学位論文要旨



No 128849
著者(漢字) 朴,孝淑
著者(英字)
著者(カナ) パク,ヒョウスク
標題(和) 賃金変更問題における合意原則と合理的変更法理 : 欧米・韓国・日本の比較法的考察
標題(洋)
報告番号 128849
報告番号 甲28849
学位授与日 2013.03.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第273号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩村,正彦
 東京大学 教授 荒木,尚志
 東京大学 教授 水町,勇一郎
 東京大学 教授 高見澤,磨
 東京大学 教授 石川,健治
内容要旨 要旨を表示する

[本論文の問題意識と課題]

雇用関係は、継続的な契約関係であるがゆえに、経営環境や労働市場の変化等によっては、労働条件の変更が要請されることもあり得る。契約は守られねばならず、契約当事者は合意したところにのみ拘束されるという近代市民法の大原則は労働契約関係においても適用される。そうすると、労働条件の形成および変更においても機能し、労働者の同意なしには一方的に労働条件を変更しても相手方に対する拘束力は認められないことになる。

欧米では、この原則はそのまま妥当しており、労働契約の内容たる労働条件を契約の相手方である個別労働者の合意なしには変更し得ないという取り扱いがなされている。これに対して、日本及び韓国では、判例によって就業規則の合理的変更法理が展開され、個別労働者が反対していても賃金の不利益変更が拘束力を持つという法理が形成された。しかしその内容には、相違があり、韓国は集団的同意を基軸とする判例が立法化され、日本では合理性審査を中核とする判例法理が立法化されることとなった。

本論文は、既存の研究を踏まえつつ、次のような課題に取り組むものである。第一に、労働契約の基本的労働条件たる「賃金」について、日韓において、合意原則の修正がどこまで、そしてどのような形で許されるのか、を解明することである。労働契約とは、「労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する」契約である(労働契約法6条)。この労働契約を構成する中核的要素である賃金について、他の労働条件変更の場合に適用される合理的変更法理をそのまま適用して問題はないのか、合理的変更法理の守備範囲はどこまで及ぶのか、合意原則との何らかの調整や機能分担が必要ないのか、といった観点からの検討については、日韓両国でもなお十分に解明されていない問題があるのではなかろうか。

本論文の第二の課題は、労働条件の設定・変更を個別労働契約ではなく就業規則を中心に展開してきたという特色を持つ日本と韓国における就業規則法理を比較分析することにより、両国の判例および立法には重要な相違があることを明らかにし、それぞれを別個に観察していては看過する新たな分析を加えることである。特に、日本が合理的変更法理を全面的に採用しているのに対して、韓国は、立法により集団的同意原則を採用したという重要な相違がある。その結果、集団的同意があれば、少数者が反対しても合理性は問題とならないといった問題が敵視されている。また、韓国ではそうした立法があるにもかかわらず、その後、判例は、集団的合意がなくとも合理性があれば就業規則変更が拘束力を持つというさらなる法理を展開している。こうした両国の就業規則変更法理の経験は、相互比較することによって様々な有益な比較法的示唆が得られるものと期待できる。

本論文の第三の課題は、就業規則変更法理の中における合意の意味を再度問い直そうというものである。というのは、韓国では立法によって集団的同意を基軸とするフレームワークが構築された。これに対して、近時日本では、就業規則変更に個別労働者が個別的同意を与えた場合には、合理性審査を経ることなく拘束力が肯定されるのかどうかをめぐって、裁判例が展開し、学説が激しく論争を開始している。この問題についても、日韓両国の比較法研究から有益な示唆が期待できる。

