学位論文要旨



No 128813
著者(漢字) 小坂,賢太
著者(英字)
著者(カナ) コサカ,ケンタ
標題(和) 戦後の日本の乗用車産業における貿易政策とイノベーションの効果についての研究
標題(洋)
報告番号 128813
報告番号 甲28813
学位授与日 2013.02.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第314号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 現代経済専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,元重
 東京大学 教授 福田,慎一
 東京大学 教授 柳川,範之
 東京大学 教授 大橋,弘
 東京大学 教授 佐々木,弾
内容要旨 要旨を表示する

この論文では、1950年代から1970年代にかけての日本の乗用車産業における保護貿易政策とイノベーションの効果について定量的に測定することを目的としている。戦後の日本においては、様々な産業政策が行われていたことが知られている。乗用車産業における保護貿易政策も、その代表的な例である。現在では、目覚ましい発展を遂げている日本の乗用車産業も、戦後の1950年代から1970年代にかけては、国産乗用車産業の育成を目的とした輸入数量制限政策や高関税政策などの多くの手段によって、手厚い保護が行われてきた。戦後の日本の乗用車産業で行われたような輸入制限政策は、幼稚産業保護政策と呼ばれ、国際貿易論のなかでも、古くから議論されてきた理論的な根拠を持った政策である。そして、日本乗用車産業における乗用車の保護貿易政策は、保護貿易政策が実施された期間と同じ時期に、日本の乗用車産業も急速に発展したことから、幼稚産業保護政策が成功した典型的な例として考えられ、さらには、数多く行われた日本の産業政策の中でも成功した例として考えられることが多い政策である。その一方で、日本の乗用車市場における保護貿易政策の効果についての定量的な検証は今日まで十分に行われておらず、その効果を検証することは重要な研究課題である。

また、1950年代から1970年代にかけての日本の乗用車産業の特徴として、プロダクト・イノベーションなどによって製品の種類が多様化していったことが上げられる。このような市場における製品の種類の多様化は、消費者の便益を向上させる。製品の種類の多様化による消費者の便益の向上は、経済成長や貿易の動向といった経済の大きな動きに影響を与えることが理論的には知られており、その効果を定量的に把握することは、重要な研究課題であると言える。

本論文では、これらの研究課題について、構造系推計と呼ばれる手法を用いることで測定している。具体的には、Berry(1994)で提唱された、離散選択モデルを利用した品質が差別化されている財を扱うことができる需要関数を用いることで測定している。

まず、序論である第1章では、研究の目的、研究の概略、実証分析を行うためのデータの入手方法について説明し、さらに製品の品質が差別化されている日本の乗用車市場を、ヘドニック・アプローチによって分析することで、日本車と輸入車の価格競争力の推移、および輸入数量制限政策が輸入車の価格に与える影響、日本の乗用車産業でのプロセス・イノベーションについて議論している。

第2章では、戦後の日本の乗用車産業における保護貿易政策について、特に、その中でも代表的な手段であった外貨割当制限政策による輸入数量制限政策と高関税政策という二つの政策の効果について、乗用車産業の学習効果に焦点をあてながら分析している。

分析手法としては、1953年から1973年までの日本の乗用車市場について、需要と供給モデルに基づいた構造推定によって、保護貿易政策が行われなかった日本の乗用車産業をつくりだし、それと現実の保護貿易政策が行われた日本の乗用車産業を比較することで、保護貿易政策の効果を測定している。

需要モデルとしては、Berry(1994)で採用されている消費者の離散選択モデルに基づくNested logit modelを利用した需要関数を用いている。この需要関数を用いることで、差別化された財について、ある程度の現実的な財の代替関係を保ちながら需要関数を分析することができる。

この需要関数を、乗用車のブランドごとに、製品の価格と販売量と品質のデータを用いて推計し、推計した需要関数を用いて、各乗用車のブランドのマークアップを計算することで、限界費用関数が推計している。さらに、1961年から1965年までの輸入制限政策が輸入車の価格をどの程度上昇させているのかも測定することができる。限界費用関数の推計には、学習効果による限界費用の低下についても考慮に入れている。

