失調】

GluD2タンパク質をプルキンエ細胞の細胞体に保持するが、GluD2が樹状突起に発現していないho15Jマウス(C3H background, n=8)を用い、右後肢5箇所(大転子、膝、外果、第5中足指節関節、つま先)にマーカーを取り付け、トレッドミル上を歩行させた。その様子を高速度ビデオカメラ(200 frames/sec)を用いて撮影し、得られた映像から時間的変数(歩行周期持続時間など)および空間的変数(関節角度など)を算出した。比較対照群として正常野生型のC3Hマウス(n=8)を用いた。トレッドミル速度は8 m/min, 16 m/min, 24 m/minに設定したが、ho15Jマウスは24 m/minにおいて約半数の個体が安定した歩行を示せなかったため24 m/minは解析結果から除外した。

電子顕微鏡解析から、ho15Jマウスは正常型の平行線維‐プルキンエ細胞間シナプス数が野生型マウスの約40%にまで減少し、残りの多くは平行線維とシナプス結合がないフリースパインとなっていた。トレッドミル歩行中の後肢の動作学的解析から、ho15Jマウスは野生型マウスと比較し足関節角度が過度に屈曲し、遊脚相中につま先が高く拳上していた。また、接地時において野生型マウスと比較し、膝関節および足関節角度が大きく屈曲する様子が観察され、膝関節と足関節の関節間協調が変化していることが明らかとなった。大転子の高さは歩行周期を通して野生型マウスよりも低かった。一方で、時間的変数には野生型マウスとの間に有意な差は認められなかった。以上の結果から、足関節の過屈曲を原因とする遊脚相中のつま先の過度な拳上、および膝関節と足関節の関節間協調の障害がho15Jマウスの歩行失調の主な要因であると考えられる。

【第3章 Cbln1ノックアウトマウスにおける歩行失調】

Cbln1ノックアウトマウスは、平行線維‐プルキンエ細胞間シナプス数が正常野生型マウスの約20%と重篤な発達異常を示す(Hirai et al., 2005)。このマウスは歩行失調を示すことが報告されているが、どのように歩行動作が障害されているのかは明らかにされていない。そこで第2章同様に、Cbln1ノックアウトマウス(C57BL/6 background, n=14)においてトレッドミル歩行中の肢の動作解析を行った。比較対照群として正常野生型のC57BL/6マウス(n=13)を用いた。トレッドミル速度は8 m/min, 16 m/min, 24 m/minに設定したが、Cbln1ノックアウトマウスはトレッドミル速度が16 m/min, 24 m/minにおいて安定した歩行を示せなかったため解析結果は除外した。

Cbln1ノックアウトマウスは野生型マウスと比較し、歩行周期、接地相、そして遊脚相持続時間が有意に短かった。また、Cbln1ノックアウトマウスは野生型マウスと比較し、歩行周期を通して膝関節および足関節角度が屈曲した変位パターンを示すことが明らかとなった。さらに、Cbln1ノックアウトマウスは遊脚相中につま先が高く拳上し、このつま先の拳上は膝関節および足関節の過屈曲が原因であると考えられる。Cbln1ノックアウトマウスは、歩行中の膝関節と足関節の関節間協調が損なわれることが明らかとなり、特に接地相において膝関節と足関節の動きの範囲が小さくなることが明らかとなった。この関節間協調の障害がCbln1ノックアウトマウスの歩行失調の主な要因であると考えられる。

【第4章 Cbln1の注入による歩行失調改善効果】

先行研究から、Cbln1ノックアウトマウスの小脳虫部にCbln1を注入すると、一時的に平行線維‐プルキンエ細胞間シナプスが形成されることが報告されている(Ito-Ishida et al., 2008)。歩行運動のパフォーマンスとしても足跡の軌跡および回転棒課題の成績がシナプスの形成と時間的に一致して回復することが示されている。しかしながら、どのように歩行動作が改善するのか動作学的に証明されてはいない。第4章では、小脳クモ膜下腔へのCbln1注入がCbln1ノックアウトマウスの歩行動作に与える影響を動作学的解析に調べた。

