学位論文要旨



No 128822
著者(漢字) 中島,啓
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,ケイ
標題(和) 国際裁判における証拠法論の生成と展開
標題(洋)
報告番号 128822
報告番号 甲28822
学位授与日 2013.02.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第270号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,勝造
 東京大学 教授 中谷,和弘
 東京大学 教授 森,肇志
 東京大学 教授 森田,宏樹
 東京大学 教授 高見澤,磨
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、国際裁判における証拠法論の目的ひいては事実認定の「正しさ」を問い直すことを通じて、証拠法論の再構成を試みるものである。

従来、国際裁判における事実認定は〈客観的真実の発見〉を目的とするものと考えられ、これを規律する証拠法もそうした目的を基盤として構築されてきた(客観的真実発見説)。しかし、こうした理解は理論的にも実際的にも貫徹し難く(第1に、そもそも認知哲学論的に客観的真実なるものの観念が可能であるか自明ではない、第2に、証拠や訴訟資源の有限性は〈客観的真実の発見〉を保障していない、等)、裁判において認定される事実が相対的真実に過ぎないことは従来から指摘されてきた。もっともこうした指摘は、裁判で認定される事実が客観的真実とは乖離しうるという現実を記述するにとどまり、〈客観的真実の発見〉に代わる証拠法の目的や事実認定の「正しさ」を規範的に提示したわけではなかった。つまり、現実認識としては最終的に相対的真実が認定される国際裁判の事実認定が、いかなる制度目的・原理的基礎を備える証拠法によって規律されるべきかは別途問われなけなければならない課題であった。

この点、事実認定は法的三段論法の小前提を構成し、法的推論上極めて重要な地位を占める。にもかかわらず国際裁判において、事実認定それ自体が裁判の目的として措定されることはほぼ無い。このことから導かれるのは、国際裁判における事実認定及び証拠法論の本質は、国際裁判の各種制度目的を実現するための「手段」であることに求められるのではないかという仮説である。こうした理解を便宜的に〈裁判目的実現手段説〉と呼称し、従前の〈客観的真実発見説〉に代わる証拠法の解釈論的基盤たりうることを実証した上で、国際裁判における証拠法論を再構成することが本稿の目的である。そのために、まず伝統的国際裁判における展開を跡付けた上で(第一部)、近年の国際司法裁判所における新展開を検討し(第二部)、WTO紛争処理制度及び国際投資仲裁事例の検討を通じて将来を展望した(第三部)。

本稿の考察の結果、それが資するべき国際裁判の目的として次の諸点が念頭に置かれ、証拠法論はそれらを実現するための手段として展開してきたと跡付けられる。

まず、証拠法論は国際裁判の紛争処理という制度目的を実現するための手段として展開している。第1に、証明対象の操作と証明責任の分配を組み合わせることで、条約解釈や慣習法認定の「正しさ」を補強し、説得的な判決を形成することを通じた法的紛争の処理の実現を志向してきた。第2に、外国人損害賠償請求事案では、証明責任や法的推定、否定的推論を駆使することで申立人の立証負担を軽減し、私人の侵害利益回復の実現を志向してきた。古い国際判例の推論には曖昧な点が残るものの、そうした事案処理の要は補償賠償額の提示にあり、事実認定はその算定の基礎たる手段にとどまるが故に、〈客観的真実の発見〉とは別段の考慮が作用するものと理解される。しかし第3に、植民地独立以降の文脈における領域紛争処理では、〈客観的真実の発見〉の建前が形式的には維持される。これは、適用法(uti possidetis原則)が旧行政区画線の継承という建前に紛争処理の「正しさ」を付与するためであり、そうした特性に照らした紛争処理実現の手段として、〈客観的真実の発見〉の理念が形式論理として維持されているものと位置付けられる。これら紛争類型(法解釈、損害賠償、境界画定)は伝統的国際裁判の紛争主題の典型であり、各々につき証拠法論の特質を語りうることには、証拠法論の展開が国際裁判の展開を踏まえたものであることを示している。

