学位論文要旨



No 128905
著者(漢字) 岡部,遊志
著者(英字)
著者(カナ) オカベ,ユウシ
標題(和) フランスにおける政府間関係と地域の競争力に関する地理学的研究
標題(洋)
報告番号 128905
報告番号 甲28905
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1216号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松原,宏
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 准教授 永田,淳嗣
 東京大学 准教授 梶田,真
 独協大学 准教授 飯嶋,曜子
内容要旨 要旨を表示する

近年,グローバル競争が激化する中で,先進国内ではむしろ,競争力の強化といった課題への対応として「地域」が重要視されている.地域政策の多くでは,「地域」におけるイノベーションを通じ,競争力を強化することが主要な目標の一つとなっており,地域政策の内容に旧来行われていた産業分野別の政策に加えて,イノベーションを中心に据えた政策の比重が大きくなってきている.初期の地域政策は,国など,規模の大きな主体がある特定の地域をターゲットとして,特定の産業分野への投資などを行うことを通じて,地域問題を解決しようとするものであった.その後,イノベーションの概念が地域政策に取り入れ,特にイノベーションを重視したポーターのクラスター理論を導入し,「クラスター政策」を行っている国が数多く存在する.

また,こうした動向に加え,地方分権の進展により,権限が地方自治体などに移譲され,地域政策がボトムアップのものになってきている.それに伴って,地域政策の遂行実態は,政府間関係よって差異が生ずると考えられる.政府間関係の概念は単純に中央政府と地方政府の関係を静的に表したものであったが,制度や構造といった側面からも研究が深まり,中央政府と地方政府は性質が違うゆえに政府によって適した政策が存在し,また政府間の関係にも多様性があるということが分かっている.こうしたことから,地域政策が行われる場合,政策分野によって固有の政府間関係が生まれるといえる.

ところで近年,多くの先進諸国で「競争力」が政策的な目標となっており,フランスでも地域の競争力が地域政策において重要な要素となっており,こうした背景からクラスター政策である「競争力の極」政策が生まれた.フランスでは多層な行政主体が複雑な政府間関係のなかで地域政策を行い,競争力を強化しようとしている.

こうした動向を受けて,地域政策に取り入れられている理論の中でも,競争力の発生する範囲を「地域」にもとめる議論が盛んになってきている.こうした議論は,地域が発揮するとされる競争力,すなわち「地域の競争力」を中心的な概念として,発展してきている.しかし,「地域の競争力」という概念は,政策に多く利用されているにもかかわらず,その定義や意味が確定しているとは言いがたい.特に,地域の競争力を発生させる要素が効果的であるとされる空間スケールや,業種間の政策が有効な空間スケールの差異といった,空間スケールと地域の競争力の関係についての議論は少ない.

フランスでは中央政府の影響が残りつつも,地域圏が中心となって,地域政策を行うように制度が確立されている.しかし,政府間関係が多様化し,地域の競争力を発揮する空間の規模が十分に議論されていない現在,フランスの地方制度が地域政策の遂行に適切であるかについては疑問が残る.本研究では事例研究を通して,政府間関係によって地域政策の遂行がどのように異なるのかを分析する.また,フランスの地域政策や産業クラスター政策についての研究蓄積はあるものの,政策を行う主体の変化や主体間,政府間の関係を考慮に入れた研究は未だに少ない.政策に大きな影響を及ぼすと考えられる中央政府と地域圏の関係を中心に,クラスター政策における政府間関係と,クラスター政策の遂行システムを分析することは重要であると考えられる.

以上をふまえて本研究では,フランスにおける地方分権の進展の中で新たに注目されてきた地域圏を対象地域とし,「国-地域圏間プロジェクト契約」 と「競争力の極」政策の2つの地域政策を取り上げ,政策形成過程や事業内容,予算配分などにおいて,中央政府と地域圏,地域圏と他の地方自治体とがどのように関わってきたかを明らかにするとともに,そうした政府間関係に特徴づけられた地域政策が地域の競争力強化に果たしてきた役割と課題を検討することを目的とする.

本論文の2章では,フランスにおける行政制度,地域政策,およびに経済的な空間構造の歴史的変遷を明らかにし,3~5章の事例研究の基礎とする.フランスの地域政策の中心的な主体となっている地域圏は中央政府により経済計画区域として1964年に制度化され,1980年代に地方分権改革により地方公共団体となった.この際,地域圏に地域政策に関する権限が委譲され,地域圏は地域政策の中心的な主体となった.またフランスの地域政策はある時期まではパリの富を地方へ分散させることが主要な目標であり,低開発地域を中心にパリからの工場移転や大規模開発が行われた.オイルショック以降の地域政策は衰退地域の支援に配慮するようになる.また,パリを中心とした首都圏地域は,これまで地方へその富を与え続けるだけであったが,2000年代に入ってフランスの競争力を牽引する地域として重要視されている.

