学位論文要旨



No 128844
著者(漢字) 宮﨑,忠恒
著者(英字)
著者(カナ) ミヤザキ,タダノブ
標題(和) 戦後統制期日本の政策金融
標題(洋)
報告番号 128844
報告番号 甲28844
学位授与日 2013.03.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第318号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 経済史専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 伊藤,正直
 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 准教授 中林,真幸
 埼玉大学 教授 伊藤,修
内容要旨 要旨を表示する

成長に限らず、政府が、経済に関わる目標を達成することを意図して、金融を手段とする資金配分へ介入する場合、その運営はどのように行われるべきであろうか、または、その運営において最も問題となるのはどのような点であろうか。この問いに関しては、既に、日本における政策金融の歴史的経験、主に、復興金融金庫(以下、復金)の「失敗」と日本開発銀行の「成功」という評価に基づいて、その実施主体である金融機関(民間であれ政府系であれ)に対して、個別融資案件における融資可否判断の自主性を確保することが、政策目標を効率的に達成する上で重要である、という見解が示されている。その中で、「失敗」の代表事例とされている復金融資の運営方法については、個別案件の融資可否判断に対する外部からの介入が「失敗」の原因とされている。しかし、「失敗」の原因とされている肝心の外部機関においてどのような審議が行われていたのかについては、ブラック・ボックスのままとなっている。

本稿の目的は、戦後統制期日本における政策金融の有力手段の1つであり、かつ、日本の政策金融の歴史的経験の中で「失敗」の代表事例とされている復金融資の運営方法に焦点を当て、外部機関でどのような審議が行われていたのか、外部機関の介入が「失敗」の原因であったのかという観点から、復金融資の実施過程を実証的に検討することである。具体的には、復金債発行枠=増資、個別案件の融資決定方法、そして、赤字融資に関わる課題に留意しつつ、第1章では、復金が融資業務を開始した1946年度第4四半期から東京地方融資懇談会が廃止される1947年度第3四半期までを、第2章では、復興金融委員会幹事会が東京地方融資懇談会の機能を引き継いだ1947年度第3四半期からドッジ・ラインにより新規融資が原則停止される前(1948年度第4四半期)までを、それぞれ対象として、復金融資の実施過程を考察し、第3章では、復金融資、そして、赤字融資の最大の借り手であった石炭鉱業向けの融資実施過程を考察した。その際、マネタリーな側面からの一挙安定ではなく、インフレの進行を抑制しつつ生産を増大させていくという中間安定論的な立場をとり、しかも、同時に、復金融資による赤字補填や通貨膨張を問題視していた日本銀行が、復金融資の実施過程においてどのような役割を果たしていたのか、という点にも注目している。

復金債発行枠=増資については、資本金の増加抑制が行われていたかどうかについて、第1章と第2章で検討した。復金融資が資金調達の面からインフレの要因となった経路は、"復金債発行による融資資金の調達→復金債の日銀引受け→通貨供給量の増加"であった。この面からのインフレを抑制する手段としては、(A)復金債の日銀引受けを減らす、(B)払込資本金を増やす、(C)資本金の増加を抑制する、の3つの可能性があったが、AとBは現実には機能していなかった。その一方で、Cについては、これまで、その実施有無の確認すら行われていなかった。本稿が対象とした期間に実施された6度の増資のうち、最初の2回の増資では、増資額が抑制された形跡はなかったが、その後の4回のすべての増資では、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQ)によって増資額が大幅に削減されていたことが明らかとなった。復金の増資案は、大蔵省、経済安定本部、日銀、復金によって検討・作成され、それらの中には、日銀の主張によって増資額が抑えられた案もあったが、GHQはそれらをさらに圧縮した額の増資しか認めなかった。このGHQによる増資額削減は、復金融資を外枠から抑制することで、インフレの更なる悪化を抑制していたという点で重要な意義をもっていたと考えられる。