本論文の第四の課題は、近年の個別的人事管理や新たな賃金制度の進展に対応して生起している、賃金の個別的変更問題に取り組み、今後の解釈のあり方を明らかにすることである。例えば、日本では職務内容が変化しても賃金は本人の職務遂行能力によって決まるという職能資格制度が一般的であったが、近時、職務内容によって賃金が決まる職務等級制度、成果によって賃金が決まる成果主義賃金制度、年俸制等、個別労働者のパフォーマンスによって賃金が決まる新たな賃金制度も導入され、そこでは賃金が不安定になる可能性が高く、多くの法的に未解明な課題を提供している。これらの問題を法的に解明する道筋を明らかにしたい。

本論文は、以上のように賃金という労働契約の基本的要素に関する変更問題について、欧米の合意原則と対比して極めて特徴的な日韓の就業規則を中心とした集団的賃金変更法理、そして、進展著しい個別的賃金変更法理に取り組み、合意原則と合理的変更法理の緊張関係を、雇用の維持と賃金という労働条件保護の調和という視点から検討しようとするものである。

[本論文の構成]

まず、第1章では、賃金の不利益変更の問題を、労働者との合意の存否、すなわち「合意原則」によって処理している、アメリカ、イギリス、フランスの判例と学説を概観する。

これらの国は、労働条件変更の問題は契約の基本原則としての合意を重視する立場に立って集団的労働条件変更問題を処理しており、就業規則の合理的変更法理によって処理してきた日本、集団的合意原則と合理的変更法理を併用する韓国における処理の特異性、合意原則との緊張関係を再認識する上で有益であると考える。

また、合意原則を重視するというこれらの国の処理がどのような帰結をもたらすのか、すなわち、合意が成立しない場合に雇用関係の解消という雇用の不安定をもたらしているかどうかも同時に検討する。

本論文でこれらの諸外国を検討対象とするのは、これらの諸国が「賃金」減額を伴う労働条件の変更をする必要が生じた場合、「合意原則」を重視する立場に立っているのか、また、その帰結として雇用の不安定は甘受しているのか、という部分に関心があるためである。したがって、これらの国の検討においては、不利益変更全般に関する詳しい検討は割愛し、検討の対象を「賃金」減額の場合に限定する。

第2章では、韓国における賃金の集団的不利益変更(制度導入による不利益変更)問題を取り扱う。韓国で賃金の不利益変更は、協約は使用者と労働組合の合意によって行われるが、近年、組合組織率の低下が問題となっている。 組合の存在しない事業場で集団的賃金変更を担うのは就業規則の不利益変更である。そして就業規則の不利益変更については、韓国では,法文上,就業規則を不利益に変更する際には,労働者集団の「同意」を得ることを定めている。しかしながら,実務上では,社会的通念上の合理性があれば,労働者集団の同意がなくても労働条件を不利益に変更できるとの判例法理が形成されており,この点,集団的同意規定の例外を認めている。これは法律による処理の硬直性を解決しようとする実務の工夫ともいえるが、集団的同意を要件とするという明文の規定に反して,合理性があればよいとする合理的変更法理を導入している点で,多くの学者たちの批判を受けている。 日本の就業規則法理の一定の影響を受けつつ韓国独自の立法により独特の展開を遂げている韓国法は、日本の就業規則法理にとっても比較法研究から有益な示唆を導くことができると考える。

第3章では,日本における賃金の集団的不利益変更(制度導入による不利益変更)を取り上げる。日本では賃金の不利益変更は,協約は使用者と労働組合の合意によって行われるが、組合の存在しない事業場で集団的賃金変更をになうのは就業規則の不利益変更である。そして就業規則の不利益変更については「合理的変更法理」に委ねられている。諸外国では合意原則が、韓国では合意原則と合理的変更法理が併用されているのに対して、日本の賃金の集団的不利益変更の中核を担う就業規則法理は、合意原則を排して合理的変更法理を採用している。そして、同法理は過去40年にわたって判例法理であったが、2007年の労働契約法制定によって制定法上のルールとなっている。

