学位論文要旨



No 128881
著者(漢字) カルラ,リッチ
著者(英字) Carla,Ricci
著者(カナ) カルラ,リッチ
標題(和) 日本とイタリアの「引きこもり」に関する比較研究
標題(洋) A Comparative Research About the Phenomenon of Hikikomori Born in Japan and Now Also Present in Italy
報告番号 128881
報告番号 甲28881
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第209号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 下山,晴彦
 東京大学 教授 能智,正博
 東京大学 講師 石丸,径一郎
 東京大学 教授 白石,さや
 東京大学 教授 牧野,篤
内容要旨 要旨を表示する

序章において、次のことを論じた。日本に特徴的な現象と思われていた「引きこもり」は、日本だけではなくヨーロッパにおいても現実な問題になりつつある。2008年にイタリアでの「引きこもり」の最初のケースが確認されている。このような「引きこもり」の現象の広がり、そして私の出身国であるイタリアでの「引きこもり」の存在は、本研究のテーマである「引きこもり」に関する比較研究の重要な引き金となった。

日本とイタリアの文化的、社会的、歴史的な特徴は大きい違いがある。それにもかかわらず「引きこもり」の比較研究によって、多くの共通性が見出されてきている。主な共通点は、家族の危機的な状態である。様々な理由から家族の危機は生じるのであるが、その中でも親が自己矛盾や不安を抱えている場合には、それは子どもの精神形成に強い影響を与える。本論文では、家族の危機が「引きこもり」の形成にどのような影響を与えているのかを、フィールドワークと、ナラティヴ分析に基づく事例研究法を用いて具体的に検討することを目的とする。

第1章では、日本の「引きこもり」の現象の特徴と、それと関連する社会文化的背景を検討した。「引きこもり」に関連する社会的文化的背景については、土居 健郎の著作である「甘えの構造」で示されている価値観を参考にして考察を行った。現在の日本社会は、非常に厳しい競争社会である。そのような競争社会において、「甘えの構造」で示された価値観をもって社会生活を送ろうとした場合、精神的な苦しみが生じることになる。「甘え」の価値観が「引きこもり」の形成に重要な影響を与える要因になっているというのが、本章で見出された仮説である。「甘え」が過ぎることによって、母親と子どもとの関係が依存的でアンバランスなものになる。多くの「引きこもり」の事例において、このようなアンバランスな、甘えた母子関係がみられる。たとえば、母親との、依存的で甘えた関係は、子どもの性格の弱さとなって対人関係の問題として顕れる。具体的には、学校で他者と適切なコミュニケーションをとることを難しくし、人間関係における孤立を引き起こす。

日本とイタリアの「引きこもり」の事例を比較したところ、日本と同様な母子の依存関係がみられた。その点で依存に関連するアンバランスな親子関係が「引きこもり」の現象の要点になっていることが明らかとなった。イタリアの「引きこもり」の家族においても、母子関係への執着と、依存感情が生じていた。それは、父親の在り方にも影響を与え、家族全体のバランスが悪くなり、それが「引きこもり」として生じている点では、日本の「引きこもり」でもイタリアの「引きこもり」でも共通した特徴であった。

第2章で、イタリアの「引きこもり」の現象の発見とその後の経過について、イタリアの臨床現場においてフィールドワークを行い、そこで得られた情報に基づき、事例研究と考察を行った。2009年にイタリアにおける最初の「引きこもり」のケースが確認されたが、同じ年に私は、日本の引きこもりに関する書籍をイタリア語で出版した。それと軌を一にしてイタリアの新聞において「引きこもり」の現象が記事として取り上げられた。それを契機として子どもの引きこもりを心配する多くの親が相談センターに心理支援専門職のアドバイスを求めて連絡をすることが生じた。相談センターのセラピストと心理学者と「引きこもり」に関する研究会を持つことになった。そこで、イタリアの「引きこもり」と日本の「引きこもり」の比較検討を行い、その結果、両者の異同が明らかになった。

