学位論文要旨



No 128895
著者(漢字) 黒澤,恒平
著者(英字)
著者(カナ) クロサワ,コウヘイ
標題(和) ヒストン脱アセチル化酵素を介した抗体遺伝子多様化機構の解析と抗体定常領域の迅速改変方法の開発
標題(洋)
報告番号 128895
報告番号 甲28895
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1206号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,邦史
 東京大学 教授 松田,良一
 東京大学 教授 村田,昌之
 東京大学 准教授 坪井,貴司
 東京大学 准教授 道上,達男
内容要旨 要旨を表示する

【序】

B細胞が分泌する抗原受容体タンパク質は「抗体」と呼ばれ、病原体(抗原)と特異的に結合する性質を有している。近年、その高特異性と高親和性から分子標的治療薬として、抗体は大きな注目を集めている。

品質が均一で、大量生産が可能なモノクローナル抗体は、ハイブリドーマ技術によって作製される。この技術は、多大な労力と時間を要する点で、改善の余地がある。また、抗体医薬への利用では、体内での抗原性を低減させるため、抗体のヒト化もしくはヒトキメラ化が重要である。この工程も、最終的に長い期間を要する点で、課題が存在する。

抗体は、各2本の重鎖と軽鎖が安定的に結合した4量体のY字型タンパク質であり、可変領域と定常領域に区別することができる。可変領域はY字の先端部分に位置し、抗原と直接相互作用する。無数の抗原に対応するための多様化は、主にヒトやマウスではV(D)J組換えにより、ニワトリやウサギでは遺伝子変換と呼ばれるDNA組換えによって担われている。定常領域は、抗体の安定性や生理活性を保証するFc (fragment, crystallizable)領域を含む領域である。ヒトでは、重鎖定常領域の差異により、抗体をIgMやIgGなど 5種類に分類可能である。生体内では、クラススイッチと呼ばれるDNA組換え機構によってクラス変換が行われる。このように抗体遺伝子では、可変領域と定常領域の双方でDNA組換えが非常に重要な役割を果たす。

近年、抗体遺伝子のDNA組換えが、クロマチン構造を介して制御されることが明らかになってきた。真核生物のDNAは、クロマチン構造を形成することにより階層的に折り畳まれている。クロマチンの基本構造単位は、ヒストンタンパク質の周りをDNAが1.75周巻くヌクレオソームである。また、ヒストンのN末端領域に存在するリシンなどのアミノ酸残基は、アセチル化、メチル化などの修飾を受ける。これらの修飾は隣り合ったヒストンタンパク質やDNAとの相互作用を通じて、クロマチン構造を変化させることが知られている。

これまでに所属研究室では、ニワトリB細胞由来DT40細胞における抗体遺伝子とクロマチン構造の関係について研究が行われてきた。DT40細胞は、膜型および分泌型IgM抗体を産生する。また、低頻度ながら抗体遺伝子で遺伝子変換が恒常的に行われている。動物細胞としては例外的に相同組換え頻度が高いといった特徴を有している。

ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤のトリコスタチンA(TSA)でDT40細胞を処理することで、抗体遺伝子の遺伝子変換を人為的に促進することが可能になった。また、ヒストン脱アセチル化酵素の一つ、HDAC2遺伝子をノックアウトしたDT40細胞(HDAC2-/-)においても遺伝子変換が促進されることが示された。

さらに所属研究室では、TSA依存的に多様化した抗体遺伝子レパトアを有するB細胞集団を作出し、その中から任意の抗原に対する特異抗体を産生するB細胞クローンを獲得するシステム(Autonomously Diversifying Library system, ADLibシステム)の開発に成功している。このシステムは完全な試験管内モノクローナル抗体作製系になっており、1週間程で抗体産生細胞を獲得することができる。さらに、ニワトリIgMとニワトリ/ヒトキメラIgG抗体を同時に発現するDT40細胞株を遺伝子工学的に構築し、迅速にキメラIgG 抗体を作製するシステムが開発された。しかしながら、この細胞株を作製するにあたって、抗体定常領域の遺伝子ターゲッティングの効率が0.2%(通常50%程度)と非常に低く、株作製に時間がかかるといった課題が存在していた。

これらの背景のもと、本研究は、「抗体遺伝子多様化制御機構の解明と、有用抗体の自在作出」を究極的な目標に、DT40細胞を用いて実験を行った。前者は抗体の可変領域に注目した研究であり、後者は抗体の定常領域に注目した研究である。

はじめに、HDAC2とそれに酷似したHDAC1に注目した。その後、逆遺伝学的手法を用いて両タンパク質の機能を比較した。さらに、前述の実験とともにDT40細胞を使った有用抗体の作製も試みた。DT40細胞のFc領域を迅速に改変することができる技術の開発に取り組み、その後、融合抗体の作製を行った。

