学位論文要旨



No 128901
著者(漢字) 清水,希容子
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,キヨコ
標題(和) ものづくり産業のイノベーションと地域の持続的発展に関する地理学的研究
標題(洋)
報告番号 128901
報告番号 甲28901
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1212号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松原,宏
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 准教授 永田,淳嗣
 東京大学 准教授 梶田,真
 法政大学 准教授 近藤,章夫
内容要旨 要旨を表示する

本論文は,ものづくり産業のイノベーションと地域の持続的発展について,理論・政策を整理したうえで,実証研究での結果を示し,新たな理論構築と地域産業政策へのアプローチを提供するものである.

素材加工を行うものづくり産業は,製造業の基盤となる重要な産業である.また,当産業の産業集積が全国の地域で見られることから,地域で競争力を有する産業として地域振興の点からも注目される.一方,最近は,市場競争の激化や国内の人口減少から,企業がこれからも競争力を有していくためにイノベーションを起こすことが重視されている.近年,製造業におけるイノベーションの研究は,産業集積理論の分野において世界各国で行われている.しかし,それらの多くは主体間関係や制度的役割を扱うもので,地域主権が叫ばれている昨今,地域の持続的発展にまで言及した研究及び国内における実証研究は少ないのが実態と言える.

本論文では,ものづくり産業のイノベーションの中でも,技術革新であるプロダクト・イノベーションを取り上げる.技術革新に必要な知識創造において,素材の特徴を経験から見分けられる暗黙知は,ものづくり産業にとって特に重要である.ものづくり産業の加工技術において,素材の特徴を知ることが最も基本的なことであり重要なことだからである.しかし近年は,生産現場でのマニュアル化の進展や徒弟制度の消滅から,暗黙知を修得する人材の減少が危惧されている.そこで,こうした危機感を地域はいかに共有し解決して持続的発展へと結びつけるのか理論的考察と実証研究を行う.地域産業政策へのアプローチは,地域に集積する産業の特徴により具体的な施策が変わると考えることから,その違いを踏まえ比較した実証研究を進める.方法は,データ分析と聞き取り調査による.

本論文は六つの章から構成されている.

第一章では,ものづくり産業の特徴を確認するとともに,近年研究成果が活発に出されている産業集積と地域イノベーションに関する研究成果を整理する中で,ものづくり産業におけるイノベーションを分析していく上での研究視角を明らかにする.ものづくり産業は,わが国における重要な産業の一つであるが,1990年以降,中国などの海外の競争相手の台頭や,流通革命による国内における価格破壊により,大きなダメージを受けている.今後も成長を続けていくには,資本,労働力,技術革新のいずれかを伸ばしていく必要があるが,国内では人口減少時代を迎えて資本と労働力の大きな伸びが期待されず,技術革新に対する期待が増している.ものづくり産業が盛んな地域では,これまでもイノベーションを起こして成長を続けてきた.しかし最近,ものづくり産業のイノベーションで重要な役割を果たしている暗黙知を修得した人材が減少しているという危機感が生じている.ものづくり産業の知識創造のプロセスを整理する中で,暗黙知の重要性を明らかにし,暗黙知,人,地域との関連に焦点をあてることで,地域の持続的発展についての考察を行う.

第二章では,ものづくり産業の全国的な変化を概観し,その上で,第三章以降でとりあげる金属製品製造業,食料品製造業,輸送用機械器具製造業の三業種について,工業統計表を使用したマクロ的な把握と,日本標準産業中分類で事業所・企業統計の従業者数で算出した特化係数を使用し,ものづくり産業が盛んな都市の抽出と集積する産業の把握を行う.そのうえで,同じものづくり産業の中でも産業の規模や構造などの特徴により,分布状況のパターンに違いが生じることを明らかにする.

第三章から第五章までは,筆者が仕事で長年携わってきた東北エリアから,特徴の異なるものづくり産業の盛んな地域を選定して,聞き取り調査を中心とした実証研究を行う.三つの事例の空間スケールが異なるが,都市,複数の都市を含む県,複数の県を含む地域ブロックという違いを踏まえて検証する.

