学位論文要旨



No 128868
著者(漢字) 古舘,昌平
著者(英字)
著者(カナ) フルタチ,ショウヘイ
標題(和) 成体神経幹細胞の発生起源と制御機構
標題(洋)
報告番号 128868
報告番号 甲28868
学位授与日 2013.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7904号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 東原,和成
内容要旨 要旨を表示する

I 成体神経幹細胞の細胞周期制御とその意義

我々ヒトを含む哺乳類の脳には成体神経幹細胞が存在し、毎日数千個ものニューロンが生涯にわたって新生され続けていることが近年明らかになった。成体神経幹細胞による恒常的なニューロン新生は学習や記憶に貢献すると考えられている。大脳の脳室下帯と海馬歯状回に少数のみ存在する成体神経幹細胞は、ニューロンを産生する過程で一過的増殖細胞やニューロブラストへと分化して行き最終的には多数のニューロンを産生する。一過的増殖細胞やニューロブラストは盛んに増殖を繰り返すが、非常に興味深いことに、成体神経幹細胞自身は増殖能を保ちつつも稀にしか分裂しない、つまりquiescentである。それでは、成体神経幹細胞の細胞周期の進行はいかなるメカニズムで遅くなっているのだろうか?また、成体神経幹細胞の細胞周期の進行が遅いことの生理的意義は何なのだろうか?これらの点はこれまで明らかにされていなかったので、本研究で検討した。

まず、成体神経幹細胞の細胞周期を遅くするメカニズムについて検討した。その結果、細胞周期の進行を負に制御することが知られているCDK inhibitor p57が成体神経幹細胞で強く発現していることが示唆された。また、p57の成体神経幹細胞特異的なコンディショナルノックアウト を行なったところ、野生型マウスに比べてp57コンディショナルノックアウトマウスでは成体神経幹細胞の細胞分裂が早まることが示唆された。従って、p57は成体神経幹細胞の細胞周期の進行を遅くする責任因子であることが示唆された。そこで次に、p57コンディショナルノックアウトによって成体神経幹細胞のquiescenceを減じることで、成体神経幹細胞がquiescentであることの生理的意義は何かについて検討した。その結果、p57コンディショナルノックアウトマウスでは成体神経幹細胞の総数が増加していることが示唆された。従って、成体神経幹細胞がquiescentであることは、幹細胞数の制限に貢献していることが示唆された。

以上のように本研究の第I章では、p57は成体神経幹細胞の細胞周期を遅くする責任因子であることが示唆された。また、成体神経幹細胞の細胞周期の進行が非常に遅いことには、幹細胞の総数を制限するという意義があることが示唆された。

II 成体神経幹細胞の発生起源と制御機構

成体神経幹細胞は発生の過程でどのようにして作り出されるのだろうか?成体神経幹細胞は胎生期神経系前駆細胞の一部に由来することが報告されている。また、胎生期神経系前駆細胞は増殖期やニューロン分化期を経た後にグリア分化期を迎えるとニューロンを産生しなくなるが、成体神経幹細胞はニューロンを産生する。これまで胎生期神経系前駆細胞はある程度均一な細胞集団であると考えられており、グリア産生期を迎えて一度はニューロンを産生しなくなった神経系前駆細胞の一部が生後ランダムに選ばれて再び成体神経幹細胞としてニューロンを産生するようになる、という考え方が支配的であった。しかし本研究から、胎生期で既に成体神経幹細胞の起源となる細胞が選ばれている可能性が示唆された。成体神経幹細胞には、未分化性を長期間強固に維持しつつも稀にしか分裂しないという性質がある。一方で、胎生期神経系前駆細胞は、発生において短い期間に脳を構築するためにすばやく分裂する。そこで本研究では、胎生期大脳にslow-dividingな細胞群が存在するならば、その細胞群は成体神経幹細胞の胎生期における起源である可能性があるとの仮説をたて、検証した。その結果、胎生期の大脳にslow-dividingな細胞群が存在し、その少なくとも一部は成体神経幹細胞になることが示唆された。

それでは、成体神経幹細胞の発生期における起源はどのようにして作られるのだろうか? 本研究から、CDK inhibitor p57が成体神経幹細胞の細胞周期を遅くする責任因子であることが示唆された。そこでp57の胎生期大脳における発現を調べた所、胎生期のslow-dividing細胞で発現していることが分かった。胎生期においてp57を中枢神経系特異的にノックアウトしたところ、胎生期のslow-dividingな細胞が減少していた。従って、p57は胎生期のslow-dividingな細胞の分裂速度を遅くするのに必要であることが示唆された。そこで次に、胎生期のslow-dividingな細胞が作り出されるメカニズムについて検討した。その結果、非常に興味深いことに、未分化性維持シグナルとして知られているNotchシグナルはp57の発現を誘導し細胞周期を遅くすることと、p57の発現はNotchシグナルを活性化させ胎生期神経系前駆細胞の未分化性を維持することが示唆された。つまり、p57の発現とNotchシグナルがポジティブフィードバックを形成することが示唆された。従って、胎生期神経系前駆細胞の中で、何かをきっかけにしてこのフィードバックが回り始めた細胞では細胞周期が次第に遅くなるとともにNotchシグナルが亢進して行き、その結果として未分化性が強固に確立され、やがて成体の神経幹細胞になるという可能性が示唆された。

