学位論文要旨



No 128898
著者(漢字) 祢次金,進
著者(英字)
著者(カナ) ネジガネ,ススム
標題(和) ツメガエル一次造血におけるHippoシグナル経路の役割
標題(洋) The Role of Hippo Signaling Pathway in Xenopus Primitive Hematopoiesis
報告番号 128898
報告番号 甲28898
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1209号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 道上,達男
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 松田,良一
 東京大学 准教授 坪井,貴司
 東京大学 教授 太田,邦史
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

Hippoシグナルは細胞増殖や器官サイズの制御、がん抑制に働くシグナル経路であり、その構成因子がショウジョウバエからヒトまで高度に保存されているシグナル伝達経路である。脊椎動物におけるHippoシグナルの中心的な伝達機構はHippoのオーソログであるMst1/2キナーゼからLats1/2キナーゼ、そして転写共役因子のYap/TAZへ伝えるリン酸化カスケードである。このリン酸化カスケードは抑制型シグナルとして働き、Yap/TAZはリン酸化されると足場タンパク質に結合し核局在が阻害されるほかに、ユビキチン-プロテアソームシステムによって分解される。リン酸化されない場合、Yap/TAZは核内へ移行し、Teadなどの転写因子と結合し転写共役因子として機能することで増殖や未分化性維持を促進することが知られている。しかし、初期発生過程におけるHippoシグナルの機能については未だ不明な点が多い。私は初期発生解析に大きなアドバンテージを持つネッタイツメガエル初期胚を用いて、いつ・どこでHippoシグナルが機能しうるのか(結果1)、またその役割が何であるのか(結果2)を調べることを目的とした。

研究成果

結果1 ツメガエル初期発生におけるYap/TAZの発現パターン

Hippoシグナルの最終的なアウトプットはYap/TAZである。すなわちYap/TAZが発現していることがHippoシグナルの制御が機能する必須条件であるため、ネッタイツメガエル初期発生におけるYap/TAZの発現パターンを詳細に調べた。

Yapは胚発生において広く発現しており、その転写産物は未受精卵にも存在していた。原腸胚期までは予定表皮領域、および予定神経領域にその局在が見られ、発生の進行に伴い、顔部結合組織、鰓弓、中脳後脳境界、耳胞、前腎、脊索、後腸、尾芽に強い局在が見られた。一方、尾芽胚期の血島では一時的にその転写が抑制されていることが分かった。

TAZは神経胚以降にその局在が見られ、沿軸中胚葉、前体節中胚葉、顔部結合組織、脳、鰓弓、神経堤細胞、軸下筋芽細胞、に強く発現していた。TAZは沿軸中胚葉、前体節中胚葉、軸下筋芽細胞のような比較的未分化な状態の筋細胞で強い発現が見られる一方で、分化した筋細胞ではその発現が見られなかった。

これらの結果から初期発生過程においてYapとTAZが形態形成、器官・組織形成に広く関与する可能性が示唆された。また、YapとTAZの制御機構であるHippoシグナルが何らかの役割を担っている可能性が示唆された。

結果2 ツメガエル一次造血におけるHippoシグナルの役割

初期発生過程においてHippoシグナルがいつ・どこで機能しているかを調べるために、まずHippoシグナルのコアキナーゼであるMst1/2およびLats1/2の発現パターンを調べた。その結果、Mst1は主に前方腹側血島に、Mst2は主に後方腹側血島で強く発現していることが分かった。またLats1はユビキタスな発現パターンを示したが、Lats2は体節に強い局在が見られた。これらの結果から血島や体節における細胞分化や組織形成においてHippoシグナルがYapとTAZの制御を行っている可能性が示唆された。

近年、Mst1/2およびYapのノックアウトマウスによる解析により、これらの遺伝子の欠損は機能が反対であるにもかかわらず、共に血島の形成異常を引き起こすことが報告されている。しかしMst1/2とYapがどのように血島の形成に関与するかは不明であった。そこで私は、血島での一次造血におけるHippoシグナルの役割に焦点を絞り、メカニズムの解析を行った。

Mst1/2の機能を調べるために、モルフォリノアンチセンスオリゴ(MO)を用いた機能阻害実験を行った。まずMst1/2阻害胚ではYapのリン酸化が減少していることを確認した。続いてMst阻害胚の表現型を観察したところ、Mst1阻害胚では体軸形成、表皮形成が阻害され、Mst2阻害胚では眼形成異常も見られた。Mst1/2の二重阻害を行ったところ、単独阻害時より低濃度のMO注入で形態形成異常が観察された。この結果から、ネッタイツメガエル初期発生においてMst1/2はリン酸化を介してYapを胚の大部分の領域において制御していること、またMst1/2は相乗的に働いていることが分かった。

