学位論文要旨



No 128890
著者(漢字) 藤倉,哲郎
著者(英字)
著者(カナ) フジクラ,テツロウ
標題(和) 現代ベトナムにおける労使関係の二重性 : 労働組合運動と労働集約型外資企業の労使関係
標題(洋) A Duality of Industrial Relations in Contemporary Vietnam : The Labor Union Movement and Industrial Relations in Foreign-owned Enterprises of Labor-intensive Industry.
報告番号 128890
報告番号 甲28890
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1201号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,元夫
 東京大学 教授 中西,徹
 東京大学 教授 佐藤,俊樹
 東京大学 准教授 岩月,純一
 一橋大学 教授 浅見,靖仁
内容要旨 要旨を表示する

ドイモイ以降のベトナムの市場経済化は雇用労働部門に大きな影響を与えた。ドイモイ以前、行政的に労働力を配置する雇用制度によって雇用労働部門は統制されており、雇用労働は国有企業と官公部門にほぼ限定されていた。ドイモイ後の雇用制度改革により、労働契約制が導入され民間雇用が解禁されると、労働力の商品化が進んだ。雇用労働部門は急速に拡大した。資本主義的性格を帯びざるをえないその後のベトナムの高度経済成長のもとで、労使の矛盾は、資本主義経済の国と同様なかたちで出現している。

労働組合は本来、使用者に対して労働力商品を集団で販売するという経済的機能を持つ労働者の自主組織として設立され、労働者に対する権利擁護機能を本源的な役割としている。しかし、ベトナムのような社会主義国の労働組合運動では、共産党の社会主義路線を労働者に教育し、生産活動に労働者を動員する役割が重視されてきた。社会主義的労働組合は、共産党指導下の社会主義的政治システムに組み込まれた半ば国家機関であった。

ドイモイ以降に雇用労働部門の社会的構成が大きく変わり、労使関係における経済的側面への関心が労働者に高まってきた。しかし、唯一の中央組織の傘下にある労働組合以外に自主組織が設立できない条件のもとで、政治的役割に偏重する既存の公式的労働組合運動は、労使関係に対する労働者の意識と乖離するようになってきた。その結果、公式的労働組合運動と、労働者が自らの利益を守るためにとる行動とが、ほとんど無関係に存在する状況が生じるようになった。これが現代ベトナムにおける労使関係の二重性である。

失業と雇用問題が深刻化していた1980年代末から1990年代初め、既存の労働組合は、労働者に対する雇用・生活支援活動を強化するとともに、労働組合運動の市場経済化への対応を模索した。しかしこの時期は、社会主義体制の国際的危機の時期と重なっていた。労働組合の役割における権利擁護機能の再認識と重点化の動き、民主集中制の見直しによる組織内民主化の動きなど、この時期の労働組合運動の論議には解放性と自由度があった。しかし、国際情勢に政治的危機感を強く抱いていた労働組合幹部たちは、共産党の指導性、社会主義路線の堅持、労働組合複数化の拒否を前提に、労働組合運動の政治性をあらためて強調することで妥協した。

また1990年代初めに労働法が制定された際、ベトナム唯一の労働組合中央組織であるベトナム労働総連合(VGCL)は、下部組織の組合幹部たちに圧され、VGCL傘下の労働組合だけが労働者を代表するという労働組合の代表権と、政府の労働政策や企業の労務政策に対する労働組合の強い権限とを要求した。当時の労働法制定は、労使関係を市場主義的に秩序づける法律の整備という政策的要請と、他方で共産党指導下の労働組合の統合を確保しようという政治的要請との狭間にあった。東欧・ソ連での政変の記憶がまだ新しい当時、VGCLが主張した労働組合の代表権は、そのような政治的要請によって認められた。しかし労働組合の強い権限は、政策的要請が許さなかった。その結果、VGCLには労働者を組織化する責任だけが課され、労働者の権利擁護のための充分な権限を与えられずに終わった。労働組合に労使関係上の特別な権限を与えていた社会主義的労使関係は変質した。