【結果及び考察】

抗体遺伝子可変領域の多様化に関するヒストン脱アセチル化酵素の機能

HDAC1遺伝子およびHDAC2遺伝子をノックアウトしたDT40 (HDAC1-/-およびHDAC2-/-)を用いて、各種表現型に関して解析を行った。その結果、HDAC1とHDAC2は細胞増殖およびTSA依存的アポトーシス誘導経路において異なる役割を果たすことが明らかとなった。また、一部のリシン残基の脱アセチル化に対して、基質特異性が異なることが示された。さらに、抗体遺伝子の転写量と多様化頻度を比較した。その結果、HDAC1とHDAC2が抗体遺伝子の転写や多様化の制御において、異なる機能を分業していることが明らかになった。

次に、その機能分担の機構を調べた。可能性としては、1)HDAC1およびHDAC2の構造上の相違、または2)HDAC1とHDAC2の発現量の違い、という2つの可能性が考えられた。1)の可能性について検証するために、HDAC1-/-の内在性HDAC2遺伝子の各領域を、HDAC1のそれと交換した細胞株を構築した。その後、構築した細胞株とHDAC2-/-の表現型を比較し、HDAC1とHDAC2の「構造的な違い」の重要性を調べた。その結果、相同性が高いN端側のHDACコアドメインを含む領域の違いが、抗体遺伝子軽鎖の転写制御に影響することが明らかとなった。

次に、2)の「HDAC1とHDAC2の発現量の違い」について検証した。まず、両遺伝子のプロモーターが有する転写活性能の違いを比較した。その結果、HDAC1プロモーターの転写活性能がHDAC2のそれと比べて1/3程度であることがわかった。つまり、HDAC2-/-で発現しているHDAC1に比べ、置換株のキメラHDAC1タンパク質の発現量が多いことが示唆された。そこで、キメラタンパク質の発現量を抑制した置換株を構築し、各種表現型を再度検証した。その結果、抗体遺伝子重鎖の転写に関しては、N端側領域の構造的な違いに加え、発現量の違いも、機能分業に重要な役割を果たすことが明らかとなった。

このように、本研究ではDT40細胞を使った逆遺伝学的手法によって、今まで検証されてこなかったHDACの構造的相違と発現量の違いの両者が、機能分業に複合的に関与することを明らかにすることができた。今後、抗体遺伝子制御だけにとどまらず、がん発症などにおけるHDACの機能分業を理解する上で、1つの重要な知見が得られたことになる。

さらに本研究では、HDAC1-/-とHDAC2-/-をADLibシステムに適用し、抗体ライブラリーとしてHDAC2-/-の方がHDAC1-/-に比べて優れていることを示す結果を得た。

抗体定常領域の迅速改変方法の開発

DT40細胞の抗体重鎖定常領域における遺伝子ターゲッティング効率が低いという問題を克服するために、本研究ではCre/loxPシステムを用いた。

はじめに、野生型DT40細胞のIgM-Fc領域をコードするエキソンの上流にあるイントロン領域に、loxP配列およびloxP2272配列で挟んだヒトIgG-Fc領域をコードする配列を、遺伝子ターゲッティング方法によりノックインした。この株では、選択的スプライシング機構により、膜型および分泌型ニワトリIgMに加え、分泌型ニワトリ/ヒトキメラIgG抗体が同時に発現していることを確認した。その後、この細胞株からADLibシステムを用いて抗EGFR抗体産生細胞を獲得した。

次に、loxP配列およびloxP2272配列で挟んだマウスIgG-Fc領域をコードする配列を持ったプラスミド(ドナープラスミド)を構築した。その後、このプラスミドとCreリコンビナーゼ発現プラスミドを上記の抗EGFR抗体産生細胞に共導入した。遺伝子導入した細胞集団を24時間培養した後、培養液に選抜用の薬剤を添加しさらに48~72時間以上培養した。この操作によって、Creリコンビナーゼ依存的に標的のloxPサイトでDNA組換えを起こした細胞のみが生き残る。薬剤存在下で培養した細胞の培養上清中にはヒトキメラIgGの代わりに、EGFRに特異的に結合するマウスキメラIgGが分泌していることを確認した。

次に、抗体Fc領域のC末端側に機能性タンパク質を融合した抗体の作製を試みた。ルシフェラーゼ(GLuc)もしくは蛍光タンパク質(Citrine)をコードする配列をマウスIgG-Fcをコードする配列と融合し、ドナー配列とした。その後、上述した方法に従って抗EGFR抗体産生細胞に対して遺伝子導入を行い、薬剤選抜を行った。薬剤選抜後に、EGFRに特異的に結合するマウスキメラIgG抗体が上清中に発現していることを確認した。さらに、Gluc融合抗体は基質特異的に発光し、Citrine融合抗体は励起光依存的な発光を示した。

これらの結果から、Cre/loxPシステムを利用することで、短時間で効率的にFc領域を改変することができることが示された。また、ADLibシステムと組み合わせることで、従来法に比べ格段に速いスピードで抗体をデザインし、生産することが可能となった。