Cbln1ノックアウトマウスにCbln1を注入すると、歩行周期持続時間が野生型マウスレベルにまで増加した。これは接地相持続時間の増加が原因であった。また、Cbln1注入後には屈曲していた膝関節角度変位が野生型マウスの変位パターンに近づくことが確認された。Cbln1ノックアウトマウスにおいて観察された歩行失調の改善効果は、先行研究により報告されていたCbln1注入による平行線維‐プルキンエ細胞間シナプスの構造変化と時間的に一致しており、歩行失調の改善はCbln1注入4日後と非常に短期間に生じることから、改善効果は主に平行線維‐プルキンエ細胞間シナプスの形成によるものと考えられる。しかしながら、これらの効果は一時的なもので注入1か月後には元に戻ることが明らかとなった。歩行における時間的制御および少なくとも膝関節の適切な動作の生成には平行線維からプルキンエ細胞へのシナプス伝達が重要な役割を果たしていることが示唆された。

【まとめ】

ho15JマウスおよびCbln1ノックアウトマウスは、歩行中の後肢の関節間協調が障害されることが明らかとなった。さらに、平行線維‐プルキンエ細胞間シナプス数がho15Jマウスより減少しているCbln1ノックアウトマウスにおいては、歩行周期持続時間が野生型マウスよりも短く、歩行の時間的制御も障害されていることが明らかとなった。Cbln1ノックアウトマウスにCbln1を注入すると、時間的変数および歩行時の膝関節動作が一時的に改善されることが明らかとなった。小脳虫部および中間部のプルキンエ細胞には、脊髄より種々の感覚フィードバック情報および歩行リズム生成機構からの遠心性コピー等の情報が脊髄小脳路を経由して送られている。これらの情報は小脳皮質神経回路内において、苔状線維‐顆粒細胞‐平行線維を介してプルキンエ細胞に伝達される。平行線維‐プルキンエ細胞間シナプスの発達異常を有するマウスは、脊髄から小脳プルキンエ細胞への情報伝達が障害されることで関節間協調の障害が引き起こされ、それが歩行失調の主な要因であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「平行線維‐プルキンエ細胞間シナプスの発達異常が歩行動作に及ぼす影響(Effects of developmental abnormalities in parallel fiber-Purkinje cell synapse formation on locomotor movements)」は、5章から構成され、第1章:序論、第2章:δ2型グルタミン酸受容体変異マウス,ho15Jマウスにおける歩行失調、第3章:Cbln1ノックアウトマウスにおける歩行失調、第4章:Cbln1の注入による歩行失調改善効果、第5章:総合論議となっている。

歩行を安定して、かつ、様々な外部環境の変化に適応して行うための神経制御機構についての知見は未だ十分ではない。ヒトを対象とした生理学的研究、また神経疾患患者などを対象にした臨床的バイオメカニクス領域における研究においては数多くの研究成果が報告されているが、実験手法の制約上、神経制御機構の詳細な解析は難しい。小脳に病変をもつ患者は重篤な歩行失調を呈し、また、小脳変性を有するミュータントマウスにおいても、歩行失調を呈する。ところで、小脳変性をもつミュータントマウスおよびノックアウトマウスにおいて、その歩行失調の解析は床上歩行時の足跡の観察や回転棒上での歩行時間の解析など簡便な評価系にて調べられているのみで、どのような動作の障害が歩行失調の要因となっているのか不明である。本論文では、小脳皮質神経回路において、顆粒細胞の軸索である平行線維とプルキンエ細胞間のシナプスの発達異常を有する2種類のマウス、δ2型グルタミン酸受容体(GluD2)変異マウス(ho15Jマウス)とCbln1ノックアウトマウスを対象にトレッドミル歩行時の後肢の動作解析を行い、それらが呈する歩行失調について調べた。

第2章では、小脳プルキンエ細胞に特異的に発現するGluD2の変異マウスの一種のho15Jマウスにおけるトレッドミル歩行時の後肢の動作について詳細に調べた。ho15JマウスはC3H系統をバックグラウンドとするため、比較対照群として正常野生型のC3Hマウスを用いた。トレッドミル速度は8, 16, 24 m/minに設定し、歩行時の後肢の動きを高速度カメラによって撮影し、膝関節、足関節などの関節角度変位や歩行周期持続時間などを解析した。ho15Jマウスは野生型マウスと比較して歩行周期のすべてにわたり足関節の過屈曲が観察され、また遊脚相におけるつま先の過度な挙上が認められた。接地時には、ho15Jマウスの膝関節角度は野生型マウスよりもより屈曲していた傾向が観察された。歩行周期持続時間などの時間的変数に、両グループ間で顕著な差異は観察されなかった。平行線維とプルキンエ細胞間のシナプスの電子顕微鏡による形態解析の結果、野生型マウスのプルキンエ細胞のほとんどすべてのスパインは平行線維終末とシナプスを形成していたが、ho15Jマウスにおいては多くのフリースパインが観察され、平行線維―プルキンエ細胞間シナプスの形成不全が観察された。これらの結果から、小脳変性を有するho15Jマウスの歩行失調は足関節の過屈曲と遊脚相におけるつま先の過度な挙上が特徴とされることが結論された。