続いてこれらのMOを用いてMst1/2阻害が一次造血に及ぼす影響について、赤血球や骨髄球、血管内皮の分化マーカーを調べた。Mst1/2の阻害は赤血球マーカーの発現を著しく減少させた。また、Mst1/2阻害胚では骨髄芽球の数および骨髄芽球マーカーの発現も減少していた。さらに血管内皮マーカーの発現パターンを調べたところ、コントロール胚では網状の血管内皮ネットワークが形成されるのに対し、Mst1/2阻害胚では網状の血管内皮マーカーの発現がほとんど見られなかった。これらの結果からMst1/2は赤血球・骨髄球・血管内皮の形成に関係することが示唆された。

Mst1/2の強い発現が赤血球・骨髄球・血管内皮に分化する前の前駆細胞で始まること、Mst1/2の阻害によりこれら全てにおいて分化が正常に行われないことから、血球と血管内皮の共通の前駆細胞や分化の初期段階の細胞でMst1/2が機能していることが予想されたため、血球・血管内皮前駆細胞および初期分化マーカーの発現パターンを調べた。骨髄球系前駆細胞マーカーであるC/EBPαおよびSpibの発現を調べたところ、分化に伴い遊走する骨髄球系細胞の数が減少し、前駆細胞が前方腹側血島に蓄積している様子が観察された。この結果からMst1/2は骨髄球系前駆細胞の骨髄芽球への分化に必要であることが示唆された。続いて、尾芽胚期血島の血球・血管内皮前駆細胞マーカーの発現を調べたところ、前駆細胞マーカーの発現に変化は見られなかった。しかし幼生期の血島では、血球・血管内皮の分化進行に伴い、次第に消失するはずの前駆細胞マーカーの発現が継続して維持されていることが分かった。さらに、赤芽球マーカーのGata1、血管内皮前駆細胞マーカーのFli1、Etv2の発現パターンを調べたところ、これらの発現が減少していた。これらの結果から、Mst1/2は後方腹側血島において、血球・血管内皮前駆細胞の形成に機能しているのではなく、前駆細胞から赤血球および血管内皮への分化に関係していることが示唆された。

ノックアウトマウスの結果からYapもまた血島の形成に関与することが示唆されていたため、Yap阻害胚の一次造血における影響を詳細に調べた。ネッタイツメガエルにおいても、赤血球および血管内皮マーカーの発現が減少していた。前駆細胞マーカーについても調べたところ、前駆細胞マーカーの発現領域が減少していた。これらの結果からYapは前駆細胞の形成や増殖に必要であることが示された。

考察

現在のところMst1/2の上流に位置すると考えられるHippoシグナルのレセプターおよびリガンドは同定されていない。本研究から、初期発生ではリガンド非依存的にHippoシグナルコンポーネントの発現量を転写レベルで調節することにより、シグナルの強弱を調節していることが示唆された。また初期発生過程におけるHippoシグナルの転写共役因子Yap/TAZの発現パターンおよびコアキナーゼのMst1/2およびLats1/2の発現パターンが明らかになった。TAZは比較的未分化な筋細胞集団で特異的に発現していた。これはHippoシグナルの制御に対抗し、筋前駆細胞において未分化性を維持するものと考えられる。分化した体節ではTAZの発現が消失する一方で、Lats2の強い発現が見られた。筋分化においてTAZの転写レベルの抑制と、Lats2の強い発現によって活性化されたHippoシグナルによるタンパク質レベルでの抑制の両方が必要であることが推測される。同様に、血島において血球・血管内皮の分化が起こる時期にYapの転写が一過的に抑制されていたのに対し、Mst1/2は強く発現していた。Mst1/2の転写量の増加に伴うHippoシグナルの亢進がYap/TAZをタンパク質レベルで抑制すること、Yapの一過的な転写抑制の両方が血島での血球・血管内皮の分化に必要とされることが示唆された。

Mst1/2阻害胚における遺伝子発現を詳細に解析した結果、血球・血管内皮前駆細胞の未分化性が維持され、分化できない状態になっていることが明らかになった。この結果は、Mst1/2は前駆細胞から赤血球・血管内皮への分化段階で機能していることを示唆している。

Yap阻害胚もまた血球・血管内皮の形成に影響を及ぼした。しかしMst1/2阻害胚と異なり、Yap阻害胚では赤血球・血管内皮前駆細胞の減少を引き起こした。この結果はYapが前駆細胞集団を形成する段階で必要であることを示している。

以上の結果はYapが血球形成過程の初期段階において血球・血管内皮前駆細胞の増殖や維持に働いており、後の一過的なYapの転写抑制およびHippoシグナルによるYap/TAZの抑制によって前駆細胞集団から血球・血管内皮が分化することを示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

