学位論文要旨



No 128907
著者(漢字) 中川,恵理子
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,エリコ
標題(和) 生鮮野菜流通における卸売市場間価格差の規定要因
標題(洋)
報告番号 128907
報告番号 甲28907
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1218号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 梶田,真
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 教授 松原,宏
 東京大学 准教授 永田,淳嗣
 東京農業大学 教授 藤島,廣二
内容要旨 要旨を表示する

近年,大規模・広域流通システムにおける青果物の地域間価格差は,社会問題として研究者ならびに実務者の関心を集めている.たとえば,卸売市場間価格差に注目した場合,地方の中小規模市場では,都心に立地する大規模市場と比較して,同じ商品でも取引価格が割高になるといった問題が発生している.これは,量販店や加工・業務用需要の拡大により,ロットの大きい荷を扱える大規模市場に荷が集中し,地方の中小規模市場が大規模市場からの転送によって入荷せざるをえないためであると,生鮮食料品流通に従事する実務者は指摘している.恒常的な転送による入荷は,卸売・仲卸業者にとって,生産者から直接荷を受ける集荷方法よりも利益率が低く,地方中小規模市場の経営を圧迫する一因になっている.一方でこうした地方中小規模市場は,全国的な競争力が低い地場産品の出荷先として,また,地元の個人商店にとっての仕入れ先としての機能を有しており,その衰退は地域内の流通拠点の消失を意味する.このように,地域間・市場間の価格差は,地域農業の存亡に直結する重要な問題として捉える必要がある.

上記の問題を射程に入れ,集荷力の異なる市場間の卸売価格差の問題を検討するためには,拠点市場に位置づけられる市場のほかに,中小規模市場を含めた分析が必要である.そこで,本研究では,生鮮野菜の卸売市場間価格差と市場規模および流通圏の広がりとの関係を分析するとともに,卸売市場間価格差を生み出しているメカニズムを,流通経路の特定と関係主体の集荷・出荷戦略の分析を通じて明らかにしていくことを目的とする.

本研究では,以上の目的を達成するために,産地の規模と流通圏の広がりの異なる以下の3品目について比較検討を行う.取り上げるのは,(1)単独の大規模産地が広域的に独占市場を形成している夏ハクサイ,(2)全国に中小規模産地が分散している冬ハクサイ,そして,(3)複数の大規模遠隔出荷産地と地元市場を中心に出荷する中小規模産地が混在する夏カボチャの3つである.具体的には,中小規模市場を含む全国の卸売市場の価格・取扱数量データを用いて,夏ハクサイ,冬ハクサイ,夏カボチャに関してそれぞれ(1)卸売市場価格の空間分布,(2)市場取扱量と卸売価格,(3)輸送費(あるいは産地からの距離)と卸売価格,(4)市場間価格差と産地の集出荷機構との関係,を検討する.

まず,市場の取扱量と卸売価格について,統計分析の結果,夏ハクサイの場合は,取扱量が突出して大きい大規模市場の価格は全体の平均値に近いのに対して,中小規模市場の間では市場取扱量と卸売価格との間に負の相関関係が現れることが明らかとなった.その理由として,夏ハクサイの場合には,産地の集中度が高く,農協を通した出荷の割合が非常に高いことが挙げられる.広域的に出荷をする農協は,コスト削減のために出荷先を中規模以上の市場に限定するため,規模が小さい市場は産地から直接入荷することができず,転送の費用がかかる.ただし,夏ハクサイの場合でも中規模市場の価格は大規模市場よりも低い.これには,市場による販売力の差と主要な入荷先主体の差が影響していると考えられる.都心に立地し,販売力の高い大規模市場では,県農協との直接取引が取引量の大部分を占めるが,中規模市場では,産地商人からの買付や任意組合からの入荷シェアが無視できない割合を占めている市場が見受けられる.長野県産ハクサイの場合,農協を通して選別される系統出荷品は規格が揃っており,産地商人や任意組合を通じて出荷されたものよりも高値がつくため,系統出荷の割合が高い大規模市場では,中規模市場よりも平均価格が高くなる.

一方,冬ハクサイでは,市場取扱量と卸売価格との間に明確な相関関係は認められない.これは,農協経由の出荷,産地商人経由の出荷,個人出荷がそれぞれ同等の割合を占め,多様な集出荷機構が存在していることが要因であると考えられる.ただし,大都市圏に立地し,取扱量の大きい市場では卸売価格が高い傾向がみられる.これは,人口規模が大きい大都市圏の都心部に位置する市場では周辺住民の所得水準が高く,品質の高い商品を高価格で販売できるためであると考えられる.また,個人出荷者や単協(単位農協)は,商品の特性を的確に販売先へ説明することができ,希望価格に近い価格での販売が可能な大都市圏の市場へ優先的に出荷するため,高品質で高価格な商品が都心部の市場に集まりやすい.