1990年代初めにそれまでの経済的危機が克服されると、共産党は長期的な経済成長を展望した。共産党の「労働者階級」観において階級矛盾の哲学は後退し、労働者の技能・技術向上を強調し、生産効率に特化した政労使ぐるみの経済成長路線が強まっていた。労働組合運動において、政労使の利害を協調させ産業平和を実現するための、新たな労使協調体制が模索されはじめた。他方で、国内の資本主義セクターの発展とともに労働問題が深刻化すると、政治的役割に対して相対化されていた権利擁護機能があらためて強調されるようになった。2008年までに労働組合運動は、労働組合の役割における権利擁護機能の重点化と「調和的労働関係」の構築とを方針にすえるにいたった。雇用労働部門で労使矛盾が深刻化するなかで、労働者に対する権利擁護と「調和的労働関係」とを両立させるという、困難な課題が労働組合運動に課せられることになった。

以上のように既存の労働組合運動が推移するいっぽう、1990年代以来の労働組合の努力にもかかわらず、ドイモイ後に急拡大している雇用部門での労働者の組織化は伸び悩んでいる。また労働組合が設立されてはいても、労働組合のイニシアティブによらない、労働者集団の自発的行動によるストライキが増加している。労使関係の緊張は、ベトナム経済において近年ますます存在感を増している労働集約型外資企業でもっとも深刻化している。既存の労働組合は、労使ぐるみで企業別労働組合を組織するという特殊な組織形態を維持している。経営側に人事を掌握されている労働組合指導部と、生産労働者たちとのあいだに、労使関係に対する意識の違いは大きい。労働者は、権利擁護機能に欠ける労働組合に依拠せずに、自らの行動によって、労使関係上の不利な条件を補わなければならない。既存の公式的労働組合運動とは無関係な労働者のそうした行動には、ストライキのような集団的・戦闘的なものだけでなく、労働者が職場外に有する資源や人間関係を用いて個人的・消極的に対応するものまで様々である。そうしたなか、近年、地方への工業区建設と工業化の進展を背景に、これまで大都市圏で働いていた農村出身の青年労働者が、故郷に戻り地元で就労するという現象がみられるようになった。そこでは、実家がある農村から近代的資本制工業部門に通勤することで、労使関係における欠陥を補おうとする就労形態がみられるようなっている。これが在郷通勤型就労である。

労働力を域内・域外の両方から調達する準地方型のA工業区には、労働者向け宿舎で暮らしながら働いている労働者が多数いる。彼らは、民間によって提供されている粗末な住環境で生活しながら、労働集約型外資企業で働いている。労働者の大半は20歳代と若く、高校を卒業した後、職業訓練を受けずに不熟練労働者として働いている。労働者のほとんどが農村出身者で、大半の労働者の親の職業は稲作を中心とした自作農である。しかし、ベトナムでは労働集約型外資企業に代表されている近代的資本制工業が、不熟練青年労働者に提供する労働条件は厳しく、労働者は困難な宿舎暮らしを余儀なくされている。近代的資本制工業で生産労働者として働くことに伴う欠陥は、第一に低賃金、第二に住環境の悪さ、第三に子供の保育・教育条件の不足、第四に失業の不安、第五に昇進昇格=昇給の展望の欠如といったかたちであらわれている。労働組合は労働条件の改善に無力で、A工業区の労働者たちは時として自発的ストライキで労働条件の改善を訴えている。

こうした困難な条件で働いている労働者たちは、実家農村との結びつきを強く維持していることが特徴的である。就労場所の選択には実家との距離が考慮される場合が多い。実家で生産する米を持ち込むことで食費を節約したり、共働きの夫婦が子供の保育のために実家から母親を呼び寄せたりしている。また、将来的に生産労働者として働き続けることを望んでいない労働者たちは、将来の就労場所として実家から通勤できる範囲を望んでいる。労働者と実家農村との結びつきが実際的にも潜在的にも強い。