次に、証拠法論は国際裁判の国際法発展という制度目的とも関連する。第1に、証明対象を「法」に拡張することで裁判所の法解釈を相対化・個別化し、裁判外の法発展への影響を極小化するという消極的意味において、法発展という制度目的との関連性を指摘しうる。第2に、国際法を発展するとまでは言い難いものの、証拠法解釈の前提あるいは傍論において現行国際法が備える価値を抽象的に体現する例が散見される。事実認定のプロセスに国際法の発展を期待するというのは一見して奇異であり、こうした抑制的結論は、一方では論理必然と言えるかもしれない。しかし他方、この結論は、法発展は個別紛争の処理に伴う成果物にとどまるという従前の国際裁判論における制度目的の序列と結論的に整合する。その意味では証拠法論の展開は、国際裁判の従前の制度目的理解に忠実に従ったものと位置づけることも可能である。

もっとも、「裁判化」の時代における国際裁判所の専門分化に伴い、国際裁判の制度目的は伝統的な上記2点にとどまらず多様化している。差し当たり本稿の検討からは、次の3点を指摘することが可能である。第1に、WTO紛争処理制度は申立国の侵害利益回復よりも被申立国の違反措置の是正による貿易法秩序の維持を目的としており、こうした制度目的がその証拠法論の展開を基礎付けると同時に、事実認定におけるパネルの役割を限界付けている。第2に、国際投資仲裁には申立人の侵害財産回復に加え、国際投資法という「公」秩序を維持するという「公」的目的を備えるとする議論があり、この前提を共有するか否かが、証拠法論の展開を分岐せしめていた。第3に、2000年代の国際司法裁判所における事実認定の「外注」傾向は、事実認定スキルの限界という問題を提起すると同時に、「国連の主要な司法機関」という制度目的に照らした他の国連機関による事実認定の尊重と理解することが可能である。

このように、国際裁判の証拠法論は国際裁判の制度目的の多様化に呼応して展開しており、これを〈裁判目的実現手段説〉という視点で過去から現在までを通時的に眺めることで、証拠法論の展開を展望することが可能となる。

ある制度の各構成要素は当該制度の目的に照らして構築されるべきであることはそれ自体としてはおそらく自明であり、本稿の結論はこれを国際裁判の証拠法論に関して換言したに過ぎない。もっとも、この命題を今日という文脈で指摘したことには次のような意義を指摘しうる。すなわち、従前の国際裁判の制度目的は基本的に法的紛争の処理(とそれに付随する法創造)に還元しうるものであったため、逐一制度目的を想起せずとも個々の局面での実践的見地に照らして結論的には妥当な証拠法運用が可能であった。しかし、「裁判化」の時代においては、紛争処理に加えて特殊な制度目的が個々の国際裁判所に措定・期待され、それが証拠法に新展開をもたらすのみならず、制度目的に関する理解の不一致が証拠法解釈運用に反映し、対立や混乱を招いている。つまり、裁判目的の多様化に伴い、これとは無自覚に証拠法を運用することには限界が生じつつあるという状況である。こうした文脈において〈裁判目的実現手段説〉は、単に全てを包摂する緩やかな上位概念ではなく、国際裁判の証拠法論が本来備えている制度目的との連関という視点を取り戻し、証拠法の解釈論的基盤を確立するという意義を備えるのである。

同時にそれは、「手段」という理解が事実認定・証拠法論の本質を構成するという点では国際裁判に通底する一方、個々の国際裁判の目的の差異を逐一取り込む枠組みである。その意味で本稿は、国際裁判手続横断的な「共通法」の生成を説く近年の動向に対する対抗言説と位置付けられ、「裁判化」の時代において国際裁判論が自覚すべき普遍性と個別性の双方向性を、証拠法論という限定的文脈において明らかにするものと位置付けられる。

しかし、〈裁判目的実現手段説〉は、国際裁判過程における事実認定及び証拠法論の「手段」という本質を明らかにする一方、その在り方を規定する変数を証拠法の内部から放逐し、裁判目的に依存せしめてしまう。その意味で、従前の〈客観的真実発見説〉に基づく証拠法論に比して、〈裁判目的実現手段説〉に基づく証拠法論の自律性・自己完結性は大きく低減する。本稿が結論した「手段」という証拠法理解は、裁判目的が事実認定の在り方を規定するとの命題を導く一方で、その逆は然りではないのである。それは確かに証拠法論の限界ではあるものの、しかし「手段」という証拠法理解は、必ずしもこれを否定的には捉えない。国際裁判の証拠法論は、自らが担うべき役割の部分性を自覚しつつ、自らのの外部との関係を明確に意識することによって、国際裁判論の中で有意義たりうると考えるからである。

