学位論文要旨



No 128880
著者(漢字) 原田,満里子
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,マリコ
標題(和) 障害者のきょうだいを生きる : ライフストーリーの語り合いからみえるもの
標題(洋)
報告番号 128880
報告番号 甲28880
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第208号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 能智,正博
 東京大学 教授 下山,晴彦
 東京大学 講師 石丸,径一郎
 東京大学 教授 川本,隆史
 東京大学 講師 星加,良司
内容要旨 要旨を表示する

障害者のきょうだい(以下,きょうだい)は,研究対象としても,支援の対象という側面においても障害者家族の中で見過ごされがちな存在であった。しかしながら,きょうだい関係は,親亡き後でも続く,一生涯にわたる関係であることが多い。また,近年の医療の高度化により障害者の長寿化や高齢化も進んでいる。それでも依然として障害者の入所施設は不足しており,きょうだいが障害者とつきあう時間もますます増えている。このような現状のもとで,きょうだいは何に苦労しつつ,何を支えに,どのように障害者が身近にいる自分の人生を生きているのだろうか。本論は,きょうだいを生きるとはどのようなことなのかを明らかにすることを第1の目的としている。これを理解することは,ストレスが多いとされるきょうだいを支えるための基礎になるばかりではなく,障害者本人の支援のあり方を考える上でも社会的に重要なことである。

本論の第2の目的は,きょうだい同士が語り合うなかで何がもたらされるのか,そのプロセスや関係性の変容を捉えていくことである。きょうだいの経験は,他のあらゆる経験と同様,他者との相互作用のなかで自覚され明確化されると同時に構築される側面もある。その特徴を意識的に活用するために,協力者と研究者の相互作用を生かした対話的なインタビューを行なった。その対話的なインタビューの効果や意義をここで検討することは,今後質的研究の方法を発展させ,また臨床実践に取り組む上で重要な示唆を得ることができるだろう。

第1章では,きょうだいに関連する先行研究を概観した上で,それらに伴う問題点を提起し,本論全体の目的を示した。障害者家族に関連する研究では,その大半が母親を対象としているものである。きょうだいを対象とした比較的少ない研究は数量的な研究が大半であり,そこにはきょうだいの生のありよう,つまり心の機微や日常というものが表されてはおらず,表層的な理解に留まっている感が否めない。きょうだいの現状を自分たちの社会における共通の問題として理解し,支援につなげていくためには,きょうだいの人生やそれに付随する心境のありようを丁寧に記述し考察する必要がある。そこで,本論ではライフストーリーに基づいてきょうだいの生を捉えていくことを試みた。本論で示すライフストーリーは,過去・現在・未来といった時間軸を含み,過去や現在の人生を物語ることによる意味づけや将来の人生の方向づけといった幅広い意味を指す。

ライフストーリーの語りとは,語り手と聴き手の対話的関係や相互作用によって共同生成されるものである。ライフストーリーをもとにした質的研究によるきょうだい研究はいくつかなされているが,そこでは調査協力者を「回答の容器」とみなす従来のインタビュー観に基づくものばかりであり,語りの共同構築性が欠如している。本論では,きょうだいのライフストーリーの語りと共にいる筆者のありようも提示することで,いかにしてその語りが構築されたという点も検討する。

第2章では,こうしたアイデアや方法論に基づく「研究」がいかに実証研究たりうるか,その論証を試み,その後実際にどのような方法論で研究がなされたかを示した。具体的には,以下の3つの命題について,理論的な検討を行なった。(1)質的研究は実証研究である。(2)研究者の主観をデータにした「研究」は実証研究でありうる。(3)対話で得られたデータに基づく「研究」は実証研究でありうる。(2)については,第3章で実施した「対話的な自己エスノグラフィ」という方法についての検討である。従来は研究者自身が自己の経験を記述するという方法を採る自己エスノグラフィに,データ収集・分析の方法として対話を用いる工夫を加味した方法である。(3)については,第4章で用いた「語り合い」という,従来の一方向的なインタビュー調査とは異なる対話的なインタビューについての検討である。このような検討を重ねることで,質的研究における対話の可能性を明らかにした。

