No | 128858 | |
著者(漢字) | 中島,伸 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ナカジマ,シン | |
標題(和) | 戦災復興土地区画整理事業による街区設計と空間形成の実態に関する研究 : 東京都戦災復興土地区画整理事業地区を事例として | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 128858 | |
報告番号 | 甲28858 | |
学位授与日 | 2013.03.15 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(工学) | |
学位記番号 | 博工第7894号 | |
研究科 | 工学系研究科 | |
専攻 | 都市工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本研究は、日本における近代街区造成の大部分を担った土地区画整理事業による空間形成とそれを規定する制度の系譜を整理し、その中で戦災復興区画整理による空間形成の実態と都市計画技術の到達点を街区設計という観点から明らかにすることを目的としている。対象となる戦災復興区画整理事業区域の空間形成を、計画策定過程、計画思想としての設計標準、街区設計の実態、現況の空間実態等から明らかにし、全国に存在する戦災復興区画整理事業区域という一市街地類型の空間特性とその実態を把握する。 本論文は、2部構成をとっており、第1部は区画整理における空間形成の課題として、日本の土地区画整理事業における空間形成の史的展開及び戦災復興土地区画整理事業のレビューを行い、これまであまり語られてこなかった都市空間の問題としての区画整理事業並びに戦災復興区画整理事業の概観を考察した。 第2部では、戦災復興土地区画整理事業の実相として、東京を事例に取り上げ、街区設計という観点から計画思想から空間形成実態までを分析し、その技術的到達点を考察した。 第1章では、研究の背景と目的を整理した上で、戦災復興事業並びに区画整理史に関する先行研究の整理を行い、これまでの区画整理研究において空間形成実態解明の視点が欠けている点を指摘した上で、区画整理事業における空間計画を分析する視点として街区設計から分析することを提起した。本研究における街区設計とは、土地区画整理事業における基本設計段階と定義し、対する実施設計段階にあたるものが換地設計となる。土地区画整理は、土地の交換分合による都市基盤の改善として、換地設計が位置づけられているが、これに取りかかる前段階として、区画整理技術を計画段階と事業実施段階に分けることで、街区設計を位置づけ、設計者の空間形成の意図を探り、空間形成の実態を明らかにする。街区設計は、事業認可前の基本構想から街区をどのように配列するかという段階において、従前の建物、施設などの観点から既存都市施設などを中心にどの位置に換地するかを想定し、設計されるものであるため、この段階で大方の地区イメージが決定する。この段階をとらえて、戦災復興土地区画整理事業の分析を行う。 日本における土地区画整理事業による空間形成の課題を取り上げる第1部は、第2章から第4章が該当する。第2章では、我が国における土地区画整理事業の史的展開を、東京における事業地区を中心に、街区設計と計画技術の変遷から通時的に分析する。土地区画整理において、土地区画整理法の施行される1954年が事業展開として、大きな転換点となっており、直前の戦災復興事業がそれ以前の区画整理技術が成熟した地点であったとする可能性について論じた。区画整理法成立を機に道路整備を中心とした施設整備のための区画整理が幅広く展開、如何に区画整理を実施するかのための技術展開として、換地設計技術の発展が見られた。オイルショック後の成長主義の陰りから批判的都市計画の検討の流れの中で、区画整理事業も質を重視した計画標準や多様な都市空間像に対応した事業メニューの開発が行われるようになった。 第3章は、戦災復興事業の全国展開として、戦災復興事業が戦後の同時期に115都市で一斉に実施された事実に鑑みて、復興事業の全般の特徴と区画整理事業の位置づけについて、実際の事例を参照しながら分析した。これまでの既往研究でも明らかになっている戦災復興事業における街路事業の特徴を整理した上で、街路事業を達成する手段としての区画整理が、多様な街区設計を生み出してきた。また、換地設計では、統一的な指針が示されない中で各都市の現場による多様な工夫と手法活用が見られた。このように、戦災復興区画整理事業では、必ずしも一様な理念の下で、都市空間が計画された訳ではないことを明らかにした。 第4章では、戦災復興に関するこれまでの評価として、前章で明らかとなった戦災復興区画整理事業に見られる多様性とこれまでの戦災復興事業に対する画一化したとの評価の違いを整理し、戦災復興区画整理事業における空間評価の課題を整理した。