第3章では、Cbln1ノックアウトマウスにおけるトレッドミル歩行時の後肢の動作について詳細に調べた。Cbln1はC1qファミリーに属し、小脳では平行線維終末から分泌されプルキンエ細胞のGluD2のリガンドの1つとして機能すると考えられている。Cbln1ノックアウトマウスにおいては、平行線維―プルキンエ細胞間シナプスの形成不全がho15Jマウスより重篤で、正常型スパインは約20%となっている。Cbln1ノックアウトマウスはC57BL/6系統をバックグラウンドとするため、比較対照群として正常野生型のC57BL/6マウスを用いた。トレッドミル速度は8, 16, 24 m/minに設定したが、Cbln1ノックアウトマウスは16, 24 m/minのトレッドミル速度では安定な歩行ができないために、8 m/minでの歩行時の後肢の動きを高速度カメラによって撮影し、膝関節、足関節などの関節角度変位や歩行周期持続時間などを解析した。Cbln1ノックアウトマウスは野生型マウスと比較して歩行周期持続時間、接地相・遊脚相持続時間が有意に短縮されていた。Cbln1ノックアウトマウスは歩行周期を通して足関節のみならず膝関節が野生型マウスよりも過度に屈曲した変位パターンを示した。Cbln1ノックアウトマウスにおいてもho15Jマウスと同様に遊脚相中につま先が高く拳上し、このつま先の拳上には足関節および膝関節の過屈曲が起因していると考えられた。これらの結果から、小脳変性を有するCbln1ノックアウトマウスの歩行失調は足関節および膝関節の過屈曲と遊脚相におけるつま先の過度な挙上が特徴とされることが結論され、歩行中の膝関節と足関節の関節間協調が障害されていることが示唆された。

第4章では、Cbln1ノックアウトマウスの小脳にCbln1を投与することによる歩行失調の改善効果について調べた。先行研究においては、成熟したCbln1ノックアウトマウスの小脳クモ膜下腔にCbln1を注入すると、その2-4日後には回転棒上での歩行能力に改善が見られ、電子顕微鏡的にも平行線維―プルキンエ細胞間シナプス数が正常化することが報告されている。Cbln1ノックアウトマウスの小脳正中のクモ膜下腔にCbln1注入を行うと、短縮していた歩行周期持続時間が野生型マウスレベルにまで改善し、接地相持続時間の増加が寄与していた。また、Cbln1注入後には過屈曲していた膝関節が野生型マウスの変位パターンに近づくことが確認された。Cbln1ノックアウトマウスにおいて観察された歩行失調の改善効果は、Cbln1注入の4日後と非常に短期間に生じるが、この効果は一時的なもので注入1カ月後には元に戻ることが観察され、Cbln1注入による歩行失調の改善は主に平行線維―プルキンエ細胞間シナプスの再形成によるものと示唆された。小脳虫部および中間部は歩行中、脊髄のリズム生成回路および種々の体性感覚系の受容器由来の情報を腹側および背側脊髄小脳路を経由して受けており、これらの情報は小脳皮質において顆粒細胞、平行線維を介してプルキンエ細胞に伝達される。平行線維―プルキンエ細胞シナプスの形成が障害されているho15JマウスおよびCbln1ノックアウトマウスの歩行失調は歩行時に脊髄から小脳に送られる種々の情報が十分にプルキンエ細胞に伝送されていないと予想され、そのために足関節および膝関節における運動障害が生じると示唆された。

以上をまとめると、論文提出者は本研究において、小脳皮質における平行線維―プルキンエ細胞間シナプスの発達異常を有する2種類のマウスが呈する歩行失調について、トレッドミル歩行における後肢の動作特性について詳細な解析を行い、重要な新知見を提供した。これらの結果は、神経科学、身体運動科学において有意義な貢献をするものと認められる。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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