学位論文要旨



No 128823
著者(漢字) 金,駿昊
著者(英字)
著者(カナ) キム,ジュンホ
標題(和) 正当防衛の相当性要件に関する研究
標題(洋)
報告番号 128823
報告番号 甲28823
学位授与日 2013.02.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第271号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋爪,隆
 東京大学 教授 山口,厚
 東京大学 教授 出川,敏裕
 東京大学 教授 石川,健治
 東京大学 教授 高見澤,磨
内容要旨 要旨を表示する

日本刑法第36条第1項は、正当防衛に関し、「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。」と規定しており、次いで同条第2項は、過剰防衛に関し、「防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。」と規定している。これは、正当防衛を全面的に許容することでも、また全面的に禁止することでもないのであって、侵害者の保護法益と被侵害者の保護法益を調和させ折衷するための正当防衛の制限である。このような制限の様相は、防衛状況に関連しては自招侵害の類型と侵害予期の類型に、防衛行為に関連しては加害行為の類型と過剰防衛の類型に区分されている。防衛状況について意図的な加害行為から防衛行為を峻別し、さらに防衛行為の中でも過剰防衛と正当防衛を区別することは、刑法第36条を個別事例に適用するための当然の論理の流れである。

このように防衛行為の許否を判断しそれに次ぎ防衛手段の程度を判断する制限の順序において、「やむを得ずにした行為」は、原則として最後の段階で専ら過剰防衛類型を規律するための要件である。同要件が、自招侵害類型や侵害予期類型、そして加害行為類型についてまで規律を試みることは、第36条の沿革と構造、そして体系を蚕食する虞を免れない。そしてこのような同要件の地位は「やむを得ずに」の内容を如何に解釈しようとも別段変わるところがないのが原則である。そもそも現行刑法の立法者が意図した「やむを得ずに」の文意は必要性であった。一方、それ以前に旧刑法上で解釈されていた「やむを得ずに」の文意は補充性であった。このように、従来「やむを得ずに」の解釈は、防衛行為それ自体を許容すべきか否かという許否の判断をめぐって補充性と必要性という極端と極端を行き来していた。しかしその後、「やむを得ずに」の内容にどの程度の防衛手段を許容すべきかという程度の判断が追加されてからは、解釈において変化の余地が生じ始めた。判例や学説はいわば相当性という観念をもって防衛手段に関する程度の判断を規律しているが、これもやはりその外延が曖昧な抽象概念であるため、解釈によっては要件の転用をもたらしかねない。例えば、専ら攻撃の意思でした行為をもって相当な行為とは到底言えないし、また、自招した侵害に対する行為や予期した侵害に対する行為もやはり相当な行為には包摂され得ないため、この場合には相当性の要件が、加害行為類型にも、そして自招侵害類型や侵害予期類型にも当てはまる側面があり得る。そしてこれは即ち、「やむを得ずに」の要件が、正当防衛性に関する要件でなく防衛行為性に関する要件、ひいては防衛状況性に関する要件にまで転用され得ることを意味する。ただ、日本刑法における相当性の要件はそもそも「やむを得ずに」の解釈から出発した解釈論の観念であり、「やむを得ずに」の文言はかつて補充性と解釈されたほど制限的な概念であったため、実際にそういった転用が発生することはなかった。

しかしそれと異なり、相当性の要件が立法論として原点を設定する場合には、状況が全く変わってくる。韓国刑法第21条第1項は、正当防衛に関し「自己又は他人の法益に対する現在の不当な侵害を防衛するための行為は、相当な理由があるときは、罰しない。」と規定しており、同条第2項は、過剰防衛に関し「防衛行為がその程度を超過したときは、情況によって、その刑を減軽又は免除することができる。」と規定している。これは、初めから日本の改正刑法仮案を少なからず参考にして作成されたものであるため、そして元より改正刑法仮案は日本刑法を改正するために設けられたものであるため、仮案を媒介にして韓国刑法第21条は日本刑法第36条と綿密な関係を形成している。そして仮案の影響を受けて新設された相当性の要件は、その抽象性によって正当防衛性の枠を逃れ、防衛行為性さらには防衛状況性にまで広く転用されている。その結果、韓国においては防衛の意思と侵害の急迫性に関してさしたる理論が形成されておらず、これらの類型に関する規範的な制限は専ら「相当な理由」という抽象的な要件に任されている。しかも、正当防衛の「相当な理由」は正当行為の「社会常規」とも直接的に連係しているため、「相当な理由がある行為」に関する判断は、実質上「社会常規に違背しない行為」に関する判断に帰結しているのである。

