学位論文要旨



No 128829
著者(漢字) 趙,慶
著者(英字)
著者(カナ) チョー,キョン
標題(和) 源氏能の胎動と展開 : 《葵上》《野宮》《夕顔》《朝顔》《半蔀》を中心に
標題(洋)
報告番号 128829
報告番号 甲28829
学位授与日 2013.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1190号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 田村,隆
 東京大学 教授 松岡,心平
 東京大学 教授 品田,悦一
 東京大学 教授 黒住,真
 東京大学 名誉教授 三角,洋一
内容要旨 要旨を表示する

本論文は『源氏物語』に題材を求めた《葵上》《野宮》《夕顔》《朝顔》《半蔀》を選び、中世における『源氏物語』の再解釈と享受という観点を加えて、各曲の作者と成立の問題を検討したうえで、上記の五つの作品が互にいかなる影響を与えて成立したかを推量し、源氏能の成立と展開の様相を捉えることを目標とした。

第1章は、源氏能の胎動という観点で《葵上》の作者と成立時期、演出の改作の問題を中心に検討し、源氏能の中で本曲が占める位置を考えた。

《葵上》は鬼能の様式や梓巫女のような当時の風俗・流行をおさえたうえで、六条御息所の生霊事件を葵上への後妻打ちとして描き、物の怪に憑かれた貴女という題材を加えるなど、観客の目を引く要素を盛り込んでいる。この作品が観客のみならず、専門の芸能集団の人にも影響を与えていたことは、多数の世阿弥の発言や、《葵上》を後場の本説として用いた《野宮》によって推し量ることができる。本曲は、従来の能の様式に新たな題材を取り入れる試みと興行に成功し、以降の源氏能の本格的な制作に先駆けとなったと考える。

第2章は、《野宮》の成立時期と作者をめぐる説をまとめてその作者像に接近するとともに、後場に《葵上》が本説として導入されたことと演出面に変化が起きたことを《葵上》の借用と差別化という観点で検討した。

《野宮》の題材となった『源氏物語』の挿話の魅力は、作中人物とともに野宮の別れの場面に立ち会った、読み手としての謡曲作者の理解と感想を垣間見ることができることである。本曲の作者は世阿弥の周辺でその影響を受けやすい環境におり、世阿弥作との差別化を念頭に置いたような制作の姿勢は、専門の芸能集団の人である可能性をうかがわせる。

また、現行の《野宮》は鳥居の作り物を舞台に出すが、車の作り物を出す「小書」の特殊演出も残っている。もし車の作り物が省略されて現在のような演出に定着したとすれば、その理由としては、役者の演技に必要な空間の確保のほかに、車が出される場合、《野宮》と《葵上》とは題材と演出において類似趣向が凝らされたこととなり、見る側が両方を紛れることを避けるためであろう。車の作り物の省略は、車争い事件を象徴する視覚的装置を排除し、シテの苦悩と悲哀に舞台上の焦点を当ててその心理状態をより目立たせる効果も期待できる。本曲は、当時の話題作を活かし興行を意識する現実的な劇作の様相を呈するとともに、世阿弥が《井筒》で具現した人間の深層心理劇としての能の可能性を、『源氏物語』を題材とした能で実現して見せた作品であると思う。

第3章は、『源氏物語』の世界を再現した《夕顔》の作風を源氏能の深化という観点で捉え、夢幻能の様式の採択と夕顔の女の怪死を取り扱う技法を中心として成立時期と作者に関する問題に接近した。

『三道』に能の主人公に相応しい女性として葵上・浮舟とともに夕顔の名が挙がっているが、この発言があった時点で夕顔の女を主人公とする作品が存在していたかは明確でない。最古の演能記録は寛正六年二月二十八日(『親元日記』)であるので、それ以前の成立であろうが、その成立の上限をどの時期まで遡ってよいかという疑問と関連して、世阿弥によって完成した夢幻能という能独特の様式が本曲に採択された点に注目した。

