学位論文要旨



No 128856
著者(漢字) 松田,浩子
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,ヒロコ
標題(和) オランダ統治下のバタヴィアにおける水文地形環境への都市的介入の変容 : 洪水対策を中心とした工学的適応の可能性と限界
標題(洋)
報告番号 128856
報告番号 甲28856
学位授与日 2013.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7892号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村松,伸
 東京大学 教授 藤井,恵介
 東京大学 准教授 加藤,耕一
 東京大学 教授 中井,祐
 東京大学 准教授 島田,竜登
内容要旨 要旨を表示する

バタヴィア(現在のインドネシアの首都ジャカルタ)は、1619年からオランダ東インド会社の交易拠点として建設され、19世紀以降はオランダ植民地政府のもとで蘭領東インドの中心として近代都市に変容した。そこでは人口集積や社会経済活動の集中、集約的な土地利用を下支えするために、自然の水の挙動を制御する水管理事業が実施されてきた。本研究は、都市における水管理と空間構成を一体のものとして「水文地形環境への都市的介入」と捉えた。そして、1619年から1942年までのオランダ統治下のバアヴィアにおいて、主に統治組織によって公共事業として実施された「水文地形環境への都市的介入」が変容した過程を明らかにし、都市における水管理と空間構成の関係性を読み解くための歴史的な見方を示すことを目的としている。

具体的な研究の手法および独自性は、次の4点である。1.先行研究では部分的にのみ扱われてきたバタヴィアの水管理を、オランダとジャワ島の自然環境の違いに着目し、17世紀初めから20世紀半ばまでを長期的に見通す。2.アジアモンスーン造山帯特有の水文地形環境に留意し、バタヴィアの洪水発生の状況や経年変化を、自然と都市的介入との相互作用と位置づけ、洪水の様相を空間的に分析する、3.背景として工学の進展や近代の都市化を考慮し、水管理事業に携わったエンジニアの考え方を検討する。4.都市的介入を歴史的に捉えるため、東南アジアの農業社会における自然と人間の関係性をみる際に提起された枠組みをもとに新たな枠組みを提示し、バタヴィアで明らかになった事象に用いて分析する。

本論文の構成は次のとおりである。まず第1章では、研究の背景と目的、研究の視点、先行研究のレビューを述べた。続く第2章で、都市の水管理および空間構成を検討する際の前提となるバタヴィアの水文地形環境、人口増加、土地の把握についてまとめた。本論となるのは第3章から第5章である。第3章では、オランダ東インド会社時代のバタヴィアの都市形成と後背地の変化、それらと同時に進行した水管理事業の歴史を、主に地図とバタヴィア政庁の政令集を用いて経年的、空間的に明らかにし、当時の水管理の特徴や問題点を考察した。第4章では、19世紀以降の都市空間形成と洪水の履歴を、地図、行政資料、新聞記事などをもとに明らかにした。第5章ではエンジニアの論文や報告をもとに、19世紀以降に工学の進展に伴って形成された水管理に関わる科学的な思考が、実際のバタヴィアの洪水対策などの水管理事業にどのように用いられたのかを検討した。最後に第6章で、第2章から第5章を整理し、「水文地形環境への都市的介入」に関する総合的な考察を加え、本研究の結論をまとめた。

都市という集住の場において様々な社会経済活動を下支えするための流水の制御や配分は、河川改修や人工的な水路の掘削を伴い、都市と周辺の空間を規定する空間基盤となっていた。本研究は、次のようにバタヴィアの「水文地形環境への都市的介入」の変容過程を明らかにした。

まずオランダ東インド会社時代には、堀割が巡らされた市街地スタットが市壁と外堀で囲まれ、周辺部オメランデンにも市街地とほぼ同じ基準軸方向の堀割や運河が掘削された。17世紀末までにはデルタ地帯にスタットの中央を流れるチリウン川を中心とした水路網が姿を現し、周辺の川とも結ばれ、扇状地から流下する水を水路網全体で貯水し、スタットの内港機能が維持された。これらの水路は、防衛、舟運、灌漑、排水、貯水といった複合した機能を担い、海と川とにつながったスタットの優位性を支えた。バタヴィアには、オランダの都市とは違い洪水対策のための水門や堤防がなかった。しかし貯水を優位にしたため流速の低下がおこり、扇状地からの土砂により水路に堆砂が発生し、運河による他流域からの洪水の波及も重なり、バタヴィアの環境は悪化した。

19世紀に入り、ジャワ島の水文地形環境を客観的科学的に捉えようとする工学が、エンジニアの地位向上と軌を一にして進展した。エンジニアの現場での経験の蓄積と海外の知識や理論が交換され、蘭領東インドの水文地形環境に合った手法や流量の算定に関する工学が整っていった。政庁は1872年の大洪水以降、抜本的なバタヴィアの洪水対策に乗り出した。公共事業省のエンジニアであるスフラムは、歴史的かつ包括的に流域を把握しようとしたほか、流量を算定してグヌン・サハリ放水路とクルクット川の放水路を計画した。しかし、放水路の建設途中で近代港湾と街を結ぶ運河と交差することになり、運河に流れる洪水流や堆砂を巡って論争が起こり、堆砂などの問題は持ち越された。

