学位論文要旨



No 128899
著者(漢字) 蒔苗,裕平
著者(英字)
著者(カナ) マカナエ,ユウヘイ
標題(和) ビタミンC投与が骨格筋肥大に及ぼす効果
標題(洋) The effects of vitamin C administration on skeletal muscle hypertrophy
報告番号 128899
報告番号 甲28899
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1210号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 八田,秀雄
 東京大学 准教授 柳原,大
 東京大学 准教授 福井,尚志
 東京大学 准教授 寺田,新
内容要旨 要旨を表示する

【諸言】

骨格筋は可塑性に富む器官であり,力学的過負荷によって肥大し,負荷の減少により萎縮する.骨格筋量の維持や増加は,スポーツ選手のパフォーマンス向上のみならず,サルコペニアや生活習慣病の予防など,人々の健康の維持増進に重要である.骨格筋肥大のメカニズムを明らかにすることを目的とした研究はこれまでに多くなされてきたが,そのメカニズムは未だ不明な点が多く残されている.

運動によって産生量が増加する活性酸素種(ROS)は,体内で過剰に生成された場合,疾病や障害の原因となることが知られている.しかしながら,近年の研究により,ROSが運動適応に関する様々なシグナル伝達経路に影響を及ぼすことが明らかになりつつある.さらに,骨格筋量を制御するシグナル伝達経路にもROSが関与する可能性が示されている(Handayaningsih et al. 2011).Insulin-like growth factor-I(IGF-I)刺激によって,筋タンパク質合成に関わるシグナル伝達経路であるp70 ribosomal s6 kinase(p70s6k)やp42/44 extracellular signal-regulated kinase (Erk1/2)の活性化が引き起こされるが,抗酸化物質の一種であるN-アセチルシステイン(NAC)を添加すると,その活性化が抑制されることがHandayaningsihら(2011)によって示されている.また,彼らは,筋タンパク質分解に関与するatorgin-1とmuscle RING finger protein 1(MuRF1)のIGF-I刺激による発現量低下が,抗酸化物質の添加により阻害されることも報告している(Handayaningsih et al. 2011).そこで本研究では,抗酸化物質を投与し,ROSを除去することで,骨格筋肥大が抑制されると仮説を立てて研究を行った.本研究では,代表的な抗酸化物質であり,サプリメントとして摂取されることが多い,ビタミンCを抗酸化物質として用いた.

【第1章:14日間の継続的なビタミンC投与が力学的過負荷による骨格筋肥大に及ぼす効果(研究1)】

継続的なビタミンC投与が力学的過負荷によりもたらされる骨格筋肥大とそれに関連するシグナル伝達に及ぼす影響について検討した.ラット右後肢に対し,足底筋の共働筋(腓腹筋とヒラメ筋)切除手術を行うことで,足底筋に力学的過負荷を与えた.左後肢には,偽手術を施した.実験期間中,ビタミンC(500 mg・kg(-1)body weight)の経口投与を1日1回行い,手術14日後に筋サンプルおよび血清サンプルを採取した.

ビタミンC投与は,14日間の力学的過負荷によって生じた足底筋の肥大(152%反対肢)を減弱した(141%反対肢).さらに,その筋肥大減弱効果には,骨格筋肥大に関わるシグナル伝達タンパク質である,リン酸化Erk1/2やリン酸化p70s6kの含量,atrogin-1の発現量の変化が関与する可能性が示された.しかしながら,力学的過負荷によって増加した筋中ビタミンC濃度や酸化ストレスマーカー濃度に対して,ビタミンC投与は影響を及ぼさなかった.

【第2章:ビタミンC経口投与が代償性筋肥大初期時の応答に及ぼす効果(研究2)】

研究1において,筋中ビタミンC濃度や酸化ストレスマーカー濃度に対するビタミンC投与の効果を確認できなかった原因として,1)実験期間の長さ,2)筋サンプル採取のタイミング,という2つの要因が考えられた.そこで,研究2では,共働筋切除手術2日後の経口投与1時間後に筋サンプルを採取することによって,ビタミンC経口投与が筋中ビタミンC濃度や酸化ストレスマーカー濃度,筋細胞内シグナル伝達に及ぼす効果を明らかにすることを目的とした.

力学的過負荷は,筋タンパク質合成に関わるシグナルタンパク質(リン酸化p70s6kとその下流に位置するリン酸化ribosomal protein s6)の含量を増加させたが,それらに対するビタミンCの効果は確認されなかった.また,研究1と同様に,筋中ビタミンC濃度や酸化ストレスマーカー濃度に対するビタミンC投与の影響は確認されなかった.