他方で、労働力をおもに域内の農村から調達している地方型のB工業区にある労働集約型外資企業C社の青年労働者は、大半が農村にある実家からの在郷通勤型就労をしている。C社が提供する労働条件は、A工業区の外資企業各社が提供するのとおとらずにかぎられたものである。大半の労働者の実家は稲作を中心とした自作農である。農村にある実家は、労働者たちに食糧と住居を提供することができる。また幼い子供がいる労働者は、子供を実家の両親に預けることできる。このように農村にある実家との経済的・社会的結びつきを維持することで、近代的資本制工業で働く労働者は自らの困難な境遇を補うことができる。労働組合が労働者の権利擁護機能を果たしていないため、職場外で労使関係上の欠陥を補いうる実家農村との結びつきは、労働者にとって重要な選択肢となっている。B工業区やC社では目立った労使紛争がなく、労使関係は相対的に「安定」している。

このように近代的資本制工業と労働者の実家農村との関係性に注目して、広く労使関係を捉えた場合、実家農村は上記のような役割を果たしうる。その背景に、ベトナムでは農地改革が基本的に完了しており、多くの自作農が創出されているという条件がある。しかし耕地面積0.5ha以下の小規模で商業性の低い自作農が果たす役割には限界がある。実家農村が、農業資材購入や子弟の教育費を、労働者の現金収入に頼っている場合もある。将来的には、実家の農業労働力の確保が課題となる。また近年、教育費・社交費などをはじめ、現金需要が農村においても高まっていることから、農業生産で得られる現金収入はもとより、労働者の現金収入によっても、家計における現金需要をまかないきれないという問題に直面する可能性も高い。こうした限界があることから、近代的資本制工業が伴う欠陥を、在郷通勤型就労を通じて、労働者の実家農村が補うことで、相対的な「安定」をみる労使関係のあり方は、過渡的なものにすぎないと考えるべきである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ドイモイ開始以降の現代ベトナムにおける労働問題を、労働組合運動のあり方と労働集約型外資企業における労使関係という二つの領域の検討を通じて、広い意味での労使関係論として論じたものである。

論文は、三部七章と終章から構成されている。第一部「現代ベトナム労使関係論の枠組み」は、二章から成り、研究の枠組み設定、先行研究の整理、課題の設定が行われ、その上でドイモイ以降のベトナムにおける雇用労働の状況が検討されている。ここでは、次のようなことが指摘されている。ドイモイ以降のベトナムの市場経済化は雇用労働部門に大きな影響を与え、労働契約制が導入され民間雇用が解禁されて、労働力の商品化が進んだ。資本主義的性格を帯びた高度経済成長のもとで、労使の矛盾は、資本主義経済の国と同様なかたちで出現している。労働組合は本来、労働者に対する権利擁護機能を本源的な役割としているが、ベトナムのような社会主義国では、共産党の路線を労働者に教育し動員する政治的役割が重視されてきた。ドイモイ以降に雇用労働部門の社会的構成が大きく変わり、労使関係における経済的側面への関心が労働者に高まってきた。しかし、唯一の中央組織の傘下にある労働組合以外に自主組織が設立できない条件のもとで、政治的役割に偏重する既存の公式的労働組合運動は、労使関係に対する労働者の意識と乖離するようになってきた。その結果、公式的労働組合運動と、労働者が自らの利益を守るためにとる行動とが、ほとんど無関係に存在する状況が生じるようになった。これが現代ベトナムにおける労使関係の二重性である。