Hippoシグナル経路は、細胞増殖や細胞分化を制御するシグナルとして近年注目されている。Hippoシグナルの構成因子はショウジョウバエからヒトまで高度に保存されており、脊椎動物におけるHippoシグナルの中心的な伝達機構はHippoのオーソログであるMst1/2キナーゼからLats1/2キナーゼ、そして転写共役因子のYap/TAZへ伝えるリン酸化カスケードである。Hippoシグナリングの細胞内挙動は徐々に明らかにされてきたものの、初期発生過程におけるHippoシグナルの機能については未だ不明な点が多く残されている。本論文では、初期発生過程におけるHippoシグナル分子の発現パターンに基づき、その役割について研究を進めている。

第一章では、Hippoシグナルの最終的なアウトプットであるYap/TAZが発現していることがHippoシグナルの制御が機能する必須条件であるため、初期発生におけるYap/TAZの発現パターンを全胚in situハイブリダイゼーション法を用いて詳細に調べている。Yapは胚発生において胚葉に限定されない広範な発現を示し、その転写産物は未受精卵にも存在している。一方で、尾芽胚期の血島では一過的にその転写が抑制されている。TAZは神経胚以降にその局在が見られ、沿軸中胚葉、前体節中胚葉、軸下筋芽細胞、心臓など比較的未分化な状態の筋細胞で強い発現が見られる一方で、分化した筋細胞ではその発現が見られていない。これらの結果は、初期発生過程においてYapとTAZが形態形成、器官・組織形成に広く関与する可能性を示唆している。また、YapとTAZの制御機構であるHippoシグナルが何らかの役割を担っている可能性を示唆している。

第二章では、まずHippoシグナルのコアキナーゼであるMst1/2のLats1/2の初期発生過程における発現パターンを全胚in situハイブリダイゼーション法を用いて詳細に調べ、続いて、血島特異的に発現していたMst1/2に着目し、血島におけるMst1/2の機能をLoss-of-Function解析を行うことで明らかにしている。Mst1は主に前方腹側血島に、Mst2は主に後方腹側血島で強く発現が見られている。またLats1はユビキタスな発現パターンを示しているが、Lats2は体節に強い局在が見られている。これらの結果は血島や体節における細胞分化や組織形成においてHippoシグナルがYapとTAZの制御を行っている可能性を示唆している。血島に強い発現が見られたMst1/2の機能を調べるために、モルフォリノアンチセンスオリゴ(MO)を用いた機能阻害実験を行っている。まずMst1/2阻害胚においてYapのリン酸化が減少していることを確認し、Mst1/2の機能が阻害されHippoシグナルの活性が減少していることを示している。このMst1/2の阻害胚の表現型はMst1およびMst2単独阻害時より低濃度のMO注入で形態形成異常が起こることから、Mst1/2は相乗的に働いていることを示している。続いてMst1/2阻害が一次造血に及ぼす影響について、赤血球や骨髄球、血管内皮の分化マーカーを調べている。Mst1/2の阻害は赤血球マーカー骨髄芽球マーカー、血管内皮マーカーの発現が減少しており、これらの結果からMst1/2は赤血球・骨髄球・血管内皮の形成に必須な遺伝子であることを示している。この結果が血球と血管内皮の共通の前駆細胞や分化の初期段階の細胞においてMst1/2が何らかの機能を有していることを示唆していたため、Mst1/2阻害胚における血球・血管内皮前駆細胞および初期分化マーカーの発現を調べている。骨髄球系前駆細胞マーカーであるC/EBPaおよびSpib、血球・血管内皮前駆細胞マーカーのScl、Runx1、Lmo2、Gata2の発現を調べており、分化に伴い減少するこれらの発現がMst1/2阻害胚において維持されていることを示している。この結果はMst1/2が血球・血管内皮前駆細胞の形成に機能しているのではなく、血球および血管内皮への分化段階で機能することを示唆している。ノックアウトマウスを用いた先行研究の結果からYapもまた血島の形成に関与することが示唆されていたため、Yap阻害胚の一次造血における影響も調べている。Yap阻害により、ネッタイツメガエルにおいても、赤血球および血管内皮マーカーの発現が減少すること示している。加えて、新たに前駆細胞マーカーの発現領域が減少していることを明らかにし、Yapは前駆細胞の形成や増殖に必要であることを示している。

以上の様に本研究は、近年大きく注目されているにも関わらず不明な点が多い、初期発生におけるHippoシグナルの役割に関する新しい知見が提示されている。また、今後血球分化の分子メカニズムを解明する上で重要となる結果を含んでおり、新規性も高く研究の意義も大きい。以上の結果から、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいと認定する。

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