【第3章:ビタミンC添加がIGF-I刺激により引き起こされるシグナル応答に及ぼす効果―培養筋管細胞を用いた研究―(研究3)】

研究1,2どちらにおいても,筋中ビタミンC濃度や酸化ストレスマーカー濃度に対するビタミンC投与の影響を観察することができなかった.そのため,ビタミンCの効果が 1)ビタミンCの抗酸化作用によってもたらされたものか,2)骨格筋中で生じたのか,それとも他の組織を介して生じたのか,について明らかにできなかった.そこで,研究3では,ラット由来培養筋芽細胞株L6細胞を用いて実験を行った.培養筋細胞を用いる実験は,他の組織の影響を排除できるため,筋細胞に直接ビタミンCが作用しているのか明らかにすることができる.また,他の抗酸化物質との比較も容易に行うことができる.研究3では,筋管細胞に分化させた後に,骨格筋肥大の重要な因子であるIGF-Iを加えることで,筋タンパク質合成に関わるシグナル伝達経路を刺激し,それらのシグナルに及ぼすビタミンCの効果について検討した.また,ビタミンCと同じく水溶性の抗酸化物質であるNACとの効果の比較を行った.

ビタミンC添加は,IGF-I刺激によるp70s6kとErk1/2 のリン酸化を抑制することが示唆された.しかしながら,p70s6kの上流に存在するAktに対する影響は小さかった.一方,NACはAkt,p70s6k,Erk1/2のいずれの経路のリン酸化も減弱した.これらの結果から,ビタミンCはNACとは一部異なる経路でp70s6kやErk1/2のリン酸化を減弱する可能性が示された.NACなどの抗酸化物質はIGF-Iレセプターの活性化を抑制することで,その下流に位置するAktおよびp70s6kを抑制することが報告されている(Handayaningsih et al. 2011).したがって,ビタミンCがIGF-Iレセプターに及ぼす効果は他の抗酸化物質よりも小さく,IGF-Iレセプター以外の経路にも作用することでp70s6kのリン酸化を減弱するものと推察された.

【第4章:総括論議】

本研究によりビタミンC投与が力学的過負荷による骨格筋肥大を減弱することが明らかとなった.さらに,その骨格筋肥大減弱効果には,筋タンパク質合成(p70s6k,Erk1/2)や筋タンパク質分解(atrogin-1)を制御するシグナル伝達経路の調節が関与することが示唆された.ただし,ビタミンCは他の抗酸化物質とは一部異なる機序でp70s6kのリン酸化を減弱する可能性が示された.また,実験期間を変えることによってビタミンC投与の効果が異なったことから,運動強度やビタミンC投与の方法,投与量によって,筋肥大に及ぼすビタミンCの効果の程度が異なる可能性が考えられた.さらに,本研究では,力学的過負荷が酸化ストレスを増加し,体内の抗酸化能を亢進する可能性が示された.

本研究の結果は,筋肥大のメカニズムを明らかにする上で重要な知見となるにとどまらず,スポーツ競技者や一般健常者の体力づくりの現場において、栄養補給やコンディショニングのあり方を見直すきっかけとなりうるものであった.

図.筋肥大に及ぼすビタミンC投与の効果

aa SHAとの間の有意差(P < 0.01).

bb VCとの間の有意差(P < 0.01).

審査要旨 要旨を表示する

強度の身体運動は、骨格筋内の有酸素性代謝系、NADPHオキシダーゼ、キサンチンオキシダーゼなどを活性化し、活性酸素種(ROS)を生成させる。このため、運動を行う際には、ビタミンC、ビタミンE、フラボノイドなどの抗酸化活性物質を含む食品や、場合によってはそれらのサプリメントを摂取することが推奨されてきた。しかし、運動に伴って発生するROSは、体内の抗酸化力の増強や、有酸素性持久力の向上などの適応のために重要なシグナル伝達物質としてもはたらいていることが分かってきている。したがって、過度にROSを除去することは、運動・トレーニングが目的とする良好な適応反応を減弱してしまう可能性もある。実際、過剰な抗酸化物質の摂取が、持久性トレーニングによる骨格筋ミトコンドリアの増殖や、全身持久力の向上を低減することが報告されている。一方、レジスタンストレーニングによる骨格筋肥大においても、ROSはインスリン様成長因子(IGF-I)を介したタンパク質合成・分解の調節に関わるシグナル伝達経路において重要な役割を果たすことが判明してきている。このことは、過剰の抗酸化物摂取が、レジスタンストレーニングによる筋量の増加を減弱する可能性を示唆する。本論文は、ラット骨格筋肥大モデルおよび培養筋細胞を用い、抗酸化物質として広く摂取されているビタミンCの投与が、筋肥大およびそれに関連するシグナル伝達系に及ぼす効果について詳細に検討したものである。