第三章では,燕・三条の金属加工業の取組の結果を提供する.燕・三条は江戸時代に代官が奨励した和釘生産で江戸大火の需要を取り込んで産業集積を形成した.1950年代の洋食器は貿易中心に世界中で一世を風靡した.企業規模は小さいが日用品,自動車・電気・建築の部品,金型などに分野を広げ,新素材にも挑戦している.1985年頃から地元公的機関が情報機能,リスク回避機能,コーディネート機能を有した支援を行っている.しかし,イノベーションに重要とされる暗黙知が,後継者不足や工程省略などにより継承されないという危機感が抱かれている.そこで近年,さんじょう鍛冶道場や燕市磨き屋一番館の人材育成機関が設立されるに至っている.また,ものづくりのおもしろさを教えるための教育が小中学校の授業に取り入れられて始まっている.

第四章では,新潟の米菓産業の取組の結果を提供する.県公設試験所と地元企業との研究開発による大量生産を可能とする新技術の確立で,高度成長期の大きな需要を取り込んで集積を形成した.新潟の米菓産業は全国シェアの約50%を占め,わが国の米菓産業を牽引している.地元企業は大企業へ成長し県公設試験所主導の指導は終了したが,引き続き企業は自由な研究環境と幅広いネットワークの構築に魅力を感じ,県公設試験所に職員を派遣して素材からの研究を行っている.しかし,企業が成長する間に生産現場のマニュアル化と分業が進み,米菓製造の全体像や基本的知識を身に着けた人材が育っていないという危機感が抱かれている.そこで近年,県米菓組合が県公設試験所に基礎研修コースの開設を要請し合宿形式で人材育成が実施されている.

第五章では,東北の自動車産業の取組の結果を提供する.東北の自動車産業の集積形成は現在進行中だが,トヨタ自動車が東北を東海,九州に次ぐ第三の拠点と位置付けたことで,域外からの1次及び2次サプライヤーの立地が相次ぎ,3次サプライヤー以下の地元企業の参入が期待されている.しかし,顧客に提案できる独自技術を有していなければ参入は難しい.工学部を中心に産学連携が盛んな岩手大学との共同研究で独自技術の確立に成功した地元企業は,教授の卒業生を採用し教授と試行錯誤を繰り返し忍耐強い取組みを行った.また,その他では,シートや内装品など,手作りの工程が比較的多く残る暗黙知が活かせる分野での参入が現実的となっている.

第六章では,第三章から第五章の事例分析を受けて,産業集積の特徴,地域に蓄積される技術の性格,イノベーションや人材育成などに関する地域の持続的な発展に関わる取組等について三地域の比較と考察がなされる.産業集積の特徴は,燕・三条地域は伝統的な地場産業型,新潟県の米菓産業は各地域の家庭から始まった生業型,東北地域の自動車産業はトヨタ自動車の完成車工場の立地を契機とした分工場型で,各々の産業の特徴により集積展開の空間スケールが異なる.これらの事例に見られる地域の基盤技術は,地域で確立された製造技術理論に基づくものであり,製造技術理論は1950年代から1960年代にかけての産学連携で,職人的な技や勘に頼っていた生産現場に科学的アプローチが導入され,暗黙知と形式知の融合により確立された.それは,機械化による大量生産或は職人技を高めることにつながった.産学連携における地域の公設試験研究機関(公設試)の役割は大きく,公設試の研究員や職人を通して地域にノウハウや技術が蓄積され,次のイノベーションにつながっている.現在においても,革新的及び漸進的イノベーションの両方に公設試が関わり,特に,基礎研究と製品化のための研究を結ぶ「応用的基礎研究」の分野で重要な役割を果たしている.1950年代から1960年代と現在の産学連携の変化は,1950年代から1960年代は,企業は産学連携に業界団体として参加し,成果は地域全体に広められた.現在は,各企業が成長し独自の研究部門を持つようになったため,個別企業で参加する傾向が強くなっている.一方,機械化を進めた企業は,工程分業が進み一人が全行程を経験することが難しいなど,ものづくりの基本的な知識が不足するという技術の希釈が起きている.そのような危機に対処しようと,人材育成を目的とした研修が地域的な取組として行われている.ものづくり産業が持続的に発展するためには,暗黙知やノウハウを伝え,それを教えることのできる公設試のような機関や人材が存在していることが重要であり,産業集積地の強みである.知識創造の空間スケールについては,東北地域の自動車産業の事例から,「試行錯誤の場(生活圏)」と「情報交換の場(地域ブロック圏)」があり,それらは異なる空間スケールで重層的に存在する.

終章では,地域産業政策の課題と政策への含意を提供する.産業集積が重視される理由の一つにイノベーションを起こしやすいことがあげられる.そのうえで,イノベーションに関する地域産業政策への含意については,地域という単位での「試行錯誤」や「切磋琢磨」の重要性,産学連携における地域の公設試験研究機関による「応用的基礎研究」の重要性,「基本的な製造技術理論」の習得に向けた地域的かつ継続的な取組の重要性があげられる.

