学位論文要旨



No 128892
著者(漢字) 青木,祥
著者(英字)
著者(カナ) アオキ,ショウ
標題(和) ラットの歩行中の障害物回避動作における小脳外側部の役割
標題(洋) Role of lateral cerebellum in obstacle avoidance during locomotion in the rat
報告番号 128892
報告番号 甲28892
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1203号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 柳原,大
 東京大学 教授 八田,秀雄
 東京大学 教授 中澤,公孝
 東京大学 准教授 工藤,和俊
 東京大学 准教授 福井,尚志
内容要旨 要旨を表示する

背景・目的

小脳は、歩行や姿勢、目標到達運動といった様々な運動の制御において重要な役割を果たしている。小脳皮質は、解剖学的に最も内側に位置する虫部、それに隣接する中間部、最も外側に位置する外側部の三つの領域に分けることができ、その中で外側部は大脳皮質と密接な入出力関係を有し、目標到達運動などの視覚誘導型の運動制御に関わると考えられている。

歩行中、前方に認知された障害物を回避(跨ぎ越し)することは、歩行を安定かつ持続して遂行するために重要な動作であるが、この動作を適切に遂行するためには通常の歩行制御に加えて、障害物に関する視覚情報を基にして肢の軌道を適応的に制御する必要があると考えられる。これまで障害物回避動作に関わる脳領域として、一次運動野(M1)や後頭頂連合野(Posterior parietal cortex: PPC)等の大脳皮質の領域が主に調べられてきた。それらの領域に加えて、M1やPPCと入出力関係を有している小脳外側部の関与が示唆されている。外側部は橋核を介してPPCなどの大脳皮質の領域から投射を受け、小脳核の一部である歯状核および視床を経由してM1に連絡することが、神経解剖学的に認められており、この大脳-小脳ループが歩行中の障害物回避動作などの視覚誘導型の歩行動作に関与すると推測されている。しかしながら、現在までに歩行中の障害物回避動作において、大脳-小脳ループを構成する小脳外側部の役割について検討した研究は存在しない。そこで本研究では、小脳外側部の破壊が障害物回避動作に及ぼす影響を観察することにより、同動作における小脳外側部の役割を明らかにすることを目的とした。

研究(1):障害物回避動作における前肢の動作および筋活動の解析

方法

実験動物としてWistar rat(雄性, 270~320 g, n = 10)を用いた。平面歩行および歩行中の障害物回避動作(障害物の高さは2, 3, 4cmとした)の様子を高速度ビデオカメラ(200Hz ; HAS-220, DITECT)を用いて記録した。前肢の肩関節、手関節、つま先にマーカーを貼付した。肘関節位置は、同部位周辺の皮膚の動きが大きく、正確な関節位置の測定が難しいため、三角測量法を用いて推定される関節位置を求めた。動作解析は動作解析ソフトウェア(Dipp-motion Pro 2D, Ditect)を用いて行った。平面歩行の解析項目として、前肢のつま先の高さ、肘関節角度変位を解析した。障害物回避動作では、障害物を跨ぎ越す際の前後肢のつま先の軌道を解析し、関節角度変位も平面歩行と同様に解析した。また、肘関節の動きに関与する上腕二頭筋及び三頭筋から埋め込み電極を用いて筋電図の記録を行った。障害物を跨ぎ越す際に、つま先が障害物の真上を通過する時点を基準に、筋活動の開始・終止を求めた。

結果

Leading forelimb(障害物を先に越える肢)およびTrailing forelimb(障害物を後に越える肢)において、障害物の高さに応じてつま先が高く上がることがわかった。また、Leading forelimbはTrailing forelimbに比べて、障害物を跨ぎ越す際のつま先と障害物との距離(Safety margin)が有意に小さくなること、Peak toe position(障害物を跨ぎ越す際のつま先の軌道において、つま先の最大拳上が観察される位置)が障害物の直上付近に集まることがわかり、Leading forelimbのつま先軌道はより精確に制御されている可能性が示された。さらに、Leading forelimbとして障害物を跨ぎ越す際に、肘関節が屈曲から伸展に切り替わる時点および肘関節屈曲主働筋である上腕二頭筋の活動終止は、つま先が障害物の直上を通過する時間に合わせて観察されたことから、肘関節伸展および上腕二頭筋の活動終止がLeading forelimbの精確なつま先軌道の生成に寄与することが示唆された。