このようにして求めた需要関数と限界費用関数を用いて、「輸入数量制限政策が行われることなく、かつ関税率が0である」という仮想的な状況のシミュレーションを行った結果、保護貿易政策の効果は、1950年代については非常に大きく、最も大きい1957年では、日本車への売上と利潤をおよそ2.7倍に上昇させていることが分かった。しかし、1960年代に入ると、その効果は次第に小さくなり、1964年には、売上と利潤を1.1倍上昇させるに留まり、以降は効果がほとんどなくなったことが分かった。このことから、保護貿易政策は、1960年ごろまでは短期的に販売台数と利潤を増加させるという効果はあったが、1960年代中旬から1970年にかけては効果がなくなっており、その役割は、1965年頃には終えていたと言える。

第3章では、1954年から1972年の日本の乗用車市場における国内の物品税を用いた保護貿易政策の効果について測定している。乗用車は、普通乗用車と小型乗用車に分類されるが、この時期の物品税率は、小型乗用車の物品税率が15%であったのに対し、普通乗用車の物品税率は、30%~50%と高い水準となっていた。このように普通乗用車の物品税率を高くし、小型乗用車と普通乗用車の税率に大きく格差をつけた物品税率は、小型乗用車が中心である国産乗用車の保護育成を目的としたものであり、1973年に普通乗用車の物品税率が20%に引き下げられるまで続けられた。

普通乗用車の物品税率を高くすることで、国産車を輸入車の競争から保護するような政策は、関税ではなく内国税を利用した保護貿易政策である。近年、GATT・WTO体制で関税の引き下げと輸入数量制限撤廃の進展により「国境措置」による輸入制限政策が軽減されつつある中で、内国税や国内規則等を差別的に扱うことによる輸入制限効果が、いわゆる「隠された貿易障壁」として、その弊害が指摘されている。普通乗用車に高い物品税率を課すことで、普通乗用車と小型乗用車の税率に大きな格差を設けることによる保護貿易政策も、このような内国税・国内規則等を差別的に適用することによる輸入制限の事例の一つとして考えることができる。

物品税の輸入制限効果を測定する手法としては、需要と供給モデルに基づいた構造推計により、1954年から1972年までの普通乗用車の物品税率が、1973年以降の20%であったという「仮想的な状況」における国産車および輸入車の日本市場での販売台数をシミュレーションすることで、普通乗用車への高額な物品税率が、どの程度、国産車および輸入車の販売台数に影響を及ぼしたのかを定量的に分析している。需要関数の推計には、第2章と同様に、Berry(1994)で採用されている、Nested logit modelに基づいた需要関数を用いている。

分析の結果、普通乗用車へ高額な物品税率が課せられることで、輸入乗用車の販売台数は約13~20%近く減少したものの、国産乗用車の販売台数は、1966年から1972年に関しては、ほとんど変化しないことが確認された。さらに、1954年に関しては、国産車の販売台数を2%ほど増加させたことが分かった。国産車の販売台数をほとんど減少させることなく、輸入車の販売台数を大きく減少させているということは、この時期の普通乗用車への高額な物品税率が、いわゆる「隠された貿易障壁」として機能していたことを示唆している。一方、小型乗用車と比較して普通乗用車に高額な物品税率を課すことによる国産乗用車の販売台数を促進させる効果は、1954 年 に関しては、若干の効果があったが、他の期間は、全く効果がなかったことが分かった。

第4章では、戦後の復興期から高度成長期における日本の乗用車市場において、製品の種類の多様化が、どの程度、消費者の余剰を増加させたのかについて測定している。日本の乗用車市場では、1950年代には、少数の製品しか販売していなかったが、その製品数は次第に増加していき、1960年代には数多くの種類の乗用車を消費者は購入できるようになった。第4章では、その中でも特に、日本の乗用車に関する産業政策に関わる2つの事例、具体的には、国産乗用車メーカーと欧州乗用車メーカーとの技術提携政策による欧州ブランド乗用車の国産乗用車メーカーによるライセンス生産・販売と、政策的に優遇されていた軽乗用車の開発・販売によって、消費者の消費可能な製品の種類が多様化したことが、どの程度、消費者の余剰を増加させたのかを定量的に測定することを目的とする。測定手法としては、第2章と第3章と同様に、Berry(1994)などで提唱されているNested logit modelに基づいた需要関数を推計することで、製品の種類の拡大による消費者余剰の変化を測定している。