次に、個別案件の融資決定方法については、先行研究は、外部機関の関与により復金の金融判断の自主性が十分に発揮されなかったために、政策代行機関としての性格が前面に強く押し出された、または、インフレやモラル・ハザード(非効率な企業の維持・拡大)の原因になったという評価をしていたが、いずれも実証分析を欠いた見解であった。そこで、個別案件の融資決定とインフレの関係については、資金計画によって決められた資金枠の範囲内に収まるような融資決定がなされていたか否かを四半期毎に確認するという方法で、第1章と第2章において、検証を行った。また、政策代行機関としての性格が前面に強く押し出されていたという点については、復金の自主性を制限していたとされている外部機関(復興金融委員会、同幹事会、地方融資懇談会)の構成員であった日銀が、個別案件の融資決定に対してどのような役割を果たしていたのか、という点に注目しつつ、第1章と第2章において、考察した。その結果、前者については、復金が設立されたばかりの1946年度第4四半期は資金枠が守られていなかったが、それ以降は資金枠がほぼ守られていたことを確認できた。従って、個別案件の融資決定がインフレの原因となっていたという先行研究の評価は、復金が設立された1946年度第4四半期についてのみ当てはまるものであったと修正されなければならない。後者については、東京地方融資懇談会と、その機能を引き継いだ復興金融委員会幹事会において、日銀と大蔵省が、資金枠厳守、復金融資抑制に重要な役割を果たしていたことを確認できた。従って、復金の個別案件の融資決定方法については、先行研究による、 "融資を受けようとする産業とその所管省庁側"と"自らの責任において融資を実行しようとする復金"という 二元論的把握ではなく、それらに、インフレの根絶ではなく、"インフレ進行を抑制しつつ生産を増大させるという中間安定論の観点から復金融資を抑制しようとする日銀"を加えた三極構造として捉え直す必要がある。ただし、復金の最大の貸出先であった石炭鉱業に対しては、資金計画で設定された資金枠を超える融資が行われていたが、その融資も、傾斜生産方式による日本経済の戦後復興の要とされていた石炭増産のために、何の制約もなく、ただ追随的に行われていたわけではなかったことを第3章で明らかにした。

最後に、赤字融資は、インフレ抑制-低価格維持という政策のもとで価格を一定水準に固定されていることから生じる赤字と流動性の低下を政府が金融面から救済するという性格のものであったが、先行研究は、そのような赤字融資を復金が実施した原因は、融資決定において自主性が制限されていたからであったとし、また、赤字融資はモラル・ハザード(非効率な企業の存続を助長し、結果として企業の効率性向上に対するインセンティブを失わせること)を引き起こした、ともしている。しかし、第2章の考察からは、復金が赤字融資を行っていたのは、政府の政策に従わざるをえなかったからだけでもなく、先行研究が想定していたように融資決定において自主性が制限されていたからだけでもなかったこと、第3章の考察からは、赤字融資の最大の借り手であった石炭鉱業に対しても、ただ単に非効率な企業を存続させようとしていただけではなく、増産を優先するという政策によって徹底されなかったとはいえ、炭鉱特別運転資金融資要綱に基づいて赤字融資の厳格化が試みられていたことが明らかとなった。また、赤字融資については、日銀と当時の総裁一万田尚登が抑制的な姿勢を示していたことも、第2章と第3章の考察の中で確認できた。

以上より導き出される、復金の融資決定方法に対する評価は、復金にとっては自主性を制約するものであったかもしれないが、そのことが復金融資の「失敗」の原因であったという実証的根拠は現時点では乏しく、むしろ、当該期の日本経済が直面していた、生産の復興とインフレへの対処という同時に達成することが困難な課題に適合的なものであった、というものである。その際、重要なポイントとなるのは、復金融資の実施過程における日銀の役割である。日銀は、復金の増資、個別案件審議、赤字融資に対して、復金融資の運営に関わった他のメンバーよりも抑制的な態度を取っていたことから、復金融資の運営において、経済・生産・産業・企業の復興を優先しがちな復金や産業所管省庁をチェックする役割を果たしていたといえる。

戦後統制期における日本の政策金融は、金融機関資金融通準則に基づく融資規制、日銀による融資斡旋、そして、復金の融資という3つの手段により形成されていた。そのうち、前2つについては、既に、日銀が、経済の復興と安定を同時に達成しようとして積極的な役割を果たしていたことが明らかにされている。これに、本稿で明らかにした復金融資の実施過程における日銀の積極的な役割を加えると、戦後統制期日本の政策金融は、その3つの手段すべてにおいて、インフレの進行を抑制しつつ生産を増大させていくという中間安定論的な観点から、経済の復興と安定を同時に達成しようとして運営されていたものであったということができる。なお、ドッジ・ラインに対する筆者の現時点での評価は、そのような政策金融の運営と傾斜生産方式により、経済の復興がある程度軌道に乗ってきていたことが前提条件となって、財政黒字化と復金新規融資停止というマネタリーな側面からの要因除去によりインフレが収束したと考えられる、というものであり、中村隆英や寺西重郎の評価に近いものである。