第3章では,きょうだいのライフストーリー研究の出発点として筆者のきょうだいとしての経験を基にした対話的な自己エスノグラフィによる研究を行なった。そこでは,筆者自身のきょうだいとしてのライフストーリーを,主に障害をもつ妹との関係から捉えていった。筆者の時系列的なライフストーリーとともに,社会の見え方や,妹との関係の変遷も描かれ,最終的に妹の〈主体性〉を筆者が見出していくプロセスを提示した。その結果,社会で生きるきょうだいのありようとして,多重の葛藤のなかでの生といった側面が明らかになった。第1に,きょうだいは,障害のある兄弟姉妹に対して相反する2種の価値観の狭間で生きているということである。これは,障害者が存在するだけで価値があるという捉え方と,障害者には健常者に備わっているものが欠けているというステレオタイプ的な見方の双方をきょうだいが抱えながら生きているということである。第2には,きょうだい自身の「自立」への願望と家族へのつながりの意識の間に葛藤が見られるということである。ここでは,青年期の発達課題を基にした社会的な言説を基にした考えと,それへの抵抗が表されていた。すなわち,家族から離れて独立し,個人として生きていこうとする意志と,障害者や他の家族メンバーとの結びつきを持ちながら共に生きていきたいという気持ちの間で迷いながら生きているということである。このような結果はすでに存在したというよりも,聴き手との対話の中で生成され精緻化されたものであるため,そのストーリーが生成されたプロセスを振り返ることで,語りと身体表現の関係性についても考察を行なった。

第4章・第5章では,筆者と他のきょうだいによるライフストーリーの語り合いをもとに,きょうだいを生きるとはどのようなことかを探究し,きょうだいの経験の多様性と共通性を具体的に提示した。まず第4章は,協力者一人ひとりの語りを基礎にした事例研究である。協力者は2人であり,それぞれと筆者との間で継続的な語り合いを行ない,きょうだいとしての経験の特徴に焦点を当てたライフストーリーを描きだした。そこからは,きょうだいを生きることに内在する共通の特徴として,「二重のライフストーリー」を生きるという「本質」が仮説的に浮かび上がった。きょうだいは,自己が「主体的に生きる」ことに加えて,障害のある兄弟姉妹の今後や生き方を本人と分け合うような形で自分自身の生の一部のように気遣わざるをえないような生き方をしているということである。きょうだいは自立という青年期の課題と,この二重のライフストーリーを生きることへの葛藤を少なからず抱えながら生きているのである。

第5章では,第4章で提出された「二重のライフストーリー」という仮説を検証ないし精緻化することを目的とし,特徴の異なる2人のきょうだいを協力者とした語り合いを実施した。この仮説は2人にも適用可能であると判断され,当該仮説のさらなる特徴を検討したところ,新たに2つの側面を加えることができた。第1には,「二重のライフストーリー」が生きられる際には,結びつきが強いとされる親子関係よりも,兄弟関係のほうが強く考慮される場合もある。第2には,「二重のライフストーリー」は,原家族ではない,夫婦関係といった新たな家族との間のライフストーリーが生成される場合,対立する概念となる可能性があるということである。

第4・5章では語り合いによってあらわになるライフストーリーがいくぶん静的に扱われたため,第6章ではより「動的な知」の構築の側面に焦点を当て,語り合いを重ねていくことによる協力者と筆者の関係の変化や,語り合いがもたらす影響について考察した。すわなち,ここでは,きょうだい同士の声による相互作用にはどのような構造が見られるのか,その変化を探るためにライフストーリーのプロセスにおける変化が描き出される。その構造の変化の特徴として抽出されたのは,ライフストーリーの「共有」と「交差」という概念である。ライフストーリーの「共有」とは,相手のライフストーリーを自分の中に取り入れ,納得したり,自らの参照枠にしたりすることで,類似する経験の分かち合いも含まれる。ライフストーリーの「交差」とは,相手との共通点がなかなか見いだせず,ズレが生じたりすることで相手とのつながりにくさを感じるところに表れ,ただ互いのライフストーリーを提示するだけの状態を指す概念である。きょうだい同士の語り合いにおいては,この2つの状態を行き来しながらも,語り合うこと自体に意義が見出されうるものであることが明らかになった。