様式としての夢幻能の影響力が強くなるほど、完成した枠組みの中に適当な詞章を詰め込むような作品作りが行われやすく、専門の作者でなくても、ある程度の文芸の素養がある人であれば、誰でも新しい曲を書くことができるようになる。このようにして確保された書き手の増加により、同一の題材を取り扱った複数の作品が出現し、謡曲に用いられる題材の幅も徐々に拡大したであろう。《夕顔》が夢幻能の様式を根幹とし、その中に『源氏物語』の挿話を用いたことは、本曲の成立が世阿弥の活躍した時代かそれ以後の可能性を示している。

また、物の怪に憑かれた貴女を劇化した後場の筆致は、『源氏物語提要』『源氏最要抄』『源氏大鏡』の記述の傾向と類似したところがあり、これらの書が広まっていた時期の中でも、特に十五世紀半ば前後の時点に本曲の成立時期を絞ることができる。本曲の作者は、詞章の制作に当たり、梗概書や注釈書はもとより物語の本文を手元に置いて参考にしたと思える形跡があり、物語の書物を入手できるほどの社会的位相にあった可能性も推測できる。

第4章は、源氏能の多様化という観点から《朝顔》の制作に取り入れられた「朝顔尽くし」の技法、作者の経歴や周辺人物との影響関係、『源氏物語』の活用の仕方を検討し、本曲の登場と作風が源氏能の中でいかなる位置を占めるかを考えた。

本曲の後場は牽牛と織女、遊子伯陽の説話を導入し、連歌的発想と表現をもとに「朝顔」の語を中心とする言葉の連鎖を広げている。この二説話における男女の関係は、天の河や死別のような隔たりによって離れてしまった相思相愛の仲であり、本曲の後場は、掛替えのない人との間に置かれた時空の距離にもどかしさが募る恋の雰囲気となる。物語で不透明かつ曖昧な記述が多かった源氏と朝顔姫君の関係は、物語の外部から導入された説話によって具体的な恋の記憶を分かち合う仲のようなイメージを獲得している。

《夕顔》が物語の本文の引用と和歌的要素を中心としたのとは違い、《朝顔》は一つの言葉から連想されるイメージを拡大し、物語とは関係のない説話を取り込んだうえで、和歌や連歌的技法を活用している。このような制作は、古典としての『源氏物語』に対する尊重のみならず、自由で柔軟な創作の発想ができる人物によって《朝顔》が作られたことを表すであろう。この二曲の成立は、古典として尊重されていた『源氏物語』が、時間の経過とともに、他のジャンルで活用されるようになった時代の変化を反映していると捉えられる。

作者の太田垣能登守忠説は、宗砌・正徹・一条兼良に師事して文芸の素養を身に付けており、その師匠たちの人脈は彼を新たな人物との更なる交流へと導いた可能性に富んでいる。連歌の素養を備えた武家出身の知識人が能の制作に関与することにより、連歌的発想をもとに連歌的修辞を活用する作品作りが行われ、謡曲の制作技法も多様化したであろう。《朝顔》の登場はこのような変化の潮流を反映しており、その成立は《夕顔》より後である可能性が高いと考える。

第5章は、《半蔀》の詞章と劇作に見える特徴、作者を取り巻く文芸的環境の問題を中心として、本曲が源氏能の成立と展開の中で占める位置を考察した。

《半蔀》の詞章は観客に遊女を思い浮かべさせる歌に基づく表現を含んでおり、舞台上には源氏と夕顔の女の出会いの喜びのみが「五条あたり」を背景に広がっている。『源氏物語』や中世の梗概書『源氏小鏡』『源氏大概真秘抄』とは違い、本曲は夕顔の花の贈答に関わる随身や侍女を省略し、その行為を源氏と夕顔の女に任せて、水入らずの情感あふれる恋の物語のような印象を与えている。

本曲の作者らしき「内藤河内守」は、古典や文芸の素養をはじめ、能の舞台と上演に関する相当の知識を備えた人物であり、細川高国・大内義興・三条西実隆の間にあった交流は、内藤河内守にその文芸集団の一角に接点を持たせ、彼らの文芸の世界に触れやすい環境が提供されていたと考える。