測定の結果、技術提携政策に関しては、技術提携による欧州ブランド乗用車の日本市場への導入により、ピーク時の1956年には、乗用車購入者一人当たり12.75万円の消費者余剰が増加していることが分かった。一方で、軽乗用車の市場への導入は、ピーク時の1967年でも、乗用車購入者一人当たりの消費者余剰を2.6万円程度、増加させるにとどまった。このような消費者余剰の増加の程度の違いは、新たに市場の導入された財に対して代替的な財が、従来までの市場に存在していたかどうかに依存すると考えられる。技術提携による欧州乗用車メーカーのブランドの日本市場への導入は、この時期においては、日本の乗用車メーカーが販売する乗用車の製品数も少ない上に、1955年から1961年までは輸入乗用車の一般向けへの販売が禁止されていたことから、日本の乗用車市場に、技術提携車と代替するような乗用車がなかったことが消費者余剰の大幅な増加に結び付くことになり、一方で、軽乗用車の市場への導入に関しては、この時期には既に、日本の乗用車メーカーは、ある程度の製品の種類を市場に投入し、軽乗用車に対して大衆車という代替的な財が存在していたことが、消費者余剰の増加に結び付かなかったと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

論文の内容

本論文は、戦後の日本の乗用車産業における保護貿易政策とイノベーションの効果について、定量的に測定することを目的としている。産業組織の分野における構造推定の手法を用いて政策の定量的な評価を試みた研究である。乗用車産業は、戦後の日本の産業政策や貿易政策を論じる上で重要な産業であり、多くの研究が行われてきた分野である。ただ、定性的な分析あるいは単純な手法での数値計算的な研究が大半で、ソリッドな実証分析手法を用いた研究は意外と少ない。きちっとした分析を行うために必要なデータを集め整備するのに膨大な時間と労力がかかること、そしてそうしたデータを適切に構造推定する手法を身につけた研究者が非常に少ないことによるものである。小坂氏の博士論文では、構造推計という手法を用いて、自動車産業における政策効果の分析に正面から取り組んでいる。製品の品質や価格に関する細かいデータを収集するのが困難な、戦後復興期から高度経済成長期の問題を扱うという、難しい課題に取り組んでいる。以下、本論文の各章の内容について、もう少し詳しくまとめてみたい。

第1章では本論文全体を通じた小坂氏の問題意識、構造的推計手法を用いた関連文献の紹介と本研究との関係、本論文の以下の三つの章の要約などがまとめられている。その上で、本研究で使われるデータについての詳しい記述がされている。この研究の対象が時期の古いデータでるため、価格、販売数、品質など、単一のデータソースから入手することはできない。データを、商業誌や社史、そのた様々なデータソースから入手し、データベースを構築したことが本論文の特徴となっている。この章ではまた、ヘドニック・アプローチを用いて乗用車の価格の変遷をチェックするという分析が行われる。2章以降で行われる構造推計の分析との比較対象としても意味もあるし、この研究の対象の時期の乗用車の価格競争力の推移を見る上でも有効である。

第2章では、1950年代初めから1970年代はじめにかけて行われた保護貿易政策の効果について、構造推計の手法を用いて測定を行っている。特に、1955年から60年にかけての外貨割当制限政策による一般需要者に対する輸入禁止政策、1961年から1965年までの実質的な輸入数量制限政策、さらに1970年に20%に引き下げられるまで実施されていた乗用車に対する40%近い高関税政策が、国産乗用車メーカーの国内販売量や利潤に与えた影響について定量的に把握している。

具体的にはNested logit modelを利用した需要関数で、差別化された財についての需要関数を推計する。この推計した需要関数を使って、乗用車の各ブランドのマークアップを計算することができる。価格からこのマークアップを引くことで、ブランドごとの限界費用を求めることができる。この限界費用の数字を利用して、限界費用関数を推計することができるのだ。この費用関数には学習効果による費用低下効果も考慮されている。このような構造式を利用すれば、外貨割割当制限政策、輸入数量制限政策、高関税政策が行われなかった場合と比べて、企業の利益や費用の低下のスピードがどう異なったのか数量的に捉えることができる。1960年代はじめまではこうした政策が非常に有効に効いたが、1965年以降はそれほどの効果はなかったというのが小坂氏の導いた結論である。こうした効果の大きさが販売台数や利益の上昇、あるいはコストの低下のスピードなどの数値で評価できるのかこの研究の特徴である。