19世紀末から20世紀初頭にかけてバタヴィアのカンプンでの浸水が頻繁に発生した。当時のバタヴィアは世界的にも死亡率の高い都市であった。オランダ植民地政府が「倫理政策」を掲げ人々の福祉向上に乗り出していた中、バタヴィアの洪水対策や衛生改善を推し進めたのが、公共事業省のエンジニアのファン・ブレーンであった。ファン・ブレーンも流域の歴史的な変容や包括的な水の挙動を捉えた上で、バタヴィアの都市域での水の配分を管理しようとした。放水路を拡張して掃流力を高め、乾季の都市内へ流水供給も折り込んだ。小河川の改修や排水路整備により雨水の滞留をなくし、デルタの低湿地では自然流下による排水を基本とし、マラリアを媒介する蚊が孵化する前の7日以内に「遅らせて排水する」とした。カンプンの衛生改善では雨水排水、生活排水などを、緊急性と継続性を考慮して進めた。

また、本研究は水管理と空間構成が一体となった「水文地形環境への都市的介入」を捉えるための3つの概念的な枠組みを提示した。すなわち、所与の水文地形環境を変えずにそのまま利用する「立地適応型介入」と、環境に積極的に働きかけて条件を変える「介入」とを区分し、さらに後者の「介入」は、所与の環境によって与えられた条件を生かす「立地改良型介入」と、環境による条件の差を打ち消そうとする「立地改変型介入」に分けた。

バタヴィアの「立地適応型介入」としては、排水条件が良い自然の微高地の利用や、洪水時にも床上浸水しない高床の住まい、湿地の温存利用、上流域での森林保全が該当すると考えられる。18世紀からの市場タナ・アバンとスネンは、スタットに最も近い扇端の微高地に位置し、周辺低地からは数mの比高がある。ヴェルトゥフレーデンの農園も微高地上の環境を利用しており、18世紀半ばに東インド会社の総督が購入して以降、総督の郊外住宅となっていた。次にバタヴィアにおける「立地改良型介入」としては、17~18世紀にチリウン川河口周辺のデルタ地帯につくられ複合的な機能を有する水路網や、扇状地の勾配を利用した灌漑用水路が挙げられる。しかし水路網のあるスタットと周辺の環境悪化から、19世紀初頭には扇状地の端部のヴェルトゥフレーデンに都市機能を移転させてボーフェンスタットがつくられた。微高地の下も市街地として整備された。低地を取り込んだ市街地がつくられ排水が強化され、微高地と低地の立地条件の差異を無くすような水管理と空間構成になったといえ、ボーフェンスタットは「立地改変型介入」とみなすことができる。

「立地改良型介入」のベネーデンスタット(以前のスタット)では、周辺のカンプンも含めて地域全体で水路網が排水や貯水などの機能を保っていたのに対し、ボーフェンスタットでは市街地の道沿いや敷地の排水溝は、雨水や生活排水の排水に特化したものである。洪水になると、微高地上も稀に浸水したが、自然流下により比較的排水もスムーズであった。また隣接する低地の市街地では、微高地よりも頻繁に浸水したが、周囲のカンプンに比べ深刻な内水氾濫とはなっていなかった。

ファン・ブレーンの水環境改善計画は、堆砂を防ぐためにいくつかの河川の洪水流をまとめて放水するようにし、19世紀前半からの排水強化の流れをより一層強めたものであった。しかし、排水という単一目的に特化したものではなく、放水路よりも下流側では堆砂に腐心することなく「立地改良型介入」ができる余地が生まれ、扇状地の勾配を利用した「立地改良型介入」である灌漑用水を乾季に環境用水として都市域に供給するようにも計画された。さらに上流側での森林土壌が有する保水力や水田の貯水効果についても言及していた。ファン・ブレーンの計画は、排水の強化という「立地改変型介入」と、「立地適応型介入」や「立地改良型介入」とを組み合わせた上で計画全体を実践的包括的にまとめている。19世紀の洪水対策からファン・ブレーンの水環境改善計画への展開は、工学の進展やエンジニアの活躍の場の拡大に裏打ちされている。本研究は、このような工学理論や工学的手法による水文地形環境への働きかけを「工学的適応」とする。このような「工学的適応」の下で、3つの「都市的介入」を組み合わせて、それぞれの利点を生かすことが可能となるといえる。

しかし問題点もあった。住宅地開発などで「立地改変型介入」が無限に拡大する可能性がある。また、最大洪水流量の算定のように想定した範囲内でのみ有効な水の配分計画である。放水路の水門や排水ポンプの操作が洪水時にうまくいかなくなるというリスクも考えられる。住民の工夫が必要な「立地適応型介入」への関心が薄れたり、複合目的であるがゆえに調整の難しい「立地改良型介入」が忌避されたりすることも考えられる。これらの問題点は問題点として継承され、後世に社会情勢の変化に応じて再検討したり、修正をはかる必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

