学位論文要旨



No 128827
著者(漢字) 佐々木,剛二
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,コウジ
標題(和) ブラジル日本移民の政治、知識、徳 : 移民知識人をめぐる歴史民族誌
標題(洋)
報告番号 128827
報告番号 甲28827
学位授与日 2013.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1188号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山下,晋司
 東京大学 准教授 箭内,匡
 東京大学 准教授 渡邊,日日
 東京大学 准教授 名和,克郎
 淑徳大学 教授 松岡,秀明
内容要旨 要旨を表示する

本論文の主題は、ブラジル日本移民とその子孫が、対ブラジル移民政策の変遷と移民知識人の積極的な介入を通じて、独自の歴史的記憶と徳を保持する政治的主体として構築された、というものである。

本論文では、人類学における二つの問題系における課題を克服しながら、新たな研究対象とその分析方法を提示することを試みる。第1章に論じるように、 80年代以降の人類学における内的批判は、境界化された「文化」の概念を中心とする道具立ての分析上の有用性に疑問を呈した。このような背景のもと、人類学的な知識研究はポストモダンな認識論と民族誌的な実証研究を両立することに成功したが、人類学的な移民研究においては、「文化」、「エスニシティ」、「集団アイデンティティ」などの概念に依然として大きな役割が与えられており、そのことによって分析上の閉塞を生み起こしているようにみえた。そこで、本研究では、移民集団をめぐって形成されるローカルな知識実践の領域に焦点を当てながら、移民の自己知識の形成主体としての移民知識人の言説と活動の分析を行うこととする。このような分析のために、この論文では、人々の実践を特定の歴史的文脈において状況化された「プロジェクト」として捉えながら、それらを一定の時間的スパンのもとで発揮される行為主体性の形式として理解することを試みる。

第2章では、1920年代から40年代におけるブラジル日本移民知識層の活動と言説に着目しながら、ブラジル日本移民における知識人の最も初期の形態について分析する。ブラジル日本移民知識層は、1920年代ごろ、移民新聞の発刊や、それを通じた社会批評や道徳的指導の開始と同時に台頭した。これに属する人々の多くは、大多数の農業移民たちが抱いていた「出稼ぎ根性」を批判し、ブラジルへの文化的同化や法的帰化を目標とする「永住主義」を唱道した。しかし、1930年代に入ると、ブラジルと日本の双方に生じた政治的変化は、このような立場を困難なものとした。この結果、日本移民知識層の一部に、南洋における日本帝国の新たな領土への「再移住」こそがブラジル日本移民のとるべき進路であるという考え方が生まれた。日本帝国から遠く離れた南米において、移民知識人たちは、積極的にそのイデオロギーの中に移民集団を位置づけ、その移動性に関する独自の理論を形成し、移民たちの振る舞いや行動に大きな影響を与えた。

第3章では、敗戦とともに「帝国」から「国民国家」へと変貌を遂げた母国の移民政策を背景に、移民知識人の介入によってブラジルにおける日本移民が政治的・道徳的主体として構築されていった過程について論じる。1945年8月に第二次大戦が終結すると、日本移民たちは敗戦の事実の真偽をめぐって大きな対立状況に入った。日本では、戦後の人口問題への対策として、新たな移民政策機構の構築が急速に行われていた。ブラジルでは、一連のテロ事件によって日本移民に対する評価が低下したが、山本喜誉司を中心とする指導者たちは、1950年代の「サンパウロ四百年祭」や「ブラジル日本移民五十年祭」への動員をきっかけとして、これを大きく好転させた。彼らは、独自の政治的組織を生み出しながら、戦後、両国に生じた新たな秩序の中に自らを位置づけていった。日本で行われた「海外日系人大会」やブラジルで行われた「南米日系人大会」は、戦前の「在外臣民」が「日系人」として再編成される重要な契機となった。これらの過程において、ブラジルの日本移民をめぐって互いに異なるいくつもの主体像が形成されたが、これは同時に、日本移民やその子孫が一連の道徳的資質=徳と組み合されながら想像される過程でもあった。