しかし、現在の法理が確立する以前には、合意なしにとりわけ賃金を就業規則変更によって変更可能かという問題については懐疑的な裁判例も少なくなかった。第3章では、日本の裁判例における合意原則と合理的変更法理の葛藤ともいえる状況を跡づけ、最高裁判例がどのようにして賃金についてまで合理的変更法理を認めるに至ったのか、認めた法理は、他の労働条件と同様の判断枠組みなのか、等について詳細に検討を行う。

第4章では,人事処遇の個別化がもたらす個別的賃金変更に関する労働法上の諸論点について、日本と韓国の判例・学説を分析・検討する。

4章では、第2章と第3章で検討する集団的賃金制度の変更問題とは異なり、個別的賃金変更問題については検討分析することによって、基本的に同意原則、契約原理が妥当すべきことが明らかとされる。

新たな賃金制度の下で多様な賃金変更問題が生起するが、この問題が、使用者に変更権限が存するのか否かの問題と、実際に行われた不利益変更が拘束力を持つのかという問題を意思的に区別して分析を行う。前者の問題は、契約上、賃金減額権限や一方的決定権限が設定されていたかどうかという問題であり、実は、個別的賃金変更の問題ではなく、そのような権限を付与する制度導入・変更が適法に行われたのかという、集団的制度変更の問題である。そのような変更権限が契約上設定された後、使用者が具体的に人事権を行使して(例えば、配転や降格、査定等を行って)、賃金減額という効果がもたらされた場合、それが法的に適法か、拘束力を持つのか、がさらに問題となる。このような見通しに立って、日韓の状況を分析する。その際には、韓国では配転にほぼ相当する「転職」について、「正当な理由」を要求する制定法が存在することから、日本とは異なる議論の展開が見られるが、この点も比較法的には興味深い論点を提示するであろう。

第5章は、本論文の第1章から第4章までの検討の総括である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は労働契約の基本的要素である賃金を不利益に変更する場合に生じ得る諸問題について、欧米の合意原則と対比して極めて特徴的な日韓の就業規則の合理的変更法理を中心とした集団的賃金変更問題、そして、進展著しい個別的賃金変更問題をほぼ網羅的に検討して、賃金変更法理の全体像を描き出すとともに、日韓の就業規則法制の重要な相違を明らかにし、就業規則による労働条件変更法理における合意原則と合理的変更法理の緊張関係について掘り下げた分析を加え、両国の就業規則法理の課題を明らかにしようとしたものである。

「第1章 欧米における賃金の集団的・個別的不利益変更」では、賃金の不利益変更の問題に関するアメリカ(第1節)、イギリス(第2節)、フランス(第3節)の判例と学説を概観して検討し、これらの国では、労働者の合意なしに使用者が一方的に変更することはできないという合意原則が堅持されていること、そして合意原則の下では、賃金変更に労働者の同意を得られず、かつ、賃金を維持することもできない場合、経済的理由による解雇によって対処せざるを得ず、雇用の不安定を惹起することを明らかにする。

「第2章 韓国における賃金の集団的不利益変更」では、韓国における賃金の労働協約及び就業規則による集団的変更を検討している。特に、1989年に勤労基準法94条で就業規則の不利益変更に労働者の集団的同意(過半数同意)を要求する法改正がなされたことから、(1)89年改正以前の判例状況、(2)89年改正の内容、(3)その後、法律の明文に反して、集団的同意がなくとも合理性があれば不利益変更を認めるという判例が展開され、今日に至っている状況、の3つのステージに分けて、分析を加えている。

(1)まず、1989年改正前は、就業規則の変更に、過半数組合又は過半数代表者の意見聴取のみが定められていた。かかる法制の下、1977年の大法院判決は、就業規則の変更によって既存の労働条件の内容を一方的に労働者に不利益に変更するためには、従前の就業規則の適用を受けていた労働者集団の同意、具体的には過半数組合がある場合にはその同意、過半数組合がない場合には労働者らの会議方式による過半数の同意がない限り、就業規則変更に個人的に同意した労働者に対しても効力がないとした。