夏カボチャの場合にも,市場取扱量と卸売価格の間には明瞭な相関関係が認められない.夏カボチャの場合には,遠隔出荷する集出荷主体として農協と産地商人が存在する.農協は,夏ハクサイと同様に出荷先を大規模市場に限定する傾向があり,産地商人は農協が出荷しない中小規模市場や入荷量が不足する大規模市場を中心に出荷している.そのため,市場取扱量が小さくても,産地商人等を通じて産地から直接入荷することが可能である.また,産地や品質による価格差が大きく,市場ごとに中心となる入荷先産地が大きく異なる.これらの2点が,市場取扱量と卸売価格とが相関しない要因であると考えられる.

次に,輸送費と卸売価格との関係について,夏ハクサイの場合,輸送費に規定された形で産地から遠いほど高いという価格の空間分布が生まれることが明らかになった.これは,夏ハクサイの場合には,単一の産地が広域的に市場を独占しているため,輸送費を希望販売価格に反映させた価格交渉が可能となるからである.

産地が全国に分散する冬ハクサイの場合には,夏ハクサイほど輸送費が卸売価格に反映されない.これは,市場がそれぞれ近郊産地から入荷することが多く,概して輸送距離が短いためである.ただし,関東地方でほぼ独占的な地位を築いている茨城県のハクサイの出荷圏にある関東地方の市場では,茨城県八千代町から遠いほど価格が高い傾向がみられる.また,近畿地方など,消費量に対して近郊産地の生産量が少ない市場では,入荷先産地からの距離が遠いため,輸送費を反映する形で価格が高くなっていると考えられる.

夏カボチャのように複数の遠隔出荷産地と近郊産地が競合している場合には,全国的に有名なごく一部のブランド産地を除くと遠隔出荷産地でも輸送費を上乗せした価格形成は困難になる.そのため,輸送費と卸売価格との間に明瞭な相関関係は認められない.

以上の取扱量と輸送費に関する分析結果を踏まえて,卸売市場価格の空間分布の規定要因をまとめると以下のようになる.卸売市場価格の空間分布は,夏ハクサイ,冬ハクサイ,夏カボチャともに,主要な産地に近いほど価格が低いという共通した傾向が見られる.しかし,その程度が異なり,空間分布を規定している要因は,それぞれに異なる.

まず,夏ハクサイの場合,関東以西の価格の空間分布を規定しているのは,独占的な産地である長野県の生産者団体,JA全農長野の出荷戦略である.同一輸送費圏内の価格にばらつきはあるものの,広域的には,長野県からの輸送費が市場間価格差を規定している.同一輸送費圏内では,中小規模市場の間で取扱数量と価格に負の相関関係が認められる.これは,小規模市場では,拠点市場からの転送コストが上乗せされているためである.

次に,冬ハクサイの場合,九州地方や関東地方といった生産量の大きい産地の周辺で価格が低くなる傾向が見られる.冬ハクサイは全国に多数の産地があるが,産地や品種による価格差はほとんど無視できる大きさである.また,多数の中小規模産地が分散しているために,各市場は近郊産地から直接入荷し,市場間転送はほとんど行われない.したがって,産地からの距離によって卸売価格が規定されているのは,近郊産地の生産量が小さいために主として遠隔産地から入荷している近畿地方や北陸地方の市場や,単独の一大産地が存在する関東地方に限られる.また,市場取扱量による卸売価格への影響は,出荷団体の戦略ではなく,市場の販売力,換言すればより川下側に規定された形で出現している.

最後に,夏カボチャの場合は,九州地方と関東地方の間で輸送費の相場を大きく上回る価格差がある.これは,九州産の夏カボチャの場合,遠隔地と産地近郊の市場との間で出回る商品の間に集出荷機構ならびに品質の違いがあるためである.九州産のカボチャは,大阪や東京といった大規模な消費地が遠隔地であることから,これらの消費地に出荷されるカボチャは産地側が輸送費を負担しても採算がとれる高品質で価格の高いカボチャに限定される.一方,地元市場で取引されるカボチャは規格が揃っていない個人出荷のものが多い.こうした集出荷機構の違いによる品質格差が九州地方の市場と遠隔出荷先市場との間の価格差を生んでいる.

以上の分析結果より,近郊産地の生産量が小さい小規模市場は,産地が集中し,産地の共販率が高く,特定の産地の流通圏が広域的に広がっている場合には,概して不利な取引条件を強いられるが,遠隔出荷産地が複数存在する,あるいは多数の産地が広く分布している場合には,この不利性が緩和されることが明らかとなった.とりわけ,販売力・集荷力・規模の経済が小さい市場や消費地にとって,多様な集出荷機構の存在は,良質な青果物を適正な価格で供給する上で重要な役割を果たしている.