両国の「引きこもり」に共通した特性として以下の4点が明らかとなった。

(1) 六ヶ月以上の「引きこもり」の状態、(2) 学校に対して恐怖を感じた経験があること、

(3)インターネットの依存(ただし、日本の「引きこもり」の事例に関しては、すべてにインターネット依存があるとはいえない)、(4)昼夜逆転の生活リズム、

また、イタリアではみられないが、日本の「引きこもり」に特徴的にみられた特性として、次の2点が確認された。

(1) 「恥」の感情、(2) 母親への暴力。

日本の「引きこもり」と同様に、イタリアにおいても最も有効な介入方法は、「家庭における支援」である。イタリアのセラピストの経験によると、「家庭における支援」は、実行が難しいものであるが、そのほかの心理療法と比較して「引きこもり」に適した方法であることは確かであるとのことである。なぜならば、「家庭での支援」をした場合、「引きこもり」の人とほとんど自己表現をしないものであるが、セラピストは彼らの部屋で確認できる象徴的な表現によって「引きこもり」の心を理解でき、そして家庭環境を知る事が出来るからである。この点については、2人の心理学者の興味深い経験に関しての事例研究を行った。

さらに、イタリア各地におけるフィールドワークによって、地域によって「引きこもり」の方法が異なることも明らかとなった。イタリアは、北、中央、南の三つの部分に分けることが出来る。それぞれの地域は環境が大きく違う特徴がある。たとえば、、北のイタリアよりも南のイタリアは経済的にも、社会的にも貧しい地域である、北より南の「引きこもり」の状態は退廃的である。「引きこもり」の原因も北部地域と南部地域では相違がある。詳しくこの状態を説明するために、北のイタリアの「引きこもり」のケースと南のイタリアの「引きこもり」の事例研究を行った。なお、全てのケースで共通していることは家庭内に問題を抱えていることである。

第3章では、社会的文化的背景を含めて日本とイタリアの「引きこもり」の特徴の異同に関してさらに考察を深めることを目的とした。最初に日本とイタリアの間の共通点と相違点について検討したうえで、次にその比較を媒介として、「引きこもり」が出現した背景となっているイタリアの文化的歴史的な要因及びや現在の社会状況背景を分析した。第3章では、社会的文化的背景を含めて日本とイタリアの「引きこもり」の異同に関してさらに考察を深めることを目的とした。最初に日本とイタリアの共通点と相違点に関して検討し、確認したうえで、次にその比較を媒介として「引きこもり」が出現する背景となっているイタリアの文化的歴史的な要因及び現在の社会状況を分析した。事例研究により、イタリアの「引きこもり」においては、日本の「引きこもり」とは異なり、自己に対しての恥の感情や罪悪感を抱くことなく、逆に社会に対する反発心のような感情が関連していることを示した。その反発心は、国家主義や集団的価値観になじめない態度にも通じるものである。このような態度は、イタリアの文化的歴史的な背景と密接に結び付いたものであることを明らかにした。この点が、「引きこもり」に関して、社会的文化的背景を含めたイタリアと日本の相違点である。逆にイタリアと日本の共通の問題としてみられたのは、母親と子どものアンバランスな関係である。この点については、事例研究で詳しく分析し、確認した。なお、この点と関連して、最近両国で共通したみられるものとして、「レンタルお姉さん」という「引きこもり」のための支援の方法があることである。これは日本で始まった活動であるが、現在ではイタリアでもおこなわれている。ただし、イタリアでは、この「お姉さん」は若い心理士が務めているのに対して日本では、専門家ではない普通の女性が行っている。もう一つの共通する特徴として、イタリアの「引きこもり」の事例の80%は、現在の日本文化に強い関心をもっていることである。特に、日本の「引きこもり」の大多数がそうであるように、イタリアの「引きこもり」事例においても日本の漫画への強い関心がみられる。この関心は、執着に近いものとなっており、漫画依存のような状態になっている。このような依存状態については、事例研究において具体的に記述し、そのメカニズムを分析した。

第4章の目的は、「引きこもり」の成因に関する理論的考察することである。特に他者の感情が「引きこもり」にどのような心理的な影響を与えるのかというテーマに関して脳科学の知見と心理学理論を参考として、人間が他者の感情に影響される仕方ついて検討した。「引きこもり」に関連する感情の影響のあり方として、他者の感情を取り込み、無意識的にその他者の感情を、無意識的に"模倣する"という現象がみられた。不安定な環境に置かれた人間は、他者の苦悩、緊張、不安などの否定的な感情を取り込み、真似てしまう。「引きこもり」の事例においては、このような無意識の取り込みが明確に家庭内においてみられた。矛盾、葛藤、不満の感情を内包する親は、子どもに表面的な関心しか示していない。そのため、子どもは、そのような表面的感情と対人関係の在り方を取り込んでしまう。その結果として、社会的環境に対応できなくなり、「引きこもり」に向かうことになるとの仮説を生成した。この点については、事例研究を通して考察をした。

「引きこもり」をどのようにみるかについては、日本の専門家の間では様々な意見がみられる。しかし、日本とイタリアの専門家のいずれも、「引きこもり」の現象は、精神疾患(病気)ではなく、心理的な問題とみなしている。したがって、社会や家族はその形成に深く関わっているといえる。ただし、社会環境を変化させることは困難である。変化、改善の可能性があるのは家庭環境である。その点で家族が変化することが、「引きこもり」からの回復に大きく寄与するものといえる。

終章では、次のことを結論として示唆した。本論文における事例研究と、社会文化的考察から導き出された結論は、家族の影響の強さであり、それゆえに家族の変化が引きこもりの問題解決につながるだろうというものである。また、日本とイタリアの「引きこもり」の現象の比較研究を通して、それが、ひとつの社会的問題となっていることも明らかにした。特に先進国にみられる消費文化や情報社会の在り方が、ますます「引きこもり」を発生させ、維持させる環境を提供していること伺われた。今後「引きこもり」の現象は形を変えて消費文化を謳歌する先進国の多くで社会問題となってゆくことが本論文の結果として推測される。

審査要旨 要旨を表示する

引きこもりは日本特有の現象とみなされていたが、近年ではイタリアをはじめとして諸外国でもみられると報告されている。そこで本論文では、日本とイタリアの引きこもりについて比較文化的観点からその特徴を明らかにすることを目的とした。論文は、研究法にについて説明する序章、日本の引きこもりの特徴を論じる第1章、イタリアの引きこもりとその社会的背景を論じる第2章、両国の引きこもりを比較し、その文化的要因を論じる第3章、形成要因として模倣を検討する第4章、研究結果を総括する終章から構成される。

序章では、量的な調査が困難というだけでなく、それが社会文化的現象であるとの理由から、文化人類学的研究法、特にフィールドワークとナラティヴ分析に基づく事例研究法を採用することが説明された。第1章では、日本の引きこもり及び関連する家族研究のレビューを通して、母親の過保護が重要な要因になっていること、その背景には強固な母子(特に息子)関係と父親の不在という、家族特徴がみられることを示した。また、事例研究により、上記の家族関係が実際にどのような様相を呈しているのかを具体的に示した。

第2章では、イタリアの引きこもりについて、相談機関でのフィールドワークと事例研究を行い、その特徴と社会文化的背景を検討した。イタリアでは2009年に最初の引きこもり事例が報告された後、多くの親が子どもの引きこもりを心配し、相談を求めるようになった。相談担当の心理支援職への面接調査から、イタリアと日本の引きこもりの共通点として"6ヶ月以上の引きこもり、学校に対する恐怖経験、インターネット依存、昼夜逆転"、逆に日本にあってイタリアに無いこととして"恥感情、母親への暴力の存在"を指摘した。また、両国共通に有効な支援法として相談員が家庭に出向く支援が行われていることも明らかにした。第3章では、日本とイタリアの引きこもりの共通点について、社会的背景を中心に検討した。いずれにおいても過保護と母子相互依存がみられることを確認した。引きこもりの成立と維持には、物理的欲求を刺激する現代消費社会からの影響及びネットあるいはコンピュータ依存がみられることを示した。多くの事例で日本の漫画やアニメに依存ともいえる強い関心がみられ、それが維持要因になっていることも明らかにした。

第4章では、引きこもりの心理的要因として家族間の葛藤感情に無意識的に共感し、模倣して取り込むメカニズムがみられることを事例研究により検討した。終章では、引きこもりの問題は、現代の消費社会における家族のあり方とも強く関連しており、日本社会だけでなく、今後多くの先進国において生じうる現象であることを示唆して結論とした。

本論文は、丹念なフィールドワークに基づき、心理文化社会的観点から日本とイタリアの引きこもりについて比較研究を行い、日本特有と思われていた引きこもりが地域を超えて共通した特徴をもつ現象であるとともに、その成立において現代の消費社会や情報社会の問題を普遍的に示す特性を含むものであることを具体的に示したことに特に意義が認められる。よって本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいものと判断された。

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