(2)1989年の勤労基準法改正は、77年判決の立場を立法化した。すなわち、勤労基準法第94条第1項は、「使用者は就業規則の作成又は変更に関して当該事業又は事業場に労働者の過半数で組織された労働組合がある場合にはその労働組合、労働者の過半数で組織された労働組合がない場合には労働者過半数の意見を聞かなければならない。ただし、就業規則を労働者に不利に変更する場合にはその同意を得なければならない」と規定した。但書にいう「その同意」とは、過半数組合又は労働者の過半数の同意と解されている。

(3)しかし、89年改正で就業規則の不利益変更に集団的同意を要求したにもかかわらず、大法院の多くの判例は、労働者集団の同意のない不利益変更事案について、社会通念上の合理性があればその効力を認める立場を確立することとなる。

結局、韓国では、勤労基準法94条1項但書における、集団的合意があれば、変更の合理性を問題とせずに変更の拘束力を認めるという制定法上のルールと、集団的合意がなくとも、就業規則変更が合理的であれば不利益変更の拘束力を認めるという判例法上のルールが併存している状況にある。

「第3章 日本における賃金の集団的不利益変更」では、労働協約による変更、就業規則による変更の一般枠組みを概観した後、特に昭和63年の大曲市農協事件判決で、賃金、退職金等の重要な労働条件の不利益変更に「高度の必要性に基づいた合理的な内容」を要求する枠組みが定立されたことに着目し、同判決以前の下級審で、賃金の不利益変更問題がどのように取り扱われたのかを詳細に分析する。この分析から、賃金という労働契約の中核を占める労働条件変更については、労働者の合意なしには変更し得ないとの裁判例・学説が有力に存在し、また、最高裁も大曲市農協事件で一般の労働条件変更とは異なる特別ルールを定立していることを確認し、賃金の不利益変更は、合理的変更法理一般に解消できない賃金変更の特殊性があることを指摘する。

「第4章 日本と韓国における賃金の個別的不利益変更」では、人事処遇の個別化がもたらす個別的賃金変更に関する労働法上の諸論点について、配転、降格、査定、年俸制等の場面に分けて、日本と韓国の判例・学説を分析・検討している。その結果、賃金の個別的不利益変更問題は、集団的変更とは異なり、労働者の同意ないし契約上の変更権限なしに一方的変更はなされないという契約原則が維持されていること、契約上、賃金の不利益変更をもたらしうる使用者の人事権が設定されている場合、その人事権行使について、権利濫用審査が及ぶことなどが明らかにされている。

「第5章(総括)欧米・韓国・日本の比較法的検討」では、前章までの検討を比較法的視点から分析を加えつつ総括している。まず、労働者の変更合意が得られない場合は解雇問題を惹起する欧米の合意原則に対して、雇用保障に資する韓国や日本における合理的変更法理を基本的に妥当と評価しつつ、賃金の変更については、他の労働条件変更より厳格な合理性判断枠組みによるべきとする。

次に、日韓の就業規則変更法理を比較し、第1に、就業規則変更に対する「合意」のあり方の違いを指摘する。すなわち、韓国では、明文で就業規則の不利益変更に労働者集団(過半数労組又は労働者の過半数)の同意を要件としている。合意の主体は労働者集団であり、個別労働者が就業規則の不利益変更に同意しても,不利益変更の拘束力は生じない。また、集団的同意があれば、合理性審査も問題とならない。

これに対して、日本では、労契法8条および9条の反対解釈から、合意を得る対象たる労働者とは「個別労働者」と解される。そして、多数説は、個別労働者による同意があれば、合理性審査は問題とならないと解している。しかし、このような処理は、韓国における処理と比較すると、就業規則変更が集団的労働条件の統一的変更問題を取り扱っているという側面を十分に考慮していない点、個々の労働者の交渉力格差を踏まえると、個別合意に依拠した処理には問題がある点、合理性審査排除という重大な帰結を避けるために、合意認定において非常に慎重な態度をとりるが、その判断基準が確立していない点等を考慮すると、少なくとも立法論としては、個別労働者の合意があっても集団的労働条件変更の合理性審査に服させる制度を構築する方が簡便であり、望ましい。