また、本稿が明らかにした復金融資の実施過程の経験が、政策金融の運営方法に関して示唆しているのは、個別案件レベルの選別に、外部から関与があること自体が問題なのではなく、外部機関が関与したとしても、その外部機関での審議に、借り手・貸し手以外の利害関係者、特に、融資に伴う弊害を抑制・監視することを目的とする主体を含めることができるか否かが重要だということである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、政策金融に関する著者の関心に基づいて、戦後統制期日本における政策金融の有力手段の1つであり、かつ、日本の政策金融の歴史的経験の中で「失敗」の代表事例とされている復金融資の運営方法に焦点を当て、「失敗」の重大な原因となったとされてきた外部機関の介入の影響について、外部機関における審議過程を実証的に検討することを通して再検討することを目的としている。論文は次のように構成されている。

序章

1.問題関心と目的、2.戦後統制期日本の政策金融、3.復金の概観、4.課題と構成

第1章 東京地方融資懇談会期の復金融資実施過程

1. 設立当初における融資の手続きとルーズな審議 ;1946年度第4四半期

2. 資金枠の意識化と審議の厳格化 ;1947年度第1四半期

3. 公団融資の増大と一般産業融資の抑制;1947年度第2四半期

4. 東京地方融資懇談会の廃止(1947年11月21日)まで

第2章 復興金融委員会幹事会期の復金融資実施過程

1. 融資手続きの変更と赤字融資に対する復金の姿勢;1947年度第3四半期

2. 増資の削減による融資の圧縮;1947年度第4四半期

3. GHQによる増資額削減と幹事会での審議状況;1948年度第1四半期

4. GHQの抑制・警告と日本側の反発;1948年度第2四半期

5. 赤字融資の廃止と運転資金融資のGHQ事前審査;1948年度第3四半期

6. 経済安定九原則への対応と融資連絡会での協議;1948年度第4四半期

第3章 石炭鉱業向け復金融資実施過程

1. 3,000万トン出炭計画と復金融資;1946年度第4四半期~1947年度第2四半期

2. 石炭鉱業向け赤字融資厳格化の試み

3. 増産重視の団体協約 4. 炭鉱特別運転資金融資要綱に基づく赤字融資

5. 賃金三原則と石炭鉱業向け復金融資停止問題

6. 復金内における石炭鉱業向け融資の取り扱われ方

終章

1. 復金債発行枠=増資に関わる課題の検討結果

2. 個別案件の融資決定方法に関わる課題の検討結果

3. 赤字融資に関わる課題の検討結果 4. 総括

上記の研究課題に即して、本論文では、(1)復金債発行枠=増資、(2)個別案件の融資決定方法、(3)赤字融資への態度、を具体的な課題として融資決定に関わる実態を検討している。その際に、融資決定過程に関与した主体として、当時中間安定論的な立場をとっていた日本銀行がどのような姿勢で臨んでいたのか、さらには占領政策遂行という視点から連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)がどのような関与・介入を行ったのかに注意を払っていることに特徴がある。

上記3つの具体的な検討課題のうち、主として(1)と(2)が、第1章と第2章において四半期ごとの経過をおいながら、(1)については融資枠を決定する前提となる資金調達(復金債の発行枠)がどのような考え方のもとに決定されたのか、さらに、(2)については、決定された融資計画に基づいて行われた個別融資決定が融資計画を遵守するものであったかどうか、という2つの視点から検討されている。このうち復金が融資業務を開始した1946年度第4四半期から東京地方融資懇談会が廃止される1947年度第3四半期までを扱ったのが第1章であり、復興金融委員会幹事会が東京地方融資懇談会の機能を引き継いだ1947年度第3四半期からドッジ・ラインにより新規融資が原則停止される前(1948年度第4四半期)までを対象としたのが第2章である。

2つの章の分析を通して著者が強調するのは、次のような事実である。第一に復金債発行増加を可能にする復金の増資に関して、関係機関の最終的な判断は、設立当初はともかく、増資抑制的な姿勢が貫かれたと評価できることである。一般的に復金融資が資金調達の面からインフレの要因となった経路は、"復金債発行による融資資金の調達→復金債の日銀引受け→通貨供給量の増加"であったと考えられるが、復金債の日銀引き受けを抑制する措置はとられなかったから、復金債の発行枠それ自体を抑制する努力が払われたかどうかによって、通貨供給増への影響は異なることになる。本論文では、復金債の発行枠およびそれを法的に制限しうる復金資本金額の増加に関して、日本銀行が慎重な判断を示し、さらに連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって増資案の大幅減額が行われたという事実を見出し、このような対応は復金融資を外枠から抑制することで、インフレのさらなる悪化を抑制していたという点で重要な意義をもっていたと評価している。