審査要旨 要旨を表示する

日本の製造業のなかでも,熟練の技が必要とされる加工分野であるものづくり産業は,金属加工業,木工品加工業,食料品加工製造業など多様で,それぞれの産業集積が全国各地で形成され,地域の重要産業として位置づけられてきた。しかしながら,担い手の高齢化や後継者難,安価な海外製品の流入など,ものづくり産業を維持することが困難になっている地域が少なくない。グローバル競争と労働力不足に対応するためには,イノベーションによる新製品の開発と技術や知識に長けた人材の確保が重要となっている。本論文の目的は,日本におけるものづくり産業の特徴ある産業集積地域を取り上げ,地域における産学官連携を通じた知識交換過程に注目し,イノベーションがどのように起きてきたのかを明らかにするとともに,地域の持続的発展におけるそうしたイノベーションの意義と課題を検討することにある。

本論文は,8つの章から成る。まず序章では,問題の所在と本研究の目的と方法が述べられる。続く第1章では,ものづくり産業の特徴とそうした産業の集積地域についての既存研究の成果が整理され,知識の交換や人材の地域固着性,空間スケールに着目する本研究の視点が述べられている。第2章では,わが国製造業の推移について全国的概観がなされるとともに,統計資料の分析を通じて,金属製品や食料品といった代表的なものづくり産業の分布特性が明らかにされている。

第3章,第4章,第5 章の3つの章は,企業,公設試験研究機関,自治体関係者等への聞き取り調査にもとづく地域実態分析の成果で,本論文の中心を成すものである。第3章では,新潟県燕三条地域における金属加工産業が取り上げられている。そこではまず,同地域がオイルショックや円高などの度重なる経済危機を,イノベーションを繰り返すことで克服してきた歴史と産業集積の構造変化が示される。その上で,鍛造,プレス,研磨といった基盤技術の確立と継承,マグネシウム合金の加工やアウトドア製品の開発といった新分野の開拓がなされてきた過程が詳細に記述され,産学官連携の成果が明らかにされている。

第4 章では,出荷額の対全国シェアが5割を超えるまでに成長した新潟県の米菓産業が対象となっている。そこでは,これまで職人の経験と勘に頼っていた米菓づくりを,米菓組合と県の食品研究センターとの産学協同を通じて製造技術理論として確立し,そうした技術を県内の生産現場に浸透させるという独自の取組みが,成長要因として評価されている。また近年では,企業と食品研究センターとの関係が,新製品の開発や人材育成に重点を置くものに変わってきている点の指摘も重要である。

第5章では,自動車産業の新たな立地地域として注目されている東北地方におけるものづくり産業が取り上げられている。そこではまず,自動車産業の集積形成の過程と木材加工などの技術を活かした地元企業の関わりが指摘される。続いて,金属と樹脂の接着に関する岩手大学の基礎研究の成果が,岩手県の公設試験所を介して県内企業のものづくり技術と融合され,燃料電池自動車の重要部品として採用された事例に焦点が当てられ,今後の東北での自動車産業の方向性が示唆されている。

第6章では,上記の事例研究の比較と考察がなされ,終章では地域産業政策の課題が述べられている。そこでは,ものづくり産業を支える職人技を製造技術理論として確立し,それを機械化もしくは職人技の深化に活かすことで,イノベーションにつなげていくこと,大学と公設試験所,ものづくり企業との連携を通じて,基礎研究の応用と製品化を進めていくことの重要性が指摘されている。また政策的には,技術の伝承や人材育成に関わる取組みとともに,産業特性に適した空間スケールを想定して知識の交換過程を活発化し,イノベーションを継続的に起こしていく仕組みづくりが重要とされている。

生命科学や情報通信など,形式知をベースとしたサイエンス型産業に関するイノベーション研究が活発になされる一方で,暗黙知をベースにしたものづくり産業のイノベーションに関する研究は少なく,しかも本論文では,産学官連携による暗黙知と形式知の変換過程を具体的な事例に関する詳細な聞き取り調査により明らかにした点に,大きな意義がある。

以上のように本論文は,日本のものづくり産業におけるイノベーションを,知識の交換過程に注目した実証研究から解明したもので,地域イノベーションに関する経済地理学の研究成果として,高く評価することができる。したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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