第2に、日韓の就業規則変更法理における予測可能性と少数者保護についての対照的な処理を指摘する。まず、韓国では、就業規則の不利益変更は法律上、集団的同意が要件とされているため、集団的同意の有無により不利益変更の可否が決まるのが原則であり、高い予測可能性がもたらされる。これに対して、日本では、集団的同意は労契法第10条における合理性判断の一要素にとどまり、不利益変更の要件とはされていない。その結果、集団的合意があっても裁判所による合理性判断にはばらつきが見られ、就業規則の不利益変更の拘束力の予測可能性に欠けるという問題がある。

その反面、韓国法の下では、集団的同意があれば、変更に合意しない少数者の不利益の合理性審査を経ずに不利益変更の拘束力が認められる点で問題を含んでいる。この点、日本は、集団的合意を合理性評価の要素にとどめることで、少数者・反対者の利益をきめ細かに考慮する枠組みを採用しているといえる。

第3に、集団的合意が必要とする明文の規定が立法されたにもかかわらず韓国において判例が、集団的合意がなくとも合理性があれば就業規則変更の拘束力を認めるという「合理的変更法理」を維持したことの意味について分析を加える。すなわち、過半数による集団的同意ルールは、合意のない限り不利益変更をなしえないという点では、労働者保護に厚いようにも見える。しかし、集団的同意がないかぎり労働条件の調整(不利益変更)が不可能とすると、解雇や雇用調整問題を惹起し、労働者の長期的利益に反する可能性もある。また、過半数組合が合意をすれば、これに反対する少数者について合理性審査を行うことなく拘束力が生ずる制度の下では、過半数組合は同意すべきか否か苦渋の選択を迫られる。これに対して、集団的同意がなくとも合理的変更が可能というルートが開かれていれば、過半数組合は、そうした困難な選択を迫られることはなく、その拘束力を裁判所の合理性審査に委ねることができる。韓国の制定法上の同意原則と判例法上の合理性法理の併存状況は、就業規則の不利益変更問題に内包される、このような複雑な労使関係に対する一つの合理的対応であるとも分析する。

韓国法がいったん明文で集団的同意説(同意原則)を採用したにもかかわらず、今日、判例がなお合理的変更法理を維持していることは、同意原則のみでは、最終的には労働条件変更問題を解雇によって解決せざるを得ないことになること、そうした解雇を避けるためには、合理性変更法理による処理(柔軟性確保と少数労働者の利益保障)がやはり必要であることを示し、日本の合理的変更法理の比較法的評価においても考慮できることを指摘している。

以上が本論文の要旨である。

本論文の長所としては次の点が挙げられる。

第一に、労働契約の中核を構成する労働条件である賃金の変更問題に焦点を当て、合意原則が貫徹されている欧米と対照的に就業規則による変更を認める日韓両国の状況について集団的変更と個別的変更の双方について網羅的に検討し、合意原則の妥当する範囲と、例外的に妥当する就業規則の合理的変更法理の日韓の相違を明らかにした点で学術的貢献が認められる。特に、集団的変更では、欧米では合意原則が貫徹され、韓国では合意原則と合理的変更法理が併用されているのに対して、日本では就業規則の合理的変更法理が妥当しているという特殊性を明らかにした上で、雇用保障を重視する視点からは、合理的変更法理自体は妥当と解されること、しかし、日本では、賃金の不利益変更には、「高度の必要性に基づいた合理性」が要求されるという労働条件一般の変更とは異なる特別ルールが妥当していることを、大曲市農協事件最高裁判決以前の下級審裁判例を丹念に分析し、賃金変更の特殊性を析出している。他方、日韓両国ともに、個別的変更においては合意原則が貫徹されることを明らかにしている。

