学位論文要旨



No 128903
著者(漢字) スリーピァン,ピーラヤー
著者(英字) PEERAYA,SRIPIAN
著者(カナ) スリーピァン,ピーラヤー
標題(和) 輪郭線の位置合わせを必要としないハイブリッド画像の作成法およびその評価法
標題(洋) Edge-Alignment Free Hybrid Image : Its Synthesis and Assessment Methods
報告番号 128903
報告番号 甲28903
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1214号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,泰
 東京大学 教授 山口,和紀
 東京大学 教授 植田,一博
 東京大学 教授 開,一夫
 東京大学 准教授 金井,崇
 明治大学 特任教授 杉原,厚吉
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景と目的

ハイブリッド画像とは観察者と画像との距離によって見え方の異なる画像である.[6] の結果画像[4] は,近くで観察するとアインシュタイン,遠くから観察するとモンローの顔が見えるハイブリッド画像の例である.ハイブリッド画像H は,2 枚の画像I1,I2 を異なる周波数成分に分解し,再合成することにより作られる[6].

ハイブリッド画像は,人間の視覚系における空間周波数の影響を研究するための実験ツールとして開発された[7].認知処理における周波数成分ごとの役割を明らかにするためには,画像提示に十分な時間が必要であるが,写っている物体の輪郭が異なる2 枚の画像からなるハイブリッド画像を用いると,両方の画像が見えてしまうという問題があった[5].視覚系が低周波数成分あるいは高周波数成分のいずれの画像を処理しているのかを検出するには,2 枚の画像が同時に知覚されることは不適切であり,どちらか一方の画像だけが認識されることが望ましい.そのため従来の研究では,[4] のように2 枚の原画像の輪郭またはエッジを合わせることによって,両方の画像が同時には見えないようにしていた.一方,対象物の形状や位置合わせに依存しないハイブリッド画像を作成できるならば,人間の視覚系に関する実験において,より多くの種類の刺激を利用できるようになり,実験の幅を広げることが可能となる.

さらに,これまでは上で述べたような視覚系に関する実験において,真に一方の画像のみが見えているのか,あるいは双方の画像が同時に見えているのかを適切に扱う方法がなかった.たとえば,[5] では,被験者に実験の後で2 枚の画像が同時に見えたか否かを尋ねている.ほとんどの被験者はひとつの画像だけが見えたと答えたが,被験者の中には2 種類の空間周波数画像の存在に気づいた者もいた.顔のように形の似通った画像からなるハイブリッド刺激であっても,2 種類の情報に気づく場合があることが報告されている.従来の実験においては,これらの扱いに関わる困難を回避するために,関連するすべてのデータを破棄していた.ハイブリッド画像の実験において,被験者がどちらか一方の画像のみを知覚しているのか,あるいは両方の画像を知覚しているかという状況を定量的に評価できることが望ましい.

本研究は,従来のハイブリッド画像の合成法に制限があり2 枚の画像が同時に観察されてしまうこと,また,そのような状況を適切に評価する手段がなかったことに解決を与えようとするものである.そのために,まず輪郭線の位置合わせを必要としないハイブリッド画像の作成法を議論する.作成されるハイブリッド画像は,仮に元画像の形状が異なるものであったとしても,高周波数成分と低周波数成分とが同時に観察されることなく,ある距離においては一方の画像のみが認識されることが望ましい.このような性質を,ハイブリッド画像の分離能力と名付け,より分離能力の高いハイブリッド画像作成法を目指す.次に,ハイブリッド画像ならびにその作成法の分離能力を評価する方法を検討する.作成されたハイブリッド画像を観察する際に,その中の高周波数成分ないし低周波数成分のいずれか一方のみが知覚されるのか,あるいは両方の成分が同時に知覚されるのかという確率を求めることで,ハイブリッド画像の分離能力を定量的に評価することを試みる.また,その評価法を用いることで,提案する作成法の優位性を明らかにしたい.