審査要旨 要旨を表示する

動物は免疫によって自己と非自己を識別し、非自己を排除することで外来の病原体から生体を防御している。高等動物の免疫機構には、生まれながらにして備わっている免疫と、後天的に病原体と遭遇する経験で備わる免疫がある。後者は、獲得免疫と呼ばれ、B細胞などのいわゆるリンパ球により担われている。また、B細胞で発現している抗原受容体タンパク質(抗体)の遺伝子はあらゆる病原体に対抗するために、積極的にDNA組換えを起こし、多様性を獲得している。さらに、均一な抗原認識能をもったモノクローナル抗体は副作用の少ない標的分子医薬や生命科学実験用試薬として用いられており、非常に注目度の高い分子である。本研究では、抗体の遺伝子多様化機構とそれを利用した抗体設計技術に関するものである。本研究により、抗体遺伝子の多様化にヒストン脱アセチル化酵素のHDAC1が関与すること、またHDAC1およびそのパラログである HDAC2が抗体遺伝子の多様化や発現において異なる機能を有することを見出した。さらに、抗体の定常領域の迅速改変技術の開発にも成功している。以下に本論文の構成と概要を述べる。

序論において、抗体の構造や生体内での免疫としての役割が概観されている。次に、抗体遺伝子多様化とヒストン化学修飾の関与について、これまでの背景がまとめられている。最後に、ニワトリB細胞由来のDT40細胞をヒストン脱アセチル化酵素阻害剤のトリコスタチンAで処理すると抗体遺伝子の多様化が促進すること、DT40細胞を使ったモノクローナル抗体作製技術であるADLibシステムの概要が説明されている。また、ADLibシステムの改良を目的として、ヒストン脱アセチル化酵素による抗体遺伝子多様化機構の解析と、抗体定常領域を改変技術の開発を行ったことが記載されている。筆者は上記の目的達成のため、高頻度で遺伝子ターゲッティングが可能なDT40細胞と逆遺伝学的手法を用いて、分子機構の分析と抗体設計技術の開発を行った。

「結果」の第1章では「抗体遺伝子可変領域の多様化に関するヒストン脱アセチル化酵素の機能」、第2章では「抗体定常領域の迅速可変方法の開発」について記述されている。第1章の結果は3部から構成される。第1部では、HDAC1遺伝子もしくはHDAC2遺伝子をノックアウトしたDT40細胞の表現型解析が行われている。ここでは、抗体遺伝子の転写と多様化の制御にHDAC1が関わることが示され、さらに抗体遺伝子制御においてHDAC1はHDAC2とは異なる役割を果たすことが明らかにされた。第2部では、HDAC1とHDAC2の機能分業メカニズムについて検証がなされた。はじめに、両タンパク質の構造的差異に注目し、部位特異的置換を用いて実験を行っている。その結果、保存性の低いC末端側の領域ではなく、保存性の高いN末端側の構造的差異が抗体遺伝子制御における役割の違いを生み出していることが示された。さらに、抗体遺伝子重鎖の転写制御における機能分業には上述の構造的差異に加えて、両遺伝子の発現量の差も影響することが明らかになった。第3部では、HDAC1およびHDAC2が抗体タンパク質の性質にどのような影響をおよぼすかについて検証がなされている。それぞれの遺伝子破壊株からADLibシステムでウサギIgGに特異的に結合する抗体産生細胞の獲得を試みている。その結果、HDAC2遺伝子破壊株の方がウサギIgG抗体を効率的に獲得できることが示された。考察では、HDAC1遺伝子破壊株とHDAC2遺伝子破壊株で増殖の違いや、ヒストン脱アセチル化の基質特異性の違いについて、その意義が検討された。また、HDAC1に特異的なリン酸化サイトの意義についても考察されている。

第2章の結果は5部から構成される。第1部では、loxP配列とその変異体である2272配列をDT40細胞の抗体遺伝子重鎖の定常領域に挿入した細胞株の構築について述べられている。第2部では、ADLibシステムを用いて前述の細胞株から抗EGFR抗体産生細胞を獲得したことが述べられている。第3部では、Creリコンビナーゼを利用して、抗体のFc部分がマウスIgG型の抗EGFRキメラ抗体産生細胞の作製に成功している。なお、遺伝子導入後は培地に選抜用の薬剤を加えるだけで短時間(4日程度)のうちに抗体Fc領域を改変した細胞を獲得できることが示されている。第4部から第5部では、上述のFc迅速改変技術を用いてルシフェラーゼや蛍光タンパク質を融合した抗体を産生する細胞株の構築に取り組んでいる。また、それらの抗体がELISA、FACS、免疫染色、ドットブロットなどの検出試薬として使用できることを確認している。考察では、DT40細胞を使ってモノクローナル抗体を作製する利点と、本研究で開発したFc改変技術の応用について述べられている。

本研究は、HDAC1が抗体遺伝子制御に関わることがはじめて明らかにした点、また、HDAC1とそのパラログであるHDAC2の機能分業メカニズムを遺伝学的に示した点、またそれらを介した抗体遺伝子多様化と特異抗体出現効率の検証、抗体の定常領域を従来法よりも格段に迅速かつ簡便に改変する技術を開発した点で、当該分野において学問的に重要な貢献を果たしたと考えられる。

なお、本論文のデータの一部は、林和花と太田邦史との共同研究により得られたものである。しかしながら、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、審査委員会は全員一致で黒澤恒平に博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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