このように、正当防衛の相当性要件は立法例によってその地位に格段の差異を示しているが、仮に同一の地位を前提としてもその要件の内容はさらに日韓の間で一定の格差を形成する。「やむを得ずに」及び「相当な理由」に代表される相当性の内容を各々比較するためには、その前提としてまず当該侵害に対する防衛行為が許容されるか否かを確定する必要がある。まず補充性から検討を始めると、日本と韓国のどちらにおいても古典的な意味における補充性の原則は明示的に否定されている。単に退避手段が存在し又は存在しないという理由だけで、直ちに正当防衛の成立が否定され又は肯定され得るという思考を、判例及び学説は明らかに退けている。しかし、従前より日本の判例は、相当性の判断において一つの資料としては退避手段の存否を反映してきたため、かかる考慮の様相を併せて補充性の変容という観念で包摂することも十分に可能であると考えられる。例えば、侵害手段と反撃手段が互いに危険の均衡を成し、あるいは既に危険の不均衡を成す状況で退避手段が可能であったとすれば、この場合は危険不均衡が創出あるいは加重され、これは相当性の認定を没却する事由となり得る。ただ、韓国の判例はこれらの類型を区分することなく、実質的に退避手段が存在しさえすればほとんど正当防衛の成立を否定することによって、厳格さを一層増している。

さらに、退避手段が皆無であるとしても、それだけで常に被侵害者に反撃手段が許容されるわけではない。単純不作為による債権侵害、著しく軽微な程度の物権侵害、公的救済を予定する私権侵害および公共的法益に対する侵害などにおいては、ひとまずは即刻的な反撃を忌避した上で、事後救済によって法益を回復することが要請され、また実際にも上の各類型に対応する判例が存在していることを確認することができる。もちろん従前より学説は「正は不正に譲歩する必要がない」という命題を取り上げながら、退避手段が皆無である状況では防衛行為が必ず許容されるべきだと主張してきたが、そのような空虚な内容の命題に対し例外を認めることによって、上記の諸類型においては防衛行為の必要性を否定することが妥当であり、これは必要性の変容と観念し得る。

以上の判断を経て防衛行為に出ることが一応許容されるとすれば、その次に検討すべきは、その防衛手段の程度が相当であるかという判断である。相当性を判断する方法としては、防衛手段が必要最小でありながらも防衛結果が著しい法益不均衡でないことを要求する思考、又は、防衛手段が必要最小であり或は防衛結果が法益均衡でありさえすれば良いとする思考なども理論上は想定し得るが、かかる類型は判例には実在しない教壇例に過ぎないため、相当性の内容としては専ら必要最小性の判断のみが意義があると考えられる。必要最小の防衛手段から法益不均衡の防衛結果が発生したといういわゆる過失の過剰反撃については、日本及び韓国のどちらにおいても正当防衛の成立を妨げられないとするのが判例の立場である。したがって、必要最小性の判断方法をさらに「軽微危険手段の存否」及び「防衛目的実現の可否」という二つの審査に要約をした上で、必要最小性の判断資料としては危険衡量という手法を導入し、日韓各国の判例を比較すると、次のような類型的な分析が可能である。

第一類型として、人身の法益を守護するための非致命的反撃行為は、概ね危険の均衡を成すに余りあるので、これは必要最小手段として相当性が認められており、第二類型として、人身以外の法益を保護するための致命的反撃行為は、著しく危険の不均衡を形成するため、これは過剰超過手段として相当性が否定されている。これら二つの領域においては、日本であろうと韓国であろうと、危険の衡量結果によって相当性の認否にかかる結論を同じくしているが、特に韓国では上の必要最小手段について消極的防御行為という概念を導入し、これを正当防衛でなく正当行為として扱っているのが注目される。しかし、これらの領域から逃れて危険衡量の曖昧な中間領域に入ると、日本の判例は危険を極めて厳格に衡量することによって相当性を滅多に認めまいとする傾向を示し、さらにそれよりも厳格に、韓国の判例は結果の軽重までも考慮に入れることによって相当性を殆ど否定する。例えば、日本の判例では、第三類型たる、人身の法益を防衛するための致命的反撃行為は、危険の均衡を成すときに限って必要最小手段として相当性が認められており、同様に第四類型たる、人身以外の法益を防衛するための非致命的反撃行為も、危険の均衡を成すときに限って必要最小手段として相当性が認められている。しかしこれに加えて日本の判例は、第一反撃の時点で危険の均衡が認められるとしても、その後相手方の攻撃力が少しでも減弱したような事情が存すれば、これを理由にして被侵害者の第二反撃が量的過剰を形成するとし、危険不均衡を認めることによって正当防衛の成立を制限する。これに対し韓国の判例は、上の第三及び第四の類型で危険の均衡が認められても重大な結果が発生した場合には、これを理由に相当性を否定することによって日本の判例よりも正当防衛の成立をなお制限しているのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「正当防衛の相当性要件に関する研究」は、日本刑法36条1項における「やむを得ずにした行為」の意義を明らかにすることによって、正当防衛の成立要件を明確化しようとするものである。「やむを得ずにした行為」の意義について、通説的見解は、防衛行為が必要であり、かつ、防衛行為として相当な行為であることを要するとして、防衛行為の必要性と相当性を要求しているが、両者の関係は、必ずしも十分に明らかにされてはいない。本論文は、裁判例・学説を網羅的に分析することによって、両者の判断構造を検証しようとするものであり、比較分析の対象として、韓国刑法における正当防衛の解釈が詳細に検討されている。

