学位論文要旨



No 128816
著者(漢字) 鳥海,希世子
著者(英字)
著者(カナ) トリウミ,キヨコ
標題(和) 市民メディア・デザイン : デジタル社会の民衆芸術をめぐる実践的メディア論
標題(洋)
報告番号 128816
報告番号 甲28816
学位授与日 2013.02.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学際情報学)
学位記番号 博学情第54号
研究科 学際情報学府
専攻 学際情報学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水越,伸
 東京大学 准教授 山内,祐平
 東京大学 教授 佐倉,統
 駒澤大学 教授 白水,繁彦
 中京大学 教授 加藤,晴明
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、市民メディアをデザインの観点からとらえることを提案する実践的メディア論である。市民メディアという用語が目本のなかで使用され始めたのは1990年代後半のことだ。ケーブルテレビの住民制作番組、コミュニティラジオ、電子掲示板、インターネット新聞や放送局など、さまざまな形態によって営まれる市民のメディア表現活動のことを指している。発信される番組や記事には、地域づくりからメディア・リテラシーの育成、政治的な主張まで多様なメッセージが込められている。

市民メディアが広がり始めた背景には、デジタルカメラのコンパクト化や低廉化、DTP(Desktop Publishing)などのデジタル技術の向上があげられる。2000年代にはブロードバンドネットワークが一般家庭へも普及し始め、市民メディアのさらなる発展につながった。そして2000年代後半から2013年現在にかけては、SNS(Social Networking Service)やCGM(Consumer Generated Media)、ソーシャル・メディアと呼ばれる新たなネットワーク技術の躍進が、市民メディアの活動を一層多様化させている。

市民メディアに対するこれまでの主な研究は、それをパブリック・アクセスなどの新たな制度や政策の提案とともに、一般市民のメディア参加への権利を働きかける運動として着目した。アメリカを中心とした欧米各国における研究も1990年代までは同じ傾向にあり、むしろ多くの民族問題や宗教対立、反戦などの市民運動を背景として語られてきた。

しかし2000年以降、プログやSNSなどがインターネット上に急速に広がるなか、一般市民によるメディア運動として市民メディアを位置づける視座は、その営みの一側面をとらえているにすぎないという批判が提出されるようになる。誰もが市民メディアへ参加できる技術的な環境が整ったいま、各地の歴史や文化をふまえつつ、より日常的なくらしの延長線上に市民メディアをとらえる包括的な理論や枠組みが求められてきた。

本論文はこうした流れのなかで、主にまちづくりや地域活性化のために営まれる日本の市民メディアの状況に着目しつつ、市民メディアを、人びとが自分たちの生活やそこでのコミュニケーションをより豊かにするメディアのデザイン活動として位置づける。とくに注目するのは、市民メディアにおいて立場や関心の異なる者同士が協働的にメディア表現活動を行なうプロセスである。そのプロセスのなかで、人びとの自明化された目々のくらしや考え方が異化され、他者と出会い、自分を知り、ひいては地域社会のありようをふり返るような契機を与える媒介活動こそ、市民メディアのもっとも中心的な営みであると考えるためである。

市民メディアを地域社会の多様なコミュニケーションを生み出すメディアのデザイン活動と位置づけるために、本論文が拠り所とするのは「民衆芸術」の思想と「実践的メディア論」という領域かつ方法論である。

「民衆芸術」の思想は、主に1920年代に目本から始まり、東アジアへの広がりをもった民芸運動についての批判的検討を行なっている。民芸運動は、芸術とは美術館や劇場のなかにのみあるものではなく、日々のくらしのなかにも無名の職人や一般市民による芸術があると説いた。そうした日常的な美のありようを食器や台所用品、家具といった日用品を通して提唱した芸術社会運動である。プロフェッショナリズムという権威性を掲げた近代芸術のあり方と、歴史や伝統ある職人技術が削ぎ落された製品の大量生産や機械化といった時勢に抗った運動であった。