以上のように本研究から、胎生期の大脳にslow-dividingな細胞が存在し、その細胞は成体神経幹細胞の胎生期における起源である可能性があることが示唆された。また、成体神経幹細胞の胎生期における起源細胞において、その未分化性を強固に確立、維持するためにp57とNotchシグナルのポジティブフィードバックが貢献している可能性が示唆された。また、成体の幹細胞が発生の過程でslow-dividingになることには、DNA複製エラーを回避するだけではなく、未分化性の強固な確立に貢献するという意義があることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

申請者は本論文の第一章で成体神経幹細胞の細胞周期を制御する分子メカニズムは何かについて検討し、さらにそのメカニズムを遺伝的に阻害することで成体神経幹細胞の細胞周期が非常に遅いことの生理的意義は何かについて検討した。我々ヒトを含む哺乳類の脳には成体神経幹細胞が存在し、毎日数千個ものニューロンを生涯にわたって新生し続けている。成体神経幹細胞は増殖能を保ちつつも稀にしか分裂しない、つまりquiescentであることが知られているが、その細胞周期がいかなる分子メカニズムによって制御されているかは明らかにされていなかった。申請者はまず、細胞周期の進行を負に制御することが知られているCDK inhibitor p57が成体神経幹細胞で強く発現していることを見出した。さらに、野生型マウスに比べてp57コンディショナルノックアウトマウスでは成体神経幹細胞の細胞分裂が早まっていることを示唆する結果を示した。従って、p57は成体神経幹細胞の細胞周期の進行を遅くする責任因子であることが示唆された。申請者は次に、p57のコンディショナルノックアウトによって成体神経幹細胞のquiescenceを減じることで、成体神経幹細胞がquiescentであることの生理的意義は何かについて検討した。その結果、p57コンディショナルノックアウトマウスでは成体神経幹細胞の総数が増加していることが示唆された。従って、成体神経幹細胞がquiescentであることは、幹細胞数の制限に貢献していることが示唆された。

以上のように本研究の第一章では、p57が成体神経幹細胞の細胞周期を遅くする責任因子であることが示唆された。また、成体神経幹細胞の細胞周期の進行が非常に遅いことには、幹細胞の総数を制限するという意義があることが示唆された。

本論文の第二章で申請者は成体神経幹細胞が発生の過程でどのようにして作り出されるかについて検討した。胎生期神経系前駆細胞は増殖期やニューロン分化期を経た後にグリア分化期を迎えるとニューロンを産生しなくなる。一方で、成体神経幹細胞はニューロンを産生することができる。そこで、胎生期神経系前駆細胞と成体神経幹細胞がどのような関係にあるのかが疑問となる。これまで胎生期神経系前駆細胞はある程度均一な細胞集団であると考えられており、グリア産生期を迎えて一度はニューロンを産生しなくなった神経系前駆細胞の一部が生後ランダムに選ばれて再び成体神経幹細胞としてニューロンを産生するようになる、という考え方が支配的であった。しかし本研究で申請者は、胎生期で既に成体神経幹細胞の起源となる細胞が選ばれていることを支持する実験結果を示した。成体神経幹細胞には、未分化性を長期間強固に維持しつつも稀にしか分裂しないという性質がある。一方で、胎生期神経系前駆細胞は、発生において短い期間に脳を構築するためにすばやく分裂する。そこで申請者は、胎生期大脳にslow-dividingな細胞群が存在するならば、その細胞群は成体神経幹細胞の胎生期における起源である可能性があるとの仮説をたて、検証した。その結果、胎生期の大脳にslow-dividingな細胞群が存在し、その少なくとも一部は成体神経幹細胞になることが示唆された。つまり申請者は、胎生期で既に成体神経幹細胞の起源となる細胞が選ばれている可能性を示唆する結果を示した。

さらに申請者は、発生の過程で成体神経幹細胞が作り出される分子メカニズムについて検討した。まず、p57が胎生期のslow-dividingな細胞の分裂速度を遅くするのに必要であることが示唆された。さらに、未分化性維持シグナルとして知られているNotchシグナルはp57の発現を誘導し細胞周期を遅くすることと、p57の発現はNotchシグナルを活性化させ胎生期神経系前駆細胞の未分化性を維持することが示唆された。つまり、p57の発現とNotchシグナルがポジティブフィードバックを形成することが示唆された。従って本研究の第二章から、胎生期神経系前駆細胞の中で何かをきっかけにしてこのフィードバックが回り始めた細胞では細胞周期が次第に遅くなるとともにNotchシグナルが亢進して行き、その結果として未分化性が強固に確立され、やがて成体の神経幹細胞になるというモデルが示された。

本研究全体を総括としては、まず第一章から胎生期の大脳にslow-dividingな細胞が存在し、その細胞は成体神経幹細胞の胎生期における起源である可能性があることが示唆された。さらに第二章から、成体神経幹細胞の胎生期における起源細胞において、その未分化性を強固に確立、維持するためにp57とNotchシグナルのポジティブフィードバックが貢献している可能性が示唆された。これにより成体の幹細胞が発生の過程でslow-dividingになることには、DNA複製エラーを回避するだけではなく、未分化性の強固な確立に貢献するという意義があることが示唆された。

以上のように本研究から成体神経幹細胞の発生起源と制御機構に関する新たな知見が得られた。成体の幹細胞が発生の過程でいかにして作り出されるかを理解することは、幹細胞を用いた再生医療・組織工学分野の発展において非常に重要であるである。従って、本研究は生物学のみならず工学的な観点からも非常に重要で価値のあるものであるといえる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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