それ故国際裁判論は、同時に、国際裁判の制度目的を規定する原理を明らかにしていく必要がある。据えられるべき制度目的は、個々の国際裁判所に与えられる先験的な措定と、具体的事案の経験を踏まえた実践知からの地道な帰納という双方性の中で不断に模索され特定されていくものであり、おそらく一義的抽象的には特定しえない。しかし、そうした本来的な不確定性故に、証拠法論は独善に陥ることなく裁判目的との連関を絶えず意識し、国際裁判をより有意義たらしめるために自己を再定位し続けなければならないのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「国際裁判における証拠法論の生成と展開」は、国際裁判の証拠手続法の制度目的を国際裁判の制度目的に照らして問い直すことを通じて、従来の国際法学において未発達の証拠法論の新規構築を試みる意欲的な研究である。

国際裁判における事実認定は、客観的真実の発見を目指すものであり、これが証拠法の目的であるとする考え方(客観的真実発見説)が従来の通説的理解であった。これに対して著者は、国際裁判における証拠法論の生成と展開を再考することを通じて上記の通説的理解を論駁し、国際裁判における事実認定とは、国際裁判の多様な目的(紛争処理、権利救済、法秩序維持、国連の司法機関としての機能等)を達成するための手段であり,かつそれ以上のものでもそれ以下のものでもないという理解が妥当であることを緻密に論証する。著者はこれを「裁判目的実現手段説」と名付ける。

本論文は、序論、第一部「伝統的国際裁判における証拠法論の生成と展開」、第二部「『従属』と『管理』の間:国際司法裁判所の『変化』をめぐる錯綜」、第三部「国際社会の『裁判化』と証拠法論の展開」、および「結論」からなる。

序論では、問題の所在、用語法、全体の構成について述べた上で、まず国際司法裁判所ニカラグア事件判決における事実認定をめぐるシュヴェーベル・ライヒラー論争を取り上げ、この論争の本質は、事実認定の「正しさ」を「認定事実と客観的真実との合致」に求める見解と,事実認定の手続と内容の「証拠法との適合性」に求める見解との対立であると分析した上で、前者の見解には客観的真実発見説を前提とする必要があり、後者の見解には裁判目的実現手段説を前提とする必要があると指摘する。このように問題設定をした上で,前者の見解を批判し,後者の見解の妥当性を論証する形で本論文は展開してゆく。

第一部「伝統的国際裁判における証拠法論の生成と展開」は、第一章「証拠法学説と『司法による平和』構想:能動的国際裁判観」、第二章「国際裁判実践の進歩主義的背景:パーカー定式」、及び第三章「事実認定の裁判目的依存性:証拠法の再構成」からなり、証拠法論に関する学説と伝統的国際判決との関係について検討する。

第一章「証拠法学説と『司法による平和』構想:能動的国際裁判観」においては、戦間期に「客観的真実発見主義」を主唱したサンディファーとヴィテンベルグの学説について検討する。彼等は、客観的真実の発見を実現することが国際裁判における事実認定の目的であると措定し,そのためには、証拠法の運用は柔軟でなければならず、国際裁判所には証拠調べにおける広範な権限が付与されるべきであるとの考え方を主張した。これは事実認定における裁判所の積極的な役割を提唱するものであり,「能動的国際裁判観」と名付けられる。このような考え方は現実の国際裁判実行ないし実務を必ずしも反映するものではなかったが、このような考え方の背後には、国際裁判を通じた国際平和を希求するという戦間期国際法学における「司法による平和」構想があったと指摘する。つまり、証拠法論における積極的国際裁判観は、当時の「司法による平和」構想という理想論ないし理念を援護射撃するという狙いから構想されたものであったと指摘する。

第二章「国際裁判実践の進歩主義的背景:パーカー定式」においては、まず20世紀初頭までの仲裁条約・仲裁手続規則における証拠関連規定の内容を概観した上で、1926年の米墨一般請求権委員会のパーカー事件中間判断を検討する。同委員会は、「証拠が被告に偏在する場合には原告による疎明を契機として被告が協力義務を負う」旨の判断をしたが、この判断(パーカー定式)は、「主権国家は事実を完全に開示する義務を負う」という主権国家のドグマに依拠するものであり、また当時有力であった進歩主義的国際法理論の反映でもあった。パーカー定式は、能動的国際裁判観に立つ前述の有力な学説には継承されたものの、実は裁判実行ないし実務においては継承されなかったため、学説と実務が乖離するに至ったと指摘する。

