学位論文要旨



No 128871
著者(漢字) 緒方,啓史
著者(英字)
著者(カナ) オガタ,ケイジ
標題(和) 加齢による認知機能の特性変化を考慮したビルの中央監視システムの使いやすさの検討
標題(洋)
報告番号 128871
報告番号 甲28871
学位授与日 2013.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7907号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 特任教授 田中,敏明
 東京大学 教授 中邑,賢龍
 東京大学 准教授 巖淵,守
 東京大学 准教授 渡邊,克己
 東京大学 准教授 飯島,勝矢
内容要旨 要旨を表示する

本研究は,ビルの中央管理室(図1)で利用される中央監視システムのGUI(グラフィカル・ユーザ・インタフェース)を,高齢の作業者にとって使いやすい・分かりやすいようにデザインするために,加齢による認知機能の変化が,中央管理室における点検や警報対処といった作業にどのように影響するのかを調べた研究である.作動記憶,視覚的選択的注意,タスクスイッチングの3つの認知機能に注目し,各機能の低下により作業効率が低下する作業を特定した.特定された作業のパフォーマンスを向上させるため,対応する認知機能への負荷が軽減されるようにGUIを改良し効果を検証した結果,作業パフォーマンスの向上を確認した.

第1章では,序論として,本研究の背景,目的,および研究の方法論について述べた.先進諸国の少子高齢型の社会では,高齢者の就労により労働力を維持し,情報通信技術を用いて生産効率を高めることにより,持続的な成長を目指している中で,重要な課題として,情報通信技術を用いた機器(ICT機器)を,高齢者にも使いやすく改良することが求められている.そこで,本研究は,高度な情報化が進んでおり,かつ既に作業者の高齢化が著しい作業現場として,ビルの中央管理室に注目し,ここで利用される作業ツールである中央監視システムのGUI(グラフィカルユーザインタフェース)を,高齢の作業者にとって使いやすくデザインすることを目的とした.高齢者にとっての「使いやすさ」「分かりやすさ」を考えるために,本研究は,認知科学の方法論を採用し,加齢によってどの認知機能が低下すると,どのような作業に,どのような影響が見られるのかを,実験により観察した.

第2章では,先行研究として,高齢者のICT機器利用の実態,加齢による認知機能の特性変化,および認知機能とICT機器利用の関係についてそれぞれまとめた.その結果,年齢の増加とともにICT機器の利用パフォーマンスが,日常場面においても,就労場面においても低下し,その要因に認知機能の加齢による低下が影響を及ぼしていることが示された.さらに,第2章においては,就労する可能性のある比較的健常な高齢者の認知機能を測定する手段として,AIST-CAT(産総研式認知的加齢検査)と呼ばれるテスト・バッテリに着目し,これが本研究に適していることを説明した.

第3章では,高齢者を対象として,就労意欲,ICT機器のリテラシ,認知機能の3つの領域間の関係性を調べた実験について述べた.この実験では,約200名の60-80歳の高齢者を対象に質問紙調査を実施し,就労意欲やICTリテラシについて尋ね,また認知機能として作動記憶,視覚的選択的注意,タスクスイッチング,プランニングの4機能を測定した.これらの測定データを構造方程式モデリングによって分析した結果,認知機能が高い(維持されている)ほど,ICT機器の利用経験や知識量が多く, ICT機器を用いた仕事への就労意欲も高いことが明らかとなった.この結果から,高齢者にとって使いやすい・分かりやすいICT機器をデザインすることにより,単に高齢者のICTリテラシが向上するのみならず,ICT機器を用いた就労にも少なからずよい影響があると考察した.