第4章では、戦後、サンパウロに形成した「土曜会」の活動に着目しながら、日本移民知識人たちが独自の認識論に基づいて展開した知識実践の分析を行う。1946年に結成した土曜会の知識人たちは、討論会の開催や同人誌の発行を通じて、積極的に移民社会批評を発表した。1950年代には、土曜会のメンバーが中心となり、移民社会に対する「科学的」な探求の一つとして、「コロニア実態調査」を実施し、多数の移民を動員しながら彼らの自己知識を形成した。さらに、1960年代から70年代にかけて、彼らが行った移民の歴史の編纂の活動は「ブラジル日本移民史料館」の建設へと繋がった。これらの移民知識人たちは、一方で、科学的思考に対する指向性によって、他の移民と区別されたが、他方で、彼らの移民社会の状況に対する強いコミットメントは移民の自己語りに強い影響を及ぼした。このような客観性と主観性の併存は移民知識人の特殊な認識論を特徴づけた。

第5章では、2000年代のブラジル日本移民社会に目を向けながら、日系旅行社と邦字新聞社という二つのプロジェクトの分析を通じて、移民社会に働いている二つの形態学的な作用について検討する。1970年代後半までに移民第一世代の老齢化や第二・第三世代以降の子弟のブラジル主流社会への参画が進むと、この流れは移民社会の「拡散」として捉えられた。1980年代後半に始まった移民やその子弟の日本での就労は、さらにこれを空間的にも推し進めるものになった。このような空間的拡張を担っていたのは出稼ぎを専門とする日系の旅行社であった。旅行社は、日本移民社会の深部において、新たな移住者を選び出し、日本へと送り出していた。一方、ブラジル日本移民社会においては、邦字新聞社がその凝集性の形成に寄与していた。邦字新聞の関係者たちは、自らの企業活動を営利性を超えた社会的なプロジェクトとして捉えており、第一世代の老齢化や死亡を背景に、移民の共通の知識や記憶の形成に強い関心をもった。このような二つの方向性をもつ行為主体性が現代のブラジル日本移民社会の形態に強い影響を与えていた。

第6章では、「ブラジル日本移民百周年祭」前後における移民知識人の実践に焦点を当てながら、ブラジル日本移民の記憶や歴史をめぐる現代的条件について検討し、移民祭において徳をめぐるテーマが中心的な場所を占めたことを論じる。2008年は、日本からブラジルへの最初の移民船の到着から百周年にあたり、無数の記念行事や事業が企画された。移民たちは、この年を日本政府や日本社会のブラジル日本移民に対する認識の改善のための重要な契機と捉えた。特に、移民知識人たちは、日本政府やその国民による「承認」を促すために、内外の関心の高まりを利用しながら、移民の歴史や記憶の保存・編纂に取り組んだ。しかし、自らの老齢化や、世代交代への強い圧力は、旧来の移民知識人たちの活動を遮った。こうした中、2008年6月に開催された移民百周年式典の前後には、移民の徳をめぐる言説や表象が移民を語るための中心的な形式となった。

第7章では、前章までに行ったブラジル日本移民知識人の知識実践の歴史民族誌的な記述に基づいて、移民と政治、知識、徳という本論文の中心的テーマに関して理論的考察を加える。

第8章では、ここまでに論じた内容を総括しながら、本研究の意義を示すとともに、結論を述べる。

本論文は、人類学における知識研究の探求における努力を引き継ぎながら、特定の社会集団との結びつきにおいて固有の制約のもとに形成されるローカルな知識実践の動態を明らかにするものである。そして、人類学的な移民研究の探求における停滞を克服するために、移民をめぐる知識形成の行為主体である移民知識人を焦点とすることで、エスニシティ、集団アイデンティティ、文化という分析概念に依存することなく、移民をめぐる現実を明らかにすることができることを示す。さらに、人々の行為を状況化されたプロジェクトの集合として記述し、これを一定の時間的拡がりの中で形成される物語論的条件の変化において理解することを試みるものである。