第三章「事実認定の裁判目的依存性:証拠法の再構成」においては、まず、常設国際司法裁判所においては証拠法論の展開が乏しかったこと、その背景には法律問題についての判断こそが国際司法裁判所の本来の役割ないし機能であるとの観念があったことが諸判例の検討を通して指摘される。次に、初期の国際司法裁判所において事実認定が正面から争われたほぼ唯一の事案であるコルフ海峡事件判決を取り上げ、同判決は能動的国際裁判観に立つと理解されるものの、その内実においては証拠調べから最終的な認定に至るまで、国際連合安全保障理事会における事実認定と判断とを忠実に踏襲したものであること、英国・アルバニア両当事国が援用した客観的真実発見という理念の内実は,各々の立論と主張を法的に構成する際に便宜的に援用された表層的な論拠に過ぎなかったことを指摘する。本件事案のこれらの特殊性を踏まえた上で、次に伝統的国際裁判における証拠法論の展開を裁判目的実現手段説の観点から再構成することが試みられる。そして、諸判例の詳細な検討の結果、次の4点が結論として指摘される。第1に、国際裁判において証拠による証明を要する対象は何かという証明主題の同定問題自体、要件事実の構成とそれに包摂される主要事実の特定と言う問題であるが、これが個々の事案における裁判目的に依存して展開しており、証明対象はこれに呼応して伸縮していることが明らかにされる。こうして国際裁判実行ないし実務において,要件事実の同定に関する包摂判断についての「裁判所は法を知る」という原則は、実際の国際裁判においては妥当してきたとは言い難いことが指摘される。第2に、証明責任の分配は、客観的事実への到達の手段としてではなく、適用される実体法が定める価値の序列を裁判の文脈で実現するための手段であると理解されることが示される。第3に、伝統的国際裁判において散見される「国家行為の合法性推定」というドグマは、国家主権の擁護と外交的保護権行使の脱政治化という特殊な目的から提示されたものであることが示される。第4に、学説上は証拠法解釈一般について強調される「柔軟性」は、国際判例上は、証拠能力・証拠価値の判断における国際裁判所の自律性・裁量性を確保するという具体的狙いから主張されてきたものであることが論証される。もっとも南西アフリカ事件において見られるように、この柔軟性は当事国に対する裁判所の従属性を容認する論理として機能してしまう側面があった。以上が第一部の結論である.

第二部「『従属』と『管理』の間:国際司法裁判所の『変化』をめぐる錯綜」は、第四章「『従属』から『管理』へ:国際司法裁判所の新展開」、及び第五章「事実認定の『外注』:再び『従属』へ?」からなり、近年の国際司法裁判所における新展開について検討する。

第四章「『従属』から『管理』へ:国際司法裁判所の新展開」においては、近年の国際司法裁判所における証拠法の新たな展開について検討する。近年の国際司法裁判所の諸判決においては、「事実の認定を求める当事者がそれを証明する責任を有する」という証明責任分配の一般的定式を明示した上で、その分配を比較的詳細に論じる傾向がみられるが、これは事実認定が困難な複雑な事案が増加していることに対する裁判所の判決起案上の工夫であると指摘する。証拠調べにおける国際司法裁判所の当事国への関わり方は、「従属から管理へ」と転換したが、この転換に影響力を及ぼしたのがヒギンズ所長であった。ヒギンズの主唱する「管理」は、国際裁判所の効率的運営を実現するための手段であり、「裁判目的実現説」の一部を構成するものであると指摘する。

第五章「事実認定の『外注』:再び『従属』へ?」においては、証明責任における「従属から管理へ」の転換にもかかわらず、国際司法裁判所がコンゴ領軍事活動事件判決(2005年)及びジェノサイド条約適用事件判決(2007年)においては、国際事実審査委員会及び旧ユーゴ国際刑事裁判所という他の国連機関が行った事実認定に依拠しており、これを事実認定の「外注」および裁判所の「従属」であるとする立場からの批判がなされた。しかし、これに対して著者は、このような裁判所の態度は、機関毎の事実認定の「断片化」を回避するためになされたものであるとし、国際司法裁判所は「国連の主要な司法機関」であることを自覚して他の国連機関の認定との調和を志向しており、否定的に評価するべきではないと指摘する。