本章は、これまでの既往研究や当時の計画者の評価軸を整理した上で、都市の画一化を論じた根拠と、それとは異なる評価軸の可能性を論じた。土地の交換分合技術である区画整理事業のそもそもの限界点を前提としつつ、ここでは都市空間の画一化と多様化の相克を空間評価、事業評価の上で重要な課題として提示した。そこで、本研究が明らかにする課題として、当時の設計意図の解析から空間形成の実態を考察することの意義を改めて論じた。 第2部では東京における戦災復興土地区画整理事業の実相として、第5章から第8章が該当する。第5章は、東京都における戦災復興事業の概要を整理し、東京都が国に先立って、都市計画制度の改正を目論みながら独自の計画思想を高めていった過程を整理した。その際、戦前より東京都市計画地方委員会及び東京都の都市計画家石川栄耀の果たした役割は大きく、より詳細な空間像をイメージした計画立案を指向していたことが明らかとなった。 第6章は、東京都戦災復興区画整理の設計指針となる区画整理設計標準について、戦前の設計標準、全国一律の戦災復興の標準、東京都独自の標準を比較し、その特徴について論じた。全国に向けて通牒された設計標準では、復興という急を要する事業実施のため、極力簡便化された実務的な標準が提示された。その一方、設計標準という画一化を促す基準の中で、極力地域性を保持するために各都市の個別的な設計を促すような苦しい記述も見られ、区画整理の設計標準においても空間の画一化と多様化の相克が見られた。その中で東京都は、第5章で明らかにした全国に先駆けた充実した空間づくりへの指向性を多く反映した独自の設計標準を石川栄耀指導の元で多数発表し、区画整理の街区設計に臨んだことが明らかとなった。 第7章は、東京戦災復興土地区画整理事業計画の実態として、東京戦災復興土地区画整理事業計画書を元に、街区設計の計画実態を明らかにした。本史料はこれまでの既往研究では発見されてこなかった東京都戦災復興区画整理事業の計画実態を明らかにする重要な史料である。本史料より、東京都では全国の標準では位置づけられている以上の充実した内容を市街化計画が立案されていたことがわかった。そこでは、詳細な地域のコンテクストの読解を元に多様な空間イメージから街区設計が行われており、また、単なる土地整理にとどまらず、都市施設配置といった上物の構想を含む総合的な都市計画として街区設計が計画された。 第8章は、戦災復興土地区画整理事業地区の空間形成の実態として、具体的に東京の戦災復興区画整理事業の各地区でどのような街区形成がされたかを計画図と現状から分析した。これにより、第6、7章で明らかになった街区設計の方針に基づき、街区が形成され、それに基づき街路空間が形成され、地区内にシンボルロードが形成されていることが明らかとなった。これは単純に新たな広幅員街路が設計され、そうした空間が形成されたということだけではなく、元々の地区の文脈を活かした街路空間がつくられるなど、多くの工夫が見られた。また、街区の隅切りを利用した微細な広場空間では、商業地では、周囲の建物がそうした街区状況を活かした空間づくりや空間利用が見られた。 第9章では、これまでの議論を踏まえて、土地区画整理における街区設計という概念における空間形成技術の到達点とその展望について考察した。東京都戦災復興土地区画整理は、全国一律に示された戦災復興区画整理設計標準にある通り、都市ごとに画一化させない空間形成を方針とした全国標準をベースに、さらに充実した設計標準を東京都案として、雑誌、著作物などに表した。これにより、教科書的とも言える全国統一の設計標準から、東京都独自の設計思想を確立し、それを東京都案としてセミオフィシャルな設計標準としていた。東京都の設計標準は、画一主義の打破を標榜し、多様な都市空間を地域の文脈から読み込み、微細な空間まで街区構成などから設計する意図があった。本論文が対象とした戦前から戦災復興期にかけて、街区設計として検討される項目の充実が充実し、区画整理事業の計画技術は戦前、震災復興、戦災復興と段階を経て発展展開した。街区設計において、検討される項目としては、以下の5項目が上げられる。1)事業区域の検討(単に被災した地区ということから、復興後のインパクトも含めた検討)、2)街区のサイズ(前提となる用途地域等の分類、望ましい建築敷地から街区規模の検討)、3街区の配列(街路計画(街路系統の思想)から決定から、より複雑(且つ意図的)な街区配列へ)4)土地利用について(前提となる用途条件の整理から、区画整理による土地利用誘導の検討、直接的に誘導できなくとも、それを想定した街区の規模、配列の決定)5)従前の都市環境の読み込み(都市施設計画への対応、地域特性から空間設計、土地利用に応じた空間設計や空間継承について) 1)~3)は主に戦前から繰り返し検討されてきたが、4)~5)は戦災復興期の特に東京で強く意識して設計されたことで、その特徴的な空間形成が行われたことがわかった。 