本論文は序章を含み全5章からなる。序章は研究の背景、第1章は14日間の継続的なビタミンC投与が力学的過負荷による骨格筋肥大に及ぼす効果、第2章はビタミンC投与が代償性筋肥大初期時の応答に及ぼす効果 、第3章はビタミンC添加がIGF-I刺激により引き起こされるシグナル応答に及ぼす効果について論じ、第4章は総括論議となっている。

序章では、運動に伴うROS生成のメカニズムについて概説するとともに、運動による良好な適応としての有酸素性持久力の向上や骨格筋肥大におけるROSの役割についての先行研究をまとめ、過剰な抗酸化物質の摂取が、トレーニングから筋肥大へとつながるシグナル伝達経路の活性化を減弱する可能性について論じている。

第1章の実験では、14日間にわたりラット足底筋に共働筋切除による過負荷を与え、代償性肥大を起こさせるモデル系を用いて、継続的なビタミンCの投与(体重1kg当たり500mg/日)が筋湿重量、筋タンパク質濃度、筋および血中ビタミンC濃度、酸化ストレスマーカーなどに及ぼす効果について調べている。その結果、ビタミンCの投与は、過負荷による筋湿重量の増大を低減し、さらに筋肥大関連シグナル伝達物質であるリン酸化Erk1/2、リン酸化p70s6kの発現増加も抑制することが示された。さらに、筋タンパク質分解を活性化する atrogin-1の発現量が過負荷により減少したが、ビタミンCの投与はそれを抑制した。一方、筋中ビタミンC濃度や、酸化ストレスマーカー濃度などには、ビタミンC投与による明らかな影響は見られず、ビタミンC投与による初期的効果を見落としている可能性が示唆された。

そこで、第2章の研究において、共働筋切除2日後、ビタミンC投与1時間後に筋サンプルを採取し、血中および筋中ビタミンC濃度、酸化ストレスマーカー濃度、筋線維内シグナル伝達物質に及ぼすビタミンC投与の初期的効果について調べた。過負荷によって、タンパク質合成関連シグナル伝達物質の反応は見られたが、それに対するビタミンCの効果は見られなかった。さらに、血中ビタミンC濃度は著しく上昇したが、筋中ビタミンC濃度、酸化ストレスマーカー濃度には変化がなかった。これらのことから、ビタミンCは細胞外から作用する、他器官を介して間接的に筋に作用する、抗酸化活性とは別のメカニズムで作用する、などの可能性が示唆された。

これらの可能性について検討するためには、in vitro実験系がまず有用である。そこで、ラット筋芽細胞(L6)培養細胞系を用いた実験を行い、その結果を第3章で述べている。ここでは、筋管細胞分化後にIGF-Iを添加することで筋タンパク質合成関連シグナル伝達系を賦活化し、それに及ぼすビタミンCの効果について調べた。その結果、ビタミンCの添加は、Erk1/2、p70s6kなどのリン酸化を抑制したが、より上流に位置するAktのリン酸化には影響を及ぼさなかった。一方、水溶性抗酸化物質であるNACは、これらのすべての反応を減弱した。これらの結果から、ビタミンCが直接筋細胞に作用すること、他の抗酸化物質とは異なる経路で効果を及ぼすことが示唆された。

以上の結果をふまえ、第4章で総括論議を行っている。第1章、3章の結果から、ビタミンCは直接筋線維にはたらき、筋タンパク質代謝関連シグナル伝達系に影響を及ぼすことで、過負荷による筋肥大を減弱することが判明した。同時に、その効果は、他の抗体酸化物質の効果とは異なる経路を介する、あるいは抗酸化活性とは異なる、特異的なメカニズムを介する可能性も示唆された。本論文から得られた知見を、運動・トレーニングの現場に活かすためには、より実際の運動に近い条件での筋肥大に及ぼすビタミンCの効果を検証するとともに、そのメカニズムを明らかにするためのさらなる研究が必要であると考察している。

本論文は、骨格筋肥大に及ぼすビタミンCの投与の影響につき、筋形態のみならず、細胞内シグナル伝達系の観点から検討を加えたものであり、独自性が高く、学術的意義も十分に大きなものと評価できる。また、本論文の第1章、2章はActa Physiologica誌に掲載されるが、社会的なインパクトの強いすぐれた論文として、掲載号の"Topics"で紹介されることになっている。それだけ責任も重く、また関連分野の今後の研究に強い影響を与える論文といえよう。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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