学位論文要旨



No 128855
著者(漢字) 河辺,元子
著者(英字)
著者(カナ) カワベ,モトコ
標題(和) ニホンウナギ仔稚魚期のT細胞および胸腺に関する研究
標題(洋)
報告番号 128855
報告番号 甲28855
学位授与日 2013.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3874号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 金子,豊二
 東京大学 教授 良永,知義
 東京大学 准教授 大久保,範聡
 福井県立大学 准教授 末武,弘章
内容要旨 要旨を表示する

ニホンウナギは食材としての需要が非常に高い養殖対象魚種であるが、増加するウナギ需要に対して、天然シラスウナギの資源量の減少と変動は年々深刻化している。このような背景から、種苗生産技術の開発が進められ、実験条件下では全生活史の管理もできるようになった。しかし、ウナギ人工種苗生産では仔魚期の生残率が低く、ウナギの量産化実現に向けての主要な課題となっている。ウナギ仔魚期の生残率を上げるために、健苗性、すなわち成長や体の器官の発達が順調で、天然仔魚(プレレプトセファルス、レプトセファルス)で見られる形態的または生理的な特徴を備えているという視点から仔魚個体の発育を評価して行くことが必要である。中でも耐病性は、仔魚の生残に直接関係する重要な評価指標である。

ウナギ仔魚の免疫器官に関しては、天然レプトセファルスでは胸腺がよく発達している一方で、腎臓や脾臓といったリンパ器官が未発達な状態であることが報告されている。胸腺は骨髄由来の未分化なT細胞が、自己/非自己の識別能力を獲得した成熟T細胞へと分化する一次リンパ器官である。胸腺は成長とともに退縮することが知られているが、他の免疫器官が未発達なウナギ仔魚期では特にT細胞を介した免疫・生体防御機能が初期生残に関わる重要な役割を果たしている生理的な要因であると考えられる。

本研究では免疫システムの発達からウナギ仔魚の健苗性を評価するために、胸腺分化やT細胞の機能発現に関わる2つの分子、SrcファミリーチロシンキナーゼであるLckと、リンパ球の抗原受容体の遺伝子再編成に関わるRag1に着目し、まずこれらの配列を同定し、ウナギ仔稚魚期および成魚での遺伝子の発現解析を行った。本研究の結果、ウナギlckとrag1は孵化後の仔魚から発現しており、T細胞の関わる免疫システムが仔稚魚期から機能し、T細胞の分化・成熟を誘導する機能的な胸腺をもつことが示唆された。

第一章ニホンウナギ免疫関連遺伝子のcDNAクローニングと一次構造解析

胸腺はT細胞が分化・成熟する免疫器官である。成熟したT細胞はCD4やCD8といったT細胞受容体の補助レセプターの発現によって最終的にヘルパーT細胞(CD4陽性T細胞)や細胞傷害性T細胞(CD8陽性T細胞)となる。このT細胞の初期の分化段階に関与する主要な分子として、チロシンキナーゼであるLckがあげられる。T細胞が抗原刺激を受けると、T細胞の細胞内領域においてLckがCD4/CD8と結合し、T細胞を活性化する。

またT細胞の分化の過程で、V(D)Jリコンビネーションといわれる遺伝子再編成を受け、T細胞受容体の多様性が形成される。Rag1はこの遺伝子再編成を担う分子であり、哺乳類ではリンパ球特異的に働き、分化中のT細胞やB細胞に発現する。免疫応答においてリンパ球の抗原受容体の多様性は、環境中の外来抗原の認識に関わり、Rag1は獲得免疫応答の形成において必須の分子である。

本章では、ウナギ成魚のナイロンファイバーカラムで分離した末梢血T細胞のcDNAプールからlck cDNAを、胸腺のcDNAプールからrag1 cDNAをRACE法によるcDNAクローニングにより塩基配列を決定した。

その結果、ウナギLckはSrcファミリーチロシンキナーゼに特徴的なSH4、Unique domain、SH3、SH2、SH1(キナーゼ領域)で構成されていた。Unique domainにはCD4/CD8との相互作用に必要なCXXCモチーフ(ウナギLck; CXXCXC)を、SH1ドメインとC末端側にはLckのキナーゼ活性の制御に関わる2つのチロシン残基を有していた。他生物種の既知Lckとの一次構造のアライメント解析の結果、71.2-80.2%と高い同一性を示した。魚類のCD4やCD8はLckとの結合に関わるCXCやCXHといったLck結合モチーフを持つことから、ウナギにおいてもLckとCD4/CD8の相互作用によるT細胞活性化経路が保存されていると予測される。