総合考察である第7章では,これまでの本研究の知見をまとめ,方法論的な示唆,臨床心理学的な意義,そして本論全体の意義と今後の課題について論述した。本研究の意義は,第1に,これまで詳細が語られてこなかったきょうだいの〈生きるかたち〉をライフストーリーの語り合いによって明らかにし,きょうだいの心情や葛藤を提示できた点が挙げられる。第2に,きょうだいの経験の共通点をライフストーリーの語り合いにおける,多少のズレも含んでいる複数の声から合意されたものとして明らかにした点である。第3に,対話的な自己エスノグラフィという,新たな質的研究の方法を提案し,その意義を提示したことである。今後の課題としては,第1に日本社会における文脈の中でのきょうだいのありよう,具体的には法律や制度の変化によるきょうだいへの影響を検討することが挙げられる。第2に,青年期以降のきょうだいに向けた支援の具体的なあり方を検討することが考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

近年ケアの社会化が叫ばれるなかで障害者の家族への支援もまた注目されつつある。障害者の長寿化や高齢化が進んでいる現代、親亡きあとも頼りにされることが多いのがきょうだいなのだが、その意識のありようやや支援の方法の検討はあまり進んでいない。こうした背景のもと、本論文は、「障害者のきょうだいを生きるとはどのようなことなのか」という問いから出発し、少数事例の語りの詳細な質的分析を通じて障害者のきょうだいがもつライフストーリー(人生の物語)の共通特徴と個人差を理解し、きょうだい支援につなげる知見を得ることを試みたものである。

本論は7章構成で展開される。第1章では、障害者の家族の体験と支援に関する先行研究が概観され、きょうだいに注目することの必要性とライフストーリーという視点を用いることの意義が論じられた。第2章では、研究方法として活用および工夫された「対話的自己エスノグラフィ」と「相互作用的インタビュー」の理論的基盤とその手続きが示された。第3章では、きょうだいでもある筆者自身を対象に、対話者を設定して自己対象化を促進する新たな自己エスノグラフィの試みが報告され、そのなかで筆者は、障害のある妹の「主体性」の獲得というストーリーを構成したが、同時にそのストーリーに十分納得していない矛盾する自己も抽出した。第4章では、筆者と他のきょうだいによる継続的な語り合いを資料とした分析が行われ、2名の協力者との間で浮かび上がってきたストーリーが記述された。次いで第3章と併せて、きょうだいは青年期的な自立のストーリーに加え、障害をもつ同胞を気遣うもう1つのストーリーを併走させていること、すなわち「二重のライフストーリーを生きている」との仮説が生成された。第5章では、この仮説を精緻化するために別の2人のきょうだいとの対話が行われ、障害種や家族状況等の条件のもとで変化する「二重のライフストーリー」のバリエーションが示された。さらに第6章では、こうした語り合いを通じてライフストーリーが明確化してくる過程に目を向け、相互作用の類型をライフストーリーの「共有」と「交差」の2つに概念化した。最後に第7章では、本研究が障害者きょうだいの支援に対してもつ意義や質的研究の方法論としての意義をまとめ、その上で今後の課題について議論が行われた。

本論は、少数事例を対話過程に巻き込む形でのデータ収集を進めることで、質問紙や1回限りの面接では見えにくい障害者きょうだいの体験過程にアプローチし、今後の研究に資する仮説の生成に成功している。従来のライフストーリー研究が、ともすれば個人の内部にある物語を捉えようとしていたのに対し、「二重のライフストーリー」はライフストーリーが本来他者のそれとの重ね合わせを含むことを示唆している点でも評価できる。また、語り合いのプロセスはピア・カウンセリングの過程とも共通する部分をもち、今後の臨床心理学的実践の参考資料にもなりうる。加えて、相互作用性を重視した研究方法論上の工夫は、心理学における質的研究の可能性を広げるものと考えられる。以上の点で、本論文は博士(教育学)の学位の水準に達しているものと評価された。

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