一方、「実践的メディア論」は1990年代に領域としてのかたちを成したメディア論のなかで、とくに2000年代以降顕著に発展してきた研究である。誰もがメディア社会の内側にくらすなかで、かつてのマス・コミュニケーション研究のようにメディアを単体の装置として外在的に観察したり、分析することは難しくなった。実践的メディア論はそうしたなかで、日々メディアを利用しながら現代社会を生きるひとりとして、研究者自身も自分とメディアとの関わりを自覚しながら、実践的にメディアをとらえることの重要性を示してきた。メディア産業や自治体、アーティストや市民グループなどと連携しつつ、新しいメディアのありようを構想し、実践してきたのである。

実践的メディア論の持つそうした未来のメディアのありように対するデザインの志向を、本論文は積極的に受け継いでいる。具体的には、本論文では実証実践編において、メディア表現活動を行なうワークショップを実施し、それを地域メディアや自治体、サークルなどとの協働による社会連携プロジェクトへ発展させた実践研究について論じている。

本論文は序章から終章まで8つの章から成り、1章から3章までを第一部の歴史思想編、4章から6章までを第二部の実証実践編としている。また、序章と終章に加えて、1章、実証実践編はじめに、6章を、論文全体に関わる総論として位置づけている(図1)。

まず序章と1章では、市民メディアを対象とした背景と問題意識、それらに対する本論文の位置づけや枠組みについて述べる。国内外の市民メディアに関する状況や議論を紹介し、それらが近年のさらなるネットワーク技術の躍進によって変容しつつあることを述べる。また、実践的メディア論の視座を示しつつ、本論文が日常生活と芸術をめぐるデザインの視座から市民メディアにアプローチする点について論じ、論文全体を貫く「市民メディア・デザインの枠組み」を提示する。

2章では、市民メディアをめぐる先行研究の批判的検討を行なう。1950年代から1960年代の大衆文化研究のなかから「思想の科学研究会」を、1970年代半ばから1980年代にかけて進められた旧本におけるマス・コミュニケーション論からニューメディア研究を、そして1990年代半ばから2000年代にかけてのパブリック・アクセス論をとりあげ、彼らと研究対象および、社会との関わりについて考察する。

3章では、現代の市民メディアに通じる民衆芸術の要素を、市民による創作や表現、学び合いをめぐる近代以降の日本の歴史文化のなかから考察する。美術運動と社会教育運動を中心とした歴史を概観したうえで、大正デモクラシーの時代と呼ばれ、農民や労働者がさまざまな運動を展開させた1920年代と、戦後民主主義に支えられ社会運動から教育活動、娯楽までの幅広い市民活動が生まれた1950年代に着目する。そして具体的な事例として、それぞれの時代から民芸運動および、農村サークルをとりあげる。

そして、第二部では、はじめに4章から6章までの各章の関係と位置づけ、また、実践研究の背景や経緯、モチーフとなる「あいうえお画文」の概要を述べる。6章では、筆者が企画し、実践を総括した、東京大学と文京区、そして東京ケーブルネットワークによる社会連携プロジェクトについても織り交ぜながら実践研究の総括を行なう。そのために、4章ではそのプロジェクトの核となるワークショップの考察を、5章ではプロジェクトのデザインのために東京都文京区で実施したアンケート、および聞き取り調査の分析を行なう。

4章で論じる「あいうえお画文」ワークショップは、特定の地域をテーマとした協働的な物語づくりを、写真と作文によって行うものである。このワークショップは、「創作・合評・公開」活動から成る「市民メディア・デザインの枠組み」にそって、地域社会における小集団実践として企画、実施した。ワークショップを一時的かつ祝祭的な共同体の生まれる活動として分析し、それをより持続的かつ日常的な営みに広げるための課題を抽出する。

5章の社会調査では、東京都文京区民に対し、日ごろの地域活動や市民参加、また地域メディアやソーシャル・メディアを含むメディア利用についてのアンケート調査、および聞き取り調査の分析を行なう。アンケート調査の設計は、南カルフォルニア大学においてロサンゼルスのエスニック・コミュニティを対象に行われている実証研究プロジェクト「メタモルフォーシス」の枠組みを援用して行っている。