3章ではフランシュ・コンテ地域圏の地域圏都ブザンソンにて展開されるマイクロテクニクスに関する地域政策が分析の対象となる.ブザンソンにおいて,権限の面から地域政策に重要な意味を持つのは地域圏と都市圏共同体であり,地域開発や経済開発に関する権限を持っている.しかし,予算的な裏付けがあるのは地域圏のみである.またフランシュ・コンテ地域圏はフランスの北東部に位置し,工業が地域経済において重要な地位を占めている地域圏である.しかし,産業の構造変化に伴い工業が衰退しており,工業の転換の促進が地域政策の中心となっている.時計産業の中心地であったブザンソンに1960年代に危機が訪れ,企業は隣接分野に進出していったが,教育・研究開発分野と地域産業との乖離が大きかった.地域圏はこれを再びネットワーキングさせ,産地全体の転換を促した.このように,対象となる産業が地域圏内のみに存在し,地域経済との結びつきは強いが,フランス全体の競争力にとって大きな重要性を持っていないとされる産業に対しては,地域政策の遂行の中心となるのは地域圏である.

4章で分析されるミディ・ピレネー地域圏は元来,農業が盛んな南西部に位置し,工業に関しては後進地域であったが,戦略的な産業の立地と政策による援助で発展した.中心都市トゥールーズの周辺にはエアバスの本社や組立工場が所在し,航空宇宙産業の中心地となった.ミディ・ピレネー地域圏においても地域政策に関する制度は地域圏中心であるが,対象となる産業は中央政府の影響が大きい航空宇宙産業である.地域圏はトゥールーズを成長の核としながら,その波及効果が地域圏全体に及ぶべく地域政策を遂行し,地域の競争力のポテンシャルを向上しようとしている.しかし,ミディ・ピレネー地域圏における航空宇宙産業に関する「競争力の極」アエロスパース・ヴァレーにおける政府間関係では中央政府が中心的な主体である.この競争力の極の参加企業は大企業が多く,また地域圏都のトゥールーズに集中している.こうした大企業が中心的で予算規模が大きい競争力の極では,中央政府が大きなプレゼンスを持っている.逆に地域圏は単独で政策に参加せず,アキテーヌ地域圏と広域連携を行うことで予算規模を増加させ,地域全体を支援している.

5章ではパリを擁するイル・ド・フランス地域圏について分析を行う.パリはフランスの首都として重要なだけでなく,多くの産業が集中しており,経済への影響も大きい.パリは古くから工業が盛んであったが,1960年代の工業の地方分散や近年の脱工業化を受けて,生産機能の減少と研究開発機能への転換が発生している.こうして分化した産業の空間配置は特徴的であり,生産に特化した機能はパリの西側,研究開発機能はパリもしくはパリの南部に集中している.パリ周辺地域はフランス全体の競争力にとっても重要な地域であるため,行政主体間の対立が起こっている.こうしたプロセスの中で,地域圏の地域政策を不十分とする中央政府により,交通体系を整備することを目的としてパリ大都市圏という新たな枠組みが構築された.また,パリでは過密が問題となっており,情報などへのアクセスが困難であるが,パリにおける競争力の極はこれを解決するものとして評価されている.

近年,地方分権に関して多様な議論がなされ,日本などにおいても地域政策を担う主体の在り方が問われている.地域政策を行う場合,その地域の特性や地域産業の特性など,政策の対象の特性を考慮し,適切な政府間関係を構築しなければ,地域政策の効果的な運営は不可能である.特に競争力が高いとされる地域に関しては主体間の競合が発生し,政策の決定までに時間がかかることとなる.こうした場合は,より規模の大きく上位の主体による調整などが必要となる可能性も高い.いずれにせよ,一律な権限の委譲ではなく,各政策主体が交渉や調整を行い自らの役割を明確化したうえで,地域政策の遂行に適した政府間関係の構築がのぞまれるであろう.また,その際に政府間関係に多様性があることを理解し,柔軟に関係を構築して政策を行うことが,地域の競争力を強化するより良い方法といえるであろう.