Rag1はRag2ともに酵素複合体を形成してDNA上の組み換えシグナル(RSS)を認識し、T細胞受容体やB細胞受容体を構成する遺伝子断片を形成する。同定したウナギrag1の一次構造解析の結果、DNA結合モチーフであるZinc finger domain、RSSを認識するRag Nonamer binding domain、さらに活性中心と考えられるDDEモチーフが保存されており、遺伝子再編成機構に関与する特徴的なドメイン構造が保存されていた。アライメント解析の結果、哺乳類や他魚種のRag1と62.9-77.8%の同一性を示し、ウナギにおいても抗原受容体遺伝子に多様性をもたらすV(D)J組換えがリンパ球の分化過程で機能していることが推察された。

第二章ニホンウナギlck、rag1の発現解析

ウナギ仔稚魚期の免疫システムの形成過程を調べることを目的として、同定したウナギlckとrag1の遺伝子発現を調べた。

まずウナギT細胞におけるlckの発現を調べるために、ナイロンファイバーカラムTを用い、成魚の末梢血からT細胞集団を分離し、ウナギlckの発現解析を行った。その結果、分離したT細胞集団で末梢血白血球(PBL)よりも強いlckの発現が認められ、ウナギlckがT細胞で発現していることが示された。さらに、RT-PCRにより受精後3日目と7日目の人工孵化仔魚および天然レプトセファルス個体でウナギlckの発現が確認された(図1)。次にシラスウナギでin situ ハイブリダイゼーション法により胸腺を中心とした組織でlckの遺伝子発現細胞の分布を調べた結果、胸腺のリンパ球様細胞が陽性であった。ウナギ成魚の組織別RT-PCRの結果、lckは胸腺、腎臓、脾臓といったリンパ系組織や消化管や皮膚といった粘膜系組織で発現していた。

LckはT細胞特異的に発現するチロシンキナーゼであり、胸腺内のT細胞分化や末梢のT細胞活性化に関与している。実際、シラスウナギでの解析の結果は、胸腺がT細胞の分化・成熟器官であることを示していた。仔魚期におけるlckの発現解析の結果から、ウナギでは受精後3日という早い段階からT細胞を介した免疫システムが機能していることが分かった。

次いで、ウナギrag1の遺伝子発現解析を行った結果、RT-PCRにより受精後3日目と7日目の人工孵化仔魚で発現が確認された(図1)。さらにシラスウナギを用いてさまざまな組織でrag1の遺伝子発現細胞の分布を調べたところ、胸腺、消化管上皮、鰓、脊椎で陽性細胞が見られた。ウナギ成魚の組織別RT-PCRでは胸腺でrag1の発現が確認された。

T細胞は分化・増殖時に、Rag(Rag1/Rag2)による抗原受容体遺伝子の組み換え過程を経て、最終的に成熟したT細胞へと分化する。マウスではRag2が欠損するとT細胞が未成熟になることから、Ragによる遺伝子再編成はリンパ球の正常な発達に不可欠である。ウナギrag1の発現解析の結果から、Ragによる遺伝子再編成機構はウナギ仔魚期から機能し、さらに胸腺で遺伝子再編成によるT細胞の分化・成熟が起こっていると考えられる。

従来の研究により、天然レプトセファルスでは、腎臓や脾臓が未発達な一方,胸腺はよく発達していることが知られており、仔魚期の生体防御における胸腺、T細胞系の重要性が指摘されていた。この胸腺、T細胞系の初期発生を解析した本研究により、この系の指標となるlckや rag1がウナギ仔稚魚期の早い段階から発現していることを示すことができた。すなわち、ウナギの仔魚は、孵化直後からシラスウナギへ変態するまでの長い期間、主にT細胞を介した免疫システムが生体防御を担っているものと考えられる。本研究の結果は、lckやrag1といった免疫系の遺伝子がウナギ仔魚の健苗性を検討するための有用な指標となる可能性を示している。今後これらの生体防御関連遺伝子の解析が、ウナギ仔魚の生残の改善に繋がる種苗生産技術の開発へ発展することが期待される。

図1.ウナギ仔魚におけるウナギlckとrag1の発現解析

(a) 孵化仔魚(受精後3日目、7日目)におけるlck、rag1の発現を示し、グループNo.は同腹仔魚であることを示す。(b) 天然レプトセファルス個体におけるlck遺伝子の発現を示す。β-actinは内在性コントロール遺伝子、NCはネガティブコントロールを表す。

審査要旨 要旨を表示する

ニホンウナギは重要な養殖対象魚種であるが,種苗は天然のシラスウナギに頼っているのが現状であり,その資源量の急激な減少が深刻な問題となっている.人為的な種苗生産技術の開発も1961年から始められたが,困難を極め,実験条件下では全生活史の管理もできるようになったものの,仔魚期の生残率が極端に低く,量産化には多くの課題が残されている.健苗性を評価し,生残につながる要因を解析して行くことが重要であり,耐病性という観点から仔魚の健苗性を評価する指標を確立しようというのが本研究である.