第3章では物品税の輸入抑制効果や国内企業保護効果について分析が行われている。1950年代から70年代初めにかけて、日本では物品税について小型である国内乗用車に有利な物品税が課されていた。大型の輸入乗用車を購入する消費者は、高い物品税がかかった価格を払うことになる。こうした国内税制の差別が「隠された貿易障壁」であることは言うまでもない。小坂氏はこの章で、前章で利用した構造推計モデルを小型車と普通乗用車という分類に合わせて変形し、構造推計モデルを用いて、物品税による差別的政策の影響を計測した。その結果として、輸入車は13%~20%程度の輸入抑制効果が働いたこと、国産車の販売には大きな影響がなかったことなどの結果が得られている。物品税における小型車と中型車以上の差別が輸入制限効果を持つということは、定性的にはよく言われることだが、その影響の大きさについて具体的な数値を推計できたことは意義のあることだ。

第4章では乗用車市場での製品の種類の多様化が、消費者の余剰にどのような影響を与えたのかという点に考察の対象が向けられる。乗用車市場の重要な特徴として、製品が多様であり、その多様性が消費者余剰に大きく貢献するということだ。小坂氏がこの論文で用いている離散型のnested logit modelの需要関数は、製品多様性による消費者の利益を分析する上で有効である。

小坂氏は、戦後の乗用車の産業政策に関して、品質の多様性に影響を及ぼす政策として二つの政策を取り上げた。一つは国産乗用車メーカーと欧州序容赦メーカーの技術提携政策を契機とした、欧州ブランド乗用車の国産乗用車メーカーによるライセンス生産・販売である。この政策によって、国内消費者は欧州ブランドと同等の乗用車を、より低価格の国産乗用車として購入することが可能になった。小坂氏の結果によれば、技術提携のよる欧州ブランドの日本市場への導入によって、ピーク時の1956年には、乗用車購入者一人あたり13万円ほどの消費者余剰の増加がもたらされたことになる。かなり大きな額である。

小坂氏が分析したもう一つの政策は、軽乗用車に関わるものである。軽乗用車の開発・販売に関して政策的な優遇が行われることで、消費者にとって軽乗用車という選択が加えられ、消費可能な製品の種類が拡大した。この政策により実現した製品の多様性の増大が消費者余剰に拡大にどの程度貢献したのかが分析されている。小坂氏によると、乗用車購入一人あたり2.6万円程度の消費者余剰の増加という、非常に限られた恩恵しか出てこなかったことが明らかにされている。軽乗用車が導入された時期にはすでに日本の乗用車の製品数が多かったので、そこに軽乗用車が加わるメリットは限定されていたとい解釈がなされている。

評価と審査結果

以上で要約したように、小坂氏の論文は構造推定を用いた産業政策や通商政策の定量的評価を、戦後の日本の乗用車産業に応用したものである。乗用車市場が戦後の日本の産業育成政策を考える上で重要な存在であるにも関わらず、これまでソリッドな実証研究が非常に少なかったことを考えると、小坂氏の研究の価値は高いものと評価してよいだろう。また、戦後復興期から高度経済成長期という、詳細なデータを集めるのが困難な時期に、様々なソースを利用しながら苦労してデータを集めてきた姿勢は、今後もこうした研究をさらに発展させてくれるという期待を持たせてくれる。

もとより、小坂氏の研究にはさらに改良を加える余地が多くあることも事実だ。小坂氏も論文の中で課題として指摘しているように、乗用車市場での産業発展をもたらすチャネルは、この論文で取り上げられているもの意外にもいくつか重要なものがある。たとえば、保護されている期間に国内企業があげた超過利潤がその後の投資にどのように活用されていくのかという点などは、産業の成長ダイナミックスを考える上で重要な点であろう。また、小坂氏の研究がBerryによるモデルに全面的に依拠している点もこの研究の限界とも言える。今後は、小坂氏独自の視点から分析に用いる理論モデルでの改良にも取り組んでほしい。

そうはいっても、日本の乗用車産業という大きな対象に挑戦し、困難な作業をこなしてデータを集めた姿勢は高く評価したい。小坂氏が研究者として独り立ちするという意味では、この博士論文はそのための資質が十分であることを示しており、また十分な成果をあげていると評価できる。本審査委員会は全員一致をもって、本論文が博士(経済学)の学位を授与するに値するものと判断した。

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