第二に、日韓の就業規則法制について、これまで明らかにされてこなかった法制度の相違と合理的変更法理の位置づけの相違を明らかにし、その分析を通じて、合理的変更法理について有益な比較法的示唆を導き出している。日本と異なり、就業規則による労働条件の不利益変更に集団的同意を要件とする立場を採用した韓国法は、集団的同意の存否により就業規則変更の拘束力の予測可能性と法的安定性がもたらされるメリットがあること、その反面、集団的同意によって変更の効力が当然に生ずるため、少数者が不利益を被るとしても、裁判所による合理性審査は排除され、少数者保護の視点に欠けるというデメリットがあることを指摘する。さらに、集団的同意を要件とする立場が法律上明定されたにもかかわらず、その後の判例は、合理性があれば変更可能とする法理を形成する。これは、集団的同意がなければ労働条件の不利益変更ができないルールの下では、集団的同意が得られないと使用者は解雇で対処せざるを得なくなるという問題を韓国の裁判所が考慮したものと分析する。

これに対して、日本の判例法理およびそれを立法化した労働契約法の処理枠組みは、予測可能性に欠けるデメリットはあるが、多数者の合意があってもなお、少数者保護のために裁判所が合理性審査を行い、全体としてバランスの取れた処理を可能としていること、また、雇用を維持しつつ集団的労働条件変更の必要性に対処するために合理性法理を採用したことには意義があるとする。また、韓国法については合理的変更法理を認める判例の立場を支持し、ルールの透明性のためにも判例法理を立法化すべきと主張している。

このように日韓の就業規則法理の比較法的検討により、集団的同意による処理と合理的変更法理による処理のそれぞれの意義と特質を明らかにしたという点で独創性と学界への貢献が認められる。

第三に、近時、日本でも注目を集めている就業規則の不利益変更に対する労働者側の同意の問題について、日韓比較から有益な示唆を引き出している。すなわち、韓国の集団的同意を要件とする立法の下では、個々の労働者が個別に就業規則変更に合意したとしても、就業規則変更の拘束力をもたらさないと解されており、そこでは、集団的統一的労働条件の変更問題であること、個別交渉に委ねたのでは交渉力に劣る労働者は合意せざるを得ず、妥当でないこと等、集団的変更手段としての就業規則変更の特質を踏まえた処理が目指されていることを指摘する。そして、日本においても、少なくとも立法論としては、集団的労働条件処理に適合的な処理枠組みを採用すべきと主張している。これも、日本法内部に留まっていては看過する重要な指摘をなすもので、日本で見解の対立の激しい議論に有益な示唆を与えるものとして評価できる。

もっとも、本論文にも改善すべきと思われる点もないではない。

第一に、欧米の議論の分析が、日韓の合理的変更法理の特殊性を明らかにするためのものだったとはいえ、既存文献に依拠した概括的な把握にとどまっており、また、合意を得られずに労働条件変更ができない場合に、それが経済的解雇にどのように結びつくのかについてもより慎重に検証しておけば、論旨の説得性が増したように思われる。

第二に、労働条件の不利益変更について、合意原則と合理的変更法理を対置し、合意の主体として日韓の個人労働者と労働者集団の違いの検討にまでは及んでいるが、不利益変更の成否を個別労働者、労働者集団、裁判所という三者のいずれに委ねるのが妥当かを、それぞれの国の雇用・労使関係システムにおける労働者、労働者集団・労働組合、裁判所の属性や実態を踏まえた分析を加えていたら、さらに深みのある考察が展開できていたように思われる。

以上のように今後の課題として指摘すべき点もあるが、これらは本論文の価値を大きく損なうものではない。以上から、本論文の筆者が自立した研究者あるいはその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度な研究能力およびその基礎となる豊かな学識を備えていることは明らかであり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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