第二部「ドイモイ下のベトナムの労働組合運動」は、三章から成り、公式的な労働組合運動のあり方が検討されており、以下のような指摘がなされている。失業と雇用問題が深刻化していた1980年代末から1990年代初め、既存の労働組合は、労働者に対する雇用・生活支援活動を強化するとともに、労働組合運動の市場経済化への対応を模索した。当初の論議には自由度があったが、国際情勢に政治的危機感を強く抱いていた労働組合幹部たちは、労働組合運動の政治性をあらためて強調する方向に動いた。1994年に労働法が制定された際、ベトナム唯一の労働組合中央組織であるベトナム労働総連合(VGCL)は、傘下の労働組合だけが労働者を代表するという労働組合の代表権と、政府の労働政策や企業の労務政策に対する労働組合の強い権限とを要求した。東欧・ソ連での政変の記憶がまだ新しい当時、VGCLが主張した労働組合の代表権は認められたが、労働組合の強い権限は、市場経済化を進めるという政策的要請が許さなかった。その結果、VGCLには労働者を組織化する責任だけが課され、労働者の権利擁護のための充分な権限を与えられずに終わった。それまでの経済的危機が克服され、高度経済成長が軌道に乗ると、共産党の「労働者階級」観において階級矛盾の哲学は後退し、労働者の技能・技術向上を強調し、生産効率に特化した政労使ぐるみの経済成長路線が強まっていた。労働組合運動において、政労使の利害を協調させ産業平和を実現するための、新たな労使協調体制が模索されはじめた。他方で、国内の資本主義セクターの発展とともに労働問題が深刻化すると、政治的役割に対して相対化されていた権利擁護機能があらためて強調されるようになった。2008年までに労働組合運動は、労働組合の役割における権利擁護機能の重点化と「調和的労働関係」の構築とを方針にすえるにいたった。雇用労働部門で労使矛盾が深刻化するなかで、労働者に対する権利擁護と「調和的労働関係」とを両立させるという、困難な課題が労働組合運動に課せられることになった。こうした労働組合の努力にもかかわらず、ドイモイ後に急拡大している民間雇用部門での労働者の組織化は伸び悩んでいる。また労働組合が設立されてはいても、労働組合のイニシアティブによらない、労働者集団の自発的行動によるストライキが増加している。労使関係の緊張は、ベトナム経済において近年ますます存在感を増している労働集約型外資企業でもっとも深刻化している。既存の労働組合は、労使ぐるみで企業別労働組合を組織するという特殊な組織形態を維持している。経営側に人事を掌握されている労働組合指導部と、生産労働者たちとのあいだに、労使関係に対する意識の違いは大きい。労働者は、権利擁護機能に欠ける労働組合に依拠せずに、自らの行動によって、労使関係上の不利な条件を補わなければならない。

第三部「近代的資本制工業と農村との関係性でみる労使関係」は、二章から成り、労使関係が最も緊張している労働集約型外資企業の労使関係の実態が、二か所の農村との関係が強い地方工業区でのフィールド調査によって検討されている。ここでは、以下のような議論が展開されている。既存の公式的労働組合運動に頼れない労働者の権利擁護行動には、ストライキのような集団的・戦闘的なものだけでなく、労働者が職場外に有する資源や人間関係を用いて個人的・消極的に対応するものまで様々である。そうしたなか、近年、地方への工業区建設と工業化の進展を背景に、これまで大都市圏で働いていた農村出身の青年労働者が、故郷に戻り地元で就労するという現象がみられるようになった。そこでは、実家がある農村から近代的資本制工業部門に通勤することで、労使関係における欠陥を補おうとする就労形態がみられるようなっている。これが在郷通勤型就労である。準地方型のA工業区(北部ハイフォン市)には、労働者向け宿舎で暮らしながら働いている労働者が多数いる。彼らは、民間によって提供されている粗末な住環境で生活しながら、労働集約型外資企業で働いている。労働者の大半は20歳代と若く、高校を卒業した後、職業訓練を受けずに不熟練労働者として働いている。労働者のほとんどが農村出身者で、大半の労働者の親の職業は稲作を中心とした自作農である。近代的資本制工業で生産労働者として働くことに伴う欠陥は、第一に低賃金、第二に住環境の悪さ、第三に子供の保育・教育条件の不足、第四に失業の不安、第五に昇進昇格=昇給の展望の欠如といったかたちであらわれている。労働組合は労働条件の改善に無力で、A工業区の労働者たちは時として自発的ストライキで労働条件の改善を訴えている。労働者たちは、実家農村との結びつきを強く維持していることが特徴的である。就労場所の選択には実家との距離が考慮される場合が多い。実家で生産する米を持ち込むことで食費を節約したり、共働きの夫婦が子供の保育のために実家から母親を呼び寄せたりしている。また、将来的に生産労働者として働き続けることを望んでいない労働者たちは、将来の就労場所として実家から通勤できる範囲を望んでいる。他方で、労働力をおもに域内の農村から調達している地方型のB工業区(南部カントー市)にある労働集約型外資企業C社の青年労働者は、大半が農村にある実家からの在郷通勤型就労をしている。C社が提供する労働条件は、A工業区の外資企業各社が提供するのとおとらずにかぎられたものである。大半の労働者の実家は稲作を中心とした自作農である。農村にある実家は、労働者たちに食糧と住居を提供することができる。また幼い子供がいる労働者は、子供を実家の両親に預けることができる。このように農村にある実家との経済的・社会的結びつきを維持することで、近代的資本制工業で働く労働者は自らの困難な境遇を補うことができる。労働組合が労働者の権利擁護機能を果たしていないため、職場外で労使関係上の欠陥を補いうる実家農村との結びつきは、労働者にとって重要な選択肢となっている。B工業区やC社では目立った労使紛争がなく、労使関係は相対的に「安定」している。