ハイブリッド画像の作成法

輪郭線の位置合わせを必要としないハイブリッド画像の生成方法としてノイズ付加法と色付加法の提案を行う.ノイズ付加法は小西らによって提案されたもので,高波数成分にノイズを加えることによって,低波数成分の画像を隠そうとする方法である[2] .本研究では,画像全体にノイズが加わることでハイブリッド画像が見にくくなることを防ぐために,低周波数成分と高周波数成分の元画像の局所的な情報を考慮したノイズ付加法を提案する.一方,色付加法は,遠くからの低波数成分画像の知覚を妨げることなく,近距離から見るときに高周波数成分画像を,より注目しやすくする方法である.このために色付加法では,近い距離でのみ知覚される補色の正弦波格子を利用する.これらの提案手法をまとめた処理手順を図1 に,また作成されたハイブリッド画像の例を図3 に示す.

ノイズ付加法

人間の視覚系の性質上,画像を遠くから観察する場合には,画像中の低周波数成分が支配的な要素となる.したがって,近くから観察する際に高周波数成分をいかに強調するかが重要なポイントとなる.本研究で提案する手法は,小西らによって提案された手法[2] と同じく,高周波数成分を抽出する際のリンギングノイズを利用する.しかし,小西らの手法ではノイズが画像の全体に付加されるため,ハイブリッド画像が見えにくくなるという問題があり,この問題の解決を目指した.まず,近くで見る際に低周波数成分が目立たなくなるように,勾配空間高ダイナミックレンジ圧縮法(GDC: Gradient Domain High Dynamic Range Compression)[1] を利用する.次に高周波数成分においては,リンギングノイズだけでなく,高周波数成分原画像に含まれている微小ノイズを詳細強調する.詳細強調はバイラテラルフィルタを用いてベース部と詳細部を分解することで実現できる.詳細強調とリンギングノイズが付加された画像は,高周波数成分と低周波数成分の両原画像の情報をもとに作成された局所周波数マップに基づいて,局所的なコントラスト強調を行なう.局所的なコントラスト強調は画素単位で処理される方法で,各画素の周辺領域を窓によって切り出し,その窓領域内にヒストグラム平坦化を施した際の画素値を計算する.この手法によって,画素ごとに適切なコントラストが得られる.

色付加法

ゲシュタルト心理学の群化の理論を利用して,注目すべき領域を色によって目立たせられる.従来の研究でも色を用いる方法が提案されていたが,輪郭線の位置合わせを必要としないハイブリッド画像に適用するためには,様々な問題が存在していた.Oliva らは遠くから観察する際の見えを考慮して,低周波数成分原画像の色を利用していた[6].しかし,この方法は両周波数成分に似通った原画像を用いる場合にのみ有効である.一方,小西らは近くで見る際の高周波数成分の強調を目的として,高周波数成分原画像の色を利用する方法を示した[2] .しかし,彼らの方法でも,遠くから見る際に高周波数成分原画像の影響が現れてしまい,低周波数成分の認知に影響するという問題があった.本研究では,この問題に対応するために,補色からなる正弦波格子を利用する.この正弦波格子は近くから見る際には2 つの色が知覚されるが,遠くに離れて見ると色が混ざって灰色になってしまう.本研究では,Mullen の研究[3] によって明らかにされた補色の周波数をもとに,格子の周波数を決定している.与えられたモノクロのハイブリッド画像に対して,高周波数成分の背景にあたる場所に補色格子を重畳することで,高周波数成分を目立たせる.入力となるハイブリッド画像の画素値(明度)を保持し,画素の位置に応じた位相で補色格子の色を決定する必要があるが,この計算に用いる格子色域という概念を提案した.格子色域とは,対象となる出力デバイス上で,補色格子を表示できる色域を表したものである.色彩輝度計によって測定した正確な色域をもとに格子色域を求めることで,適切な補色が計算できるようになった.

ハイブリッド画像の評価法

本研究ではハイブリッド画像の分離能力を数量化するために,以下の4 つの確率を用いることを提案する.

P[L,H] 低周波数と高周波数の両周波数成分が見える確率.

P[~L,H] 高周波数成分のみが見える確率.

P[L,~H] 低周波数成分のみが見える確率.

P[~L,~H] 低周波数と高周波数の両周波数成分が共に見えない確率.