第三部「国際社会の『裁判化』と証拠法論の展開」は、第六章「WTO紛争処理制度:紛争処理と法秩序維持の間」、及び第七章「国際投資仲裁:国際投資法の公法的把握の可能性」からなり、第二部までにおいて検討してきた証拠法論と近年活発なフォーラムであるWTO紛争処理機関及び国際投資仲裁における証拠法論とを比較検討する。

第六章「WTO紛争処理制度:紛争処理と法秩序維持の間」においては、WTO紛争処理機関においては、パネルにおいて複雑な貿易規制措置が詳細な協定の条文に照らして判断され、その事実認定が上級委員会の審査に服するという構造が見られること、パネル及び上級委員会では「事実」とは区別された「主張」の証明責任論が観念され、いわゆる「一応の証明」による被申立国への証明責任の転換がなされていることを指摘する。著者は、このような証明責任論は、WTO紛争処理制度の目的が貿易法秩序維持であるために採用されたものであると指摘する。

第七章「国際投資仲裁:国際投資法の公法的把握の可能性」においては、国際投資仲裁の位置づけについて、投資家の私的な権利救済制度として理解するか、公法秩序の維持機能をも期待するかという国際投資法の基本的理解をめぐる見解の対立があるとする。この対立は証拠法論においても、例えば、緊急状態の援用の証明責任は専ら被申立国が負うのか、重大かつ差し迫った危険を証明すれば申立人に転換されるのかという対立になって現れると指摘する。

最後に「結論」において、著者は、様々な国際裁判機関が多くの判断を行う「裁判化」した現代国際社会における証拠法論は、個々の国際裁判の制度目的を勘案することが必要であるとし、裁判目的実現手段説はまさにそれに応えるものであると論じる。それと同時に、しかしそのために証拠法論の自己完結性は低減せざるを得ないと指摘する。そして,それはやむを得ないものであると論じる。

以上が本論文の要旨である。

本論文の長所としては以下の諸点が挙げられる。

第1に、本論文は国際裁判における事実認定と証拠に関する他に類を見ない本格的な研究である。国際法学において国際裁判手続についての検討は少なくないものの、それらの大半は管轄権、受理可能性、仮保全措置、訴訟参加に関するものであり、事実認定と証拠に関する検討は、国際裁判所が法律審であると同時に事実審でもあり、またこの主題がおよそすべての事案に共通する問題であるにもかかわらず、非常に乏しく、特に我が国においてはほぼ皆無であった。このような状況の中で、本論文は国際裁判研究の水準を格段に高めるものであり、学界に大きな貢献をするものである。本論文はまた、今後ますます複雑化するであろう国際裁判の証拠法論の基本的方向性を指し示すものとなろう。

第2に、著者が,常設国際司法裁判所、国際司法裁判所、国家間の国際仲裁裁判所という伝統的な国際裁判機関についてのみならず、WTO紛争処理機関及び投資仲裁についても採り上げて詳細に比較検討を進めたことは、著者の守備範囲の広さを物語っている。同時に、安易に「共通証拠法」を提唱することなく、各国際裁判の制度目的に照らして証拠法理を検討すべきであるという態度を保っていることは、著者の学問的に慎重かつ謙虚な姿勢が伺われる。

第3に、極めて詳細な注からも伺われるように、関連する極めて多数の英語及びフランス語の論文を読み込んでいる。さらに、厖大な国際判例を検討するのみならず、訴答書面をも丁寧に蒐集して詳細に検討している。並々ならぬ努力の跡が伺われ、それを通じて議論に大きな説得力を与えている。

他方、本論文にも欠点がない訳ではない。

第1に、著者が依拠する裁判目的実現手段説は、分析の枠組とはなっても法解釈や事実認定制度の改良への具体的提言と直結するかどうかが必ずしも明らかではなく、同説の実際上の有用性についてより明確に言及することが望まれた。

第2に、全体を通じて文章が多少とも晦渋であることは否定できない。また、判例の分析が細かくなりすぎ、論述の流れが見えにくくなっている点が散見される。

本論文には、以上のような問題点がないわけではないが、これらは、長所として述べた本論文の価値を大きく損なうものではない。以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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