第4章では,ビルの中央管理室における作業に焦点を絞り,加齢による認知機能が作業パフォーマンスにどのような影響を与えるのかを調べた実験について述べた.ビルの中央管理室における業務には大きく分けて点検,および警報処理という2種類の典型的な作業タスクが存在する.それぞれが加齢による認知機能(作動記憶,視覚的注意,タスクスイッチング)の低下によりどのような影響を受けるかを明らかにするため,一落ち群法と名づけた実験方法を採用した.まず,実験前にスクリーニングを行い,作動記憶,視覚的注意機能,タスクスイッチング機能のそれぞれについて一落ち群を抽出する.一落ち群とは,対象となる認知機能のみが低下し,その他の機能は健常(維持されている)参加者グループである.各一落ち群の作業パフォーマンスを観察することにより,「どの認知機能が低下した場合に,どのような作業タスクが実施し難くなるか」という,認知機能と作業タスクの対応関係を明らかにすることができる.結果として,加齢による作動記憶の低下は,数値の記憶や比較を伴う点検作業のパフォーマンスを低下させることが明らかとなった.特に,予約状況や警報状況のような,二重課題条件下では,その傾向は強まる.この問題を改善するためには,数値比較に際して,作動記憶に数値情報を保持する時間を短縮するために,2つの数値間の(時間的)距離を短縮する工夫をすることが挙げられる.また,加齢による注意機能の低下は,画面の端にボタンやメッセージが出現するといった画面上の変化に気づくのを困難にすること,二重課題条件下において画面上の10個程度の候補からあるひとつのターゲット情報を探索するのを困難にすることが明らかとなった.この問題を改善するために,注意機能への負荷が高まらないように,画面上の変化や探索ターゲットが視覚的に際立つ工夫をすることが挙げられる.加齢によるタスクスイッチング機能の低下は,点検と警報対処のような二つの作業タスクが切り替わる状況において,何も指示がない場合に自発的に新しい目標を設定して操作を開始するのを困難にすることが分かった.この問題を改善するために,タスクスイッチング機能への負荷を高めないように,タスクが切り替わる状況に適切なキューを出す工夫をすることが挙げられる.ただし,この場合,キューは単に参加者に次の操作を指示するだけではなく,タスクが切り替わって,操作の目的が変わったことを理解させるものでなくてはならない.

これらの結果を踏まえて,情報量の多い画面を使いやすくするための具体的なGUIデザインとしてAdaptive Navigation Support という技術を応用した「ガイド提示機能」を提案し,中央監視システムのGUIにAdaptive Navigation Supportを模したガイド表示機能を実装し,高齢者ユーザのパフォーマンスが向上することを検証する実験を行った.その結果,ガイド提示機能がある場合は,ない場合と比較して,高齢作業者による作業の中でも,数値比較を伴う点検の作業効率が向上することが明らかとなった.一方,ガイド提示機能が存在する作業条件において,Adaptive Navigation Supportの予測不可能な操作場面では,ガイドが提示されない可能性がある.このような場面では,ガイド提示機能がはじめからない条件と比較して,逆に作業効率が低下する現象が観察された.以上の結果を踏まえ,高齢の作業者にとっての支援デザインについて考察した.

また,第4章では,補足として,Adaptive Navigation Supportを利用した支援技術の提案に関連して,探索作業を支援するために視覚的なキューを用いたときの,キューの効果について調べた実験にも言及した.この実験では,主に視覚的選択的注意に焦点をあわせ,リンク・ボタンやメッセージ・ラベルといったGUI上の複数の候補から,ひとつのターゲットを見つけ出す探索において,視覚的キューがない場合,正しいターゲット位置を示す一致キューがある場合,ターゲット以外の位置を示す不一致キューがある場合の3つの条件について,それぞれの探索効率を測定した.その結果,一致キューによる効率の向上(ベネフィット)は,不一致キューによる効率の低下(コスト)より大きいことが分かり,視覚的なキューによる操作ガイドが有効であるとの示唆が得られた.

第5章では,第4章で得たような認知機能と作業タスクの関係性の知見を,産業における製品開発に応用する可能性について論述した.特に,現状では工程管理が難しい人間中心設計のプロセスに,本研究で得られた知見を応用した評価手法やガイドラインを導入することで,プロセスの効率化が図れることについて述べた.また,有形の工業製品のみならず,無形のサービスをデザインする際にも,顧客ユーザの立場にたって使いやすさや分かりやすさを評価する認知科学の手法が有用であることを,緊急通報システムを例に説明した.

第6章では,全実験を通じて得られた結果の概要をまとめた.さらに,今後の課題を整理し,ビルの中央監視システムにおける高齢者の作業タスク支援技術について将来の研究への展望を述べた.