ジャワ島西部の北岸に位置する都市バタヴィア(現在のインドネシア共和国の首都ジャカルタ)は、1619年から1942年までオランダの統治のもとで交易拠点から植民地支配の中心拠点として変容し、都市としての空間基盤がつくられてきた。低平地が広がるオランダとは異なり、バタヴィアとその後背地には季節風と造山活動の影響を受けた自然環境がある。本論は、統治機関による都市の水管理と空間形成を水の挙動の制御に関わるものとして総合的に捉え、当初のデルタの水路網による都市基盤が前近代から近代にかけて変容した過程をたどり、洪水という地形をつくる自然の営みと洪水対策に代表される人間の側からの介入行為との関係性の変化を歴史的に明らかにすることを試みている。その中で、バタヴィアの地図史料、東インド会社時代の政令集、バタヴィアで発行された新聞記事、技術者団体の機関誌に掲載されたエンジニアの論文などの文献史料を丁寧に読み込むことで、300年余りにわたる水管理事業と空間構成を分析し、近代に進展した工学的手法による可能性と問題点に検討を加えた、意欲的な論文である。

本論文は全6章からなる。第1章で序論、第2章でバタヴィアの自然および人口などの概説が述べられた後、第3章から第5章までが本論となり、第6章で結論として全体のまと総合的考察が書かれている。第3章では前近代にあたるオランダ東インド会社時代の空間形成と水管理事業の変遷過程について記されている。第4章および第5章では近代にあたるオランダ植民地政府による統治時代を対象とし、第4章で都市形成と洪水の履歴、第5章で工学の進展とエンジニアによる水管理計画の内容を検討している。

第1章の序論では、背景と目的、研究を進めるにあたって全体の構図と概念的枠組み、既往研究のレビューが述べられる。工学の進展および人口集積とインフラ整備を伴う都市化という近代化の流れを重要な変化要因として整理している。また、都市の水管理と空間構成を「水文地形環境への都市的介入」行為とする視点を提示し、環境への働きかけの在り方と、地形および水文という立地条件への対応に着目し、「都市的介入」を「立地適応型介入」「立地改良型介入」「立地改変型介入」の3つに分けて提示している。

第2章では、バタヴィアの水文地形環境、17世紀から20世紀前半までの人口増加、バタヴィア都市域および後背地の地図制作による環境および土地利用の客観的な把握について、本論を進める上での前提として概説している。とりわけ、オランダとの自然条件との違いに着目し、アジアモンスーン造山帯にあるジャワ島に特徴的な水文環境、地形環境を示している。

第3章では、1619年から1800年までのオランダ東インド会社による交易拠点としてのバタヴィアの建設以降、水路掘削と矩形の土地割りからなるオランダ本国に類似した市街地と周辺の空間形成を、地図史料をもとに分析して明らかにしている。市街地中央を流れるチリウン川をはじめいくつかの自然河川をデルタ地帯において分流・直線化して築かれた水路網の構成と機能を解き明かし、舟運を確保するために水路網での貯水を優先していたこと、分流や水位確保による流速の低下により、堆砂と洪水の問題が発生したことを説明している。

第4章では、1800年から1942年までのオランダ植民地統治におけるバタヴィアの都市形成過程を概観した上で、バタヴィアで発行された1853年から1940年までのオランダ語の新聞をもとに、1月から3月洪水に多発する洪水発生について、経年変化、都市域での浸水状況などを明らかにした。1870年以降に洪水が多発したこと、1890年以降に顕著になった市街地に隣接するカンプンでの内水氾濫が20世紀初頭に死亡率の高いカンプンと一致していること、1920代以降の浸水被害の減少を実証的に明らかにしている。また、都市内の地域ごとの浸水状況を比較し、市街地と隣接カンプンの洪水頻度の差は、デルタよりも扇状地端部の方が大きい事を指摘した。

第5章では、19世紀以降のオランダ領東インドの公共事業行政、エンジニア教育、東インド独自の工学の進展過程を概観した上で、公共事業省のエンジニアによる1870年代の洪水対策と1910年代の洪水対策を含んだ水環境改善計画を中心に、工学的な手法による都市の流水の配分と制御について明らかにした。放水路の建設と拡張を通じてバタヴィアの都市域の排水が強化されたが、1910年代のVan Breenの計画では、放水路による洪水時の排水と堆砂の軽減を軸にして、下流側での内水排水、乾季の環境用水供給、デルタの水路網を生かした排水と舟運の維持、カンプンの衛生改善、上流側の保水力の評価などを包括的に取り込んでいることを示した。

第6章では、バタヴィアの水管理と空間構成からなる「都市的介入」の変容を3つに時期区分して整理し、それぞれの時期区分ごとの介入の型をまとめた。1910年代の水環境改善計画の中で3つの型を組み合わせる「工学的適応」の可能性を指摘する一方で、当時の計画の問題点を継承する必要性を論じた。

その研究方法、分析内容、結果は、博士論文の水準に達している。さらなる精進とこのテーマの今後の発展を期待し、よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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