6章では、まず、社会連携実践プロジェクトに発展した「あいうえお画文一写真で投稿!まちの思い出つむぎプロジェクト」の概要を論じる。このプロジェクトは、東京都文京区を拠点に、2011年5月から7月にかけて約3ヶ月にわたって実施されたものである。文理融合型の学際研究プロジェクト「メディア・エクスプリモ」(JST、CREST)の実践であり、また、東京大学と文京区による連携事業の一環でもあった。さらに、文京区、千代田区、荒川区に放送エリアを持つ東京ケーブルネットワーク(TCN)、サークルや商店街からの協力も得て、筆者がプロジェクト全体の総指揮を担った実践である。連続的におこなわれたワークショップを中心に、TCNのコミュニティ・チャンネル番組、ウェブサイトやチラシなど、複数のメディアを連携させた。

6章では、この社会連携プロジェクトの結果、そして5章の調査や4章のワークショップの分析もふまえつつ、実証実践編の総括を行なう。すなわち、本論文の目的である未来のデジタル社会における市民メディアをとらえるデザインの観点、その思想と実践の枠組みの有効性について、各章の成果を敷術しつつ、その可能性と限界について考察する。そして終章では、本論文の成果をふり返りつつ、課題と展望についてまとめる。

本論文は、歴史思想編から実証実践編にかけて、未来の市民メディアのありようをデザインし、実践、考察するものである。そのなかで具体的かつ包括的なデザインの思想と実践を示すことによって、市民メディア論に新たな視座を提案することを目指している。

図1 本論文の構成

審査要旨 要旨を表示する

本論文「市民メディア・デザイン:デジタル社会の民衆芸術をめぐる実践的メディア論」は、1990年代半ば以降に日本各地で立ち上がった市民メディア(マスメディア事業体のプロではなく、一般市民によって運営されている情報発信、メディア表現活動)が、デジタル情報化が著しく進展するにもかかわらず、必ずしも持続的に活動を発展させられないでいる問題状況の認識からはじめられている。その問題状況を克服するための思想的拠りどころを歴史的な「民衆的工藝」(柳宗悦)、「限界芸術」(鶴見俊輔)、サークル運動などに求められ、市民のメディア表現を活性化させるための実践的メディア論的な枠組みを提示され、それにもとづいて新たなワークショップ型の「メディア遊び」である「あいうえお画文」(デジタル機器で撮影された写真を、伝統的な「あいうえお文」のルールで組み合わせ、小さなデジタル・ストーリーテリングをおこなう活動)を企画、実践した結果と、それを総合的な地域社会連携実践として発展させた実践の軌跡が記述、分析されている。最後には新たな市民メディア・デザイン論が展望されている。

■構成と概要

論文は全8章からなっており、それらは近代日本における先行研究と先行実践が吟味される第一部「歴史思想編」(1章から3章)と、自らが考案、実施したメディア遊び「あいうえお画文」をめぐる第二部「実証実践編」(4章から6章)に大きく分けられている。

序章では、市民メディアが持続的、発展的に展開できていないという問題状況が浮き彫りにされ、この論文がそれらを克服するためにデザインという観点と営為を組み込んだ実践的メディア論であること、民藝などの歴史的知見を活用していくことなどが示されている。

第一部「歴史思想編」の1章では、本論文の問題意識、目的、枠組み、構成が明らかにされている。すなわち本論文の市民メディアに対する問題意識、「民衆芸術」やデザイン、実践的メディア論の意味するところが明らかにされるとともに、本書を貫く市民メディア・デザインの枠組み(メディアを用いた一般市民による創作→合評→公開という循環的活動を実践し、地域社会のなかに埋め込んでいく営みのモデル)が示される。最後に全体構成を説明されている。

2章では、メディア論の隣接領域に見出せる市民メディアをめぐる先行研究の批判的検討がおこなわれている。すなわち1950年代から60年代にかけての「思想の科学研究会」、70年代から80年代にかけてのニューメディア研究、そして90年代以降のパブリック・アクセス論が取り上げられ、先に示された市民メディア・デザインの枠組みに基づき、それらの可能性と限界が浮き彫りにされ、総じてデザインという観点からの取り組みが見当たらないことが明らかにされている。