図1 ビルの中央管理室の概観

審査要旨 要旨を表示する

先進諸国の少子高齢型の社会では、高齢者の就労により労働力を維持し、情報通信技術を用いて生産効率を高めることにより、持続的な成長を目指していくことが重要な戦略となる。その上で重要な課題として、情報通信技術を用いた機器(ICT機器)を高齢者にも使いやすく改良することが求められている。本研究は、ビルの中央管理室で利用される中央監視システムのGUI(グラフィカルユーザインタフェース)を、高齢の作業者にとって使いやすくデザインするために、加齢による認知機能の変化が監視作業にどのように影響するのかを調べた研究である。学術的には、作業タスクに影響する高齢者の認知機能を明らかにし、監視システムにおける作業効率を向上させる支援技術について検討を行ったものである。

第一章では、少子高齢型の社会において、若年者ばかりではなく高齢者もICT機器を利用した労働に従事していくという予測を述べた。さらに、既にこの予想が実現しているビルの中央管理室という職場を紹介し、この職場において「高齢者にとっての使いやすさ/分かりやすさ」という時代を先取りした課題が顕在化していることを述べた。また、この課題を科学的に解決する手段として、認知科学の方法論を述べた。

第二章では、先行研究として、高齢者のICT機器利用の実態、加齢による認知機能の特性変化、および認知機能とICT機器利用の関係についてそれぞれまとめた。さらに、様々な認知機能が加齢によって低下する中で、特定の認知機能の低下が、ICT機器を利用する上で影響するのか明らかにする手段について概説した。

第三章では、高齢者を対象として、就労意欲、ICT機器のリテラシ、認知機能の3つの領域間の関係性を調べた。方法として、約200名の60-80歳の高齢者を対象に質問紙調査を実施し、就労意欲やICTリテラシについて尋ね、また認知機能を測定した。結果としては、認知機能がICT機器の利用経験や知識量に関係し、最終的にはICT機器を用いた仕事への就労意欲に影響することが明らかになった。結果から、認知機能の中でもタスクスイッチング機能は、作動記憶機能や視覚的注意機能よりも高次の機能であるがゆえに、ICT機器の利用のような複雑なタスクにおいては影響が大であると考えた。

第四章では、ビルの中央管理室という職場環境について詳細に紹介し、ここでの作業が加齢による認知機能(作動記憶、視覚的注意、タスクスイッチング)の低下により、どのような影響を受けるかを明らかにすることを目的とした。方法は、実験前にスクリーニングを行い、作動記憶、視覚的注意機能、タスクスイッチング機能のそれぞれについて一落ち群を抽出した。一落ち群とは、対象となる認知機能のみが低下し、その他の機能は健常(維持されている)参加者グループである。各一落ち群の作業パフォーマンスを観察することにより、「どの認知機能が低下した場合に、どのような作業タスクが実施し難くなるか」という、認知機能と作業タスクの対応関係を明らかにすることができる。結果として、点検タスクは作動記憶機能の低下に影響を受け、警報処理のような差し込みタスクはタスクスイッチング機能の低下に影響を受けることが分かった。また、新たに出現するボタンや操作指示等に対応するような状況は、視覚的注意機能の低下に影響を受けることがわかった。これらの結果を踏まえて、情報量の多い画面を使いやすくするための具体的なGUIデザインとしてadaptive navigation support という技術を応用した「予測キューの提示機能」を提案した。さらに、中央監視システムのGUIに予測キューを提示した際、高齢者ユーザのパフォーマンスが向上することを検証した。結果として、adaptive navigation support による予測キューが、特に高齢作業者による点検時の作業パフォーマンスを向上させることが明らかとなった。

第五章では、第四章での認知機能と作業タスクの関係性の結果から、産業における製品開発に関する可能性、応用例に関して論述した。具体的には、人間中心設計のプロセスにおける評価ガイドラインへの利用、サービス運営をデザインする際への応用について考察した。

第六章では、結果の概要をまとめ、全実験を通じて得られた結果から、本研究で用いたビルの中央監視システムにおける高齢者の作業タスク支援技術の効果検証、本研究の意義、将来の研究への展望を述べている。

本論文は、中央監視システムを高齢作業者にとって使いやすくデザインするために、加齢による認知機能が監視作業へ与える影響を分析し、その支援方法を検討した人間工学に関する研究である。特に監視システムにおける作業タスクに影響する高齢者の認知機能の特性を明らかにした学術的意義は大きい。また、高齢者の作業効率を向上させるための新しい支援技術を提言し、今後、他の監視システムへの貢献も期待できる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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