特に4 つの確率の中では,両周波数成分が同時に見える確率P[L,H] を低く抑えられることが重要となる.これらの4 つの確率を求めるための実験として,2 種類の計算方法,強制選択法と非強制選択法とを検討した.いずれも各周波数成分に1 桁の数字が含まれるハイブリッド画像を提示するが,強制選択法の場合に被験者は必ず2 つの数字を回答しなくてはならないのに対して,非強制選択法の場合に被験者は知覚できた任意個(0~2 個)の数字を回答できる.前者は一般的な心理物理実験に利用される方法で4 つの確率を容易に導出できるが,認知できない数字が存在した場合に,被験者の回答に戦略的な偏りが生じる恐れがある [8] .後者は,そのような偏りを排除できるものの,認知できない数字が存在した場合に,回答を試みる傾向の個人差が影響する可能性がある.そこで本研究では,試行率(trial rate) と推定率(guess rate) と呼ぶ2 種類の確率を組み込んだ計算法を考案した.

本研究では,強制法を用いてハイブリッド画像作成法の周波数分離能力の評価を試みた.観察視野角x において低周波数成分と高周波数成分とが同時に見える確率曲線P[L,H](x) を求め,観察範囲における積分値と,標準偏差に類似した分布指標s とを計算した.提案する作成法の数値は,いずれも従来の作成法による数値に比べて有意に低いことから,周波数分離能力が向上したと考えられる.また,近い距離において高周波数成分のみが見える確率P[~L,H] を比較したところ,図2 左に示すように提案手法は従来手法よりも確率が高く,特に色付加法の結果は最も高くなっていた.このことから,近い距離において,提案手法が低周波数成分の遮蔽と高周波数成分の強調という2 つの目的を達成できていることを確認できた.一方,遠い距離で低周波数成分のみが見える確率P[L,~H] を比較すると,図2 右のように提案手法と従来手法には有意な差はなく,低周波数成分の知覚を妨げていないことも確認できた.

まとめ

本研究では輪郭線の位置合わせを必要としないハイブリッド画像に関する研究を行った.まずノイズ付加法と色付加法という2種類の作成法を提案した.さらに,ハイブリッド画像に含まれる2種類の周波数成分それぞれの認識率を実験から求める手法を考案した.これにより,前述のハイブリッド画像作成法が既存手法と比べて,優れた周波数の分離能力を実現していることを示した.

[1] Fattal, R., Lischinski, D., and Werman, M. Gradient domain high dynamic range compression. ACM Trans. Graph. 21 (July 2002), 249-256.[2] Konishi, M., and Yamaguchi, Y. Hybrid images by local frequency analysis. Proceedings of Visual Computing, Graphics and CAD Symposium (2007). (in Japanese).[3] Mullen, K. The contrast sensitivity of human colour vision to red-green and blue-yellow chromatic gratings. Journal of Physiology, 359 (1985), 381-400.[4] Oliva, A. Marylin Eistein. http://cvcl.mit.edu/hybrid_gallery/monroe_einstein.html/, 2007.[5] Oliva, A., and Schyns, P. G. Coarse blobs or _ne edges? evidence that information diagnosticity changes the perception of complex visual stimuli. Cognitive Psychology 34, 1 (1997), 72-107.[6] Oliva, A., Torralba, A., and Schyns, P. G. Hybrid images. ACM Trans. Graph. 25 (July 2006), 527-532.[7] Schyns, P. G., and Oliva, A. From blobs to boundary edges: Evidence for time- and spatial-scale-dependent scene recognition. Psychological Science 5, 4 (1994), 195-200.[8] Schyns, P. G., and Oliva, A. Dr. angry and mr. smile: when categorization flexibly modifies the perception of faces in rapid visual presentations. Cognition 69, 3 (1999), 243-265.

図 1: 作成法の全体像.( 元画像:"Maximum Mini" by Christian Senger (c) 2009, Creative Commons Attribution license:

http://creativecommons.org/licenses/by/2.0/deed.en のもとの許可により使用, "Tigger" by Jacob Enos (c) 2008, Creative Commons Attribution-ShareAlike license: http://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0/deed.en のもとの許可により使用)

図2: 近い(左)と遠い(右)距離における確率の比較.