3章では、市民の創作、表現、学び合いに関する先行実践が日本近代史のなかから見出され、それらに対する批判的検討がおこなわれている。すなわち、1920年代以降の農民や労働者に対する芸術・教育運動と50年代以降のサークル運動の概史を跡づけられた後、益子焼に着目した民藝運動と農民サークル(埼玉県土合い村)の展開過程が、市民メディア・デザインの枠組みに基づいて検討され、それらの可能性と課題が明らかにされている。

第二部「実証実践編」では、以上の歴史思想的な知見を生かしつつ、鳥海本人が考案、実施、評価分析をおこなった実証研究、および実践研究の内容が明らかにされている。

まず冒頭の「はじめに」において第一部と第二部の連関が明らかにされ、メディア遊び「あいうえお画文」が生みだされる背景が説明されている。

4章では、2007年から09年にかけて国内3地域で実施されたワークショップ「あいうえお画文」の企画、実施の過程が記述され、評価分析がおこなわれている。そこでは「あいうえお画文」が一時的で祝祭的な共同体を生みだす力があることが明らかにされている。

5章では、「コミュニケーション・インフラストラクチャー理論(ボール・ロキーチら)」の枠組みを援用した東京都文京区における住民のメディア利用に関するアンケート調査(2011年実施)、および聞き取り調査の結果が明らかにされている。地域住民のあいだで日常的なおしゃべりのような活動があることが自発的な地域活動を引き起こす要因であること、この地域には参加型コミュニティ・メディアと呼べるものが不在であることが明らかにされ、「あいうえお画文」を用いた地域連携活動をおこなう必要性が示されている。

6章は、文京区で実施された「あいうえお画文:写真で投稿!まちの思い出つむぎプロジェクト」の概要が、市民メディア・デザインの枠組みにもとづいて論じられている。それは、4章のワークショップを中心に、東京大学、文京区、地域の商店街、学校、サークル団体などの協力連携のもと、ケーブルテレビ局、ウェブサイト、チラシなど多様なメディアを用いておこなった本格的で総合的な社会連携実践であり、一種のエスノグラフィとして記述、分析されている。

終章ではここまでの知見を総括するとともに、前半で提示された市民メディア・デザインの枠組み自体が再検討され、更新されている。またこれからの市民メディア研究や実践に対してデザインの観点を持ち込んだ実践的メディア論のもつ意義が確認されるとともに、今後の研究の展望がなされている。

■評価と議論

(1)これまで歴史分析、調査分析が大半であったメディア論の領域にデザインの観点を持ち込み、歴史社会的状況を踏まえながら新たな市民メディアのあり方を構想、実践していくこと、すなわち市民メディア・デザインの必要性を訴え、実践研究を通してそのモデルを発展的に提示するという主題は、荒削りながらメディア論の新たな領域を提示しており、高く評価された。

(2)近代日本の芸術・社会運動であった民藝運動、サークル活動などと新しい市民メディアを結びつける着眼点のよさ、文理越境的な学際的プロジェクトとして「あいうえお画文」を総合的な社会連携実践にまで高め、持続的な活動として定着させてきた実践的研究能力の高さが評価された。

(3)先行研究の吟味には不十分なところがあり、またデザインという概念の意味するところが十分に見極められていない。そのあたりを補えば、鳥海の市民メディア・デザインのモデルはもっと一般化、あるいは深化させていくことができるであろうと指摘された。

(4)終章の展望部分が厚みに欠けている。この研究の意義を、メディア論の理論や思想、あるいは内外のさまざまなメディア実践に照らし合わせつつ、より発展させていくことが必要であろうと指摘された。

以上のような指摘があったが、全体としてはこれまでにない歴史的思想的厚みと、デザインマインドを併せもち、メディア論、メディア・リテラシー論、地域社会論、ワークショップ研究などの領域にも貢献しうる市民メディア論として評価され、本審査委員会は、本論文が博士(学際情報学)の学位に相当するものと判断した。

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