研究は,仔魚の質を評価する指標として,胸腺分化やT細胞の機能発現に関わる2つの分子,T細胞特有のチロシンキナーゼであるLckと,リンパ球の抗原受容体の遺伝子再編成に関わるRAG1に着目して進められている.これは,天然のウナギ仔魚(レプトセファルス)では腎臓や脾臓が未発達なのに対し,胸腺のみがよく発達しているという報告に基づくもので,妥当な選択と言える.これらの分子について,一次構造を決定し,発現解析を行った結果,ウナギlckとrag1は孵化後の仔魚から発現しており,T細胞の関わる免疫システムが仔稚魚期から機能し,T細胞の分化・成熟を誘導する機能的な胸腺をもつという興味深い結論を得ている.

本論文の第一章では,ニホンウナギ免疫関連遺伝子のcDNAクローニングと一次構造解析について記している.取り上げた分子はLckとRAG1である.

Lckは成熟したT細胞の機能に関わるタンパク質である.T細胞が抗原刺激を受けると,T細胞の細胞内領域においてLckがCD4/CD8と結合し,T細胞を活性化する.そこで,ウナギ成魚の末梢血白血球からナイロンファイバーカラムを用いてT細胞を多く含む分画を得て,そのcDNAプールから,RACE法によるcDNAクローニングによりlckの塩基配列を決定している.その結果,ウナギLckはSrcファミリーチロシンキナーゼに特徴的なSH4,Unique domain,SH3,SH2,SH1(キナーゼ領域)で構成されていた.Unique domainにはCD4/CD8との相互作用に必要なCXXCモチーフ(ウナギLck; CXXCXC)を,SH1ドメインとC末端側にはLckのキナーゼ活性の制御に関わる2つのチロシン残基を有していることを確認している.また,他生物種の既知Lckとのアライメント解析により,71.2-80.2%と高い同一性を示したことも合わせて,配列を決定した遺伝子がウナギのLckをコードしているものと結論付けている.

胸腺内でT細胞が分化する過程で,V(D)Jリコンビネーションといわれる遺伝子再編成によりT細胞受容体の高度な多様性が形成されるが,RAG1は,RAG2と共にこの遺伝子再編成を担う分子である.胸腺は成長と共に退縮することから,20g程度の小型のウナギから胸腺を切り出し,そのcDNAプールからRACE法によるcDNAクローニングによりrag1遺伝子の塩基配列を決定している.ただし,5'側の配列は,動物種間での変異が大きく,適切なプライマーが設計できず,全長は決定できていない.一次構造解析の結果,DNA結合モチーフであるZinc finger domain,RSSを認識するRag Nonamer binding domain,さらに活性中心と考えられるDDEモチーフが保存されていること,哺乳類や他魚種のRag1と62.9-77.8%という高い同一性を示していること,さらには最近公開されたニホンウナギのゲノムデータベースには,他に類似の配列がないことから,決定した配列がニホンウナギRAG1をコードする遺伝子の部分配列であるものと結論付けている.なお,ゲノムデータベース上でも5'端側の情報は欠落しているという.

第二章では,ニホンウナギlck,rag1の発現解析について論じている.

まずウナギ末梢血白血球と,そこから分離したT細胞に富む画分とで,lckの発現を調べ,ウナギlckがT細胞で発現していることを確認している.組織別RT-PCRや,in situ ハイブリダイゼーション法によりに,lckやrag1が胸腺で強く発現し,胸腺,T細胞系の指標としてこれらの分子が適切であることを示している.

仔魚期の発現については,受精後3日目と7日目の人工孵化仔魚と,天然のレプトセファルス個体で調べている.いずれの遺伝子も受精後3日目,7日目の人工孵化仔魚に発現が認められたが,発生初期の段階からT細胞を介した免疫システムが機能していることを明らかにしている.一方,天然のレプトセファルスではlckは認められたが,rag1の発現が見られないという興味深い結果が得られている.

ウナギの仔魚は,孵化直後からシラスウナギへ変態するまでの,約半年間に及ぶ長い期間,主にT細胞を介した免疫システムが生体防御を担っているものと考えられる.本研究の結果は,lckやrag1といった免疫系の遺伝子がウナギ仔魚の健苗性を検討するための有用な指標となる可能性を示し,今後これらの生体防御関連遺伝子の解析が,ウナギ仔魚の生残の改善に繋がる種苗生産技術の開発へ発展することが期待される.よって,審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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