審査要旨 要旨を表示する

近年,量販店向け需要や加工・業務用需要の拡大によってロットの大きい荷を扱うことができる大規模市場に荷が集中するようになったことを背景として,青果物の市場間価格差の問題が研究者や実務者の関心を集めている.本研究は生鮮野菜の卸売市場間価格差と市場規模および流通圏の広がりの関係を分析し,流通経路の特定と関係主体の集荷・出荷戦略を検討する作業を通じて卸売市場間価格差を生み出しているメカニズムを明らかにすることを目的としている.

本博士論文は7章で構成される.

第1章では本研究の背景にある問題意識が述べられた上で議論の前提となる卸売市場史がまとめられる.第2章では既存研究のレビューとその批判的な検討が行われる.既存研究は大きく構造論的研究,空間均衡論,市場統合論の3つの系譜に整理され,空間均衡論と市場統合論では現象の抽象化に際して市場の規模や立地による集荷力や価格交渉力の差異が捨象されてしまっている点が,構造論的研究では実際の数値データを用いた価格差の測定や説明の検証が行われていない点が問題点として指摘される.そして,本研究において(1)単独の大規模産地が広域的に独占市場を形成している品目(夏ハクサイ),(2)全国に中小規模産地が分散している品目(冬ハクサイ),(3)複数の大規模遠隔出荷産地と地元市場を中心に出荷する中小規模産地が混在する品目(夏カボチャ)の卸売市場間価格差の発生メカニズムの比較分析を通じてアプローチすることが述べられる.

第3章ではまず夏ハクサイの卸売市場価格が分析される.夏ハクサイでは,長野県が関東地方以西において独占的な産地となっているが,これらの地域における価格の空間分布を規定しているのはJA長野の出荷戦略であり,広域的には長野県からの輸送費が,同一輸送費圏内では,拠点市場から小規模市場への転送コストが市場間価格差を規定していることが示される.独占的な産地の存在,という単純化された状況の下での市場間価格差の発生メカニズムをシンプルかつ説明力の高い形で提示した点で貴重な学術的貢献であるといえる.

第4章では冬ハクサイが取り上げられる.多数の産地が存在する冬ハクサイの場合は,多くの市場が近郊産地から直接入荷している.分析の結果,冬ハクサイは産地や品種による価格差が小さいため,卸売価格が産地からの距離の影響を受けているのは(1)近郊産地の生産量が少ないために遠隔産地から入荷することが必要となっている地域(近畿地方・北陸地方)と(2)単独の一大産地が存在する地域(関東地方)に限定されていることが見出される.また,卸売価格に対する市場取扱量の影響は,出荷団体の戦略ではなく市場の販売力に規定された形で出現していることも明らかにされる.本章の分析は,産地が分散している状況下で,価格差が生じる具体的な状況を提示した点で重要である.

最後の事例として,第5章では夏カボチャの卸売市場価格が検討される.夏カボチャでは遠隔大規模産地である九州地方の地元市場と主要な出荷先である東京などの大消費地の市場との間で輸送費を上回る価格差が確認される.そして,その原因が,大消費地の市場に出荷されるカボチャが産地側が輸送費を負担しても採算が取れる高品質なカボチャに限定されているのに対して,地元市場で取引されるカボチャは規格が揃っていない個人出荷のものが中心であることによることが明らかにされる.本章の知見は,輸送費や市場規模だけでなく,各出荷主体が,それぞれの出荷戦略に基づいて市場毎に質の異なる品目を出荷していることが価格形成に大きな影響を与えていること,そして,こうした出荷戦略において出荷先市場の地域特性が有力な規定要因となっていること,を指摘した点が重要な成果として挙げられる.

第6章では3事例の比較を通じた考察が行われ,小規模市場では,産地が集中し,共販率が高く,特定産地の流通圏が広域的に広がっている場合には相対的に高い価格となる傾向が強く,遠隔産地が複数存在する,あるいは多数の産地が広く分布している場合にはこの傾向が弱まっていることが指摘される.そして,販売力・集荷力・規模の経済が小さい市場や消費地にとって,多様な集出荷機構の存在が重要な役割を果たしていることが指摘される.本章の考察は,卸売市場価格の形成メカニズムの包括的な説明に向けた貴重な第一歩であり,さらなる説明の精緻化に向け,今後なされるべき研究の展望を切り開いている.第7章では,本研究で得られた知見が整理される.

本研究は利用可能な卸売市場価格データの体系的な収集と解析を行い,各地の卸売市場関係者への聞き取り調査や文献資料を用いて知見を補完することで,具体的な形で卸売市場間価格差の発生メカニズムを明らかにした独創性の高い研究であり,今後の卸売市場政策の方向性を検討する上での基礎的・科学的な根拠を提供した,学術的・社会的意義の高い成果であると評価できる.

よって,本論文は博士(学術)の学位論文として相応しいものであると審査委員会は認め,合格と判定する.

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