第二の強調点は、四半期ごとの融資決定においても重点化への配慮などによって内部で相互融通されたことはあっても、総額としての融資計画枠は、これも設立の初期を除いて比較的よく守られていたことである。これまでの研究では、個別案件の融資決定方法について、外部機関の関与により復金の金融判断の自主性が十分に発揮されなかったこと、そのために、政策代行機関としての性格が前面に強く押し出され、結果的にはインフレや非効率な企業の維持の原因になったと評価してきた。これに対して本論文では、抑制された資金枠が設定される中でまとめられ融資計画の総枠が守られたことによって、仮に個別案件での審査に緩みが生じたとしても、それは融資の増加に対する歯止めを失わせるほどのものではなかったことを示唆されている。

具体的な検討課題の(3)である赤字融資については、本論文第3章において、復金融資の最大の借り手であった石炭鉱業に対する融資実施過程を考察することによって、その実態に迫ろうとした。その結果、復金が融資決定に関する自主性を喪失していった象徴的な現象とされる「赤字融資」に関して、「増産を優先するという政策によって徹底されなかった」と留保しつつ、本論文は、一面ではこの融資が資金回収を期待するが故に追加的融資を行うという復金自体の論理の反映でもあったこと、他面で炭鉱特別運転資金融資要綱に基づいて赤字融資の厳格化が試みられていたことを主張している。前者の面では復金は一定の自主性を発揮したことになり、後者の面は、赤字融資に歯止めがかかっていたという意味で、論点(2)に対する本論文の認識と通底するものである。

以上の具体的な論点の検討を通して、著者は終章において、「復金の融資決定方法に対する評価は、復金にとっては自主性を制約するものであったかもしれないが、そのことが復金融資の「失敗」の原因であったという実証的根拠は現時点では乏しく、むしろ、当該期の日本経済が直面していた、生産の復興とインフレへの対処という同時に達成することが困難な課題に適合的なものであった」、「その際、重要なポイントとなるのは、復金融資の実施過程における日銀の役割である。日銀は、復金の増資、個別案件審議、赤字融資に対して、復金融資の運営に関わった他のメンバーよりも抑制的な態度を取っていたことから、復金融資の運営において、経済・生産・産業・企業の復興を優先しがちな復金や産業所管省庁をチェックする役割を果たしていた」ことを強調している。このような理解に基づいて、著者は、復金融資決定方法にかんする先行研究が採用していた二元論的把握(「融資を受けようとする産業とその所管省庁側」と「自らの責任において融資を実行しようとする復金」)に代えて、日本銀行(さらには大蔵省)を加えた三極構造として捉え直す必要があるとの問題を提起している。

以上のように、本論文はこれまで実証的な検討が届かなかった融資決定に関わる審議過程に立ち入ることによって、先行研究では見逃されてきた論点を浮かび上がらせている。その基盤には、日本政策投資銀行から東京大学が寄贈を受けた復興金融金庫の経営資料を繙いて、融資決定過程に関わる外部機関の審議内容を丹念に追いかけたという本論文の実証面での確実な成果がある。それによって、東京地方融資懇談会や復興金融委員会幹事会などににおいて、日本銀行や大蔵省、GHQが、資金枠厳守、復金融資抑制に独自な役割を果たしていたことを確認しえたことは重要であろう。さらに、復興金融金庫による融資が戦後インフレの主因であったとされる通説的な理解に対して、少なくとも復金融資を介した通貨供給が過度な通貨膨張の経路とならないような配慮が施されていたことを指摘したことは、通説的な理解に再検討の余地があることを示した点で貴重である。

言うまでもなく、本論文には残された課題も多い。個別案件の審査についてブラックボックスであったとの著者の先行研究に対する批判は、残念ながら本論文に対しても向けられることになる。資金枠の遵守が確認されたとしても、先行研究が指摘するような個々の審査においてモラルハザードを発生させるような融資審査と決定が行われていたことは論理的に排除されていない。他方で、インフレに対する復金融資の影響が、本論文の主張するように過度に強調されすぎてきたとすれば、戦後の激しいインフレはなぜ、どのようにして生じたのかという問題を直ちに提起することになろう。従って、政策金融史の再検討という面から見ても、また戦後統制期の日本経済の構造的把握という面から見ても、自らの大胆な問題提起に応えていくより広い視点が求められる。

しかし、こうした課題は著者の今後の研究によって解決されるべきものと考える。本論文は、新たな資料に基づいた実証と意欲的な問題提起を含む研究であり、それは、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に貢献しうる能力を十分に持っていることを示している。審査委員会は全員一致で、宮﨑忠恒氏が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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