最後に、戦前の計画技術の醸成と戦後高度成長期の都市拡張に対応する前の時代にあった戦災復興事業期の背景と特徴を持った技術水準について触れ、「何のための区画整理(都市計画)か」という観点から東京都の戦災復興に望んだ技師たちの総合力と空間構想力について論じた。区画整理事業は都市計画事業における土地の交換分合を用いた一手法であり、その限界を前提としつつ、これまでの都市計画史における都市基盤の空間評価が欠けていた視点を指摘し、今後のまちづくりを含めた都市基盤に対する空間計画の展望について論じた。東京の戦災復興区画整理の事例では、近代都市計画における空間の画一化と都市の多様性の保持を巡る相克問題から、最低限の標準化による画一化を越えて、都市の個別性を確保(何を残し、継承するかを検討)しようとした事例として捉えることができる。本研究は現代的な計画論的意義として、街区設計という観点から今も埋もれたままになった区画整理事業地区の空間形成の意図を読み解き、今後の空間利用も含めた空間計画の有効性とその方法論を提言した。 | |
審査要旨 | 本論文は、近代街区造成の大部分を担ってきた土地区画整理事業による空間形成の系譜を整理し、その中で戦災復興区画整理による、空間形成の実態と都市計画技術の到達点を明らかにすることを目的としている。特に、戦災復興事業区域の空間形成を、計画策定過程、計画思想としての設計標準、街区設計の実態を現況から明らかにし、その計画の全貌を明らかにすることを目的としている。 論文は研究の目的、構成を述べた序論である第1章につづいて、土地区画整理における空間形成の課題を論じた第1部と東京都における戦災復興土地区画整理事業の実相を明らかにする第2部、そして結論を述べる部分から成っている。 第1部はさらに、土地区画整理事業の史的展開を論じた第2章、戦災復興事業の全国展開を明らかにした第3章、戦災復興事業のこれまでの評価をまとめた第4章から成っている。第2部は、東京都の戦災復興事業の概要をまとめた第5章、その計画思想を分析した第6章、事業計画の分析をおこなった第7章、事業実態及び事業経過を分析した第8章から成っている。 第1部第2章では、土地区画整理における事業・制度の史的変遷を、空間形成技術という観点から概観し、街区設計に着目した空間形成の評価に繋がる課題を考察している。特に本論文の主対象である戦災復興土地区画整理事業の歴史的位置づけを明らかにし、その課題を整理している。 第3章では、戦災復興事業が、単一事業として全国展開した点に着目し、事業の特徴と課題を整理している。特に、中央から地方への情報伝達、技術者の交流等の視点から事業における施設計画や換地設計などの特徴を明らかにしている。 第4章では、戦災復興事業に関する従来の評価を、計画の理想と事業の実現、街路計画の実現、空間の画一化という3つの論点から整理し、戦災復興事業の空間評価方法の確立を試みている。 第2部第5章では、東京都戦災復興計画を整理し、他の計画との関係を考察している。 第6章では、戦災復興土地区画整理事業の計画段階として、当時の計画標準から空間形成方針の特徴を明らかにし、当時に、東京都が独自に検討していた設計標準を分析することによって、当時の東京都の街区設計の計画思想を解明している。 第7章では、新発見の土地区画整理事業の実際の計画書を詳細に分析することによって、具体的に当時の街区設計の計画実態を明らかにしている。 第8章では、実際の事業で実施された成果を具体的に明らかにして、街区造成の実態において、従前の空間やコンテクストの保持の努力や創出した空間構成上の工夫などの細部を詳細に明らかにしている。 全体のまとめにあたる第9章では、総合的な考察として、戦前から戦災復興期にかけて街区設計といわれる計画技術が生成し、一定の成果を上げてきたことに代表されるように際だった技術水準を持って達成されたこと、戦災復興事業は、その全国的な展開という特殊な事情が全国普及を促していったこと、しかしそうした空間形成に関してはこれまでまったく評価の視点が欠如していたことが結論として述べられている。 以上、本論文は、戦災復興土地区画整理事業の成果について、新発見の東京都資料を活用して、その実態を詳細に明らかにした上で、街区設計という新しい視点を導入することによって、その評価をおこなうことを明示しているというこれまでにない論点にたった独創性および有用性の高い優れた論文として高く評価することができる。 よって本論文は博士(工学)の学位申請論文として合格と認められる。 | |
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