《半蔀》に内在する《狭衣》《定家》《朝顔》との類似点は、和歌の本歌取りの技法のように、既存の能に使われた趣向や構成を借用して《半蔀》が作り上げられたことを示している。本曲の作者は先行作品の長所を見極め、新作に再構成できる力量のある人物であったといえよう。このような作品が登場するのは、武士層の文芸の素養が向上した応仁の乱以降と捉えるのが自然ではないかと思う。《半蔀》の成立は《朝顔》より後であり、同じく夕顔の女を取り上げた《夕顔》よりも後であろう。さらに絞って言えば、十五世紀末よりは十六世紀の初頭以降である可能性が高いと考える。

能を作る際、《葵上》のように、従来の興行の要素を活かす中で新たな題材を作品の一部に用いる試みは、興行の失敗のような上演時の負担を軽減しつつ、その題材の劇化の可能性を試す効果的な方法であろう。それが、能を見る側と作る側の『源氏物語』の知識が向上するにつれ、物語の世界の再現に劇作の主眼が移り、物語の本文や修辞を取り入れてそれを具現した《夕顔》のような作品が登場するようになったのであろう。《野宮》の場合、『源氏物語』の本文を用いて詞章を作り上げることで物語の世界を表現すると同時に、既存の《葵上》を本説として後場に取り込む点は、《葵上》と《夕顔》の間に置き得る劇作の様相を呈しており、《葵上》から《夕顔》へと源氏能の作風が変化していく中で現れたと評してよいような作風なのである。

《葵上》の興行を機にして更なる源氏能の制作が促される中、連歌の興隆と武家出身の知識人の活躍は源氏能の制作技法を多様化し、《朝顔》のように連歌的発想と技法を活用した作品の登場を導いたと思う。この作品の誕生には、《夕顔》の存在とその題名が連歌的発想を刺激し、「朝顔」の語を連想させるきっかけとなったことが想定できる。なお、《半蔀》は上記の四曲と比べ、舞台上演と密接に関わる設定や舞台道具の活用を念頭に置いた点が目立つ。

上記の五曲の場合、ある作品が他の作品の誕生を誘発する因子として働き掛け、新たな作品の制作を促していた源氏能の成立の情況を推測することができる。本論文は、このような一連の流れを源氏能が胎動・進展・深化・多様化を経て、『源氏物語』の世界の再現と舞台劇としての演出を考慮した展開に移行する過程を描き出したものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「源氏能の胎動と展開―《葵上》《野宮》《夕顔》《朝顔》《半蔀》を中心に―」は、『源氏物語』を本説とする能(源氏能)から《葵上》《野宮》《夕顔》《朝顔》《半蔀》の五曲を選び、各々の特質を述べた上で曲と曲の関わりおよび成立順序などについて論じたものである。論文は五章から成り、序論と結論を備える。末尾に注記と参考文献一覧を付す。各章ごとに上記の一曲ずつを取り上げて論じる構成をとる。中世以降、『源氏物語』は必須の教養として位置づけられてゆくが、源氏能における『源氏物語』享受のあり方は一様ではない。本論文は能の詞章はもちろん、本説の『源氏物語』やその注釈書・梗概書の類を丁寧に検討することで、源氏能の作者が依拠した『源氏物語』本文や関連知識の内実に具体的に迫っている。また、能についてはそれぞれの曲が個別に論じられるものが多い中で、本論文は曲同士の関係に着目し、互いの曲に共通する表現の指摘、あるいは一つの曲の成立が次の曲の制作を促す契機となった例の指摘など、源氏能が成立してゆく様を動的に捉えようとする試みであるところに特色がある。

本論文第1 章「源氏能の胎動―《葵上》の劇作の特徴と改作」では、世阿弥の『申楽談儀』における犬王所演《葵上》への言及を手がかりに、改作の問題を論じる。後妻打ち、怨霊調伏など本説の『源氏物語』には見られない場面を再検討した上で、《葵上》の改作が特に演出の面を中心に行われたことを指摘する。本曲が本説の『源氏物語』と隔たりがあることについては、初期の源氏能と言える《葵上》の段階では観客側の『源氏物語』理解が十分でなかったことに加え、物語に忠実であることよりも後場に見られるような「後妻打ち」などの演出の方が興行上好まれたためではなかったかと推測する。尚、「後妻打ち」については審査委員から、僧による鎮魂・浄化の構造など、仏教的世界観も含めた広い視野からの再考を求める意見があった。また、車などの舞台装置についての考察が不十分である点も指摘された。