審査要旨 要旨を表示する

1980年代以降,フランスでは地方分権化が推進されるとともに,地域圏(region)が新たな地域政策の担い手として重要な役割を果たすようになってきている。地域政策の内容も,従来のパリから地方への諸機能の分散政策に代わって,地域の競争力やイノベーションを進める政策へと転換してきている。なかでも,中央政府と地域圏が契約し,予算を負担し合って地域の多様な政策的課題に取り組む「国-地域圏間プロジェクト契約」と,フランス版クラスター政策といえる「競争力の極」政策は,現代フランスの中心的な地域政策と位置づけることができる。本論文の目的は,フランスにおける地方分権の進展の中で新たに注目されてきた地域圏を対象地域とし,「国-地域圏間プロジェクト契約」と「競争力の極」政策の2つの地域政策を中心に取り上げ,政策形成過程や事業内容,予算配分などにおいて,中央政府と地域圏,地域圏と他の地方自治体とがどのように関わってきたかを明らかにするとともに,そうした政府間関係に特徴づけられた地域政策が地域の競争力強化に果たしてきた役割と課題を検討することにある。本論文では,政府間関係に注目して地域政策を分析するという新たな視点を導入し,フランスでの政策文書や予算・決算書類の分析,地域圏事務局などの関係主体へのヒアリング調査を行うことにより,現代フランスの地域経済と地域政策の実態と課題を解明した点に大きな意義がある。

本論文は,6つの章から成る。まず第1章では,地域政策に関する主要な理論とフランスの地域政策に関する数多くの既存研究の整理がなされ,本研究の目的と方法が述べられる。第2章の前半では,主として文献資料の整理を通じて,第二次大戦以降のフランスにおける政府間関係と地域政策の歴史的変遷をたどる中で,地方分権の進展と地域圏の成立・権限の強化,「競争力の極」政策の登場が明らかにされている。後半では,統計資料の分析を中心に,22の地域圏の域内総生産や産業構成の比較と,71を数える「競争力の極」の分布や産業分野,予算内容などの分析の結果,地域圏間の経済的格差や産業特性の違い等が示されている。フランス国内の地域圏を単位とした詳細な分析は,これまでにない貴重な研究成果といえる。

第3章,第4章,第5 章の3つの章は,現地調査にもとづく地域実態分析の成果であり,本論文の中心を成すものである。第3章では,フランス東部のフランシュ・コンテ地域圏における政府間関係と産業転換に焦点が当てられている。そこでは,時計産業などの従来からの工業が衰退するなかで,地域圏都であるブザンソンを中心に,「マイクロテクニクス産業」の振興策が打ち出されてきた経緯と今後の課題が明らかにされている。また,「国-地域圏間プロジェクト契約」の内容を分析した結果,地域の多様な政策的課題に応えるために,県やコミューンといった従来からの行政主体と地域圏との役割分担の重要性が指摘されており,重層的な構造をもつ政府間関係の意義にも注意が払われている。

第4 章では,フランス南西部のミディ・ピレネー地域圏における政府間関係と航空宇宙産業の国際競争力強化が取り上げられている。地域圏都であるトゥールーズは,航空宇宙産業の一大集積地として知られているが,こうした集積の高度化をめざす「競争力の極」政策が,隣接するアキテーヌ地域圏にもまたがって打ち出されてきた。ただし,戦略的に重要なプロジェクトの多くはトゥールーズに集中し,大企業の役割が大きく,地域圏内の他の地域への波及効果が弱かった点が問題点とされている。地域圏やその他の地方自治体の関与も限定的で,中央政府主導の色彩が強く,産業の国際競争力強化と地域内の均衡発展との両立を図ることの難しさが強調されているが,この点は重要な指摘といえよう。

第5章では,パリを中心としたイル・ド・フランス地域圏が対象地域とされている。同地域圏では,生産機能の国外への移転と研究開発機能や高次サービス機能の集積が進んでいる。首都圏地域の国際競争力強化は,フランスにおける地域政策転換を象徴する課題であり,多くの「競争力の極」政策が打ち出されてきた。「競争力の極」に関わる主体間のネットワーク強化が図られてきた一方で,「国-地域圏間プロジェクト契約」では,中央政府と地域圏との対立関係がさまざまな局面でみられ,サルコジ政権下で創設された「グラン・パリ」の位置づけなど,政府間関係の調整が課題として指摘されている。

第6章では,第3章~第5章での分析結果にEUのクラスター評価指標などの新たなデータを加え,3つの地域圏での事例研究の比較とまとめがなされている。そこでは,それぞれの地域圏が焦点を当てる産業分野の違いと中央政府からコミューンにいたる重層的な政府間関係のあり様が,地域の競争力を左右する点が指摘されている。全体を通じて,フランスの広域的な地域圏における地域政策を詳細に検討した本論文は,近年の日本において広域地方圏域での政策が重視されつつある中で,日本の研究者のみならず政策担当者にとっても参照すべき貴重な研究成果といえる。

以上のように本論文は,フランスにおける地方分権下の政府間関係に注目して,新たな地域政策の展開を現地での実態調査から解明したもので,政治地理学と経済地理学にまたがる新分野を切り開く研究成果として,高く評価することができる。したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク