学位論文要旨



No 128830
著者(漢字) 桑田,学
著者(英字)
著者(カナ) クワタ,マナブ
標題(和) エコロジー経済学と自由主義をめぐる思想史的研究 : 20世紀両大戦間期における社会エネルギー論、ノイラートおよびハイエク
標題(洋)
報告番号 128830
報告番号 甲28830
学位授与日 2013.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1191号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山脇,直司
 東京大学 教授 松原,隆一郎
 東京大学 教授 丸山,真人
 東京大学 教授 森,政稔
 東京大学 准教授 廣野,喜幸
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、「エコロジー経済学Ecological Economics」の思想的系譜と経済的自由主義との間の失われた論争をたどり直すことを通して、人間の経済の存立条件としての自然的基盤への関心が、「自由と計画」、「市場と国家」をめぐる20世紀初頭の経済思想において、どのような立場や社会構想を形成していたかを、思想史・理論史の観点から追究しようとするものである。

本論文が研究対象とするエコロジー経済学とは、人間の経済を市場現象に局限せず、自然生態系と社会との間の物質代謝関係の全体性のなかで捉えようとする異端の学派である。エコロジー経済学が本格的な学派形成を開始したのは、N.ジョージェスク=レーゲンの『エントロピー法則と経済過程』(1971年)の出版以後、とくに環境問題が地球規模で深刻化した1980年代以降の時期とみてよいが、その思想史は、現代の主流的経済学に比べても、かなり長い射程を有することが明らかになってきている。決定的な契機となったのは、S.カルノーに始まる熱学思想・エネルギー論の飛躍的進展とC.ダーウィンが主導した生物科学の発展であった。これらの自然科学上の進展は、限界革命期の経済学が追従していた力学的・機械論的自然観の解体を招くものであり、自らの存立条件である自然の実在を無視する19世紀の市場社会、そして自由主義経済学のユートピア性に対する根源的な批判につながる視点を社会科学上にもたらすに至ったのである。その具体的な現れとして、世紀転換期のヨーロッパを中心に形成されたのが、エコロジー経済学のプロトタイプともいうべき「社会エネルギー論social energetics」であった。

だが、こうした動きに自由主義の側もまったく無関心であったわけではない。自然科学に依拠する経済学批判の試みに対して、その科学方法論や経済社会の統治のあり方をめぐって痛烈な反批判が行われたのである。その中心にいたのが、20世紀を代表する自由主義思想家フリードリヒ・ハイエクであった。ハイエクは、社会エネルギー論を自然科学と社会科学を混同する「科学主義Scientism」の一系譜として取り上げ、ファシズムや全体主義と「社会工学」的思考を共有する、自由な社会の敵として同定したのであった。たしかに社会エネルギー論は、およそ資本主義に否定的な立場から、自然の実在から遊離した市場経済や貨幣制度のあり方を批判し、経済生活の意識的・合理的な制御を強力に根拠づける面をもっていた。この点で興味深いのは、社会エネルギー論の興隆が、20世紀の両大戦間期に及んだ「社会主義経済計算論争」の一つの遠因ともなっていた事実である。計算論争は、資本主義と社会主義との体制選択をめぐる論争であるが、そこにはこれまでまったく見過ごされた位相として、経済の物理的な埋め込みという事実に由来する「リベラル・ユートピア」批判という文脈が存在したのである。

この文脈の中心に位置したのが、ウィーン学団の統一科学運動を率いた社会科学者オットー・ノイラート(Otto Neurath, 1882-1945)であった。計算論争の研究は、多くの場合、L.v.ミーゼスの1920年の論文「社会主義的共同体における経済計算」から始まるが、この論文が批判の対象としていたものこそ、その前年に発表されたノイラートの論稿集『戦時経済を通して自然経済へ』(1919年)であった。同書において提示された市場経済に取って代わる「自然経済Naturalwirtschaft」のヴィジョンは、経済過程を生物-物理的な過程として把握する社会エネルギー論的な試みの、いわば集約点をなし、またそれを「経済の意識的統御」を目標とする社会工学の実践と露骨な形で結合させている点で、同時代の自由主義者の格好の攻撃対象となったのであった。

計算論争は、市場社会主義の実行可能性をめぐる「新古典派 対 オーストリア学派」という対立の中で、〈市場〉についての認識に飛躍的な進展をもたらしたが、他方で論争の初期の参加者であったノイラートやK.ポランニーが背負っていた、経済の自然的・社会的な埋め込みや、〈経済〉と〈市場〉の合理性の分裂といった20世紀的課題は、従来の研究史では、ほぼ完全に見失われることとなった。この見落としは、二つの意味で、その後重大な瑕疵となって表出したとみることができる。第一に、自由主義社会、社会主義社会の双方で、1960年代以降、汚染と環境破壊、資源・エネルギー枯渇などの形をとって、経済領域とその外部領域との境界面で深刻な問題を噴出させ、第二に、それにもかかわらず、経済学の主流は、これらの問題をも基本的には「外部性による効率的な資源配分の失敗」(=市場の失敗)という価格機構の例外的現象として見るという認識論的障害に陥っている。したがって、この論争を振り返ることは、思想史研究上の意味を越えて、市場社会の資源的・環境的限界を理解する上でも、決定的な意味を持つのである。

本論文では、およそ以上のような問題関心から、世紀転換期から両大戦間期にさまざまに問われた〈経済なるもの〉とその合理性、そして「自由/権力」、「社会/自然」といった自由主義に内在する二分法の限界について分析を試みている。

本論文は、主に科学方法論に焦点を当てた第I部(第1章および2章)と、経済の統治の視点から社会主義計算論争の再構成を試みた第II部(第3章~5章)から構成されている。

第I部では、世紀転換期に形成された社会エネルギー論を、ジョージェスク=レーゲンのバイオエコノミクスとの問題関心や経済学批判の視角の重なりを解明しつつ、それらが同時代の経済思想に持ち得た積極的な可能性について論じた。

第1章では、ハイエクが社会エネルギー論者として直接言及した三人の科学者(パトリック・ゲデス、ヴィルヘルム・オストヴァルト、フレデリック・ソディ)を中心に、19世紀中葉からの熱力学と生物学の進展が社会科学に与えた影響をたどり、そこに現代のエコロジー経済学につながる思想の淵源があったことを明らかにしている。

続く第2章では、社会エネルギー論が背負っていた課題や彼らの方法論上の特徴を踏まえ、ハイエクの『科学による反革命』(1952年)に収められた二つのテクストを中心に、彼の科学主義批判に批判的検討を加えた。社会エネルギー論が試みた自然と社会の統一的把握は、ソディの主著『デカルト派経済学』(1922年)という名が象徴するように、「社会の自然科学」を志向する面を持っていたが、しかしそれは、熱学を基礎とする点で、限界革命以後の経済学が歩んだニュートン力学の機械論的な世界像・認識論をモデルとした経済学の科学化とは全く異質であり、むしろそれと鋭く対立するものであった。こうした視座から、ジョージェスク=レーゲンにつながるエコロジー経済学の思想系譜を、ハイエクとは異なる、もう一つの科学主義批判の系譜として読み直している。

第II部では、視点を両大戦間期の経済計算論争に移し、ノイラートの自然経済論を軸に、現代のエコロジー経済学につながる経済問題の認識が、市場と計画をめぐる論争上に、どのような経済の統治構想として現れたかを検討している。新古典派とオーストリア学派との論争に視野を限定せず、ノイラートに加え、ポランニー、K.W.カップ等、異端派のテクストを位置づけることで、論争史の射程を社会制度や自然生態系を含む「広義の経済」の統治の問題にまで広げて、論争で問われた経済問題の多様性を分析している。

第3章では、ノイラートの異端的な経済思想を、「自然経済」にかかわる様々な基礎概念を分節化し、その特質(比較経済論、カタラクティクス批判、力学的方法への批判、反功利主義)を明らかにした。ノイラートの徹底した経験主義的な経済学は、具体的な人間の生を成り立たせている複雑な自然的・社会的な諸条件を、貨幣や効用といった何らかの単一基準に還元することなく、可能な限り複雑なものとして捉えようとしたところに、他に類例を見ない独自の視角を有している。

第4章では、ノイラートの社会工学に対する20年代のミーゼスおよびウェーバーの批判、そして30~40年代のハイエクのテクストを検討し、自由主義における経済問題の認識の変容について分析している。本章ではとくに、ハイエクが主観主義に立脚する知識論の展開を通して、新古典派の一般均衡論によって主導された狭義の計算問題を離れ、自由主義的な統治実践にかかわる問題へと論争の土台を転換させたことに注目し、ハイエクが社会工学に対してミーゼス、ウェーバーとは異質な独自の問題を提起していた点を確認した。

第5章では、ノイラートの社会工学と統一科学プロジェクトを、ハイエクの自由主義的な統治と対置される、〈物理的に埋め込まれた経済〉の統治実践として読み直し、それが市場と経済の分裂と再統合、そして「自由のための計画」という同時代の課題にどのように応え得るものであったかを分析した。ノイラートとハイエクとの間で交わされた40年代の書簡や、ハイエクに向けたノイラートの最晩年の草稿などを手掛かりとして、両者の合理主義や知識の論じ方、そして自由と経済秩序のあり方に関する思考の重なりと差異に注目しながら、ノイラートの非市場社会(=自然経済)のヴィジョンが、ハイエクの設計主義批判にいかにして対峙していたかを明らかにした。

終章では、思想史的検討を踏まえ、環境問題の登場によって生じた、人間の基底的な生存基盤に向けた介入や統治(=エコロジー的統治性)の不可逆性と両義性について論じ、これを批判的に分析していく上で「社会/自然」、「自由/計画」という単純化された二分法を乗り越えていく必要があることを示唆した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、近年とみに注目されているエコロジー経済学の思想史的系譜を社会エネルギー論という視点から探求し、それが20世紀前半という状況の中で経済的自由主義とどのような緊張関係にあったのかを、特にノイラートとハイエクの経済思想の比較を通して論考した力作である。

エコロジー経済学とは、人間の経済を市場のレベルに限定せず、自然生態系と社会との間の物質代謝として、エネルギーと物質のフローの次元で捉えようとする異端の経済学である。それは、特に環境問題が地球規模で深刻化した1980年代以降に学派を形成したが、思想史的にみれば、19世紀中葉の自然科学の新展開、特に熱エネルギー論にまで遡ることができる。その際特に重要な概念を担ったのが「社会エネルギー」論であり、その概念の重要性や無効性をめぐって、20世紀前半に活発な論議が繰り広げられた。経済的自由と計画をめぐる根本的な問題のみならず、有名な社会主義計算論争とも深く関わるその論議はどのような内容のものであっただろうか。

このような問題設定の下、著者はエコロジー経済学の思想的・学問的系譜を扱う第I部(第1章と2章)と経済の統治の視点から成る社会主義経済論争の再構成を試みる第II部(第3章から5章まで)から構成される以下の内容を展開していく。

まず第1章では、19世紀における熱学思想と社会エネルギー論の展開が詳細に論じられる。カルノーによって着手された熱力学は、クラウジウスが発見・命名した事物の無秩序さの尺度としてのエントロピー論を生み、さらに「社会全体の福祉(welfare)を熱学の諸原理から思考する」社会エネルギー論へと発展した。イギリスの経済学者ジェヴォンズの『石炭問題』は、19世紀文明の中で、自己調整的な市場システムというユートピアに支えられたイギリス経済の不安定性を、その自然的基盤の限界問題から暴きだそうとしたテキストと言える。また、イギリス社会学会の立ち上げにも深くかかわったゲデスは、人間社会と外部環境との物理学的・生物学的な相互作用を無視する正統派経済学の視野狭窄を批判し、経済学が本来有していた「家の管理(オイコス)と法(ノモス)の研究」へ復帰するための必須の前提として、経済学の諸概念(生産と消費、富、利己主義など)を予備的科学としての物理学、生物学、心理学によって再構成することを提唱していた。そしてさらに、熱力学原理の社会科学への適用は、オストヴァルトとソディという二人のノーベル賞受賞者によって進められた。ただし、この両者の思想は異なっており、オストヴァルトがエネルギー一元論的な社会論を唱えたのに対し、ソディは、物理現象と精神現象の相互作用において現れる中間領域の生命世界に関わる学と経済学をみなし、富を蓄積ではなく、原材料と常に腐朽と劣化の過程に晒されるエネルギーのフローという観点で論じた。著者はこうした社会エネルギー論の中に、古典的な「オイコノミア」へのある種の回帰ないし再建という関心を読み取り、エコロジー経済学の先駆と位置づける。

しかしこのような社会エネルギー論は、20世紀前半、経済自由主義者のハイエクによって社会科学における「科学主義」として厳しい批判にさらされた。著者は続く第2章でこの問題を取り上げ、その批判の妥当性を論考する。ハイエクのいう科学主義とは、自然科学の方法や思考慣習を、社会科学など異なった分野に無批判的に適用する態度や、これに付随する人間の理性の限界を認識しない知的態度を意味し、ハイエクは上述のゲデス、オストワルト、ソディらの社会エネルギー論をそのような科学主義として一刀両断したのである。著者はこの批判に対して、それがオストワルト流の一元論的な社会エネルギー論には当てはまるとはいえ、社会と自然の階層的な埋め込みを想定していたゲデスやソディらには必ずしも当てはまらないとした上で、現代のエコロジー経済学の祖とも言えるジョージェスク=レーゲンのバイオ・エコノミクスを援用する。すなわちジョージェスク=レーゲンは、一方で人間の意図や目的といった主観性と絡み合った経済現象を物理現象に還元できないことを強調しつつ、他方で「経済の物理的埋め込み」を重視した点で、ハイエクの批判を免れる形で、ハイエクに欠けている視座を提供しているのである。

そうした点を見据えつつ、著者は第2章の末尾で「物理的に埋め込まれた経済の統治論」についての考察の必要性を説く。そしてそのために著者が注目するのは、オーストリアの異端の経済学者であり、論理経験主義という哲学的立場を貫いたオットー・ノイラートである。著者によれば、ノイラートはハイエクの批判を受けて、物理的に埋め込まれた経済の統治論を修正発展させていった思想家として、今日再評価されなければならない。

そのノイラートの経済思想にスポットライトを当てた第3章で、著者はまず、両大戦間およそ20年間に及んだ「社会主義論争」の失われた諸論点として、「非市場経済としての自然経済」「分権的な社会主義の可能性」「経済と民主主義」「社会的費用」「科学と計画」などを挙げる。そしてそれらの論点につながる形で、ノイラートが「経済の物理的埋め込み」問題を独自に論じていたとみなす。自らの経済学を「フェリシトロジー(Felicitology、幸福学)」とも呼んだノイラートは、幸福を主観的効用の問題に還元する経済学者とは異なり、次のような包括的な経済学を提示した。すなわち、自然資源や気候や地勢、人間や動物を含む生産の自然な条件と、道路や運河といった社会的な物理的基礎とによって構成され、いわば人間の経済を外的に支える物質的諸条件の総体としての「生活基礎(Lebensboden)」、個々人や集団を特徴づける人間の意識的および無意識的な諸行為、振る舞い、慣習、制度からに関わる「生活秩序(Lebensordnung)」、住居、食糧、衣服、教育、娯楽、仕事、労働時間、余暇時間、良好な人間関係、友情、市民的自由などに関わる「生活条件(Lebenslage)」、人間集団の構成員の幸福と苦痛、美的感受性、宗教的観想、道徳的思索などに関わる「生活の質(Lebensstimmung)」という四つの骨格から成るフェリシトロジーである。著者は、このようなフェリシトロジーを基にしたノイラートの経済学は、ロビンズ以降の形式的な新厚生経済学と全く異なり、むしろ経済の実体的・実在的意味を追求したカール・ポランニーの経済観と近いとみなす。

第4章では、そのようなノイラートに対する批判者としてのハイエクらが、社会主義計算論争のコンテキストで再び取り上げられる。ハイエクに先立ってミーゼスは、1920年の段階で、社会主義経済の非合理性を指摘するにあたって、「計算単位の欠如」の他に、広範な分業による意思決定の複雑さ、経済的データの絶えざる変動、私的企業の自由な創意と個人的責任の喪失などを指摘していた。ハイエクは1937年の書物で、それらに加えて、情報や知識を単一の知性に集中できないことを指摘し、市場参加者が関連する知識を獲得し、相互に調整させていく「条件」や「過程」、すなわちもろもろの知識がどのように獲得・発見され、交流されていくかという問題こそが、経済学が解明しなければならない重要テーマだとした。そして彼は、中央計画経済や社会工学に乏しい知識の分業システムとしての市場を、不透明さや不可視性を前提とし、慣習や伝統、法のルールに支えられて現出する「自生的秩序」として捉える自由主義経済を擁護したのである。この意味での市場は、アリストテレス的な意味での「家政=経済(オイコノミア)」とは全く異質な原理で働く「カタラクシー」として理解され、そのカタラクシーを円滑化させることが「統治=行政」の役割とみなされた。では、このようなハイエクの社会主義および社会工学批判に対して、「オイコノミア」の復権を唱えるノイラートはどのように応えたであろうか。

第5章では、まさにこの問題が論じられる。1945年12月の死の直前まで、ノイラートはハイエクに論争を挑んでおり、それは、彼のいう社会工学が「自由のための計画」であり、決してハイエクのいう隷従に至る道ではないという反論から成り立っていた。ノイラートによれば、社会工学の関心は、個々人の幸福を支える社会的および自然的諸条件の創出であり、それは市場メカニズムに任せていては解決できない資源枯渇や環境汚染などの現れる生物―物理的秩序の破壊を防ぐために不可欠な「物理的に埋め込まれた経済の統治方法」であり、また自由の条件としての人間の生存に直結する経済の基礎部分の社会化である。その統治は、市場秩序に見られる匿名性の非人格的なプロセスではなく、民主的な討議や論証といった具体的で人格的な意味を見出すプロセスを必要とする。そしてそれは、有名な「ノイラートの船」という比喩で表わされるような、試行錯誤のプロセスとして理解されなければならない。このようなノイラートの非市場経済のヴィジョンを、著者はポランニーの分権的な社会主義構想やコールのギルド社会主義構想に近いものとみなしつつ、さらに生態学的危機が人類の生存を脅かす今日において大きな示唆を与えることを指摘する。

以上の論考を承けて、著者は終章で、自由の条件として考えられた経済の在り方がノイラートとハイエクでは全く異なっていたことを再確認しつつ、晩年のノイラートの「人間の自由のための計画」という考え方こそが、今日のエコロジー経済学の中心テーマである「エコロジー的統治性」にとって極めて重要なことを強調し、本論を締めくくっている。

以上の内容の本論文は、以下の点で高く評価されなければならない。

第一に、これまでの経済思想史では研究が手薄であったエコロジー経済学の由来について、19世紀の「社会エネルギー論」にまで遡って考察し、経済思想、科学思想、環境思想の諸連関を思想史的に捉える一つの重要な視座を切り開いたこと。第二に、これまでウィーン学団の論理実証(経験)主義の統一科学の旗振り役程度にしか評価されてこなかったノイラートを、詳細な一次文献と二次文献を基に、彼の「物理的に埋め込まれた経済」思想の内実について明らかにすることによって、エコロジー経済学の先駆者として浮き彫りにしたこと。第三に、ノイラートの経済思想を当時の文脈で擁護するだけでなく、ハイエクの科学主義批判と自由論を踏まえつつ、両者の対立を「オイコノミア対カタラクシー」という大きな図式の中で捉えなおし、最終的にノイラートの構想を「経済的自由VS計画」という二項対立を突破する「人間の自由のための経済計画」論として再定式化したことである。これらはまさに、相関社会科学的な論文として高い評価に値しよう。

とはいえ、次のような多少の不満も残らないわけではない。それは、ノイラートが最後まで固執した反形而上学や物理主義と対比されて然るべき、同時代のホワイトヘッドの形而上学的有機体論やベルタランフィーの生物学的有機体論への言及もしてほしかったという点である。しかしこれは、この論文のチャレンジングな内容を受けての無いものねだり的な要求に過ぎない。また、科学哲学上の用語にやや厳密さを欠くものが散見されるのが残念だが、これは経済学・科学哲学・思想史上の諸ディシプリンに広くまたがるこの論文では、そのメリットに比して小さな欠点にすぎない。

総じて本論文は極めて高い水準に達しており、本審査委員会は、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する次第である。

UTokyo Repositoryリンク