本論文は、序章、第1章ないし第3章、および終章から構成されている。序章における問題提起を受けて、第1章「正当防衛論の日韓比較」においては、わが国の現行刑法の正当防衛規定の制定過程、さらに、その後の改正に向けた議論が明らかにされている(第1節)。そこでは、相当性要件を導入する方向が立法論として強く主張されたものの、「やむを得ずにした行為」の内容として必要性に加えて、相当性を読み込む理解が有力になるにつれ、このような立法論が影響力を失う過程が示されている。他方、1953年に施行された韓国刑法の正当防衛規定(21条)は、わが国の改正刑法仮案18条の規定を基本的に踏襲したものであるが、防衛行為に「相当の理由」を要求していることが特徴的である。さらに、同20条が「社会条規に違背しない行為」の正当化を規定しているところ、「消極的防御行為」(防御防衛)の類型については、20条による正当化が広く認められている(第2節)。

第2章「やむを得ずにした行為」においては、わが国の正当防衛規定において、正当防衛行為性を規律する要件である「やむを得ずにした行為」の意義について、多角的な検討が加えられる(第1節)。まず、正当防衛においては現場から退避することが可能であっても、退避行為までが義務づけられるわけではないが、現場から容易に退避できたという事実は、侵害行為の危険性を減殺する事情であり、防衛行為の相当性判断に事実上、影響を持ちうる要素である(第2節)。また、防衛行為の必要性の要件は、相当性要件と区別して、独立の意義を有するべきであり、「補充性の解除ないし反撃開始の許容性」として理解される。すなわち、必要性要件が欠ける場合とは、債務不履行など権利回復の手続的保障が十分に認められるため、そもそも防衛行為に出ることが許容されない場合である(第3節)。これに対して、防衛行為の相当性要件においては、防衛行為者にとって他の有効な防衛手段を採ることが期待できなかったという意味における必要最小限度性が重要である。この必要最小限度性の判断は、現実の防衛手段以外にいかなる手段があり得たかという仮定的判断であるため、その認定においては、現実の侵害行為と防衛行為との危険性の衡量が重要な判断資料とされることになる。必要最小性の判断においては、現実の防衛行為以外におよそ選択肢がなかった場合(絶対的必要最小手段)、他の手段によっても防衛できた可能性があったが、それが確実とはいいがたい場合(相対的必要手段性)、明らかに他の代替手段が存在した場合(過剰超過手段)の類型化が可能である。日本の判例においては、絶対的必要最小手段の場合には当然に正当防衛の成立が認められているが、相対的必要最小手段の類型においては、とりわけ致命的な防衛行為が選択された場合に必要最小性がきわめて厳格に判断され、効果が不確実な代替手段の利用が要求される結果、相当性が否定される傾向がある。しかし、これは正当防衛の過剰な制限であり、妥当ではない。また、相当性の判断においては法益均衡の観点は不要であるから、危険性の乏しい行為態様から偶発的に重大な結果が生じた場合は、行為態様が必要最小限のものであれば、正当防衛の成立を肯定すべきである(第4節)。

第3章「相当な理由がある行為」においては、韓国刑法21条の正当防衛解釈について、詳細な分析が加えられる。同条1項は「相当な理由」がある場合に限って正当防衛を肯定するが、これは社会的相当性や社会条規適合性によって判断されるのが一般的な理解である。同項の構造からは、「相当な理由」を欠く場合にも過剰防衛の成立は排除されないように思われるが、韓国の判例・通説は、「相当な理由」を欠く類型の中には、そもそも防衛行為と評価することができず、過剰防衛も成立しない類型が含まれることを認めている(第1節)。また、退避義務の観点については、日本の通説同様、防衛行為者は退避義務を負わないという理解が一般的であるが、判例においては厳格な退避義務を課し、防衛行為の「相当な理由」を否定するものも散見され、正当防衛の成立範囲が過度に限定されている(第2節)。防衛行為の必要性要件については必ずしも十分な議論がないが、判例においては、他の有効な救済方法が整備されていることを考慮して正当防衛の成立を排除したものが散見され、筆者の主張に沿うものとして、注目される(第3節)。また、必要最小手段性という判断基準についても、「相当な理由」の判断において、一定の考慮がなされているといえるが、その判断は日本の判例・学説に比べて、きわめて制限的である。すなわち、現実には他に有効な選択肢が期待できない場合であっても、侵害結果が重大であれば正当防衛の成立が否定される傾向がある。さらに、代替手段の存在が明白であり、重大な侵害結果が生じている場合には、そもそも防衛行為にも当たらないとして、過剰防衛の成立可能性までが排除されている。このように韓国の判例における正当防衛の適用は、日本の裁判実務と比較しても、きわめて限定的なものになっている(第4節)。

以上の検討を踏まえて、終章においては筆者の分析の帰結が示される。まず、正当防衛の判断においては、(1)行為者が正当防衛状況にあり、当該行為を防衛行為として評価することができるかという判断と、(2)防衛行為が正当防衛として正当化できるかという判断(過剰防衛との限界の判断)を明確に区別する必要がある。そして、日本刑法の「やむを得ずにした行為」、韓国刑法の「相当な理由」はともに後者に関する要件であるべきである。そして、この要件の判断においては、既に述べたように、防衛行為が行為者にとって選択可能な必要最小限の防衛手段といえるかという観点が重要である。したがって、防衛行為による侵害結果の重大性は、それ自体、正当防衛の判断に影響を及ぼさないはずであり、これを過剰に重視する(とりわけ韓国の)判例の態度は厳しく批判されるべきである。

このように日韓の正当防衛の解釈は、規定内容それ自体には大きな相違がないものの、正当防衛が認められる範囲は、韓国法の方がきわめて狭いものになっている。筆者はその点について、戦後、韓国刑法に「相当な理由」が明文で規定されたことによって、日本刑法が適用された戦前期の「やむを得ずにした」行為をめぐる解釈論との断絶が意識され、まったく別の観点からの自由な議論が可能になった背景があるという推測を示している。

本論文は、以下の3点において、高い評価に値する。

第一に、防衛行為の相当性の内容については、従来の判例・学説においても、十分に明確な判断基準が示されていなかったところ、本論文は、退避可能性、最小手段性、危険衡量、利益衡量などの具体的な観点を明示することによって、問題状況をきわめて明晰に分析している。これは、今後の議論に大きなインパクトをもたらしうるものであろう。

第二に、本論文においては、防衛行為の相当性をめぐる日韓の判例について、その具体的事実関係に即した詳細な分析が加えられている。筆者は、正当防衛に関するきわめて多数の判例について、その事実関係を丹念に分析することによって、正当防衛の判断で重要視されている事情を明確に抽出することに成功している。これは、きわめて堅実な判例分析の成果として、高く評価するべきあろう。

第三に、本論文では、韓国刑法の正当防衛をめぐる議論を詳細に分析し、具体的な成立要件に即して、日本の議論との対比がなされている点も高く評価すべきである。これは、韓国法の紹介として高い価値を有することはもちろんであるが、本論文では、同様の事実関係について、両国の判例で結論を異にする事例を詳細に分析することによって、日本刑法の議論の傾向を外在的観点から明らかにすることにも成功しており、これも本論文の重要な成果の一つというべきであろう。

もっとも、本論文にも不十分な点がないわけではない。

第一に、正当防衛をめぐる解釈論は、喧嘩闘争における正当防衛、自招侵害の成否、防衛の意思の要否など、多岐にわたって展開されているが、本論文の検討対象は防衛行為の相当性の要件に限定されている。このようにテーマを限定的に設定することは、論文の趣旨を明確にする意図として十分に理解できるところではあるが、やや広がりに欠ける点があることは否定できない。少なくとも、関連する問題を視野に入れた検討が望まれたところである。

第二に、本論文は70万字に及ぶ大作であるが、同様の内容の分析・主張が反復されているところも散見される。論文の構成についてもっと工夫し、推敲を重ねれば、さらに論旨が明快なものになったであろう。

もっとも、これらは本論文の学術的価値を大きく損なうものではなく、むしろ、筆者の今後の課題を示すものであるといえよう。

以上から、本論文の筆者が自立した研究者あるいはその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度な研究能力およびその基礎となる豊かな学識を備えていることは明らかであり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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