審査要旨 要旨を表示する

佐々木剛二氏の論文「ブラジル日本移民の政治、知識、徳:移民知識人をめぐる歴史民族誌」は、ブラジルに移民した日本人が、過去100年ばかりの歴史の中で、独自の歴史的記憶と徳を保持する政治的主体として構築されていく過程を、彼が「移民知識人」と呼ぶ人々の活動に焦点を合わせながら、文化人類学の観点から記述し、分析するものである。本論文は、佐々木氏が主に2006年10月から2007年5月(約7ヶ月)、2007年11月から2008年12月(約13ヶ月)、2009年10月から11月(約1ヶ月)の計3回にわたってブラジルにおいて行ったフィールドワーク、およびその前後に日本において行った文献調査に基づいている。

以下に、本論文の各章ごとの概要について述べる。第1章は、序論として、本論文の主題を提示し、知識と移民に関する先行研究をレビューしつつ、理論的枠組みとアプローチの方法について述べている。第2~6章では、1908年から今日に至るブラジル移民の歴史をいくつかの時代に分け、それぞれの時代の歴史的政治的条件における移民知識人たちの営みが歴史民族誌的に描かれている。第2章では、1920年代から40年代前半における戦前期のブラジル日本移民の知識層の形成を取り上げ、彼らが当時の日本とブラジルの政治的・社会的条件の中で自らの立場をどのように理論化していったかということについて論じている。第3章では、1940年代後半から60年代後半の移民社会の混乱期から安定期への転換に焦点を当て、ブラジルと日本における政治環境の変化への移民知識人たちの対応を分析しながら、とくに1950年代のサンパウロ四百年祭やブラジル日本移民五十年祭を契機として顕著になった移民の政治的・道徳的主体化や「日系人」の生成について論じている。第4章では、1940年代後半から70年代後半に形成された移民知識人グループの活動が取り上げられる。とくに「土曜会」の活動に着目し、同会のメンバーが中心となりブラジル日本移民五十年祭との絡みで行われた「コロニア実態調査」や、1960年代から70年代にかけて行われた移民の歴史編纂の活動がブラジル日本移民史料館の建設へと繋がったことが検討されている。第5章では、2000年代のサンパウロに焦点を合わせて、日系旅行社と邦字新聞社という二つの異なった「プロジェクト」が分析される。これを通して今日の日本移民社会に生じている構造的変化──ブラジル主流社会への拡散や日本への出稼ぎ──の実態が明らかにされる。第6章では、2008年に行われたブラジル日本移民百周年祭における移民知識人の実践に焦点を当てながら、ブラジル日本移民の記憶や歴史について検討し、「徳」というテーマがその中心的な位置を占めていった過程を明らかにしている。第7章では、前章までに行ったブラジル日本移民知識人の知識実践の歴史民族誌的な記述に基づいて、移民政治、知識、徳という本論文の中心的テーマに関して理論的考察を加え、最後の第8章では、本論を総括し、本研究の意義を示して結論としている。

以上の構成を持つ本論文の意義は、第1に、ブラジルにおける日本移民の移民知識人に注目することで、移民研究と知識研究の統合を試み、移民知識人の知識実践の集積と特質を明らかにすることによって、人類学における移民・知識研究を刷新したという点である。

第2に、移民知識人の行為を状況化されたプロジェクトの集合として記述し、これを約100年にわたる移民政治の時間的拡がりの中で形成されてきた物語論的条件の変化において理解することで、彼らの知的営みを位置づけ、通時的な歴史民族誌の動態において示したことである。このような試みはこれまで行われてこなかった。

第3に、このような移民知識人の営みが、とりわけ2008年のブラジル移民百周年記念式典において、「勤勉」、「正直」、「誠実」といった「徳」に収斂していったことを指摘し、日本移民が独自の歴史的記憶と徳を保持する政治的主体として構築されたことを明らかにしたことである。

審査においては、本論文における議論の仕方、とくに移民知識人の定義と彼らの知的活動の位置づけ、さらに「徳」や行為主体性(agency)の概念をめぐって批判的なコメントも提出された。しかし、本論文の持つ価値は十二分に高いものがあり、本論文は文化人類学の研究に対して重要で貴重な貢献をなしていると判断された。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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