終章「ベトナムの労使関係の展望と研究課題」では、以上の考察をふまえ、次のようなことが述べられている。このように近代的資本制工業と労働者の実家農村との関係性に注目して、広く労使関係を捉えた場合、実家農村は労働者の生活を支える上でかなり大きな役割を果たしうる。その背景に、ベトナムでは農地改革が基本的に完了しており、多くの自作農が創出されているという条件がある。しかし耕地面積0.5ha以下の小規模で商業性の低い自作農が果たす役割には限界がある。実家農村が、農業資材購入や子弟の教育費を、労働者の現金収入に頼っている場合もある。将来的には、実家の農業労働力の確保が課題となる。また近年、教育費・社交費などをはじめ、現金需要が農村においても高まっていることから、農業生産で得られる現金収入はもとより、労働者の現金収入によっても、家計における現金需要をまかないきれないという問題に直面する可能性も高い。こうした限界があることから、近代的資本制工業が伴う欠陥を、在郷通勤型就労を通じて、労働者の実家農村が補うことで、相対的な「安定」をみる労使関係のあり方は、過渡的なものにすぎないと考えるべきである。

本論文は、現代ベトナムにおける労働問題をきわめて大きな視野から描いた優れた学術的成果である。より具体的には、(1)労働問題を、都市あるいは工業部門にとじられた問題としてではなく、労働者と実家農村との関係という、農村を視野に入れて論じたことにより、ベトナムの社会発展の核心的な問題を浮き彫りにした、これは、従来、大都市近郊の工業区の関心が集中しがちだった労働問題研究に、農村研究の側から近年重要性が指摘されるようになった地方工業区への関心を取り入れたもので、ベトナム研究として最も先端的な内容となっている、また、現代東アジアの社会経済発展をめぐる議論の中では本格的な研究が手薄な労働問題研究への大きな貢献ともなっている、(2)公式の労働組合運動のあり方を主に文献資料に依拠しつつ描いた第二部と、地方型の工業区でのフィールド調査により労働集約型外資企業の労使関係の実態にせまった第三部が、相互補完的に組み合わっており、異質な課題と研究方法による二部構成の論文としては、統合度の高いものになっている、(3)本研究は、労使関係研究として、たんにベトナムの実状を実証しただけでなく、社会科学理論上の大きな問題についての高い関心を有する論文であり、理論と実証の結合という点からも評価しうる内容となっている、などの点を指摘できよう。

審査では、本論文の弱点や今後の課題に関する指摘も出された。主なものとしては、(1)「在郷通勤型就労」という、本論文の析出したモデルが、短命に終わる可能性が高いのか、ある程度安定したモデルになりうるのか、論文の中でも「揺れ」があるのではないか、(2)本論文は、「生存維持ギリギリの生活をしいられている生産労働者」を実家である農村が支えているという議論になっているが、工業区労働者が実家である農家に仕送りをしているという関係が存在しているのではないか、農村の側から問題を検討する必要がある、(3)工業区における雇用と農村における階層分化の相関ももっと注目する必要があろう、などが指摘された。

こうした問題点の多くは、今後の研究課題であり、本論文が優れた学問的成果であることを揺るがすものではない。したがって、本審査委員会は全員一致で本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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