図3: 提案手法により作成されたハイブリッド画像.( 原画像:図1 と同様)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は観察者と画像との距離によって見え方の異なるハイブリッド画像を扱ったものであ る.ハイブリッド画像は,2 枚の原画像から異なる空間周波数を抽出して,それらを合成す ることによって作成される.具体的には,画像 I1 から高周波数成分,画像 I2 から低周波数 成分をそれぞれ取り出して,2 つの情報を合成すると,近くから観察する場合には画像 I1, 遠くから観察する場合には画像 I2 が見えるようになる.ハイブリッド画像は,ヒトの視覚 系における各周波数成分の影響を研究するためのツールとして開発された.しかし,単純な 周波数成分の抽出と合成では,2 枚の原画像に写っているものの形状が大きく異なると,近 くで観察する際に両方の画像がともに見えてしまうという問題があった.そのため従来は, 原画像を注意深く選択して微妙な位置合わせをした上で,ハイブリット画像を作らなくては ならかった.本論文は,2 枚の画像の形状や輪郭を合わせることなくハイブリッド画像を作 る手法ならびに,1 枚のハイブリッド画像が距離に応じて 2 種類の異なった画像として見え ることを確認する手法を研究したものである.

本論文は全 6 章から構成されている.まず,第 1 章ならびに第 2 章では,上に述べた問題 点を整理している.ヒトの視覚系において画像中の周波数成分が如何に認知に影響するかと いう課題に関して,これまでになされてきた研究を概観し,ハイブリッド画像の意義につい て述べている.しかし,従来の単純な作成法では,2 枚の画像に写っているものが類似して いないと,近い距離で 2 種類の画像が同時に見えてしまい適切な実験を行なえない場合があ る.そこで,この問題を解決するものとして,位置合わせ不要なハイブリッド画像の作成法 と,ハイブリッド画像において 2 種類の画像が認知される状況を計量化する評価法の必要性 を明らかにしている.

第 3 章では,位置合わせ不要なハイブリッド画像の作成法として,ノイズを利用する方法 を提案している.これは高周波数のノイズを付加することで,近くから観察する際に低周波 数の画像を見えにくくしようというもので,基本的なアイディアは先行研究で提案されてい る.しかし,先行研究ではノイズが画像全体で均等に付加されるため,高周波数の画像も見 えにくくなるなどの問題点があった.そこで,2 枚の画像からノイズを付加すべき領域を検 出して,必要な部分にのみノイズを加える方法など複数の改善法を提案している.

第 4 章では,近くから観察する際に,高周波数の画像が強調されるようにするために,ハ イブリッド画像に色を用いる手法を示している.従来の手法が,原画像の色を利用すること を前提としたのに対して,本論文では原画像の色とは無関係な補色対の縞模様利用を提案し ている.すなわち,高周波数の画像の背景部分に補色対からなる縞模様を付加することで, 近くで観察する際には高周波数の画像に意識が向くようになる一方で,遠くで観察する際に は補色が混ざり合って一様な灰色に見えるというものである.第 3 章では既存手法の問題点 を解析して適切な改良を加えているのに対して,第 4 章ではこれまでにない新しいアイディ アで高周波数画像の強調を試みており,それぞれ高く評価される.

第 5 章では,ハイブリッド画像の性質を検証する評価法について提案するとともに,実際 に本論文で提案した作成法の評価を試みている.ここでは距離によって 2 枚の画像の見え方 が切り替わる状況を数値化する方法として,2 枚の画像が同時に見える確率,いずれか一方

だけが見える確率,どちらも見えない確率を求めることを提案している.この確率を求める ための実験形態として,画像中の高周波数と低周波数の 2 種類の情報の回答を参加者に強制 する強制選択方式と,認知できなかった情報については回答を留保できる非強制選択方式と について検討し,バイアスの生じにくい後者の手法の優位性を説明している.さらに,この 枠組みを用いて,第 3 章ならびに第 4 章で提案したハイブリッド画像作成法の有効性を示し ている.この評価法はハイブリッド画像という特殊な刺激を利用するがゆえに必要となるも ので,新しい実験手法を構築し,実際に適用している点で,新規性の高い研究となっている. 最後に第 6 章において,本論文の結論を述べている.

以上のように本論文は,位置合わせ不要なハイブリッド画像の作成や評価に関する問題点 を整理し,新たな作成法と評価法を開発することに成功している.単に新しいハイブリッド 画像作成の手法を提案するだけでなく,その有効性を検証するための評価法までも含めて研 究を展開していることは,本論文の独創性ならびに有用性を示すものであり,博士学位論文 として高く評価される.したがって,本審査委員会は博士 (学術) の学位を授与するにふさ わしいものと認定する.

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