まとめ

Trailing forelimbに比べて、Leading forelimbのつま先の軌道は精確に制御され、これに肘関節伸展および上腕二頭筋の活動終止が寄与することが示唆された。

研究(2):小脳外側部の片側破壊が障害物回避動作に及ぼす影響

方法

Wistar rat(雄性, 270~320 g, n = 10)を用いた。平面歩行および障害物回避動作の撮影・解析方法は研究(1)に準じて行った。これらに加えて、後肢の動作解析も行った。破壊に対して同側肢・対側肢の前肢・後肢、全ての肢を解析の対象とした。小脳外側部の片側破壊は脳定位固定装置下において吸引除去により行った。行動実験終了後、還流固定を施した後にNissl対比染色を用いて破壊による損傷部位の同定を行った。

結果

組織学的に小脳外側部の破壊部位を調べた結果、主に第5葉から第6葉のCrus Iまでの領域の欠損が確認された。平面歩行において、前後肢ともに破壊による歩行動作への影響はみられなかった。障害物回避動作において、破壊による後肢への影響は観察されなかった。それに対して、破壊側前肢がLeading forelimbとして用いられた場合特異的に、つま先の軌道が障害物の真上をオーバーシュートする症状が観察された。破壊前において、Leading forelimb のPeak toe positionは障害物の真上に精確に合わせられるが、破壊後、破壊側前肢がLeading forelimbとして使われた際のPeak toe positionは水平および鉛直方向にずれることが示された。破壊前のLeading forelimbにおいて、肘関節が屈曲から伸展へ変位するタイミングは障害物の真上をつま先が通過する時間とほぼ一致するのに対して、破壊後につま先が障害物の真上をオーバーシュートする軌道を呈する際には、肘関節の伸展に移行するタイミングが遅延することが分かった。さらに、これらの結果に付随するように、肘関節屈曲主働筋である上腕二頭筋の活動終止および肘関節伸展主働筋である上腕三頭筋の活動開始のタイミングが破壊前に比べて有意に遅れることも示された。

まとめ

小脳外側部は平面歩行には関与せず、障害物回避動作において、精確さを有するLeading forelimbのつま先の軌道制御およびそれに伴う適切な筋活動のタイミングの調節に関与することが示唆された。

研究(3):解剖学的に同定された小脳中間部の不活化が平面歩行に及ぼす影響

方法

Wistar rat(雄性, 280~320 g, n = 23)を用いた。撮影および解析方法は研究(2)に準ずるが、平面歩行時の同側肢のみを対象とした。小脳外側部に隣接する中間部を微量(320 nl ~ 360 nl)のムシモル(GABA受容体作動薬)注入により不活化した上で平面歩行動作の観察・解析を行った。対照として同一個体に生理食塩水を注入する群を用意した。注入部位は、それぞれ前後肢の体部位局在を有する小脳皮質前葉の第4-5葉中間部(n = 9)、後葉の第7-8葉中間部(n = 9)とした。別の5匹に関しては陽性対照群として、体部位局在を示さないCrusIIにムシモルを注入した。ムシモル注入の際には、コレラ毒bサブユニット(CTb)を混合して注入した。CTbの免疫染色法を用いて、ムシモルの注入部位が小脳中間部に限定されているかどうかについて神経解剖学的に解析した。

結果

免疫組織化学的にムシモルの注入が中間部に限定されていることを確認した。前葉の中間部を不活化した群、後葉の中間部を不活化した群のどちらにおいても、生理食塩水を注入されたそれぞれの対照群に比べて、平面歩行中の前肢・後肢の関節が過屈曲し、つま先の最大拳上高は有意に高くなった。これらの影響は後葉の中間部に比べて、前葉の中間部を不活化した際に強く現れた。陽性対照群である小脳皮質のCrusIIを不活化した場合では影響は観察されなかった。