第2 章「源氏能の進展―《野宮》の作者と演出の諸相」においては、車争いと野宮での別れを題材とする《野宮》の後場が、先行する《葵上》をふまえて制作されたことを確認し、《葵上》と《夕顔》の中間に《野宮》が位置づけられることを論じる。また、《野宮》の詞章と『源氏物語』諸本との比較を通じ、《野宮》の詞章は青表紙本系の本文を基に制作された可能性を指摘する。これは第3 章で扱う《夕顔》が河内本系の本文を持つのと対照的であると言える。本曲で青表紙本系本文が採られていることについては、審査委員から、《野宮》の作者と推定される金春禅竹と正徹の交流も考慮すべきであるとの意見があった。

第3 章「源氏能の深化―夕顔物語の中世的理解と《夕顔》の成立」においては、初期の《葵上》の段階では本説の『源氏物語』とかけ離れた筋書であったのに対し、この《夕顔》においては本説の表現を積極的に取り入れていることに本論文は注目し、それは制作者のみならず能の観客における『源氏物語』理解の浸透が背景にあることを指摘する。また、先にも触れた通り、《夕顔》の詞章は『源氏物語』の諸本のうち、河内本系の本文に近いことを具体的な例を示しながら論じる。

第4 章「源氏能の多様化―《朝顔》の制作と朝顔尽くし」においては、《朝顔》における「朝顔尽くし」の趣向を連歌的発想と技法に注目しながら論じる。また、作者と目される太田垣能登守忠説について、その著書『尋流抄』などを読み解きながら宗砌、正徹、一条兼良との交流を論じる。その交流の中で、《夕顔》の存在に触発されて《朝顔》が制作されたのではないかと述べる。

第5 章「源氏能の展開―《半蔀》の題材の活用と作者の素養」では、《半蔀》の詞章に現れる「折りてこそ」の語を手がかりに考察する。『源氏物語』夕顔巻の和歌「寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔」の初句は「寄りてこそ」と「折りてこそ」の異同があり、『細流抄』や『孟津抄』などの注釈書は前者を、『源氏大鏡』や『源氏物語提要』、『源氏最要抄』などの梗概書は後者を採る。《半蔀》の詞章「折りてこそ」は梗概書に一致し、これらの影響が考えられることを指摘する。また「折りてこそ」の表現を繰り返し用いることは結果として、《朝顔》に見られる「この花を一本手折らばや」、「折らで過ぎ憂き今朝の朝顔」などの場面を連想させる効果を生んだのではないかと述べる。

以上、本論文は堅実な考察を通して、《葵上》に始まる源氏能の五曲が他の曲の影響を受けながら展開する様を明らかにした。その展開は源氏能の作者および観客における、本説の『源氏物語』への理解が進んでゆくこととも重なる。源氏能が依拠した本説の『源氏物語』本文、梗概書などについては曲によって必ずしも一貫しておらず、さらに整理が必要であろうが、各曲の作者がそれぞれ異なる背景で『源氏物語』を読んでいたことは本論文の考察から明らかである。

尚、本論文は題目に掲げる五曲を扱ったものであるが、審査委員からは《須磨源氏》《浮舟》など他の源氏能が考察の対象に入っていないのは「胎動と展開」を論じるには不十分であるとの指摘があった。また、本論文は源氏能の詞章すなわちテキストの研究にやや偏っており、もっと舞台の印象を重視した身体論の立場からの検討を加えるべきであるとの意見もあった。しかし、それらはむしろ本論文を踏まえた上での今後の研究課題と言え、本論文の価値を損なうものではないことが確認された。

したがって、本審査委員会は全員一致して、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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