まとめ

小脳外側部に隣接する中間部を不活化した場合、平面歩行中に過度なつま先の拳上、関節の過屈曲を呈することが示された。

研究(4):大脳皮質運動・体性感覚関連領野に対する小脳皮質からの投射形式

方法

Wistar rat(雄性, 200~280 g, n = 14)を用いた。ニューロンおよびシナプスを逆行性に通過する経シナプストレーサーである狂犬病ウイルスを大脳皮質の以下に示す領域に注入し、適切な生存期間を設けたのちに還流固定を行った。その後、小脳皮質において狂犬病ウイルスに感染したニューロンを標識することにより、小脳からの大脳皮質運動・体性感覚関連領域に対する投射形式を解析した。注入の際はCTbを混合して注入し、注入部位の解剖学的同定を行った。注入部位は、M1後肢領域、M1前肢領域、一次体性感覚野(S1)後肢領域、S1前肢領域、二次運動野(M2)とした。

結果

CTb の免疫染色法により、上述した注入部位に対して適切にトレーサーが注入されていたことを確認した。M1およびS1の後肢領域にトレーサー注入した場合では、小脳皮質の虫部・中間部の多くのニューロンが標識され、外側部のニューロンはほとんど標識されなかった。一方で、M1・S1の前肢領域ならびにM2にトレーサーを注入した場合では中間部と外側部のニューロンが標識され、虫部において標識されたニューロンは少なかった。

まとめ

小脳虫部は大脳皮質運動・体性感覚関連領域において後肢に関係する領域に投射を有し、中間部は運動・体性感覚関連領域のすべてに連絡をもつことが示唆された。外側部は前肢に関わる領域およびM2に選択的に投射することが示された。

研究の総括

研究(1)・(2)の結果から、小脳外側部は障害物回避動作において、精確なつま先軌道を有するLeading forelimbとして同側前肢が用いられる場合に、つま先の軌道の制御およびそれに関連する筋活動のタイミング制御に関わる可能性が示唆された。研究(3)により、隣接する中間部が不活化された場合では平面歩行に影響が観察され、研究(2)の外側部の破壊実験では平面歩行に影響を及ぼさなかったことから、研究(2)で行った破壊実験は小脳外側部を適切かつ局所的に損傷できていたことを示す強い証拠が得られた。さらに、前肢特異的に小脳外側部破壊の影響が観察されたという知見に対して、小脳外側部は大脳皮質運動・体性感覚関連領野の前肢領域に選択的な神経線維連絡を有することがわかり(研究(4))、研究(2)の結果を支持する神経回路の存在が示された。

結論

小脳外側部は障害物を跨ぎ越す際の、Leading forelimbにおける精確なつま先の軌道の生成およびそれに伴う筋活動のタイミング制御に関わることが結論された。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「Role of lateral cerebellum in obstacle avoidance during locomotion in the rat(ラットの歩行中の障害物回避動作における小脳外側部の役割)」は、6章から成っており、第1章:Introduction、第2章:Characteristics of leading forelimb movements for obstacle avoidance during locomotion in the rat、第3章:Effects of a unilateral lesion in the lateral cerebellum on obstacle avoidance during locomotion in the rat、第4章:Impairment of anatomically identified intermediate cerebellum influences limb movements during overground locomotion in the rat、第5章:Organization of projections from cerebellar cortex to motor and somatosensory related areas of cerebral cortex in the rat: a transneuronal tracing study with rabies virus、第6章:General discussionとなっている。

歩行を安定して、かつ、様々な外部環境の変化に適応して行うための神経制御機構についての知見は未だ十分ではない。ヒトを対象とした生理学的研究、認知科学的研究、さらには神経疾患患者などを対象にした臨床的バイオメカニクス領域における研究においては多くの研究成果が報告されているが、実験手法の制約上、神経制御機構の詳細な解析は難しい。一方で、実験動物を対象にした研究は本邦以外においても行われているが、神経機構として未だ断片的な知見が得られているのみである。本論文では、実験動物としてラットを用い、それらが歩行する際にその前方に設置された障害物を跨ぎ越す時の前肢の動作特性、さらに、この障害物回避動作における中枢神経系の機能の一つとして小脳外側部の機能について焦点を当て、小脳外側部を片側破壊した際の機能障害、小脳外側部から大脳皮質運動関連領域への神経線維連絡について調べた。

第2章では、正常無処置のラットを用いて、歩行路の前方に設置された障害物を跨ぎ越し回避する歩行の際の前肢の動作特性および筋電図活動について調べた。leading forelimb(障害物を先に越える前肢)およびtrailing forelimb(障害物を後に越える前肢)において、障害物の高さに応じてつま先が高く上がること、leading forelimbはtrailing forelimbと比較して障害物を跨ぎ越す際につま先と障害物との距離が有意に小さくなることが示され、leading forelimbのつま先軌道はtrailing forelimbと比較して精確に制御されている可能性が示唆された。さらに、leading forelimbとして障害物を跨ぎ越す際に、肘関節が屈曲から伸展に切り替わる時点および肘関節屈曲の主働筋である上腕二頭筋の活動終止は、つま先が障害物直上を通過する時点と一致して観察されたことから、肘関節伸展および上腕二頭筋の活動終止がleading forelimbのつま先軌道の生成に寄与することが示唆された。

第3章では、小脳外側部の片側破壊が障害物回避動作に及ぼす影響について調べた。吸引除去により小脳外側部の片側破壊、主に第5-7葉までの皮質領域の破壊を行った。平面歩行においては、破壊による歩行動作への影響は前後肢ともに観察されなかった。障害物回避動作において、破壊による後肢への影響は観察されなかった。それに対して、破壊側前肢がleading forelimbとして用いられた場合特異的に、つま先の軌道が障害物の真上をオーバーシュートする症状が観察された。破壊前において、leading forelimb のpeak toe positionは障害物の真上に精確に合わせられるが、破壊後、破壊側前肢がleading forelimbとして使われた際のpeak toe positionは水平および鉛直方向にずれることが示された。さらに、肘関節屈曲の主働筋である上腕二頭筋の活動終止および肘関節伸展の主働筋である上腕三頭筋の活動開始のタイミングが破壊前に比べて有意に遅延していたことも示された。以上の結果から、小脳外側部は平面歩行には関与せず、障害物回避動作におけるleading forelimbのつま先の軌道の生成に関与することが示唆された。

第4章では、小脳中間部へのムシモル微量投与による不活化が平面歩行に及ぼす影響について調べた。前葉の中間部を不活化した群、後葉の中間部を不活化した群のどちらにおいても、生理食塩水を注入された対照群に比べて、平面歩行中の前肢および後肢の関節が過屈曲し、つま先の最大拳上高は有意に高くなった。これらの影響は後葉の中間部に比べて、前葉の中間部を不活化した際により強く現れた。以上の結果から、小脳中間部を不活化した際には平面歩行における過度なつま先の拳上、肢関節の過屈曲が生じることが示された。

第5章では、経シナプストレーサーである狂犬病ウイルスを大脳皮質の運動・体性感覚関連領域に注入し、小脳皮質から大脳皮質運動・体性感覚関連領域に対する神経線維連絡を解析した。1次運動野および1次体性感覚野の後肢領域にトレーサーを注入した場合では、小脳皮質の虫部・中間部の多くのニューロンが標識され、外側部のニューロンはほとんど標識されなかった。一方で、1次運動野および1次体性感覚野の前肢領域にトレーサーを注入した場合では中間部と外側部のニューロンが標識され、虫部において標識されたニューロンは少なかった。以上の結果から、小脳虫部は大脳皮質運動・体性感覚関連領域において後肢に関連する領域に投射を有し、中間部は運動・体性感覚関連領域のすべてに連絡をもつこと、外側部は前肢に関わる領域に選択的に投射することが示された。

以上をまとめると、論文提出者は、ラットの歩行動作において、小脳外側部は平面歩行時には寄与せず、障害物をleading forelimbとして跨ぎ越し回避する動作の際にその肘関節の運動に関わる筋活動のタイミング制御、つま先の軌道の生成に関与すること、一方で、小脳中間部の薬理学的な不活化は平面歩行時に前肢のみならず後肢の関節の過屈曲を生じることを示した。さらに、経シナプストレーサーを用いて、小脳外側部は大脳皮質運動・体性感覚関連領野の前肢領域のみに神経線維連絡を有するという知見を示した。これらの結果は、神経科学、身体運動科学において有意義な貢献をするものと認められる。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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